第15話

♢♦︎♢


『いまはちょうどバラの季節なんだ。きっときれいだよ』


 目を閉じて愛おしむような声色が耳に残った。


 電話越しの謙信のそんな言葉でデートの行き先が決まったことを思い出す。


 ぐずついていた天気もわたしの念が通じたのかパッと晴れた。水たまりの残る歩道を新しい靴で跳ねるように歩くと、初夏の青葉がどこからか香る。


 久しぶりのデート当日。わたしは分かりやすく舞いあがっていた。


(亜矢と双葉は似合うって言ってくれたけど……変じゃないかな? 着慣れなくてムズムズする)


 ワンピースの裾を気にしながら待ち合わせ場所の駅へと急ぐ。髪をまとめたりリップを塗ったりと準備に時間をかけすぎてしまって、危うく遅刻しそうだ。


 駅舎が見えてくると、看板の前にはすでによく知った顔があった。


「ごめん! 遅くなった」


 パタパタとかけ足で謙信に寄ると、「うわあ!!」と驚かれてしまった。


「え、ごめん。そんなびっくりさせた?」


「え……千花……かわいいね……あ、オレもうダメかも」


「ちょっとー!?」


 胸のあたりを押さえてスゥーッと昇天しそうになっている謙信を慌てて現実に引き戻す。


「今日一日こんなにかわいい千花のとなりにいるなんて許されるのかなオレ」


「はあ。そんなに気負わないでよ。それに……謙信はいつもかっこいいんだからいいじゃん」


「うあ! やめてっ!! そのデレはオレに効く!!」


(よかった。この格好喜んでくれてるみたい)


 わたしはほっと胸を撫でおろす。


 いつもより大げさなリアクションを見ることができたから、気合いを入れてきて大正解だった。


「それじゃあ行こっか」


「うん」


 並んで改札へ向かう途中、わたしはちらりと謙信を盗み見る。


 同じくらいだった目線はいつのまにか謙信に見下ろされるようになった。


 成長痛に苦しんでいると思ったら腕や足がすらりと伸びて、あどけなさを少し残したまま驚くほどかっこよくなった。


(謙信ってば最近女子人気がより高まってるんだよね)


 謙信に注がれる熱い視線に気づかないわけがない。それどころかわたしに直接謙信のことを聞きにくる子もいる。


 そのたびにわたしは思うのだ。もしも謙信がかわいい女子に告白されたら、わたしはきっと振られてしまうんじゃないかと。


 これから先も起こり得ることだ。中学を卒業したらきっと謙信はたくさんのかわいい子と知り合うだろう。


 わたし以外に付き合いたいと思う子だって現れるかもしれない。


(でも、それまではわたしの彼氏だから)


 わたしは謙信の手を指の先でちょんと握った。その指はすぐに大きな手に包みこまれる。


「なに考えてるの?」


「謙信のこと」


「…………ハグしていい?」


「ここではダメ!」


 そう、こうやって楽しい思い出をたくさん作ろう。そうしたらきっと不安を思い出がかき消してくれるはず。


(いまさらわたしたちの未来が不安だなんて言ったら、きっと謙信の方が真っ青になっちゃう)


 電車に揺られて数駅、それから少し歩いて着いたのは、春バラが咲き誇るローズガーデンだ。まだ入り口だというのにバラのいい香りがただよっている。


「わあ……!」と感嘆の声が謙信と重なる。お互い顔を見合わせて笑った後、逸る気持ちを抑えながら早足で入場門へと進む。


 色とりどりのバラが飾り付けられた門を抜け、わたしたちは手を繋いだまま入場受付を済ませた。


 満開の香りを胸いっぱいに吸いながら、看板に示された通路に沿って進む。赤、ピンク、白。様々な種類のバラが咲き誇る庭園を二人でゆっくりと歩く。


「すごいや。見たことのない種類のバラがたくさんある」


「うん、それにすっごくいいにおい。癒されるね」


 謙信が時折しゃがみ込んで珍しいバラを観察のを、わたしは穏やかな気持ちで見つめる。


 普段柔らかい視線が、ピントを合わせたように一点にしぼられる。その様子を見て、わたしは謙信のこの真剣な表情に惚れたのだと改めて実感させられた。


(華道に真剣になったのも、少し寂しいけど応援したい。あの日、温室で自分をからっぽだって嘆いていた謙信が自分で選んだことだから)


 写真を撮ったりメモをしたりとバラに夢中になる謙信の邪魔をしたくなくて、わたしはふらりと近くの人だかりを覗く。


「わあ、」


 来園者が集まっていたのは大きなローズトンネルだった。満開のバラが上下左右いっぱいに編み込まれた、まるで絵画の一部が具現化したようなところだ。


 人々は入り口で写真撮影をしてから、吸い込まれるようにトンネルの中に消えていく。


(すごい! これは謙信が喜ぶよね)


 跳ねるように謙信を呼びに向かう途中でふとわたしの足は止まった。


 謙信が女の子の二人組に声をかけられていたからだ。


 心臓がドキンと鳴り、わたしは声をかけるのをためらう。つき合って一年になるのに、こういうときどうすればいいのかいまだに分からない。


 そのまま見守っていると、謙信はにこやかに女の子たちからスマホを受け取って、二人組の写真を撮ってあげていた。


(あ、なんだ……写真頼まれただけか)


 わたしは大げさに脱力して謙信の元へと向かう。すると、写真を撮り終えた後も会話を続けていた謙信が、わたしに気づいて笑顔でこちらに駆け寄ってきた。


「すみません。いまデート中なので」


 謙信は女の子たちにそう言ってから、ごく自然にわたしの肩をそっと抱いてその場を去った。


 わたしはというとまずスマートに肩に回された手にギョッとして、それからカチンコチンになったまま謙信に連れられていくだけだった。


「もー、千花! 黙って置いていかないでよー」


「ご、こめん。あっちの人だかりが気になっちゃって。それに集中してたみたいだから……」


「あー、ごめん! うん、そうだよな。せっかくのデートなのに、千花を視界から外すなんてオレがまちがってた」


「いやいや。せっかくお花を見に来たんだしいいって。……さっきの人たちになに言われてたの?」


 すみません。と断るからにはなにかしらの提案があったはずだ。謙信はなんでもない様子でその問いに答える。


「ああ。写真頼まれて、ひとりなら一緒に回らないかって誘われたんだ」


「そ、そっか」


 つまりはあからさまなナンパだったらしい。少し目を離した隙にこれだ。わたしはどこを見ていいか迷って視線をさまよわせる。


 謙信はそんなわたしを見て、肩に回していた手を下ろしてわたしの手を強く握った。


「もしかしてオレが浮気するとでも?」


「ううん! まさか。ただその、彼氏がナンパされてるのを目の当たりにするとさすがに……動揺、した」


 まだうるさい心臓のあたりを片手で抑える。謙信はそんなわたしの手に指を絡めて、耳元で囁くように言った。


「じゃあちゃんとそばにいて。ね?」 


「――うん」


 わたしたちはそのまま手を繋いでローズトンネルに入る。はしゃいで喜ぶと思っていた謙信は存外落ち着いていて、目を細めてわたしを見つめていた。


 通路から少し外れたトンネルの窪みで、頭上のバラを眺めながらその香りを胸いっぱいに吸い込む。


「はい。ここで質問タイム」


「ん?」


 謙信が突然そう言い出したと思ったら、そっと謙信の方に肩を寄せられる。


「千花は最近なにか悩んでない?」


「えっなんで」


「だって考えごと多いし」


(悩みというか、そりゃあたくさん考えることはあるけど)


 一番考えてしまうのはやっぱり謙信とのことだ。さっきのナンパだってそう。謙信に好かれているのは分かっているけれど、それが終わってしまう日が怖い。


(いつまでこんなしあわせが続くんだろう、とか)


 もしわたしがスポーツ推薦で進学したら謙信とは離れてしまうだろう。当然、いまよりもっと会う時間も減る。そんな中ですてきな人と新しい出会いがあったら。


 そう考えるだけで落ち込んでしまう。


(いっそ、ここで二人きりで時間が止まればいいのに)


 わたしは歩みを止めて近くのバラに語りかけるように口を開いた。


「謙信は、変わったよね」


「オレ? なにも変わらないよ」


「嘘。だって、どんどんかっこよくなってる。謙信が自分を変えるために努力できる人だって知ってるんだから。さっきだって少し目を離しただけで女の子に声かけられて。これから先、かわいくて好みの子に告白とかされるんじゃないかって。そしたらわたし……振られちゃうんじゃないかって、思って」


 声が震えないようにがんばったはずなのに、最後の方はほとんど意味がなかった。


 謙信はしばらく黙っていて、それからわたしの髪から頬をなぞるように優しく撫でた。


 困らせてしまっただろうか。謝ろうとすると、視界に影がかかる。


 その瞬間、ふと口が柔らかく塞がれた。


 唇同士が軽く触れるキス。


 それに気づいた直後からもうなにも考えられなくなって、全身がふわふわ浮いているような感覚がおそってくる。


 いつの間にか不安も悩みもすべて消えていた。


「ごめん。嫌だった?」


 すぐに離れていく謙信にわたしはハッとして慌てて追いすがる。


「い、嫌じゃない!」


 反射的にそう返すけれど、猛烈に恥ずかしくなってきて、熱い顔を隠そうと謙信の肩に頭を押しつけた。


 謙信はギュッとわたしの背中に腕を回して言う。


「変わらない。ずっと好き。手を繋ぎたいのもハグしたいのも、――キスしたいのも千花だけ」


「ほんとう?」


「約束する。千花は?」


「わたしも。謙信だけ。ずっと、好きだよ」


 さっきまでこの場所で時間が止まればいいと思っていたけれど、やっぱりそれはやめた。


 わたしたちの気持ちは、卒業で離れてしまうようなものじゃない。


 これからも謙信と一緒にいろいろなことをしたい。


 手を繋いで一緒に知らないところに行きたい。


 それでもどうしても不安になってしまうときは、またキスをしよう。今度はきっとわたしから。


 謙信がわたしの手を引く。ローズトンネルの出口には太陽のひかりがさんさんと降り注いでいた。






(了)


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