第3話



「お家は近いのですか?」


 尾見の鼻歌を縫うように、水木の小さな声が聞こえてくる。横を見れば、首を傾げた水木と目が合った。


「ここから一駅くらい。あんたは?」


「僕はここから二駅ほどです。ご近所さんですね」


「……ご近所ってほどでもねぇだろ」


 くすくす笑う水木の頬は、少しだけ赤みがさしていた。車の中だからか声のトーンを落とした水木は座っているのに背筋が伸びている。芸能界にいてもおかしくない程の容姿をしている水木は、振る舞いまで洗練されているよう。それほどまでに厳しい教育でも受けたのかもしれない。

 なんて思ってみていれば、ふと水木と目が合う。


 色素が薄いその目は、奥に芯があるような強い瞳でどこまでも見透かしてきそうな色に見えた。咄嗟にそらそうとしても、それを許さないような色。今まで菫が隠していたことも何もかも見透かしてしまいそうな目に、心拍数が上がっていくのがわかる。

 逸らしたい、でも、逸らせない。


「あぁそうだ! 水木さん、先日は茶菓子ありがとうございました! とってもおいしかったです!」


 テンションの高い尾見の声に、ハッとする。今まで目の合っていた水木の目が逸らされ、やっと息が出来るような感覚に陥った。


「いえ、お口に合ったようでよかったです」


「僕もう三つ食べちゃって、塚地さんに怒られちゃいました」


「ふふ、では今度、また持っていきますね」


「え、良いんですか!? やったー!」


 無邪気に喜ぶ尾見の声に、水木はまた嬉しそうに笑った。

 もともとテンションが高かったはずの尾見はさらにテンションを上げマシンガントークを繰り広げる。刑事がこれでいいのか。

 だが水木はそれに丁寧に返事をし、時折笑みをこぼす。まるで子供と親のようだ。


「あぁほんと、水木さんみたいな優しい人がうちの部署にもいたらなぁ~」


 嘆くような尾見の言葉に、菫は反応した。


「書類のミスもやさし~~く指摘してくれそうだし、そしたら僕もっと頑張れるのに」


「何を言ってるんですか。塚地さんだって尾見さんのこと大切にしてるじゃないですか」


「えぇ~! 怒られてばっかですよ!」


 不貞腐れたような尾見の声。今日も怒られただの、最近叱られてばっかだの、エピソードを並べる尾見に菫は耳を塞ぎたくなった。

 どいつもこいつも、自分に都合のいいものを「優しい」だとぬかす。


「その点、水木さんはいっつも優しくしてくれるし! もう僕、水木さんにだったら一生ついていくのに!」


 それはいわば、水木は尾見にとって都合のいい人物だということか。

 なんて考えた菫は目を閉じた。

 くだらない。どこに行ってもこの話は出てくるのか。



「……それで傍にいてくれるならいいですね」



 だが、ぽつりと呟かれた水木の言葉に菫は目を開いた。


「ん? 水木さんなにか言いました?」


「そこまで言われると照れちゃいます」


「えぇ! 水木さんって照れるんですか!」


「照れますよ、僕を何だと思ってるんですか」


 何事もなく再開した二人の会話を聞きながら、菫は水木から目が離せなかった。一瞬だけ、本当に一瞬だけ、水木の表情が抜け落ちたように見えた。

 見間違いだと言われれば納得してしまうほど本当に一瞬。





 尾見の運転する車は、少し込み入った道に入って来た。この駅は菫も何度も来たことがある。新幹線の止まる駅だからこそ、人の数が多い。それに比例して、先ほどよりも車の数が増えた。

 その中でも比較的車通りの少ない路地に入った尾見は、とあるビルの前で車を止めた。


「お待たせいたしました!」


「ありがとうございます」


 元気のいい尾見の声に、ここが水木の目的地だということがわかる。だがどう考えても周りにあるのはビルで、人が住んでいるような住宅はない。本当にここなのか、と水木を見た菫はばっちりと目が合った。


「真島様。明日はお時間ありますか?」


 水木はドアに手をかけたままそう聞いてきた。未だほのかに赤みがかった頬と、まっすぐ見つめてくる目。何の用件で、と口を開こうとすれば、水木は目をそらしてドアを開けた。


「今回の件で少しお話を。バイクの件もありますし」


 そのまま車を降りた水木は、運転席の尾見にもう一度お礼を述べた。

 褒められた大型犬の様に嬉しそうにする尾見。やはりあるはずのない尻尾が見える。


「難しそうですか?」


「あ、いや、大丈夫。この時間なら」


「よかった。尾見さん、メモとペンをお借りしても良いですか?」


「はい!」


 元気よく素早くメモとペンを尾見に渡された水木は、すらすらと何かを書いていく。そしてちぎったそれを、菫に渡してきた。

 住所と、「高梨たかなし水木」と書かれたメモ。

 達筆な文字で書かれたその文字列を眺めていた菫をよそに、水木は尾見と数度やり取りをしてドアを閉めた。

 動き始めた車に顔を上げた菫が見たのは、窓の外で手を振る水木の姿だった。








 次の日。菫はメモに書かれた場所へとやってきた。スマホの地図を駆使してたどり着いたのは、こじんまりとした建物。一見カフェのような見た目のそこは、外から中が見えないようになっているし看板もなにもない。本当にここなのかと疑わしくはあるものの、何度検索してもメモの住所が示すのはここだった。

 水木に電話番号もメールアドレスも聞かなかった昨日の自分が悔やまれる。


(……めんどくせぇ、入って違ったらでればいいか)


 意を決してドアに手をかければ、鍵がかかっていることもなくすんなりと空いた。

 カラン、と音が一つなる。

 中は薄暗く、電気はやはりついていない。


 見た目同様こじんまりとした中は真ん中にローテーブルがあって、それを挟んで向かい合うように置かれたソファ。入口から見て奥側のソファの後ろには社長席のようなものも置かれており、その後ろには小窓が付いている。

 入口から見て左側の壁には、天井に付きそうなほどの高い本棚があり、本がぎっしり詰められている。右側にはポットなどが置かれた棚があり、その奥の壁には扉がある。


 清潔そうな優しい匂いがするそこを一通り見渡した菫は、ガチャリ、と右側から扉の開く音を聞いた。

 そこから出てきたのは、水木だ。


「お待ちしておりました」


 それだけ言った水木は、手でソファを示す。すわれ、ということなのだろうか。

 その言葉に従った菫は、ソファに座ってポットの前に立つ水木を盗み見た。

 カチャカチャと音を立てて湯呑を用意する水木。昨日の様に洗練された動きではなく、どこかまごついているように見える。機嫌でも悪いのか、それとも……。


「……! おい」


 水木を見ていた菫は、勢いよく立ち上がった。明らかに容量を超えた急須からお湯がこぼれてもなお、ポットからお湯が注がれたまま。

 水木の手を取れば、ポットから注がれるお湯が泊まった。


「おまえ、……」


 大丈夫か、と菫が言いかけたと同時、目の前の水木の身体がゆらりと揺れた。


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埋もれ木に咲く花の名は 空野 あお @soranoao_7

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