第10話 直視したくない現実
「
教員を志望する同期生や地元の友達に何度も聞かれたよ。そのたびに俺はこう答えた。
「担任をやったクラスから有名人が出たとき、俺が育てたって自慢するため」
そう言われると、マジかよって返事がたいてい帰ってくる。一人でも多く、真面目な生徒を育てたい? そんな崇高な理想を掲げたとしても、現実の多忙さに押しつぶされて挫折するのが関の山。採用試験の時はハンコを押したかのような理由を述べたよ。昔お世話になった恩師にあこがれてとか。教員として自分が体験した苦労を生徒が体験しないようにアドバイスしたいとか。口八丁手八丁とはよく言ったものだ。いかにして、面接官と言われる先生たちの心証をよくさせるか。それが重要。
そして、うっとうしい面接をクリアした俺は、中学校の教員として採用された。今から3年前の出来事である。
最初に配属されたところは、柏座市内にある中学校で、1年生の副担任を務めることとなった。ほんと、毎日ガチガチの日々を過ごしていた。覚えるのは必死。生徒との距離感を掴むのが大変だったのは言うまでもない。そして、部活動は第一希望だった剣道部ではなく、卓球部の顧問を務めることとなった。いや、卓球なんかやったことないんだけど。
卓球部に関わる以上、ルールとかは覚えないといけない。筆頭顧問から雑用を押し付けられ、遠征の時は部員たち全員に飲み物やらアイスを奢ってあげたりした。もちろん、食費は経費として落ちない。ほんと、嘆かわしいぜ。
翌年は2年生、去年は3年生の副担任として昇格。前年同様、雑用の日々を過ごしていたが、怠惰な日常は突然として終わりを告げた。
当時4組の担任を務めていた先生が突然、亡くなってしまった。理由は妖獣に襲われたため。妖獣から子供を守ろうとした時に襲われてしまい即死。さらには奥さんも襲われてしまった。守ろうとした二人の子供も亡くなってしまい、周囲は地獄絵図と化した。
自分の担任が亡くなった。そのショックは想像もできないと思う。
そんな中、俺は4組の担任として残りの期間、務めることとなった。若すぎるから無理、教務を務めていた人を担任にさせるべきだという声が上がったが、3年間副担任として生徒たちを見守っていたからという理由で俺が臨時担任を務めることとなった。
正直俺は嫌だった。前の先生はクラスだけではなく学年全体から慕われていたこともあり、立花が4組の担任をやるって言われた瞬間、ため息をぶつけられた。生徒とのコミュニケーションはうまく行かない。先生はムカつくと平然と言われたかと思えば、同じ教職員からは貧乏くじを引かされたと揶揄されたりした。
担任を受け持つことになって1か月で体重が10キロ減り、ろくに寝ることもできなかった。
「担任をやったクラスから有名人が出たとき、俺が育てたって自慢するため」
そんな、デカい口を叩いていた俺が3年目で早くも挫折してしまいそうな毎日を送っていたのは言うまでもない。12月を過ぎると、校長から呼び出される日々が続いた。
親御さんから不満の声が入っている。何とかならないのかとか。クラスの指導が不十分じゃないのとか。進路指導は大丈夫なのか……。
そんなことを毎日言われたため嫌いだったタバコに手を出した。酒を飲む量は増え、休みの日は居酒屋を梯子する日々を過ごしていたある日のことだった。いつものように居酒屋で酒を飲んでいると、見覚えのある先生と鉢合わせした。
「おっ、もしかして立花か?」
俺が若宮東中に在籍していた時に剣道部の顧問を務めていた
「もしかして、山口先生ですか。お久しぶりです」
「なんだなんだ。お前、相当飲んでいるな」
そう言って俺の隣に座ると、開口一番、今何やっているんだって言われたため、教員をやっているというとマジかよって食いついてきた。
「どこで働いているんだ?」
「柏座にある原沼中学校ですよ」
「おっ、原中か。まぁ、お前の年齢だったら副担任だろ?」
「最初はそうだったんですけどね」
そういうと、今までためていた不満が爆発した。多分、聞いていた山口先生もドン引きするくらいの愚痴だったんだろうな。そのつもりで話すと、山口先生が語りだした。
「肩ひじ張りすぎ。相手は15歳だろ。お前は真面目なんだよ。もっと楽にやれ」
そう言われたからかどうか定かではないけど、残り2か月、気楽に臨時担任の生活を過ごすことが出来た。そして、無事卒業式を迎えしばらくすると、異動の内示を受けた。その職場が若宮中学校だった。
※
「始めまして。教頭を務める
「
開口一番、出迎えてきたのは教頭を務める長沼先生だった。もう少しで60歳になるかもしれないベテラン教員で、話を聞く限りこの学校にやってくるのは6年ぶりだとか。
「学校長を務める
白髪交じりの松野先生が挨拶してきた。短い挨拶だったが、威厳が漂っていた。これが学校長なんだな。
「もしかして、立花先生って若宮東で剣道部に居ましたよね?」
教務主任を務めている
「野澤先生、昔、若宮中で剣道部の顧問を務めていましたよね? その節はお世話になりました」
「覚えていたんですね。いや~、あの時、対戦相手だったチームの部長が先生として再会するなんて思いもしませんでしたよ」
野澤先生がそういうと、角刈りの先生が話しかけてきた。
「1学年主任を務める
一通り、挨拶が終わると古葉先生が校舎を案内した。対戦相手の学校で担任を務めるのか。なんだかワクワクするな。校舎の案内が終わると、各学年でクラス編成の会議を実施。まぁ、正直誰でもいいなとは思っていたが、一人だけ気になる生徒がいた。それが東春香だった。
このタイミングで引っ越ししてきたのか。多分、友達を作るのが大変な気がする。俺がサポートしてやるか。
「東は俺が貰う」
それ以外の生徒は適当に決められた。クラス編成の会議が終わると、次は部活動について話し合われた。俺は剣道部の顧問を希望しているけど、剣道部は3年の担任を務めている栗原先生がいるんだよな。そう思っていたが、副顧問として剣道部を受け持つこととなった。理由は一人じゃ大変だということみたい。
剣道部の副顧問を務めることとなったため、俺は剣道場に向かった。昔、俺が部活動をしていた場所だ。ほんと、昔と変わらないな。
「いったん、活動をやめてくれ」
栗原先生がパンと手を叩くと、稽古をしていた部員がこっちを向いた。
「4月から剣道部の副顧問を務めることとなった立花昭二先生だ。1年1組の担任を務めるため、ここにいる生徒と授業で関わることはほとんどないと思うがよろしく頼むよ」
栗原先生がそういうと、俺は軽く挨拶をした。
「立花です。みんなよろしく」
軽く挨拶をすると、よろしくお願いしますという元気のいい挨拶が返ってきた。そうだよ。これだよこれ。前の中学校とは全然違う。この空気、やっぱりいいものだな。
時間が押していたため、部員の挨拶は後日行うこととなった。始業式の準備とかに追われ、毎日、学校を出たのは23時過ぎ。
正直、過酷だが、俺は楽しかった。ここから、ようやく、本当の教職員生活が始まるんだと。俺は楽しみで仕方がなかった。
※
入学式が終わってから1週間が経過した。帰宅せず、たむろっている生徒がいないか見回っていると、1年1組から大きな騒ぎ声が聞こえてきた。
「まだ残っていたのか。早く……」
閉まっていた扉を開け中に入ると、そこで目にしたのは女子の制服を着た黒崎と斎藤、男子の制服を着た西村と小西だった。何をやっているんだ? こいつらは?
そう思ったが、この光景は絶対に納めないといけない。
俺はターンバックすると、急いで職員室に向かった。そして、自席から一眼レフのカメラを取り出すと、1年1組に向かった。
まさか、自分が受け持ったクラスで制服交換をする生徒がいるなんて思いもしなかった。この貴重なシーンは残さないと。
「おまえら、写真撮るから。固まれ」
「写真はだめです!」
「記録に残すのはだめ!」
斎藤と黒崎が抗議の声を上げたが、西村と小西は乗り気だ。
「なんだ、野口は制服交換していないのか?」
「私は相手がいなかったので」
さらっとそういったけど、まぁ、そりゃそうだよな。
「ふっ、そうか。じゃあ、撮るぞ」
野口が真ん中に陣取り、その右隣にはうれしそうな表情をした西村と小西。左隣には虚無の表情をした斎藤と黒崎がいる。
「ハイチーズ」
何回かボタンを押すと、カシャっという音が響いた。まぁ、これで終わりでもいいけど、今は時代が違う。こいつらにも残しておかないと。
「誰か携帯持っている人は居ないか?」
「えっ? 携帯出してもいいんですか?」
「せっかくの思い出だろ。残しておかないと」
小西と西村は嬉しそうに携帯を渡した。斎藤と黒崎は恐怖で顔が引きつっている。
「野口はどうする?」
一瞬迷ったみたいだけど、俺の言葉に甘えたのか、カバンからiPhoneを取り出した。まじか。野口は最先端を突き進んでいたのか。
「えっ! 由美子ちゃん、iPhoneなの!」
「由美っちすごい!」
「両親が契約している会社がiPhoneを取り扱っていたから、たまたま購入しただけだよ」
「俺もガラケーからiPhoneにしようかな」
とりあえず慣れた携帯で写真を撮ったけど、野口から貰ったiPhoneの操作は分からん。どうすればいいんだ?
「野口、これどうするんだ?」
「写真は……」
野口がiPhoneのイロハを説明しだした。今年26歳になるけど、最先端の技術は凄い。なるほど、なるほどと思わずつぶやいてしまった。野口に説明された通りの手順で撮影した。まぁ、これで大丈夫だろう。小西、西村、野口にそれぞれ返却すると、俺は教室を後にした。もちろん、最後に一言付け加えて。
「着替えたら、早く帰れよ」
職員室に戻り、先ほど撮った写真を眺めていると、長沼教頭がのぞき込んできた。
「おっ、制服交換! 私が担任を務めていた時もありましたよ」
「そうなんですね」
「懐かしいな。何やっているんだろうな。あいつら」
長沼教頭とそんな話をしていると、古葉先生が慌てた様子で職員室に入ってきた。
「やばい! やばい! 駅前の西口公園に妖獣が出た」
その言葉に職員室は緊張感が走った。
「しかも、第1号と同種」
古葉先生がそうつぶやくと、神妙な表情をした松野学校長が職員室に入ってきた。
「市役所に緊急対策本部が設立された。現時刻を持って、
片っ端から親御さんに連絡を取った。連絡が取れた親御さんには生徒の安否、そして情報が錯綜しているため駅前には近づかないことなどを伝えた。1人10秒弱で終わる作業だが、ちょっと思いもよらない出来事が来てしまった。
「分かりました。家に戻り次第、ご連絡をお願いします」
31名の安否は確認できたが、5名はまだ分からない。その5名はさっきまで教室に残っていた黒崎、小西、西村、野口、斎藤だ。
「3年6組、全員の安否確認完了です」
栗原先生がそういうと、長沼教頭が3年6組のところにマル印をつけた。次々と安否確認完了の報告が飛ぶ。なんでだよ。なんで、連絡がこないんだ。
「立花、1組はどうなっている」
松野学校長がそう聞いてきた。
「まだ、5名の安否がとれていません」
俺は黒崎、小西、西村、野口、斎藤の住所を調べた。野口は駅前から離れているから大丈夫。そろそろ、無事の報告があってもいい頃だが、問題は残り4人。全員、下校時、駅前の西口公園を通過する。大丈夫だよな。大丈夫だと言ってくれ。
そして、1年1組以外、すべての安否確認が30分以内に完了した。職員室には重苦しい空気が流れている。
「立花先生、落ち着いてください。焦る気持ちも分かりますが、生徒を信じることも大切ですよ」
古葉先生がそう宥めてきた。今すぐ職員室を飛び出して探しに行きたい。でも、俺は待つことしかないのか。
そう思いながら、携帯を握り締めていると、野口の両親から連絡が入った。
「はい! 立花です」
「いつもお世話になっています。由美子の母親、美幸です。今、由美子とは連絡が取れましたので、その連絡です」
「お忙しい中連絡していただきありがとうございます」
そう伝えると、野口の母親は電話を切った。あとは4人。頼む、最悪の事態だけは起きないでくれ。そう思っていると、学校の外線電話が鳴り響いた。
「はい、若宮中学校」
古葉先生が電話をとると、表情がくぐもった。
「生徒を4名保護した。はい……。分かりました。駅前の公園ですね。すぐに向かいます。すいません、駅前に出た妖獣のことについて何かご存じでしょうか? 退治された? はい。分かりました」
生徒を4名保護……。もしかして! 古葉先生が電話を切ると、松野学校長に報告した。
「柏座警察署から連絡がありまして、生徒を4名保護したとのことです」
「なんで保護なんだ? すぐに返せばいいのに」
「ちょっと、状況を説明したいと担当の警察官がおっしゃっていましたので、私行ってきます。駅前に出た妖獣は退治されたそうです」
「古葉先生、私も行きます」
その4人はおそらく、小西たちだ。
「古葉先生と立花先生は現場に行ってください。残りは明日の授業について会議をします」
古葉先生と一緒に駅前の公園に行くと、予測通り、保護されていたのは小西たちだった。しかも、ご両親まで一緒だ。どういうことだ?
「もしかして、教職員の方ですか?」
周囲にいる警察官とは明らかに服装が異なる男性が話しかけてきた。
「若宮中学校、1学年主任の古葉です」
「彼らの担任を務めている立花です」
「お忙しい中、ご足労いただきありがとうございます。埼玉県警特別攻撃部隊、隊長を務める伊吹です。お呼びした用件は……」
そう言ってSAFの隊長が話し出した内容はにわかには信じがたい内容だった。
「妖獣を倒した?」
「それって、SAFの方々じゃなくて?」
どうやら、所在不明の人物が妖獣を倒したみたいで、小西たちを保護したのはその光景を目撃した証人だったこと。そして、西村が妖獣に襲われそうになったところを、その所在不明の人物が助けたって内容だった。
「つかぬことをお聞きしますが、こちらに来るとき、赤い服を着た女性を見かけませんでしたか?」
「赤い服ですか?」
「はい。神社にいる巫女に似た服装をした女性です。身長はおおよそ、166くらいだと思うんですが」
「来るときには見てないですね」
「そうですか。捜査へのご協力感謝します」
伊吹さんはそういうと、敬礼し、その場を去った。
「すいません。子供のためにご足労掛けました」
黒崎の母親が頭を下げると、古葉先生は余裕の表情を見せた。
「心配はいりませんよ。これも、教員の仕事ですから。お前ら、無事で何よりだよ」
「西村、怪我は大丈夫か?」
「転んだ時に出来た擦り傷があるけど、それ以外は大丈夫です」
とりあえずは安心だな。
「我々も戻りますか。明日、普通に学校はあるから。臨時休校とかはないぞ。あばよ!」
小西たちが横断歩道を渡るまで見送ると、古葉先生と一緒に学校に戻った。
「それにしても、その巫女さん? 何者なんだ?」
「明日、ニュースになるんじゃないですか?」
「うーん、どうだろう。テレビのカメラマンがどこかにいたのならば話は別だが、見た感じなんにもなさそうだしな。もしかしたら、ニュースにならないかもしれない」
「いずれにせよ、その巫女さんには感謝しないとダメですな。その人がいなかったら、西村は……」
俺は去年起きた出来事を思い出した。妖獣はいともたやすく人の命を奪う。脅威は身近に存在するんだと改めて実感した。
「立花先生、今日一杯行きますか」
「えっ? 今日ですか? 絶対、いろいろな報告書作成で忙しくなりますよ」
「目標19時。それより先は一切手を付けない。そのスタンスで臨む。我々の残業時間は早くも40時間突破しているので」
そりゃそうだな。月半ばで残業40時間突破はやばい。ブラック企業もびっくりの残業だ。
「じゃあ、早めに帰りますか」
幸い、今日は月曜日。部活がなかったこともあったため、17時には学校を出ることになった。1年の先生は入学式絡みの準備で残業ラッシュを経験していたこともあり、市役所に提出する報告書の作成とかは2年や3年の先生が務めることになった。まさかの定時上がり。17時から居酒屋とか最高だろ。
古葉先生と一緒に酒を飲みながら、身の上話をした。古葉先生の長女は絶賛反抗期。しかも、自分のことをキャサリンと自称しているとか。古葉先生も大変だな。
俺は……彼女がいない。ほんと、どうしよう。
※
仮入部当日、俺は剣道部に顔を出した。
あれ? 野口がいない。別の部活にでも行ったのかな? まぁ、仮入部期間中だからどこに行っても構わないけどね。ついこの間まで道場に通っていた5組の窪田が仮入部にやってきたけど、経験者は違う。他の生徒は初心者かな。そう思いながら、眺めていると、一人だけ姿勢が違う生徒を見かけた。
あの生徒は東かな? 竹刀の握り方も他とは違う。そして、素振りの勢いも違う。もしかして経験者?
仮入部は1時間で終わり。17時のチャイムが鳴ると、仮入部の生徒がぞろぞろと道場を後にした。定型文で挨拶をしていると、東と目線があった。
「東、経験者か?」
「千葉にいるとき道場に通っていたので」
「どうだ、剣道部に入らないか?」
そう言ったが、反応は芳しくなかった。
「……ちょっと考えます」
考えますか。引っ越しする前に何かあったのかな。剣道自体、嫌いになってなければいいけどな。そう思いながら、帰宅する東の背中を眺めたが、どこか切なかった。
ちなみにゴールデンルーキー野口由美子が仮入部にやってきたのは3日後だった。始動が遅すぎるだろって思ったが、そんなことはない。他とは比べ物にならないくらい凄かった。
柳の様に流麗な太刀筋。相手を寄せ付けない威圧感と姿勢。そのすごさは栗原先生も感じたみたい。
野口は中央委員を務め、クラスをまとめる役割を担っている。まぁ、一緒に中央委員を務めている斎藤とはこの間放課後、残っていたから仲良しなのかなって思ったが、若干違和感を覚えた。
野口……もしかして、斎藤のことを避けている?
表向きは平然と接しているけど、なんだかそんな気がした。東は俺の予想通り、クラスで浮いている。そのため、野口あたりに東の様子を見てもらおうと思ったが、斎藤との関係を見た瞬間、二人の関係次第では、クラスに亀裂が走る。蟻の一穴になるかもしれない。
火種は何とかして摘まないと。
そう思ったが、原因が思い当たらない。いや、野口と斎藤が喧嘩したって言うならばわかるが、そんな単純な問題じゃない気がする。野口に東を任せるべきか。それとも、野口と斎藤の間にある見えない亀裂を解消させることが先か。迷った俺は、野口に東の件を任せることを優先させた。今月で4月も終わる。
本当は、もう少し早く動きたかったが、俺がぐずぐずしていたから遅れたのかもしれない。
美術室に向かう野口を呼び止め、東と仲良くするようにと伝えると、分かりましたと返事をした。その場で斎藤との関係も聞きたかったが、それは後回しにした。
今は東を孤立させないこと。それに尽きる。
※
野口はどういうマジックを使ったのか分からないが、東が剣道部に入部することとなった。東の加入は半ばあきらめていただけに、ちょっと予想外だったな。新入部員の数は30人。これは……バブルだ。
2年生と3年生を合わせた数よりも多いのは考えられない。ほとんど未経験者だが、その多くは鳳龍師の活躍に影響され、剣術を学びたいという理由だった。
「ちょっと……予想よりも多く入部しましたね」
「新入生の1割が入部するかもしれないって言われた時はまさかって思いましたが、蓋を開けたら30人。多すぎる」
いくら外部から呼ぶ講師がいるからと言って、3人で裁くのはキツイ。外部講師、もう一人追加することは既定路線だが、それでも四人で見るのはどうなんだろう。
「とりあえず、活動を男子と女子で分けますか」
「暫定的にそうしましょう。男女が一緒になって活動は出来ないですよ。この人数は」
ということで、俺は女子。栗原先生が男子を担当した。
「新部長選出は9月。そのタイミングで正式に剣道部を男子剣道部、女子剣道部に分けましょう。松野学校長には私のほうから話しておきます」
「栗原先生、よろしくお願いします」
栗原先生が松野学校長のもとに行き事情を説明。9月に剣道部を二つに分けるという話をしたが、今すぐやろうということとなり、剣道部は正式に男子剣道部、女子剣道部に分かれて始動した。
男子が1階の剣道場を使用。女子は廃部となった柔道部が使用していた2階の柔道場を使って部活を行うことになった。
5月に行われる対外の公式戦、黒龍杯は男子剣道部、女子剣道部という形でエントリーを修正した。
目標は関東大会優勝。その先駆けとして黒龍杯を取りに行くぞ。
野口、東の存在は上級生にとって脅威に感じたみたいで、上級生は練習から飛ばしていた。良い感じで競争意識が働いている。よし、黒龍杯の出場選手を決めるか。
女子は今まで人数が少なかったため、無条件で全員が参加できたが、人数が増えたため部内のリーグ戦で決めることとなった。
経験年数が違うため基本的には上級生が勝つけど、野口は違った。去年まで中堅を務めていた2年生を倒してしまい、団体戦出場の枠を勝ち取った。
外部からやってきた井上師範代も野口の動きには目を見張った。
「いやいや、野口は凄い。神無月のところにも凄い逸材がいたんだな。こりゃ、楽しみだ」
確かに野口はすごい。だけど、なんだろう。この違和感。野口の構え、誰かに似ているんだよな。俺の気のせいかな? それだったら、それでいいんだけど。
一抹の不安を抱えながら、俺は部活の練習を見守った。そして、授業などをこなしていると黒龍杯当日を迎えた。
5月11日、天気は雨。室内だから関係ないが、なんとなく嫌な空模様だ。俺たちはチャーターしたバス2台で会場に向かった。
※
黒龍杯は県内の中学校ならばどこでも参加可能な大会で、普段対決することのない中学とぶつかるため、大きな刺激を受けることが出来る。俺も現役の時に個人、団体、両方で出場し、並木市の剣道部と対決した覚えがある。大会に参加しない部員はスタンドで応援することになっているが、想像以上に人がいる。どうやら、鳳龍師の活躍によって、剣道人口全体が急速に爆発しているみたい。
剣道に関わるものとしてはうれしい限りだよな。
「おっ、由美子だ」
東がそういうと、応援していた生徒が拍手した。エントリーした選手の中で唯一の1年生。さぁ、見せてこい野口。主役の座を奪ってくるんだ。
女子の個人戦、1回戦が始まり、野口は相手をストレートで倒した。そして、2回戦、3回戦に進むにつれて、周りもざわめいた。
「あの1年生やばいな」
「どこまで勝ち進むんだろう」
うちの中学校で勝ち残っているのは野口だけ。あとは2回戦、よくても3回戦で散り、準々決勝までたどり着くことは出来なかった。まぁ、普通はそうだよな。ただ、野口は準々決勝を突破した。
次の相手は前回大会で優勝した生徒だ。相当いい試合になるだろうと思ったら、意外とあっさり負けてしまった。多分、連戦で疲れたのかな。それでも、ベスト4は凄い。ゴールデンルーキーの活躍は半端じゃないな。
午前中は個人戦。昼食をはさみ、午後は団体戦。団体戦も野口は出場する。野口の活躍に刺激されたのか部員たちが熱心に野口から聞いている。教えるのも的確なんだよな。無駄なことは言わないってやつ? 野口はサッカーが好きだから、端的に分かりやすい指示を好むのかな。もちろん、全員がそれで理解できるわけじゃないから、東が足りない部分を補っている。
野口が女子剣道部の部長、東が副部長? 逆でもいい。この関係になれば理想だな。3年間一緒に進級できるという保証はない。多分、行けるのは2年まで。年次的にまだ早いということで3年の担任になることはないと思う。もう1回、1年の担任をやって、その代で3年の担任をやるってところかな。
野口はいろいろな先生のもとでいろいろな考え方を吸収してもらう。東は、2年間は俺が面倒見て、3年では別の先生が担任を務める。多分、こんな流れになるんだろうな。
午後の団体戦は2回戦敗退で終わった。
個の力はすごくても、それが全体のパワーにならなければ意味がない。団体戦優勝こそがステータスは高いって言われるゆえんはまさしくこれだ。
全てのプログラムが消化されたのは16時過ぎ。あとは帰るだけ。
バスに乗り込み、全員いるか確認。それじゃあ、出発するかって時だった。突然、野口が立ち上がった。
「先生、ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」
まぁ、今だったら大丈夫だな。
「行ってこい」
野口がバスを下りて施設に向かった。それからしばらくしてだった。外の天気が急変。バケツをひっくり返したかのような大雨が降り注いだ。しかも、最悪なことに雷も鳴っている。結構近くだったな。強風がビュンビュン吹いている。最悪なタイミングだな。そう思っていると、携帯が鳴り響いた。
「はい。立花です」
「栗原です。男子は全員そろったけど、女子は何かあったのか?」
「野口がトイレに行ったんで、今待ちの状態ですね」
「そうか。じゃあ、そう少ししたら……」
そうつぶやいた時だった。大きな雷鳴が響いた。
「……近くに雷が落ちたぞ」
栗原先生がそういった時だった。電話の向こうから上という声が響いた。
上がどうしたって電話の向こうからそんなやり取りが聞こえる。何が起きた? そう思っていると、栗原先生から予想もつかない言葉が返ってきた。
「妖獣……。立花先生が乗っているバスの上に妖獣がいるぞ」
栗原先生がそういうと、再び大きな雷鳴が響き、アスファルトに雷が落ちた。
※
「この状況、どうする?」
施設の入り口には他の学校の部員が出られないで右往左往している。俺たちは野口が来れば出発できるが、落雷が落ちまくっている状況ではバスに近づくことは出来ない。男子だけでも先に行かせようかな。
「男子だけ先に出発してください。女子は野口がやってきたら出発します」
「分かった。運転手さん。お願いします」
そういうと、隣のバスのエンジンが響いたが、一向に出発しない。どうしたんだ?
「栗原先生、どうしました?」
「上にいる妖獣がこっちを見ている。このまま出発したら、追いかけてくるかもしれない」
それは厄介だな……。
「ちなみにどんな妖獣がいるんですか?」
「鳥だ。さしずめ雷鳥って言ったところかな」
落雷がアスファルトに落ち、大会が開かれていた施設は停電が起きている。この状況、どうすればいいんだ。そう思っていると、バスに乗っていた女子部員が叫んだ。
「先生、あれ!」
生徒が指をさした方向を見ると、光の粒子みたいなものが降り注いでいた。おい、もしかして!
「鳳龍師だ!」
この局面で正義の味方降臨。良いところで出てくるんだよな。全身ずぶ濡れの鳳龍師が中腰になると、いつぞやの網剪戦みたいに空中を切り裂いた。こっちからじゃ、よく見えないけど、敵も攻撃してきたみたいで空中でぶつかると、大きな爆発音が鳴り響いた。
すさまじい爆音が鳴り響いたが、その衝撃で上空は黒い靄みたいなものが出来た。
「栗原先生! あの靄が消える前に出発してください!」
「分かった。先に行くぞ!」
男子剣道部の部員を乗せたバスがゆっくりと発進した。鳳龍師はおそらく、男子剣道部のバスを先に行かせるためにわざと先制攻撃して、黒煙で敵の視界を隠したんだな。有能すぎる。
俺たちは野口待ちだから、タイミングが悪い。この状況で野口がやってきたら理想だけど来る気配がない。おそらく、施設のどこからか見ているのかな?
俺たちからは見えない場所にいた雷鳥がゆっくりと降下すると、そのまま鳳龍師に突撃。鳳龍師は瞬間移動で突撃を回避している。
「すげぇ……」
思わず声が出てしまった。バスにいる生徒たちも外の様子を眺めている。鳳龍師が凄いってテレビとかで騒がれているけど、いざ目の前で見たら半端じゃなかった。レベルが違う。こりゃ、宇宙人説とか出てくるわな。普通の人とは思えないよ。
「先生、あの服装の人たちって」
「埼玉県警特別攻撃隊。SAFの人たちだ」
しばらくは様子見を決めていたが、妖獣が鳳龍師ではなく、こっちにターゲットを変えた。やばい! 突っ込んでくる。どうすればいいんだ。
逃げ場のない状況だったが、異変に気が付いた鳳龍師が瞬間移動でバスの近くにやってくると、光の壁を展開して雷鳥の飛行を阻止した。雷鳥は力づくで光の壁を突破しようとしている。その隙をSAFは逃していなかった。
SAFが接近すると、光の壁によって進行を阻止している雷鳥に向かって側面から攻撃を開始。側面から攻撃された雷鳥が苦しみだした。このままならば勝てる。そう思ったが、雷鳥が飛びあがると、鳳龍師がSAFの隊員に向かって叫び、隊員が施設の中に避難を始めた。
もしかして!
そう思った途端、落雷がアスファルトに直撃。鳳龍師は全身を光の壁で防御した。あの避難は落雷から身を守るためだったのかな。
相手が明らかに苦しんでいる。そろそろ決めないと。その意思が鳳龍師に伝わったかどうかは分からないが、腰に差していた日本刀を抜くと天高くかざした。
「ここで決めろ! 鳳龍師!」
そして、高く飛びあがり、日本刀を振りかざした瞬間だった。敵が攻撃した落雷をもろに食らってしまい、アスファルトにたたきつけられてしまった。
やばい! 負ける! その時だった。東がバスの窓を開けると叫んだ。
「絶対勝って鳳龍師!」
東の行動に触発されたのか、次々とバスの窓を開けると部員が声援を送りだした。施設の中にいた他校の剣道部員も負けるなとか応援している。
その声援に答えた鳳龍師は膝立ちで何とか立ち上がった。でも、見るからに疲弊している。なんとか、気力だけで立ち上がったって感じだが、勝ち筋が見えない。呼吸も荒い。そして、弱まっていた雨が再び強くなった。
「お前ら、窓を閉めろ!」
バスの中に雨が入ってきたため窓を閉めた。鳳龍師は落雷を避けるのに精いっぱいだ。そう思っていると、部長の
「落雷が落ちる間隔が一定のような気がするんだけど」
そう呟いたため、俺は落雷が落ちる間隔を確認した。言われてみれば確かにそうだ。おおよそ、3分から5分の間隔で落ちてくる。そして、落雷が落ちてくるときに、雷鳥が大きく翼をはためいている。
パターンが読めた! あとはこの事を鳳龍師に伝えないと。
そう思っていると、鳳龍師は周囲を見渡した。叩き落とされたと同時に手元から離れた日本刀を探しているのかな? その予想は当たったみたいで、近くに行き、日本刀を拾い上げようとしたが、思わず落としてしまった。
「もしかして、感電しているのか?」
「そうかもしれないですね」
鳳龍師の必殺技が使えない状態はキツイ。やばい。どうすればいいんだ。考えろ。考えるんだ……。車内をうろうろしていると、バスの運転手がしている手袋に目が止まった。これだ!
「運転手さん。予備の手袋はありますか?」
「手袋? ちょっと待ってね」
ダッシュボードの中に入っていた未開封の手袋を受け取ると、バスの窓を開け、思いっきり鳳龍師に向けて手袋を投げた。
「鳳龍師、それを使え! 素手で握るよりはましだろ!」
その言葉に反応したのか、未開封の手袋をビニールから取り出すと装着した。
「あと、雷にはパターンがある! あいつは大きく翼をはためいた時に雷を落としてくるから!」
「……ご教授、感謝します」
鳳龍師は落雷を避けると、アスファルトに落ちていた日本刀を拾い上げた。どうやら大丈夫みたいだな。もう一度日本刀を天高くかざすと、そのまま飛び上がり、雷鳥に向かって空中を切り裂いたが、その時、振り下ろした太刀筋がある人物と重なった。
えっ……なんで、野口の太刀筋とダブって見えたんだ。
そんなわけはない。なんかの気のせいだ。そして、目に見えない空気の振動が形成されると雷鳥を貫いた。
「やったぞ! 勝った!」
アスファルトに転がっていた鞘を拾い上げて腰に差すと、抜刀していた日本刀を元に戻した。その瞬間、雷鳥は光の粒子となって消え去った。
女子部員が窓を開けて喜んでいる。施設にいた生徒たちも歓声を上げていた。
その歓声を一身に受けた鳳龍師は微笑むと姿を消した。
「すごい! 間近で鳳龍師を見るとかっこいいよね」
「いやー、鳳龍師は憧れです」
「最後、消えるときのしぐさやばくない? ちょっとだけ微笑んで消えるのが渋すぎるんだけど」
あれやこれや騒いでいると、施設から野口が出てきた。
「すいません。遅くなりました」
「遅いぞ。野口」
「そうだよ由美子! どうせ、施設で鳳龍師の活躍でも見ていたんでしょ」
東がそういうと、野口が頭を掻いた。
「いやー、妖獣が出てきて、雷が落ちまくっていたから出られなくなってね。そしたら、鳳龍師登場でしょ。思わず見ちゃったよ」
そう言いながら、野口は所定の席に座った。これで、全員集結。
「運転手さん。出発してください」
予定よりもオーバーしたけど、俺たちは無事、施設を出発することが出来た。最初、鳳龍師の話題で盛り上がっていた車内も徐々に静かになった。やっぱり、みんな疲れていたんだな。
※
学校に着いたのは18時過ぎ。そこで女子剣道部は解散したが、俺はバスの中に忘れ物がないか最後の確認をした。意外と椅子の下や足元とかに落ちているんだよな。
そう思いながら、探していると座席の下に手袋が落ちていた。
「えっ……」
思わず声が出てしまった。この手袋って俺が鳳龍師に渡した手袋? まさか、そんなことはないだろ。そう思いながら、手袋を拾い上げたがしっかりと湿っていた。
この座席に座っていたのは……。嫌な汗が滴る。点と点が線でつながる感覚を覚えてしまった。
おいおいおい。冗談だろ。何かの間違いだろ。いや! そうであってくれよ! 冗談だと言ってくれよ野口! お前が鳳龍師な訳はないよな……。そうだと言ってくれ。
「うん? 先生、どうかされましたか?」
バスの運転手が車内に入ってきたため、思わず手袋をポケットにしまい込んだ。
「ごめんなさい。ちょっと、ボーっとしてしまいました。すぐに終わらせます」
手袋の落し物以外見つからず、問題なしで運転手に報告するとバスは学校を出て行った。
「担任をやったクラスから有名人が出たとき、俺が育てたって自慢するため」
有名人どころじゃないぞ。ちょっと待ってくれよ! なんで? なんで野口が鳳龍師なんだ? いや、野口は何処にでもいる普通の女子中学生だ。これは何かの間違い。絶対に違う。鳳龍師が使い終わったから、消える瞬間、バスの中に入れたんだ。それがたまたま、野口の座席の近くに転がっていただけ。そうだ! それしかない!
無理やり、自分を納得させたが、今まで感じていた違和感。それがつながってきそうな気がした。
野口が斎藤のことをちょっと、苦手にしていたのは、斎藤が鳳龍師のことを快く思っていなかったから。だから、斎藤に対して、あんまりいい印象を持っていなかった。そう思えば、納得できる。
確証は出来ない。でも、そうとしか思えない。
俺……これから先、どうやって野口と向き合えばいいんだ。どうやって指導していけばいいんだ。
降りしきる雨はまるで俺の心を現している。そんな気がした。
鳳龍師 坂本徹 @sakamoto1003
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