『帝国』の魔女
マツリカ
第1話
“大戦”と呼ばれる大きな戦争があった。
初めは隣国同士の小競り合いだったものが、全ての国を巻き込んで膨らんでいく。『帝国』と呼ばれた国が中心となりありとあらゆる地域が戦場と化した。そこまで広がった原因の一つとされるのは魔法兵器の発展。空を裂き、大地を割り、人々を死に至らしめる兵器の数々が生み出され、戦争をより激化させた。特に『帝国』の技術は凄まじく、従来の魔法兵器を数百年は上回っていたという。諸外国はそれに対抗し更なる魔法兵器の開発を進めた。全ての国が戦争に飲み込まれていった。
死者数が数えきれないほどに増えても、終わらない。
国民が重税に苦しんでいても、終わらない。
誰もが疲れ切っていて、それでも争うことに終わりはない。
そう信じられていたほどに世界はどん底だった。
しかし、永遠に続くかと思われた“大戦”はとあるきっかけで呆気なく終わりを迎えた。そして“大戦”の戦犯となった『帝国』は禁忌とされ、その優れた技術のほとんどが闇に葬られることとなる。
“大戦”の生き残り、『帝国』を知る者は皆口を揃えてこう言い伝えた。
「絶対に、魔女には関わるな」と。
それから数百年。
魔法は魔術へと名を変え、人々は“大戦”を御伽噺だと、そう思うようになった時代。
自然が色濃く残った小国、リヴィール。未だ開発の手が伸びていない森林の奥深くに、小さな足音が響いた。
軽やかに土を蹴る少女をスノウ・ホワイトという。真っ白な肌、艶やかな黒髪。美しい容貌だったがこの森では誰もその姿を見る者はいない。
ミャーオ。
ふと何処からか声がして辺りを見回してみると、声の主は木の上にいた。
「おや、こんな所に猫が。自分で登っておいて降りられなくなりましたか」
猫に手を伸ばし、抱き上げる。元は黒だったはずの毛並みはすっかり灰色に汚れている。
こんな辺鄙な森に猫なんて珍しい。撫でてみるとぺろりと指を舐められた。この人懐っこさでは自然で生きていけないだろう。ちょっぴり呆れながら口を綻ばせた。
「そんなんじゃ、直ぐに殺されてしまいますよ。あまり人を信用しないことですね」
ミャーオ、と聞いているのかいないのか。猫はスノウに懐いたようで、持っていた籠の中に入り込む。そして歩いていいよ、と言わんばかりにもう一度鳴いた。
仕方なく猫を籠に入れたまま、家へと戻る。周りには木々と少し切り拓いた畑のみ。家の中は必要最低限の家具だけ。
相変わらず何も無い家だ。自分の家に対して少々酷い、それでいて自業自得な感想を持ちながら、仕入れてきた食材と衣類を亜空間の中から取り出した。空間に入った切れ目は存外便利なもので、中の時間は止まるし他の人は視認できない。だから今見られたら何もないところから勝手に物が出てきたように見えるだろう。
「ほら、猫。ミルクですよ」
猫を“猫”と呼びながらミルクを注ぐ。ぴちゃぴちゃとミルクを飲む猫はそれが自分の名前だとは気づいていない。残念なことにスノウには名付けのセンスというものが皆無であった。
美味しそうにミルクを飲んでいた猫が何かに気づいて顔を上げた。それにつられて視線を送れば、何やら家の前が騒がしい。
ドンドンドン!乱暴に扉を叩く音がする。この森には滅多に人は立ち入らないはずなのに、これまた珍しかった。
警戒しながら外を伺うと、一人の鎧を着た男が険しい顔をして立っている。若く精悍な顔立ちの男は声を張り上げて言った。
「失礼!この森にスノウ・ホワイトは殿いるか!私はカリンの騎士である!繰り返す、この森にスノウ・ホワイト殿はいるか!」
カリンとはここ数年力をつけてきた強国だ。豊かな土地、優れた技術、そして完全な実力主義。カリンの騎士といえば少数精鋭を体現したような実力者の集団であり、選ばれた者だけが入れると噂の――
「誰かいないのか!」
このままでは家が壊されてしまう。覚悟を決めて、仕方なく扉を開けば驚いた男がこちらを無遠慮に見ていた。
「貴女は……んんっ、失礼。スノウ・ホワイト殿のお嬢様ですか?」
どうやら、自分に娘がいると誤解されているらしい。若く見られることを喜ぶべきか、微妙に思いながら口を開く。
「いいえ。私がスノウ・ホワイトですが」
「っ、は?」
「何か問題でも?」
「い、いえそういう訳では。……しかし、こんな若い娘が」
最後の言葉は聞かなかったことにしておく。中へどうぞ、と促しお茶を淹れる。ぽかん、とした顔の男は幼い。もしかしたら二十歳にもなっていないのかもしれなかった。
しかしそこは流石カリンの騎士。すぐに気を切り替えて話を切り出した。
「いきなり押しかけてすまない。私の名はリーズベルトと言う。この度はスノウ・ホワイト殿に依頼があって伺った」
「そうですか。それで依頼とは?」
またか、と落胆する。近くの村でも頼まれ事が増えていたのだ、そろそろこの森も潮時か。面倒だが社会の恩威は欲しいので、これまで転々と住居を移してきたのだが、カリンほどの大国にまでスノウ・ホワイトの名が伝わっていたとは。どうも魔術師というのは面倒事に巻き込まれやすい。
適当に引き受けて、さっさと場所を変えよう。また人に絡まれることの少ない辺境へと。
脳内で逃亡計画を練る。すると、何やら言い籠っていたリーズベルトは決心したようにスノウを真っ直ぐに見つめた。猫がニャーオと鳴く。どこからか風が吹き込んだ気がした。
「スノウ・ホワイト殿……いや、氷の魔女」
「っ!」
「私は貴女を知っている」
捨てた名だった。
捨てたはずの、呪いだった。
でも、この名は自分の過去を思い出せとでも言うようにスノウを追ってくる。
「貴女には是非カリンに来て魔術の研究をして頂きたい」
「…………」
「既に貴女の魔力はカリンの騎士によって捕捉されている。よって逃亡はお勧めしない」
「…………」
「どうか穏便にカリンへ来て欲しい」
意志の強い目だ。彼はきっと職務を全うしているだけなのだろう。自分が、カリンが正義なのだと疑っていないのだろう。あぁ、全く――
何が逃亡だ、何が穏便にだ。こちらには最初から選択肢など用意されていなかった。見つかれば強制的に連れて行かれるだけじゃないか。自然と彼を睨みつける形になる。それでも、魔法を使うことはできなかった。
悔しさに唇を噛みながら応えた。
「なるほど、なるほど……どうやって私が『氷の魔女』だと分かったのか、なんて疑問はありますが。頷きましょう、認めましょう。私はスノウ・ホワイト。“大戦”において『氷の魔女』と呼ばれた魔法使い。……『帝国』の技術を知る者です」
「『帝国』の……」
「まさか知らされていなかったのですか?それは失敬。ですがカリンが私を求める理由なんてそれ一択です。また戦争を繰り返したいようですね」
精一杯の強がりで、嘲るように言う。リーズベルトの年齢では『帝国』なんて絵空事だ。怖気付いていたが、最後の言葉には反感を覚えたようだった。
「カリンは戦争を望まぬ!そんな事の為ではない!」
「さてどうだか。国の望みなど一介の騎士は知りもしないですからね」
「違う、私は知って……!いや、そのような事はどうだっていい。私の職務は貴殿をカリンへ連れていくことだ。どうしても、と抵抗するならば……」
「ふん、逆らうとは言ってません。面倒な人ですね」
激昂しかけたものの、すぐに冷静さを取り戻す。あわよくば隙を見せないかと思ったのだが、流石に甘かったようだ。
舌打ちをして両手を差し出す。拘束して連れていけばいい、どうせ逃げることなど出来ないのだから。
諦めの早いスノウを訝しんでリーズベルトは言う。
「てっきり恐ろしい魔術を使って抵抗するものだの思っていたが。存外、おとなしいな」
「はぁ?どうせ魔術封じの鎧を着ているのでしょう?私、無駄なことはしないのです」
「それは、その通りだが……」
魔術封じの鎧は非常に高価だ。それだけの価値はあって、大抵の魔術は弾き返すことが出来る。スノウを『氷の魔女』だと確信していたならばその程度の対策は当たり前だと推測した。
「と、とにかく。貴女の待遇は悪いものにはならない。私が保証しよう」
思わず鼻で笑う。そんなことあるものか、と。どうにもこの騎士様は甘っちょろい。
一方リーズベルトはまだ納得はしていなくとも、暴れ回るよりはマシと判断したのか、鉄製の手錠を取り出し、スノウの両手に嵌めた。じゃらじゃらとした鎖は空中で消えており、亜空間に繋がっているようだ。別にここまでしなくても逃げたりしないのに。鉄のつんとした匂いがやけに鼻をついた。
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