第2話




 まぁ、そうなるだろうな。スノウは内心ため息をついた。


 カリンに連れてこられて数日。

 リーズベルトは何処かへ行って、スノウは部屋で軟禁されている状態だった。ちょうど扉に届かない足枷付き。この部屋の窓は背伸びをしても届かない高さにあり、見上げて空の青さを確かめることしか出来ない。逃げることは出来ないし、逃げようとも思わなかった。魔術を封じられてしまえば、スノウはただの少女でしかないのだから。


 ニャーオ、と猫が鳴いた。

 いつのまにかついてきていた猫は常にスノウと共にいた。一日三食出される味の薄い食事を分け与えながら、どうにか見つからずに済んでいる。


「はぁ……分かってましたよ。どこかの国に捕まればこうなるって。私に殆ど権限は無いんですけどね」


 ここ数日で起きたことを思い返す。

 連れてこられて早々、尋問にあった。特に隠すことなく答えたつもりだが満足のいく答えではなかったようだ。『氷の魔女』といっても説明できることには限りがあるので、強制的に根掘り葉掘り聞かれた後は放置である。もっともスノウ以外の魔女も見つけているようだから、そろそろ用済みかもしれない。



 コンコン、と控えめなノックが鳴った。食事の時以外開くことのなかったドアが動く。


「う〜もっと期待してたのに。『帝国』の技術を惜しげもなく使うのが魔女だって聞いてたのに〜。その力があればもっと有利に立てるはずなのに〜」


 悔しそうにしているのはスノウを徹底的に調べ上げた張本人。シシェと名乗る幼い少女だった。実力主義のカリンでは年齢はあまり関係ないらしい。そして少女らしくない、非常に強引な方法を取ってきた相手である。


 そんな彼女に良い印象など抱けるはずもなく。スノウは既にシシェが苦手だった。


「はぁ〜……食事抜いても焼きごて使っても爪剥がしてもな〜んにも反応しないなんて。これじゃあ『氷の魔女』を捕まえ損です〜」

「それなら早く解放するか、殺してくれません?やることもないんでしょう」

「それがですね〜新しく魔女を捕まえたらしいんです〜。たしか〜、フィリオア、でしたっけ〜?」


 懐かしい名に目を細めた。

 フィリオア・ヴァイオレット。共に『魔女』として戦った少女。いつも朗らかで、ちょっと抜けたところもあった戦場の花。


「えへへ、うちはこの仕事だいっっ嫌いやけど。それでもスノウ達と会えただけで嬉しいんよ」


 そう言った彼女の笑顔を今でも思い出せる。無機質で何の感情も持っていなかったスノウにも微笑むような、優しい魔女だった。



 フィリオアも捕まってしまったのか。どうやらカリンという国はどこまでも本気であるようだった。本気で、『帝国』の遺産を調べている。“大戦”を知るスノウからしてみたら愚かとしか言いようがないのだが。


「そのフィリオアとかいう魔女がポロっと溢したらしいんです〜。魔女にはそれぞれアクセス権限があるって」


 あの、馬鹿。思わず舌打ちが出る。そんなことを言ってしまえば今後の尋問が酷くなる一方だ。抜けているとは思っていたが、ここまでだとは。それとも“大戦”が終わって腑抜けてしまったのか。


「あ、その反応当たりみたいですね〜。貴女も知ってましたか。……ん〜、それってつまりシシェちゃんの拷問が手緩かったってことです?」


 シシェの目が怪しく光る。考えうる限り最悪の展開で、喉の奥から呻き声が出る。この少女は今度こそ手加減せずスノウを拷問するだろう。スノウが何も言えないと証明できるまで。そして、それは不可能に近い。


「それは〜……ちょっぴり悔しいですね〜。シシェちゃんは舐められるのが嫌いです」

「一応、言っておきますが。私から何か聞き出そうとしても無駄ですよ。何をされても言えないので」

「ふ〜ん。でもそこを何とかするのが私のお仕事なので〜。今度は手加減しませんよ?せいぜいぴよぴよ命乞い

すれば良いのです。シシェちゃんを侮ったこと、後悔させてあげましょう〜」


 楽しげに伸びてくる腕がスノウを身動き出来ないよう拘束する。あぁこれは何を言っても無駄だと悟った。シシェはきっと根っからのサディストなのだろう。『帝国』の情報を聞き出すという建前で、スノウという玩具を与えられた子供。


 正気を失いたくはないなぁ、と半ば諦めながらシシェが道具を取り出していく様子を眺めていた。


 ガサゴソと持ってきていた鞄を漁り、一つの道具を取り出したその瞬間、


「何をしている!」


 頑丈であるはずの扉が大きな音を立てて吹っ飛んだ。拳の形にべコンと凹んでおり、あまりの力技に目を剥く。


 扉を壊したリーズベルトは、突然の事態に固まっているシシェが手に持つ用具や拘束されたスノウを見て事態を把握したようだった。

 底冷えのするような目でシシェを見下ろし、持っていた剣でスノウの拘束を壊す。


「法に反する非道な実験を繰り返しているという噂は本当だったらしいな。逃げるぞ、スノウ・ホワイト!」

「急に現れて何なんですか。あ、ちょ、引っ張らないで下さい!」


 自由になった手を引っ張られ、軽々と肩に担がれる。バタバタと動いてもびくともしない。

 何なのだこの男は。この尋問は国によって行われていたのではないのか。次々と昔馴染みの魔女が捕まったのはカリンの騎士によるものではないのか。どうして、今になってスノウを助けに来たのか――。


「はぁ〜〜?まさか、シシェちゃんが逃すとでも?」


 スノウを捕えようとしたシシェは、リーズベルトに向けられた剣から身を守るためとっさに守護魔術を唱える。その間にするりと部屋の外へ飛び出した。


 風を切ってリーズベルトは走る。シシェの妨害や施設の罠を諸共せず、真っ直ぐに外へ向かって走る。そしてスノウを肩に担ぎ、前を向いたまま、疑問に答えるように零した。


「……知らなかった。研究所が法に背いていると。それを国が支持していたのだと。俺は、何も知らないまま、貴女をカリンへ連れてきた」


 それは懺悔だった。聞いているスノウが頭を掻きむしりたくなるような声音だった。


 いくらでも言える。

 騎士が国に背いて良いのか、とか。

 助けるには遅すぎる、とか。

 魔女を恐ろしいと思わないのか、とか。


 リーズベルトを苦しめる言葉はいくらでも浮かんでくるのに、それが口から出ることは無かった。誠実な騎士相手に無粋なことを言うべきではないと思った。


「今、他の騎士が別の魔女を救出している。直ぐ追手がかかるだろうが……安心して欲しい。私は貴女を守りきる」

「何で、そんな……」


 隠れ家にリーズベルトが来た時、スノウは諦めと同時に納得した。殺されても構わなかった。かつて多くの国を焼き、多くの命を奪った魔女には相応しい、と。


 それでも、自らの正義を信じる青年は剣を振るいながら言う。


「『帝国』の魔女など知らぬ、私には貴女を利用することが正しいとは思えない。だからこれは、ただの我儘だ」


 馬鹿としか言いようがない。救いようのない馬鹿だ。

 でも、ひどく眩しかった。



 ♢ ♢ ♢



「遅ぇよリーズベルト!さっさとしろ!」


 ひたすらに逃げて、研究所から遠く離れた場所でスノウ達を迎えたのは一組の男女だった。見覚えのある顔に目を見張る。


「フィリオア、ですか……?」

「あ、スノウやん!久しぶりやな〜!」


 こんな場所で再開したのに随分と軽い。でもその姿こそがスノウの知るフィリオアという魔女だった。最後に会った時と変わらない容姿は相変わらず可愛らしい。


 リーズベルトは隣に居た青年に叱られている。


「追手が来るってのに何をのんびりしてんだ!仕掛けは全部壊してきたんだろうな?」

「あぁ、壊した。暫くは使えないはずだ」


 いつの間にそんなことをしていたのか。担がれている最中やけに剣を振っているとは思っていたが、設備を壊して回っていたとは。


 スノウの視線に気づいた青年が快活に笑う。


「あんたがスノウ・ホワイトか?俺はケイン。話はフィリオアから聞いてる。手遅れになる前で良かった」

「フィリオアに?」

「あ、スノウ聞いちゃう〜?実はな実はな、うちとケインは恋人なんよ!」


 フィリオアの、恋人。

 照れながら告げられ、衝撃が走る。



「え、何歳差なんです……?」

 

 だって、『帝国』が滅んだのは数百年前だ。いくら魔女の見た目が変わらないとはいえ、ケインとの年齢を比べたら天と地ほどの差がある。


「あはははは、何言っとんねんスノウ。恋に年齢差は関係ないんよ。年齢なんて、関係ないんよ」


 すっと目の光が消えたフィリオアがスノウを殴ろうとする。それをケインが苦笑しながら止めた。


「確かにフィリオアは若作りかもしれないけどな」

「ちょっと?」

「俺がフィリオアに会って、恋をしたのは事実だ。魔女とか騎士だとか関係ないね」


 そう言い切る。フィリオアは真っ赤になってケインに抱きついた。

 

 それに対して。


「なん、だと……?本当に数百年生きているのか?!」

「会った時に言ったでしょう!信じていなかったんですか?!」

「それは……その……」


 何も知らなかったリーズベルトは驚愕する。まさか知らないとは思っていなかった他の面々は、そんなリーズベルトに驚いた。


 一つ、思いついたようにフィリオアが呟く。


「えっ、じゃあリーズベルト君はスノウの知り合いじゃなかったん……?」

「あぁ、そうだが」

「この前が初対面ですね」

「……それで国を裏切ったんか?」


 本当にその通りだ。スノウは深く頷く。ほとんど話したことも無い女の為に、カリンの騎士という特権階級を蹴ったのだ、この男は。


「あー、そのことなんだが……」


 言いづらそうにケインが切り出す。


「今カリンは揺れててな……議会派と王室派で国が真っ二つに割れてる。一応、とりあえずは表面化してなかったんだが。コイツが議会の命令に背いたから、派閥争いが激化するだろうな……」

「む、仕方ないだろう。法に背く外道を行った議会派に従ったままではいられん」

「こんの我儘王子め……」

「どちらかと言えば巻き込んだのはお前の方だぞ、ケイン」


 待って欲しい、今“王子”と言わなかったか。自分の顔がどんどん引き攣っていくのを感じる。


「貴方、王子なんですか……?」

「そうだ。と言っても大した権力は無いが」

「馬鹿言え、国で一番人気の王子様じゃねぇか。お前が議会派から離れたから、今国民は王室派に傾いてるんだぞ」


 まさか、自分はカリンの未来が変わる瞬間にいるのではないか。そう言った面倒事に関わりたくないからこそ、ひっそりと隠れ住んでいたというのに。


 ふらり、と目眩がした。


「あー、だから二人には王室派についてもらう。『帝国』の魔女を議会派に渡す訳にはいかないからな。もちろん正体は隠すが」

「うちはええけど。スノウはどうなるん?」

「それなんだよ……フィリオアは俺の恋人だって知られてるから違和感ないんだが、スノウ・ホワイトはどうやって隠し通すか……」

「私、戸籍とかありませんよ」

「身元不明か……」


 頭を抱えるケイン。流石に身元不明の女を王子の側に置く訳にはいかないらしい。


「ふむ、そうだな……」


 考え込んでいたリーズベルトは良い案だ、とばかりに提案する。


「俺がスノウ・ホワイトに一目惚れして連れ帰った、というのは?」


 意味を認識した瞬間、スノウは糸の切れた操り人形のように倒れ込んで頭を抱えた。何を言っているのだろう、この王子様は。数百年、ほとんど人と接してこなかった魔女には刺激が強すぎる。


「な、どうした何があった?!」


 そして何よりも衝撃だったのが、リーズベルトにそう言われて満更でもなかったスノウ自身の心。こんな男にときめいてしまった自分の心を殴ってやりたい。


「何でもない、です……」

 

 強がった声は数百年ぶりに震えていた。憐れむようなフィリオアの目線が痛い。

 ニャーオ、とずっと着いてきていた猫が揶揄うように鳴いた。

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『帝国』の魔女 マツリカ @60095

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