エル=スターライト【大深淵戦争と呪いの芽】

よも

第1話 世界の不条理

 暖炉に火が燃えていた。

 パチパチと音を立てながら爆ぜ、チラチラと炎が舌を伸ばし薪を舐めているようすは、何か深刻な話を切り出そうとして言いあぐねているような人間の姿と重なった。

 そうして、だんだんと暖炉の火のゆらめきが、こちらに語りかけて来るような気がしてくる。そうしたら───暖炉の火が語りかけてくるような気がしてきたのなら、もう君は、傾聴する準備ができている。


「じゃあ、キルカンドール先生をお呼びたてしようね」


 軽やかな声で話し出したのは、暖炉の火ではなくブリキのバケツだった。ブリキのバケツもとい───魔法理論学担当のダスティン・クレイブ先生。

 ひょろっとした長い身体に細い手足、サイズの合わない大きな帽子みたいにブリキのバケツをすっぽりかぶって顔を覆い隠した姿は、畑の中に立っていたらまるで案山子カカシのように見える。

 クレイブ先生はこれまたサイズの合っていないだらんと伸びた麻の服の袖越しに火かき棒を掴み、暖炉の中で角を赤く輝かせている炭の熾火おきびをかき混ぜ始めた。


 歴史伝承学の教室になっている談話室に集められた一年生は、さっきまでの騒ぎが嘘みたいにみんな黙り込んでキルカンドール先生が語り出すのを待っていた。

 騒ぎの中心になったウィスタリアは不用意な発言をキャリアステラ先生に強くいさめられたことに不貞腐ふてくされてそっぽを向いていたし(そのくせいつも通りに一番先生に近い席に一人で座っている)、ウィスタリアと言い合いになったアリシャは腕を組んで、ブラウスの二の腕の部分をシワになるくらいに握って黙って俯いている。

 アドエラは口論になったふたりを交互に気にするものだから落ち着きなく顔をキョロキョロさせていたし、ルーヴはさすがに鬱陶しくなったのか大きな手でアドエラの後頭部を掴んで首を振るのをやめさせていた。いつものようにアドエラとルーヴの間にいるアイヒだけがおとなしく座って授業が始まるのを待っている。

 そして騒ぎの中心にいたもう一人の生徒、シオンは気まずそうな、もうどうにもいたたまれないような顔後ろの方の席についていた。隣には俯いたままのアリシャが座っている。

 その他一年生の全員、総勢十七人が、暖炉を囲むように半円状に置かれた椅子に思い思いに座っている。その中で彼は───セリオ・ボルドウィンはただ───この教室の中のただ一人でしかなく、シオンをかばってアリシャのようにウィスタリアと口論をしたわけでもなく、ルーヴのように言い合いになった二人を仲裁することもできず、シオンに何か言葉を掛けることさえ出来ない自分を情けなく思いながら、ただ黙ってシオンの隣の席(アリシャとは反対側の席)に座って、暖炉をいじっているクレイブ先生の背中をぼんやり眺めていた。


 クレイブ先生は、いつもなら冗談なのか本当なのかわからないような雑談をよどみなく話してはよく授業を脱線させてしまうのがお約束なのに、今はこの部屋の生徒たちと同じようにキルカンドール先生の言葉を待ちながら、火かき棒で赤い薪と灰を混ぜていた。カーテンが開けっぱなしになったままの明るい室内では、暖炉の火が作り出す影も薄く、談話室の高い天井を照らすにも明るさは乏しい。暖炉に近いクレイブ先生の頭のブリキバケツのふちだけが、炎に照らされてオレンジ色に光っている。マントルピースに掛かっている壁掛け時計の針は、九時五分を少し過ぎたところだった。


 バチッとひときわ大きく赤い薪が爆ぜて、なんとなく皆の視線が暖炉に集まった。クレイブ先生も、それを合図としたのか火かき棒を炎から離れた灰の山に突き立てる。


「おはようございます。時間割より早い時間にお呼びたてして申し訳ない。キルカンドール先生」


 クレイブ先生は暖炉の火に向かって恭しくお辞儀をするように話しかける。そうすると、応えるように暖炉の火の赤みが強くなった気がした。

 この部屋全体を包み込むようなずっと遠くから、あるいは隣に座ってそっと話かけるように近くから。湖の底の深いところから立ち上る銀色の泡のような、真鍮の洞窟の奥から吹いてくる冷たい風のような。燻るような。軋むような。どちらとも錯覚してしまうような深い声が聞こえてくる。


「ンン……いや。問題は無い、ダスティン。本来なら、このあとが一年生の授業であったのだ。一時間早まったくらいで、何の支障があろうかね」

「そう言っていただけると、僕も気が楽です」


 エルディリア魔法学校の歴史伝承学の教師であるキルカンドール先生とは、である。

 暖炉のオレンジ色の暖かな色が語りかけてくるような気がしたのは気のせいなんかじゃなくて、この教室にいるセリオたち一年生は本当に、炎が話し始めるのを待っていた。


「今日はキルカンドール先生に戦争の歴史についてお話いただきたいのです」

「やれ、もうそんな時期だったかな」

「いえ。予定よりだいぶ早めました。僕としてはこれでも遅いくらいなんですけど。僕はラプテューヌ校長先生に心酔しちゃあいますけど、何故だか入学してすぐに戦争の歴史を教えたがらない方針に関しては意見が合いません」


 クレイブ先生は肩をすくめる。

 先生は頭にすっぽりバケツをかぶっているから、肩をすくめるとバケツの持ち手の部分が肩に当たってカチャンと鳴った。

 席についたままの一年生たちは、和やかに会話を弾ませるキルカンドール先生とクレイブ先生を、面白がるやら驚くやら、不思議な表情を思い思いに浮かべて見ていた。エルディリア魔法学校に入学して三週間、キルカンドール先生の授業を受けるのは初めてではなかったけれど、暖炉のキルカンドール先生が他の先生とこんな風に話しているのを見たのは初めてだった。


「時期はあるだろう。何事にも」

「じゃあその時期が来たのです。未知は恐怖を呼び寄せ、無知はそれを煽るものだと考えます」


 クレイブ先生はゆっくりセリオたちの方を振り返る。ブリキバケツの頭は後ろから見ても前から見ても一緒だった。

 さっきの言い争いのことを咎められた気がしたのか、ウィステリアとアリシャがバツが悪そうに肩を小さく丸めていた。


「ああ、責めてるわけじゃないんだ、ウィステリアもアリシャも。さっきキャリアステラ先生にお叱りを受けたとは思うけども、君たちの気持ちも解ってる。キャリアステラ先生だって、“呪いの芽”を怖いと思う気持ちを叱ったわけじゃない。そこも解ってほしい」


 バケツ頭じゃ表情なんて見えないはずなのに、クレイブ先生は困ったような、申し訳なさそうな顔をしていると思った。


「私たちには、本当の意味で理解できる恐ろしさでは……ンン、ないからな」


 キルカンドール先生が咳払いをすると、赤い薪が爆ぜてボフッと火の粉が舞った。

 クレイブ先生は長い袖が垂れた手を腰にあてて、小さく頷きながら談話室全体を見渡した。


「よし。それじゃあ、一年生の諸君。火曜日の一時間目と二時間目、予定を変更して特別授業だ。本来二時間目だったはずの生物学の授業は三時間目に代わってもらったから、このあとの教室移動を間違えないように」


 義務的な連絡事項を告げながら、クレイブ先生はベストの内ポケットから杖を取り出して軽く振った。すると本棚の脇に積み上がっていた資料の山から丸められた紙の筒が一本飛び出してきた。それはふわふわと浮かびながら暖炉のすぐ横まで飛んできて、ピタッと空中に止まると紙の筒が下に転がり出し、垂れ幕のようにばんっと広がった。

 シーツくらいの大きさに広がった紙に描かれていたのは、古い絵画だった。宇宙を表す夜空色一色に塗られた中央に、水と緑が営む小さな森や山々の自然の箱庭がポツンと置かれている。その緑の周りを取り囲んで踊るように妖精やエルフ、ドラゴン、巨人も小人も、神獣と獣人、そして人間も、この星に生きる生命たちが描かれている。その生命たちはどれも一様に悲しみ、苦悶に堪えるような悲痛な表情をしていた。銀色の装束を纏った精霊は、目に頬に涙すら流している。

 そんな悲哀に暮れた生命たちなのに、どの種族も残らず、杖や武器を持ち、暗黒の光を持つ呪いの魔法を放とうとしている様が描かれているのだ。


「みんな一度くらいは見たことがあるかな。【大深淵戦争】を題材にした一番有名な絵だけれど」


 この絵はセリオも見たことがあった。かなり小さい頃から頻繁に見かけている。故郷の初等学校の授業でも、村の大人たちから語られる昔話でも聞かされる。【大深淵戦争】という名前と一緒に。


「ン、ン……皆、教科書を出すといい」


 キルカンドール先生に指示されて、みんなごそごそ、あるいはのろのろと自分の鞄から真っ白な表紙の本を一冊ずつ取り出した。真っ白な表紙の本は中身も真っ白で、めくってもめくっても真っ白な紙が綴られているだけで何の文字も書いてない。

 みんなが一通り教科書を出したのを確認して、クレイブ先生が杖で教卓の角を軽く三度叩く。そうすると、真っ白だった本の表紙にインクが染み込んでいくように、じわじわっと色が広がっていく。青鈍色の表紙は『歴史伝承学』の教科書だ。

 エルディリア魔法学校の教科書は一種類しかない。全部の教科を合わせて、一人につき一冊。入学した時に配られた真っ白な本に、授業の度に担当の先生が魔法をかけて、その時間の教科書にしてくれるのだ。


「ンン……では、退屈な話をしようか。愚かで目も当てられぬ、この星の生命の歴史を」


 またパチパチッと火の粉が爆ぜた。長い物語を聞かせるために、大きく息を吸い込んだように見えた。空気はキルカンドール先生が燃えるために必要不可欠だけど、キルカンドール先生は呼吸してるわけじゃない。


 この学校に───エルディリア魔法学校に入学する前だったらこんな光景、なんかの夢か作り話だとしても信じなかったと思う。

 頭にブリキのバケツをかぶった先生と暖炉の火の先生をクラス全員で囲んで、まだ午前中の白い光が窓から差す談話室。

 火曜日の一時間目、歴史の授業が始まる。

 セリオが、シオンが、アリシャが、一番待ち望んでいた授業。この国の、この星の歴史の話。これこそが、セリオたちがこの学校に入学した最大の理由だった。


「───さて。皆も知っての通り、この世界は呪われている」


 出し抜け、クレイブ先生は世界の核心に手を突っ込んでいった。

 抗いがたい世界のことわり

 子供たちが生まれるずっとずっと前から“”だとして決まっていて、変えられないこと。

 どうしようもないこと。

 決まっている。

 どうすることも出来ないこと。


「かつて世界は滅亡の危機にあった。世界の一部であったはずの生き物たちが互いに滅ぼし合おうとして、大戦争を起こしたからだ」

「この星の、生命史上の汚点よ。あの戦争をして【大深淵戦争】と呼ぶ。愚かにも覗き込んでしまった全ての種族への罪状の烙印である。人間だけではない。ありとあらゆる種族がお互いを滅ぼし合った。ケンタウロスがエルフの森を破壊し、精霊がドワーフを呪い、巨人が狼人間を蹂躙し、火焔竜は南の大地を根こそぎ焼き払ってしまった。知っていよう。ヒース荒原がいまだに不毛の大地なのは、依然として大深淵戦争の影響が残っているからである」


 暖炉の炎───キルカンドール先生はゆっくりと、語り出した。この世界に住む人間なら、いや、人間以外だって皆知ってる史実。この世界につけられた深い深い傷痕。

 青鈍色の表紙を開いてみる。一番最初の頁に黒いインクで【大深淵戦争と呪いの芽】と章の名前が綴られていた。


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