シャンプーとヘッドスパ
終わりと聞いたので、椅子から下りようとしたが、すぐに慌てたような声が届いた。
「あぁ、待って待ってお兄さん。施術はまだ続きますよ? 身体や足のマッサージが終わりってだけです。今度はまた別の気持ちいいやつやるよ。何かわかります? こんな暑い日だからこそ、やりたいものってありませんか? お兄さん、あんだけ汗かいてたんだから。わからない?」
いたずらっぽく笑う彼女に、男は首を傾げる。
すると、また足音を立てながら彼女は移動していく。
「ヘッドスパです。ここにシャンプー台があるでしょ? うちはマッサージだけじゃなくて、ヘッドスパのコースもあるんです。お兄さん、めちゃくちゃ暑かったでしょ。今、シャンプーして、ヘッドスパしたら絶対気持ちいいですよ。そう思いません?」
男が頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。
「ね? でしょ? それにお兄さん、もしかしてシャンプーも雑なんじゃないかなって思うんだよねえ。ざっと洗って、ざっと流して、終わり~みたいな。あ、今のは普通に失礼か。やはは、失敬失敬。でも湯船にも入らないし、男の人だと結構雑にやっちゃう人もいますからねえ。ちょっと頭見せてもらっていい?」
彼女が頭に触れて顔を近付けてくるので、男は慌てて身体を離そうとする。
「ん? あぁ、汗臭いって? いやまぁ、気にしなくていいですよ。そういうお仕事ですし、夏だから汗臭いのはしょうがないじゃん。大体、わたしさっきお兄さんの足をおしぼりで拭いたんだよ? あんだけ暑い中、歩き続けた足をさ。今更気にすると思う?」
「ふふ、そういうこと。観念して頭を見せてくーださい。……うーん。頭皮がちょっと赤いかな~。あぁ頭皮が赤いっていうのは、血行不良を起こしてるってことなんです。血の巡りが悪い。そりゃよくないですよ。頭皮や髪に悪いです。んー、原因は寝不足だったり、眼精疲労とか、ストレスとか? あ、思い当たる節ある? やっぱりね。あと、夏は汗をよくかきますからねえ。毛穴に皮脂が溜まりやすいです。もし頭が臭うっていうのなら、適切なシャンプーができてないってことになります。今回は、わたしが正しい洗い方もレクチャーしましょう」
「じゃあお兄さん、また横になってくれる? はい、シャンプー台に頭を出す感じで。あ、ごめんなさいお兄さん。首にタオル巻きますね。はいはい。はい、オッケー。じゃ、座り直してくれますか。うい、良い感じ。お首、苦しくないですか?」
彼女の問いに大丈夫、と答えると、「はーい」という返事はお湯の音とともに聞こえてきた。
サー……、というシャワーの音が耳元から聞こえる。
彼女が手で触れたのか、サーという優しい音がシャワワ、とまばらな音に変化した。
「それじゃ、まずはシャンプーから行きます。頭にお湯をかけていきますねー……。あ、熱かったら言ってください。どう? ちょうどい? ん。では、頭を洗っていきまーすー……。まずはお湯で、まんべんなく髪や頭皮を濡らしていきます。はい、ここはしっかりと。お兄さん、髪を洗うときにしっかり予洗いしてくださいね。お湯でしっかりそそぐだけで、髪の汚れはだいたい取れるっていう話なんですから。こうやって、髪の間に指を入れて、髪にしっかりお湯を通して行きますよー……」
彼女の囁き声とともに、指が動いていく。
お湯が髪の間を通っていき、たっぷりのお湯がじゃぶじゃぶじゃぶ、と音を立てた。シャンプー台にお湯が飲まれていく。
「あったかい? あはは、よかった。お兄さん、すごく汗かいてたもんねえ。気持ちいいっしょ。まぁでもこれは準備みたいなもんですから、満足しちゃダメですよ。今からシャンプーしていきますからね」
女性がそう言うと、ぷちゅ、ぷちゅ、と粘着質な音が聞こえた。シャンプーを出したのだろう。
それを手ですり合わせているのか、しゅるしゅるしゅる、と音が耳元に響いた。
「シャンプーもいきなり頭皮に付けるのはよくないんです。こうして手で馴染ませて、泡立てから頭皮に付けるようにしましょうね。はい、しっかり泡立った。頭、失礼しまーす……」
やさしく、彼女の手が髪の間を通っていく。
ゆっくりと手を動かしていくと、シャカシャカシャカ、と指が頭皮を擦る音、髪を擦れる音が響いていく。
手を動かしながら、彼女は口を開いた。
「こんな感じで、やさしく頭皮は洗ってあげてください。乱暴なのや力任せはダメだよ。力は弱く、やさし~くです。うん、こんなもんでいいんです。え、あー……、まぁ力任せにごしごししたほうがスッキリするっていうのはわかるけどー……。髪に悪いよ。お兄さん、将来ハゲたいの? できればハゲたくないでしょ? じゃあ今から髪は大事にしてあげてね。こうしてやさしくやさし~く、丁寧に洗ってあげるんです。はい、しゃかしゃかしゃか。あ、痒いところはないですか? ……ん、ここ? はいはい、これでどう? あ、気持ちいい? もう大丈夫? おっけー」
「あんまり洗いすぎるのもよくないんですけどね。なので、シャンプーは一日一回にしてほしいかな。お兄さん、夏はシャワー浴びる? ですよね。まぁ毎回シャンプーはしないと思うけど、そこは気を付けてください。あぁそれと、髪は毎回乾かして。そう、毎回。絶対。うん。絶対。面倒? ダメダメ、ちゃんとやって。乾かしたままで放っておくのって、髪に本当によくないんだから。生乾きだと雑菌が増えちゃうの。わかるでしょ? はいはい、そうです。気を付けてくださいね。はい。うん。よし、偉い。いい子。あ、シャンプーそそいぎでいきますね」
しばらくシャカシャカシャカ、と彼女は髪を洗っていたが、再びシャワーの音で満たされる。
やわらかな勢いのお湯が、頭に降り注いでいった。
「それと、これが一番大事です。シャンプーをしっかり注ぎ落とすこと! シャンプーが毛穴に残ったままになるのが、一番毛根によくないんです。だから、洗い落とすときはきちんとそそいでくださいね。ここ、一番気を遣ってください。そうですそうです。こうやって、しぃっかり。じゃぶじゃぶじゃぶ、と髪をマッサージするように。気持ちいいでしょ? それを自分でもやるだけだから。はい。はい。うん、そうそう。なんだ、お兄さんわかってるじゃ~ん。そうしてください」
話しているうちに、シャンプーもしっかりと落ちたようだ。
水音が聞こえなくなったので、てっきりここで終わりかと思ったのだが……。
「はい、お次はヘッドマッサージですよ~。頭もしっかりもみほぐしていきますからね。お兄さん、頭皮もカチカチだもん。わかります? ほら、ぜんぜん動かない。ぐ~って押してるのに。あぁいや、普通は頭皮って多少動くんだってば。なので、お兄さんの頭皮もそれくらいになるよう、やわらかくしていきま~す。大丈夫、ちゃんとほぐれるから。待っててね、すぐにふかふかにしてあげるから」
女性はそう言うと、指先で頭皮を軽く叩き始めた。
リズミカルながらも不規則に、トントントン、と頭皮に刺激を与え始める。
「まずは、軽く指先で刺激していきます。とんとんとん……、とこんな感じで。頭全体をぐるうっとね。はい、トントントン……、あ、気持ちいいでしょ? そうなんですよ、これも気持ちよくて。よかったよかった。ふふ。そうでしょ。何なら、眠っちゃってもいいからね」
「頭は温かいし、気持ちいいしで、ヘッドスパってすぐ寝ちゃうんですよね~……。わたしは気持ちがいいのを実感したいから、起きていたいんだけど、すーぐ寝ちゃう。あ、お兄さんも起きていたい感じ? そっかそっか。まぁでも、無理せず寝てもいいからね?」
全体を叩き続ける感触と音に、夢現にはなる。
しかし、その音が止まると、彼女の長い指先が頭を覆った。
「さて。それじゃ今度は頭全体を揉んでいきます。こうして指で、ぐーっと揉んでいくんです。あぁそうそう、頭の先から何かを出そうとする感じ? こう、ぐい、ぐいーっと……。全体をほぐしていきます。あ、違いわかる? そうそう、ちょっと頭皮がやわらかくなってる気がするでしょ?」
「こうしてマッサージでほぐすことで、血流も良くなるし、固い頭皮もやわらかくなるんです。できればね、シャンプーのたびにマッサージしてあげるといいんだけど……、あぁ面倒くさいよね。まぁそれはしょうがないかな。じゃあ、お兄さんはうちにしょっちゅう来てもらうしかないなあ。え、来てくれるの? わぁやったぁ」
そんなふうに話を聞いているうちに、睡魔が強くなってくる。
彼女のやさしい声色と、快楽に身を任せているうちに、つい目を閉じてしまう。
すると、夢の世界に落ちるのはあっという間だった。
「よし。こんなもんかな。……ん。ほら、お兄さん、どう? こんなにも頭皮がふかふかに! 頭皮もしっかり動くようになってるし。ね、ちゃんとしてあげれば、こうして……、って、お兄さん寝ちゃった? あぁ、気持ちよさそうに寝ちゃって。おにいさーん……、もう終わりましたよー…」
「……ダメだ、起きそうにないな。でもなー、無理に起こすのも可哀想だよな~、マッサージで寝ちゃうっていうのは気持ちわかっちゃうし」
「んー……、まぁ次のお客さんが来るまでは寝かしといてあげるか。店長特権ってことでね。それじゃ、わたしも休憩すっかぁ~。あ、電気消しといてあげよう」
ぱちん、と電気がオフになる音が小さく響く。
そして、これ以上ないほどやさしい囁き声が部屋の中に浮かんだ。
「おやすみ、お兄さん。良い夢を」
不思議な店員さんの全身マッサージ・ヘッドスパ 西織 @tofu000
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