第14話 国王との謁見

 それからほどなくして、謁見当日になった。


 道中の馬車の中は息苦しいもので、レイチェルは向かいに座るアレクシスの顔を見れず、ずっと俯いているしか出来なかった。


 それに当のアレクシスは元々無口だからなのか、彼もこちらに視線を動かす事なく窓の外を見ていたほどだ。


(こんな事になるのなら……もう一度面と向かって謝って、許して頂いた方がずっと良かったかもしれない)


 口だけの謝罪のみでアレクシスが許してくれるなら、という話だが。


 鬱々とした気持ちを抱えて謁見に臨むなど、本来であれば不敬と取られてもいいほどだ。

 馬車を降りてからもアレクシスはよそよそしく、エスコートしてくれている腕もどこか冷たい。


(不安だわ……)


 しかしどんよりとした気持ちは、謁見の間に通されてから瞬く間に霧散した。


 重厚な扉を通った先は眩しく、天井に豪奢なシャンデリアが吊るされ、きらきらと輝いている。

 絢爛豪華とはいかないまでも、一目で高級なものだと分かる調度品のたぐいも見て取れた。


 国王が座るであろう玉座の左右には、レイチェルが腕を伸ばしてもとても回らないであろう柱があり、精緻な装飾がほどこされている。


 広間の端には衛兵であろう者が数人ずつ控えており、その一糸乱れぬさまに図らずも感嘆の吐息が出る。


「……」


 アレクシスの腕がわずかに強まり、レイチェルはそろりと隣りの男を見つめた。


 数日間しっかりと顔を合わせていなかったからか、軍人としての様相も相俟って、アレクシスがどこか別の人間に見えた。


(アレクシス様……)


 自分たちは今、小さなすれ違いで喧嘩をしているはずなのに、微動だにしないアレクシスが羨ましい。


 ただ表情が豊かではないと分かってはいるが、それでも微笑み一つ浮かべて欲しいと思うのは我儘だろうか。


(いえ、そもそも私が悪いのだもの。これ以上望んではいけないわ)


「──陛下のお成りだ」


 不意にアレクシスが短く言い、そっと腕を解かれる。

 片膝を大理石で出来た床に着き、アレクシスは騎士としての礼を取った。


 レイチェルも見様見真似で同じ姿勢を取ると、ほぼ同時に背後の扉が厳かな音を立てて開いた。


「っ」


 カツン、といやに軽やかな足音が響く。

 レイチェルは震えそうになる足を叱咤し、じっと頭を垂れる。


「──よく来てくれたな、アレクシス」


 低く、柔らかな声が頭上から降った。


「は、陛下のご下命ですので」


 アレクシスは隣りで顔を俯けたまま短く声を出す。


(ど、どうしよう……私もお言葉を掛けられるわよね。もしも失礼なことを言ってしまえば)


 努めて震えないよう意識していようと、レイチェルの意思に反してかたかたと小さな震えが起こる。


 まだ顔を見ていないから分からないが、声音は思っていた以上に優しく穏やかなのだ。

 それは意図して作られている可能性もあり、顔立ちもあまり知られていないから、レイチェルの脳内に獣のような顔がぼんやりと浮かぶ。


(ああ、また私は……陛下に対して不敬だと捉えられてもおかしくないことを)


 想像であってもこうした事は頂けない、とレイチェルは内心で頭を振った。


「……公爵夫人もよくぞ来てくれた。さぁ、二人とも顔を上げて楽にしてくれ」


 穏やかな声で国王──ユリシスが続けると、ふっとその場の空気がわずかに緩む。


 一拍ほどの間が空いてアレクシスが顔を上げるのにならい、レイチェルは恐る恐る顔を上げた。


 玉座には、一人の男がゆったりと脚を組んで座っていた。


 胸まではあろうというプラチナブロンドの髪を緩く一つに束ね、こちらを見下ろす瞳は太陽のような温かな色を思わせる。


 右目の下には真一文字の傷があるが、柔和な笑みをたたえているからか、そう威圧感はない。


 あまり国民の前に姿を表さないユリシスは簡易な礼装に身を包んでいながらも、やはりどこか浮世離れした人間だった。


(この方が国王陛下……)


 今の今まで顔を知らなかったというのが不思議なほど、けれど人を寄せ付けない威圧感は、れっきとしたこの国の頂点に立つ者のそれだ。


「──な」

「え」


 いつの間にかユリシスにじっと見つめられていた事に気付き、レイチェルは反応に遅れる。


(な、なんと言ったのかしら? もう一度訊ねるのは不敬よね……)


「可愛らしい人を妻に迎えたようだな、アレクシス?」


 しかしレイチェルが悶々としているうちに、ユリシスはくすりと小さく笑いながらアレクシスに問い掛ける。


「私には勿体ない人です」


 アレクシスはちらりとレイチェルの方を見て言ったが、当の本人は他のことで頭がいっぱいでその言葉には気付いていない。


「……ますます可愛らしいな」

「陛下?」


 ユリシスは何を思ったか、アレクシスが止める間も無くつかつかとレイチェルの目の前にやって来る。


「っ」


 そこで意識を切り替えたレイチェルは小さく息を呑んだ。

 アレクシスとそう身長は変わらないらしいが、やはり一国の王とあって間近で対峙し、見下ろされると圧が凄まじい。


からよく聞いている。大事にされているそうじゃないか」


 ユリシスはアレクシスを顎でしゃくり、柔らかな声で問い掛ける。


「レイチェル、と言ったか」

「え、あ、はい!」


 まさか名前を呼ばれるとは思わず、レイチェルは声が裏返りつつもなんとか返事をする。


「威勢が良いな」

「あ……、すみません」


 ふふ、とユリシスはまた笑う。


 よもや呆れられたのか、レイチェルは自然と謝罪の言葉が口を突いて出る。


「いいや、構わない。あまり堅苦しいのは苦手でな、好きなように話してくれると有難いくらいだ」

「──口を挟むようで恐縮ですが」


 それまでじっと黙っていたアレクシスが小さく、けれどはっきりとした声で言った。


「本日は陛下の気まぐれに付き合っていられるほど、私も暇ではないのですが」

「ああ、そうだったな」


 ユリシスは何かを思い出したようにぽんと手を打ち、カラカラと笑う。


「いや何、お前が選んだ女性がどんな人間か気になったのだ。……本来なら私の方から出向きたかったのだが」


 そこでユリシスは言葉を切り、ゆっくりと玉座の方を振り向いた。


「直接行くとしたら大事になるし、こうして共に来てもらうくらいしか私は知らん」


 聞けばユリシスは生まれてこの方、戦争以外で城の外にほとんど出た事がなく、公務もほぼ城に人を招いて行っているというのだ。


 というのも、幼い頃に外の人間に暗殺をくわだてられたらしく、以後は側近やユリシスの右腕が外交を行っていると。


「昔ほどではないが、今は平和になった。私を狙う者はいないはずなのだが、最低限の用心はしろとうるさくてな」


 その分剣の稽古に身が入るが、とユリシスはなんとも言えない表情をする。


 玉座という檻に雁字搦めにされ、死ぬまで剣を持つ君主は珍しくない。

 しかし、身の危険があるからと四十を超えても民の前にほとんど姿を現さない王は非常に稀だ。


「長く玉座に座っていても、決して良い事ばかりではない。人にばかり苦労をさせて、自分は何もしないなど立派な君主とは言えないのだから」


 ユリシスは自分に言い聞かせるように、殊更ゆっくりと言った。


「戦地に向かい、自ら指揮を執り、剣を振るう方が私には合っているのだろうな」


 自身が民の間でなんと呼ばれているか分かっているというような口振りに、レイチェルは否定したくなった。


(国王様は知らないんだ)


 戦地での武勇を讃えられている傍ら、自身の治める民と間近で話す事も、直接その顔を見る事もない。


 ユリシスは人知れず歯痒い思いを抱え、自分を『こうだ』と偽ることでしか己を保てないのだ。


 それはユリシスがグランテーレ国王である限り続く。

 王座を退いた後は少しでも肩の荷が下りれば救いなのかもしれないが、それをレイチェルが心配する必要は微塵も無い。


(……いつか、ご自身の目で確かめられればいいのだけれど)


 想像よりも優しく、周囲を一番に考えるユリシスと比べるべくもないが、レイチェルは自分が恥ずかしくなった。


(私もしっかりしなければ。この方が治める国に、ふさわしくあれるように)


 そのためには自身の自己肯定感の低さからどうにかしなければ、だが。


「──ハロルドが二十になったら譲位するつもりだ」


 不意に耳に入った言葉に、レイチェルはしばらく瞳を瞬かせる。

 どうやらアレクシスに向けて言っていたらしく、小さな声で『そうですか』とだけ零した。


「その後は田舎でゆっくりしたい」


 ユリシスはどこか遠くを見つめるように目を細める。


「王妃を連れて遠乗りに出るのも良いな。……今までほとんど話すことが無かったから」


 見上げているユリシスは終始悲しそうな、けれど確かな意志を持って言っている。


 この国王は近い将来、本当に田舎へ行くだろう。

 なぜだかレイチェルはそう思った。


「……少し話し過ぎたな」


 ふぅ、とユリシスは小さく息を吐くとアレクシスを、レイチェルを交互に見て言った。

 視線だけで立つように促され、アレクシスに続いてレイチェルも立ち上がる。


「今日はありがとう、アレク。レイチェルも……良ければまた、共に王宮に来てくれ。次は酒でも酌み交わせたら嬉しい」


 君主らしからぬ柔らかく優しい声音で、ユリシスはほんのりと口角を上げる。


「い、良いのですか……?」


 無意識にレイチェルは不敬だとか不躾だとか、何も考える事もなく訊ねていた。


「ああ。可愛らしい話し相手が一人でも増えてくれた方が、私も助かる」


 事前に許可を取らねばならないがそれでも良ければ、とユリシスは続けた。


 緊張でいっぱいだった謁見は、予想以上に静かに終わりを告げる。

 しかし、レイチェルの胸はほんわかと温かくなった。

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無愛想公爵様の妻になったのですが、醜女(自称)にデレデレって本当ですか!? 櫻葉月咲 @takaryou

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