後編
「大きな満月が見えた日……、覚えてる?」
「確か病室で和人が騒いでいた……、俺は寝てたから見ていないけど」
「そう、あの日の夜。もう二時近くだったかな。妙な胸騒ぎがして、目が覚めたの。それでそこのカーテンを開けたら……」
ゆっくりと、奈緒は視線を武に戻す。
「赤く点灯しているのが見えた」
病室に差し込む風に、白いカーテンと奈緒の髪が揺れる。
その瞳が嘘をついているようには思えなかった。
「その光はね」と表情を変えることなく続けていく。
「まるで私を取り込もうとしているみたいだった……。だからそのイメージを、この絵に込めたの」
他人事のように奈緒は話していた。
「取り込むって?」
「んー、なんて言えば良いんだろうな……。私にはね、あの光がこの村とどこかを繋いでいるように見えた。温かくて、とってもとっても優しい光。だから不思議と怖いとか、そんな風には思わなくて」
奈緒は風に靡いた髪を耳に掛け、柔らかな表情を見せると、嬉しそうに言った。
「その光を見て、昔おじいちゃんが言っていたことを思い出したの。この村の人たちはこの村を、そして村人を死んでも見守ってくれているんだって。そうやって代々、村人が村を守っていくんだって。もしかしたら、あの光がこの村のご先祖様たちの魂なのかもなって、そう思えた」
奈緒の表情は、「私の勘違いであってもそう信じたい」と武に語り掛けていた。
「それが本当だとしても、何で今まで誰も気が付かなかったんだ? そんなことってあるのかな?」
あの信号機に不思議な噂がある以上、奈緒の話が信じられないわけではなかったが、どこか認めてはいけない気がして、武は必死に思考を巡らせ言葉にした。
「この村って街灯もほとんどないし、あんな時間に外に出る人なんていないじゃない? だから今まで気が付かれなかったのかもしれない」
奈緒の言う通り、この村の人口や環境を鑑みると、なんらおかしくはない話だった。
しかし、それよりも考えることもせず流れるように思いを口にする奈緒に、武は口をつぐんでしまった。
「それでね、気になってちょっと調べてみたんだ」
「信号機のこと? 確かあの信号機は役所にも資料が残っていないって」
「信号機じゃなくて、満月の方。確かに信号機が点灯しているのを見たけど、見たのは後にも先にもこの時だけ。だとすると、その他に考えられる可能性はあの満月なのかなって」
言葉の詰まる武とは対照的に、奈緒は生き生きとした顔をしている。
「そ……、それで? 何かわかったの?」
「それがね、どうやら私たちが産まれた今から十八年前と、その十八年前にも大きな満月が村に急接近していたみたいなの」
「つまり十八年周期に大きな満月が現れると?」
「うん。それも全部同じ日の八月十五日。私の誕生日と一緒なの。これは単なる偶然じゃないよ」
興奮からか珍しく奈緒が声を上げた時、病室の扉が開いた。
「ごめーん、遅くなった。てかどうしたの? そんな大きな声出して」
「おい武。お前、俺らがいない間に奈緒に変なことしたんじゃないだろうな?」
「何もしてねーから」
武と奈緒は、今までの会話の内容を二人に話した。
つい先程まで賑やかだった病室は一転して神妙な雰囲気に包まれる――。
「そんなこと、信じられるか?」
眉間に皺を寄せた和人は、吐き捨てるように言う。
「和人、奈緒が嘘ついてるって言いたいの? あの信号機は昔から変な噂ばっかりだったじゃない」
「嘘をついてるとは言ってないだろ。俺はただ、奈緒が『光は自分を取り込もうとしてる』なんて言うから……」
「……、あたしもそこは気になったけど……。きっとそれこそ奈緒の勘違いよ。そうだよね、奈緒?」
奈緒は困惑した表情をしている。
恐らく愛佳のことを思うと同意も否定も出来ない、といったところなのだろう。
「まぁまぁ、二人ともちょっと落ち着けって。まだその可能性があるってだけの話だから」
武は奈緒に向けられた二人の視線を一旦自分の元へと誘導しようと、二人の肩に手を置いて言った。
すると和人が「それなら」と口を開く。
「十八年後の八月十五日、四人で確認しに行こうぜ。それで白黒はっきりするだろ」
「絶対だぞ」
この日、武は十八年後の約束を交わした。
そして迎えた卒業式当日。
三人の卒業式は滞りなく執り行われたが、奈緒が姿を見せることはなかった。
終了直後に容態が急変し、武たちが病院に駆け付けた時には、奈緒は既に旅立っていた。
武は奈緒の卒業証書を、そっと枕元に置いたのだった――。
車を止め、武は運転席から屈むように外に出る。
辺りはすっかり暗くなっていた。
「やっと来たか。おせーぞ、武」
腕を組みながらそう言う和人の隣で、愛佳が小さく手を振っている。
武も軽く手を挙げて応えた。
「ここまで何時間掛かったと思ってんだ。車で九時間だぞ? それなのに集合場所がお前んちってどうゆうことだ?」
お互いに言葉を掛け合い暫く見つめ合った後、二人は声を上げて笑い、拳を合わせた。
「久しぶり! 元気にしてたか?」
「お前らこそ、元気そうで何よりだ。さ、早く家に入れ。話したいことがたくさんある」
「男子のノリってやっぱり変だよ」
そんな愛佳の皮肉さえ、武は心地よく聞こえた。
昔話には大きな花が咲いた。
学校でのこと、仕事のこと、そして奈緒のこと。
次から次へと出てくる思い出たちは、とても生き生きとしていた。
自然と笑顔が溢れていく。
あっという間に日付は変わり、時計の針は深夜一時十五分を指している。
時計を確認した愛佳が和人に視線を送ると、和人は一つ咳払いをし、話し始めた。
「ふう……、そろそろ、あの約束を果たしに行かないとな」
「十八年……、今思うと早かったな。あの頃はいつの話って思っていたのに」
「そうだね。約束、覚えてくれているかな」
愛佳が床に向かって言葉を漏らす。
この十八年間、心のどこかに突っかかりを感じていた。
それは和人も愛佳も同じだったのだろうと、武は二人の表情を見て思った。
「大丈夫。奈緒はきっと覚えているよ……。さぁ、行こう」
武の言葉が合図となり、三人は腰を上げた。
三人が外に出ると、山の上から大きな満月がこちらを見ていた。
「外を見ないようにして正解だったな。驚きと感動が半端じゃない」
「ちょっと怖いくらい大きいね」
街灯のない薄暗い山道を、用意していた懐中電灯で照らしながら真っすぐ進んでいく。
先程までの盛り上がりが嘘のように、誰一人として口を開くことはなかった。
一歩、また一歩と、約束の場所へと足を運ぶ。
時刻は奈緒の言っていた深夜二時に迫っていた。
信号機に続く最後の交差点を左へと曲がると、ぼんやりと月明かりに照らされた山道の一角が視界に映る。
その光に吸い寄せられるように、三人はあの信号機の前に立った。
「やっぱり……、壊れたままだね」
「そんなに上手いこといくわけないか……」
ため息交じりに愛佳が呟くと、和人も続くように言葉を重ねた。
武は時計を確認しようと、ポケットに入れたスマートフォンに手を伸ばす。
すると、スマートフォンが小さく振動した。
慌てて視線を上げると、二人のスマートフォンも振動したのか、和人と愛佳の視線とぶつかった。
「もしかして、二人も?」
「うん。震えた気がした」
「あたしも」
その時だった。
バチ、バチという電気が流れるような音とともに、じんわりと光が灯っていく。
「奈緒……」
武は思わず口にしていた。
「あ……、青になった。青だ! 青に灯りやがった!」
「本当だ! きっと奈緒よ! 奈緒もここに来てくれ……」
愛佳は両手で顔を覆った。
武は和人を見て頷くと、二人は震える愛佳の肩に手を回した。
そして、三人は再び信号機へと視線を向ける。
信号機は三人の行先を照らすように、美しい青色でこちらを照らしている。
まるで、信号機が微笑んでいるかのようだった。
「また十八年後……、四人でここに来よう」
和人の言葉に、武は無言のまま頷いた――。
――あの日、病室で奈緒は言った。
「あの夜は赤く点灯していたけど、私だったら青にするだろうな」
「青に? どうして?」
奈緒は口元を緩ませ、窓の外へと視線を移す。
静寂が二人を包み込む。
「だって……」
視線はゆっくりと、武へと向けられていく。
「みんなには前へ進んでほしいから」
奈緒は今までで一番美しい笑顔をしていた。
約束の信号機 春光 皓 @harunoshin09
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