夏木立、陽炎、逃げ水
「あおー、おはよう!」
「おはよう陽葵」
「あお〜、明日の数IIの小テもう勉強した?教えて欲しいんだけど」
「一応範囲は解いたよ。分かるとこだけでいいなら教えれる」
「5限の国語で寝ないようになんて厳し過ぎない?お昼ご飯食べた後なのにさ」
「はは、分かる。しかも今日朗読だったし」
火曜日、陽葵は昨日のことなど気にも留めず変わらず話しかけてくれた。僕はというと、昨日感じたもやはまるで陽炎のようにすっかり消えてしまった。消えてしまった今となってはあれがなんだったのか完全に分からなくなった。むしろ純粋に楽しみな気持ちが増していき、土曜日のことを考えているとある事に気がついた。
あれ、これってもしかしてデート?
馬鹿、というか大馬鹿者だ。陽葵はそういうつもりで勇気を出して誘ってくれたのかもしれないのに、断るでも快諾でも無いあの態度は失礼にも程がある。土曜日会ったらまずそのことをちゃんと謝ろう。
土曜日になった。普段は部活があるからジャージで来ることが多いが今日は制服だ。平日は七時半、土曜日はたいてい八時頃に集合しているが今日はなんだか落ち着かず平日と変わらない時間に来てしまった。いつもなら朝食はご飯とお味噌汁なのに今日はヨーグルトだけ。いつもなら、水遣りの集合前にこんなに落ち着かないことなんて無いのに、今日は。
先にホースを出して水遣りの準備をしておいた。こうしている今にもあの校門の角から陽葵が姿を見せるかもしれないと思うと、こそばゆい気持ちがして長い大きい息を一つ吐いた。陽葵はいつも僕よりはやく着いているからもういつ来てもおかしくない。それに僕はまず陽葵に謝らなければならない。なんて言おうかずっと考えているが、適切な言い回しが難しい。「せっかくデートに誘ってくれたのにごめん」はわざとらしいし、もしそんなつもりじゃなかっただなんて言われたら僕はもう今日一日どう動いたらいいか分からないぞ。「曖昧に応えてごめん」も重い、「もしかして嫌そうな顔してた?ごめんね!」は軽い、あとは……。
「あれ、あお?」
「っええ!?」
背後から陽葵に話しかけられ、心臓は手を当てずともはっきり感じるほどに脈を打つ。
「ご、ごめんびっくりさせて、大丈夫?私もあおが早く来てると思ってなかったからびっくりして急に話しかけちゃった」
「いや、大丈夫。ありがとう」
「もしかして結構前から来てた?ちょっと準備時間かかっちゃって、待たせちゃってたらごめんね」
「ううん、さっき来たところだし、まだ集合時間じゃないもん」
「そういえば、いつの間にか八時が集合時間になってるよね。はは、話し合った訳でもないのに。今日良く晴れてるね!お水あげ終わったらどこ行こっか!」
あ、やばい。このまま話すと謝るタイミングを逃す。
「陽葵!」
「なに?」
「.........」
「ゆっくりでいいよ」
僕の目を見て、陽葵も体をこちらに向き直してくれた。言い出しづらそうなのを見て、ゆっくりでいいと待ってくれている。本当に優しい人だ。鼓動は、さらにその周期を縮める。
「この前、土曜日出掛けようって誘ってくれたときはっきり行こうって答えなくてごめん。感じ悪かったよね」
「え、そのこと!?すごい真面目な顔するからびっくりしたよ!全然気にしなくていいのに」
陽葵の明るさに触れるとこちらまで元気な気持ちになる。
「私こそ、あおの気持ち考えずに軽く誘ってごめんね。今日もあおが嫌だったら断ってくれていいんだよ。私結構気配り出来ないところあるからさ」
誤魔化すように笑う陽葵はこの前と同じ寂しそうな表情だ。違う、そういうつもりで謝っているんじゃない。この前僕が伝え方を間違えてしまったこと、友達の君にそんな顔をさせてしまったことを謝りたいんだ。重いか軽いかとか勘違いだとか陽葵にどう思われるかを考えて謝罪をするんじゃなくて、陽葵に本心を改めて伝えるための謝罪をするべきだ。
「陽葵、そうじゃなくて」
「?」
「俺も、誘ってもらえて凄く嬉しかったんだ。これは本心、本当に。ただ、単純にびっくりして、含みのあるような返答をしちゃった。あんな言い方されたら、本当は嫌なのかなって感じるよね。でも嫌だなんて思ってないし、俺も陽葵ともっと話したいって思ってることを伝えたかった」
「……」
「陽葵?」
「ふふ、あおって本当に面白いよね。確かに嫌だったかなって気にはなってたけど、そんなに真剣に訂正しないよ普通」
「そうかな…。でも、今日は純粋に楽しく出掛けたかったから」
「私も今日のお出掛け楽しみにしてたんだ。というかよく考えたらさ、これデートだよね?」
陽葵はいつもの調子に戻って、からかい混じりの声色で笑って言う。僕たちは早いところホースを片して学校を後にし、今日の予定の作戦会議をするために学校近くの公園に向かった。小さい木の下にベンチがあったのでジュースを買って腰を下ろした。
近頃は気温が随分高くなった。梅雨前線が去り、いよいよ夏の足音が近づいてきたんだ。木陰のベンチから望む遠くの地面はゆらゆらと陽炎を立て、その足元には逃げ水が確認できた。
時効性の春 八花 青葉 @ao_skyflwr
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