地上に生きて
潮珱夕凪
第1話
君は、今日も朝五時のブランコを揺らしている。グレージュのバケットハットを深くかぶり、黒い革のジャケットを羽織っている。顔が見えないからこそ、服で君のことを覚えている。
「おはよう」
小声で語り掛けるのは最近辞めた。君の存在が恥ずかしいと、態度で暗に示したくなかった。この時間帯の公園で恐れることは何もない。
「僕が見えるのか?」
二週間前、どんより沈んだ気持ちを拭いたくて朝から走っていた時の帰り。公園に着いて、ブランコを漕ぎ出す。ふと横を向くと、おじさんのような人影がいつしか隣のブランコに腰掛け、私をじっと見ていた。私はおじさん――君に淡々とまなざしを送り返す。知らない人にすら洗いざらい話してしまいたかったほどに私は弱っていた。
「見えますよ……これ、いりますか?お腹いっぱいなので」
私はやけくそで買った、小洒落たデニッシュをちぎって差し出す。
「敬語はやめてくれ。気持ちは嬉しいが、僕は物が食べられない。もう死んでいるんだ」
さっと背筋が冷える。冷や汗が音もなく背中を伝っていった。私はバケットハットから視線を逸らせない。
「僕が見えるなんて、相当気が滅入っているに違いないな」
「……一か月前、祖父が亡くなったの。小さい時、山に連れて行って鳥の種類をたくさん教えてくれた。あれはハシブトガラス」
電線に留まっている四羽のカラスは涙で滲んで、黒い影だけが潤んだ視界の中で揺らめいていた。
「あなたは今つらいと思う。だが死人として言うと、おじいさんは今生まれ変わるために頑張っているはず」
その瞬間、タブノキの茂った葉の隙間から燦燦と朝日が差す。銀色の滑り台が、光を反射して輝き出す。
「シジュウクニチ、のこと?」
「うん。死んでから四十九日で僕たちは生まれ変わるんだ」
ふーん、とその時は返した。
シジュウクニチ、は今日だ。
「おじいちゃん、どこに行くのかな」
君は聞こえなかったかのように、明後日の方を向いた。
「ハクセキレイ。幸運の象徴だ」
そう呟いて君は地面を指差す。そんなことがぱっと言える人、なんてね。
――おじいちゃんだ
そうに違いない。独りよがりな確信でもいいから、今は――私は揺れたままのブランコから立ち上がり、膝を使って漕ぎ始める。涙が乾いた風にさらわれ、頬を横切るように流れていく。覚悟を決めて君の方を向くと、やはりブランコは空っぽになっていた。その時初めておじいちゃんは手の届かない場所へ行ってしまった――生まれ変わったのだと実感した。
地上に降り立ち、ひだまりの中で空を見上げる。日差しにジリジリと肌を焦がされ、生きていることを噛みしめた。振り返ると、ブランコはまだわずかに動いていた。
地上に生きて 潮珱夕凪 @Yu_na__Saltpearl
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