変な靄が見える


 マリーゴールドの花が美しく咲き誇る中に座り込むと、その美しさがますます目に焼き付き、絶望感が一層深まった。

 リーリャは深い溜め息をつく。思いもよらない事実に頭が真っ白になった。

 自分の母親が先代の聖女様だったなんて、考えたこともなかった。確かに自分は聖女しか持ち合わせないはずの黒い髪と黒い瞳を持っていたが、ただそれだけのことだった。

 聖女のような力が使えるわけでもない。

 先ほど盗み聞いた会話で聖女の力は遺伝するものではないと父は言っていたので、力が使えなくても当然なのだろう。

 しかし、自分が本当に教皇である父と、先代聖女との間に生まれた不義の子であったなんて。

 そう疑われることがあるかもしれないからという理由で、リーリャは今まで聖域に閉じ込められていたようなものだ。

 なんだか腹が立ってきた。

 リーリャの心は荒れ狂っていたが、庭園は静寂に包まれていた。

 手のひらにマリーゴールドの花を乗せ、ゆっくりと眺める。その花びらの繊細な模様や、中心に広がる黄金色の輝きが、リーリャの心に勇気を注ぎ込んでいくようだ。


 まずは状況を整理しよう。

 父は男性聖女を召喚したことで失脚の危機に立たされている。

 そして、リーリャはこのままではアイディールの辺境に追いやられる運命にある。


 生まれながらにして聖域に閉じ込められていたリーリャだ。その存在を知る者はほんのわずかであり、同年代の友人もいなければ、恋愛経験もない。

 それでも、外の世界に出ることができないとはいえ、リーリャはいつも穏やかな生活を送っていた。だけど、心の奥底では何かが足りないと感じていたのだ。

 本の中でしか知らない世界に、いつか自分も飛び出してみたいという憧れがずっと心を揺さぶり続けていた。

 だから、ここから出て辺境の地に行かされることには何の文句もない。だけど、結局はそこでも人目につかないように、ほぼ軟禁された状態での生活を続けていかなければならないのだろう。

 そう考えると、聖域暮らしと何も変わらないことになる。

 今までリーリャは、父に迷惑をかけることがないように、聖域でずっと大人しく過ごしてきた。時折、修道女のふりをして、こっそりと聖域を抜け出すこともあったにしろ、それでも彼女は父の言葉に従い、決して大聖堂の外に足を踏み出すことはなかった。

 しかし、状況は変わった。

 辺境の地に追放されることも、父の失脚を黙って見守ることもできない。

 それに聖女の召喚は、先代聖女の逝去とともに行われるものだ。つまり、一度も顔を見たことのない母親は、もはやこの世には存在しないのだろう。

 そもそも、国の安寧のためとはいえ、召喚された聖女をミステル王国に差し出すシステム自体、どうなのだろうか。

 自分が教皇である父と、先代聖女との間に生まれた子であるのなら、二人は愛し合っていたはずだ。

 なのに召喚された聖女はミステル王国に献上しなければいけないという取り決めのために、引き裂かれてしまったのだろう。

 愛し合っていたはずの二人が、そのシステムの犠牲になるなんて、どうしても納得できない。

「ああ、もう考えるのは嫌い!」

 庭園の花々が自分の怒りに応えるかのように、優雅に揺れた。

 リーリャは憤りを抱えながらも、決意を固める。

 この国に古くから根付いている聖女のシステムこそが、全ての元凶だ。だとすれば、そのシステム自体を壊してしまえばいいのだ。



「そんなわけで聖女システムを壊したいと思うんだけど、どうすればいい、ウィル?」

 リーリャは聖域に戻るなり、期待に胸を膨らませながら尋ねた。

 ウィルは大きな溜め息をつく。

「何から突っ込めばいいのか分かりませんが、そんな重大なことを簡単に言わないでください」

「お願い。ウィルの力が必要なの」

 ウィルはリーリャの頼みを受け、考え込んだ表情で答えた。

「聖女システムを壊すためには、計画を練る必要があります。ただし、それは簡単なことではありません。私たちには時間と賢明な戦略が必要です。少し落ち着いてください」

 リーリャはウィルの言葉に少し落胆しながらも、彼の力と知恵を信じていた。

「私は落ち着いているわ。ただ、どうすればいいのか、一緒に考えてくれる?」

「嫌です」

 ウィルの冷たい態度にリーリャは怒りを覚え、彼の足を蹴ったが、彼は簡単にそれを避けてしまった。

「聖女システムの破壊は一旦置いておいて、ひとまずリーリャはどうしたいんですか?」

「私はお父様の力になりたいの。今後、お父様はどうなってしまうのかしら」

「失脚した教皇は通常、捕らえられて異端審問にかけられます。異端審問は枢機卿が仕切っているため、少々難しい状況ですね」

「だけど、男性でも聖女の力は使えるわけでしょう。それに出発の儀だって明日に控えているわ。ミステル王国が男性の聖女様を受け入れた以上、その責任をお父様に押し付けるのはおかしくない?」

「よく気付きましたね、リーリャ。そうです。ミステル王国が受け入れたのなら、男性聖女召喚は、教皇の座を降ろされるだけの理由にはなりません。ミステル側もそんなことが起これば不快に思うでしょうし」

「それなのに、お父様は自分が教皇の座を降ろされることを当然のように話していたわ」

 ウィルが考え込むように黙り込む。

 そして突然何かを思い当たったように口を開いた。

「もしかしたら、枢機卿ベルセが暗躍しているのかもしれません。彼は長い間、教皇の座を狙っていたと噂されています。今回の件を彼が見逃すわけがありません。そして、エフォール様もその陰謀に気づいているのかもしれません」

「もしウィルがベルセだったら、彼はお父様を失脚させるためにどのような策を巡らすかしら?」

「私ならば聖者サンザシ様がミステル王国へ向かう途中で彼を亡き者にします。ミステルに献上されるはずの聖者様に途中で何かがあった場合、責任を取らされるのは教皇様ですから」

「そんな……」

「あくまでも私がベルセだったらの話です。本当にそんなことを考えているかは分かりませんよ」

「でも、もし本当に何かを企んでいたら、お父様だけでなく、聖者様にも危険が及ぶかもしれないってことよね」

 ウィルが神妙な面持ちで頷く。

 リーリャは我慢出来ずに聖域を飛び出した。

 ウィルの制止する声は耳に届かない。

 大聖堂の中をかいくぐり、途中、修道女の部屋で服を借りて着替え、ベルセの姿を探す。

 ベルセは慌ただしく動き回る修道士たちに指示を出していた。

 枢機卿の真っ赤な祭服はどこにいても目立つ。それだけでなく、彼の身に纏う真っ赤な祭服と同じ色の髪は、炎のような存在感を放って、彼の存在を際立たせていた。

 まるで彼の中に燃える情熱や野心が宿っているかのようだ。

 見ているだけで少し震えがくる。

 リーリャは修道女の姿であるにもかかわらず、目立たないように心掛けた。髪はベールで覆っているが、黒髪が見えないように気をつけなければならない。

 掃除をしているふりをしながら、ベルセの行動を観察するが、修道士たちと話している間も表情は明るく、特に不審な点はないように思える。

 なのに、なぜか彼を見ていると不安な気持ちが湧いてくるのだ。

 肌が粟立つような感覚が広がり、息苦しさを感じるようになってきた。

 深呼吸を繰り返しながら、ただの緊張からくる錯覚だと思いたかったが、背筋に沿ってゾワゾワとした感覚まで広がっていく。

 それはただの気のせいではなく、何かが起こる前兆のようなものだと感じた。

 それどころか、ベルセの体からどす黒いもやのようなものが滲み出ているように見える。

 リーリャは目を擦ってみたが、靄は消えなかった。

 周囲を見回してみると、他の人々からは何も靄のようなものは立ち上っていなかった。

 自分の目がおかしくなったのだろうかと思ったが、枢機卿に近付いてきた一人の修道士から枢機卿と似たような靄が立ち上っているのが見えた。

 枢機卿から見える靄は黒色だったが、その修道士に見える靄は灰色だ。

 なんとなく気になって、リーリャは灰色の靄が見えた修道士の跡をつけてみることにした。

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成り代わり男装聖者は聖女システムを壊したい 糸ノ @itokonnyaku66

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