そして、ベートーベンは、おかっぱになった

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第1話 そして、ベートーベンは おかっぱになった

 課外授業一日目


神川春斗は重い足取りで学校を目指していた。

 前方に見慣れた小柄な体格の男子生徒が歩いているのが見えた。春斗は駆け足でその男子に近寄り、頭をたたいた。

「あいたたた」

 薄い眉毛で小さい目をした丸尾蓮が振り向く。

「蓮、お前も来たのか?」

「そ、そうだよ。」

「でもお前、課外は受けないって言ってただろう」

「夏休みまで勉強するのはいやだったけど、母さんから言われて、ぎりぎり参加することにした」

「そうなのか」

 春斗は同情するような目をした。そのとき、 

「おはよう」

 後ろから声がした。振り向くと友永ひなたが微笑んでいた。その隣には、ひなたの親友である水森美緒がいる。

「おはよう。ひなた」

 春斗が返事を返す。

「今日から二週間、がんばろうね」

 ひなたが明るい声で言う。

「う、うん」

 春斗は気のない返事をした。


 春斗たちが通う流水学院高等学校が見えてきた。

 四人そろって校門を過ぎると、いつものように生徒指導の岩田が立っていた。大きく盛り上がった肩や胸の筋肉から、元ラガーメンだったということが一目で分かる。

 岩田は春斗たちの方に近づいてきた。

「おっ。丸尾もいるのか。珍しいこともあるもんだな」

 丸尾の顔を下から覗き込んで言う。

「やめてくださいよ、先生」

丸尾は 顔をそむけた。

「いやいや 感心、感心」

 岩田はにやにや笑った。

 前を見ると、いつものように生徒の昇降口の前には、列ができていた。その先には新型コロナの感染予防のために設置された自動体温測定装置があった。大きめのケータイを縦にしたような装置で、そこに顔を写し出して、体温を測るものだ。この装置は特別な機能があった。 顔をかざすとそこに内蔵されたチップが反応し、流水学院の生徒かそうでないかを判断する。もしも、学校と無関係な者の顔が映ったり、顔認証をしないで通り過ぎようとした場合は、内蔵された装置が働きブザーがなる仕組みになっている。

「今回は特別バージョンだからな。しっかり顔を向けるんだぞ」

「特別バージョンってなんですか?」

美緒が岩田に尋ねた。

「今回は夏季の課外授業を受ける者たちだけの登録になっている。流水学院の生徒でも、課外を受けていない生徒は校舎には入られない。さらに、今回、課外授業に来たものの数も数えてくれる機能も加えられた」

 岩田が説明した。

 今回は希望者だけの参加なので 同じ学年の生徒でも課外に参加しない者がいる。課外を受けないものに校舎に入られては何かと困るのだろう。

 体温測定装置に春斗は顔を近づけた。春斗の顔が画面に映し出される。そして、その顔の周りは緑色になった。

『三十六度四分 正常です』

 装置が声を出した。春斗はほっとした。顔をそらすときに、ちらっと見ると、画面の下に24という数字。自分が24番目だったに違いない。

 次に、ひなたはが温度測定装置のパネルに顔を向けた。

『三十六度二分 正常です』

 その声とともに、25の数字が画面の下に現われた。

 ひなたにつづき、蓮と美緒も無事測定装置のシステムをクリアした。

 いつもの場所に靴を置くと、四人はそろって階段を上がった。

 課外がある一年一組の教室は、第二校舎の二階にある。

「うわっ、なんじゃこりゃ」

 教室に着いたとき、蓮が声を出した。

 たくさんの机と椅子が煩雑に置いてある。机は教室の後ろの棚まで迫っていて机と机の間も狭い。

「こんなに課外を受ける人、多いの」

 ひなたがうんざりした声を出す。

「いつも35人ぐらいなのに、他の教室から机を入れたんだね。ぎゅうぎゅうだな」

「四〇人を超えてるな。二つの教室に分ければいいのに」

 蓮が不満を口にする。

「参加希望者がこれほど多いとは先生たちも予想外だったんだろうね。付け焼刃で一つの教室に机を入れることですませたと思うけど、これはひどいね」

 春斗が嘆いていると、

「とにかく座りましょう」

 ひなたたちに、美緒が言った。

「私、前がいいけど・・・できたら一番前」

 狭い机の間をすり抜けながら美緒は教室の前方に進む。

一番前の列はすでに埋まっていた。そうそうたるメンバーが座っている。一番前の真ん中は一年四組の柏原琴音。入学して全てのテストでトップをとっている。両隣も四組の園田太陽と槇原晃大。四組は理数コースで進学クラスと呼ばれている。

 四組以外の松山葵と伊東星也も一列目に座っている。彼らも成績上位者だ。

「一番前は座れないね。すでにとられてる」

 美緒がひなたにささやく。

「今日は仕方ない。できるだけ前の席に座りましょう」

 三列目の空いている席をひなたは指さす。

「やっぱり、一番に来ているんだな。琴音さん」

 春斗は蓮にしか聞こえない声で言った。

「そりゃそうだろう。でも、残念だったな、隣に座れなくて」

 蓮は、春斗が学年で一番の成績の琴音に対して軽いあこがれをもっていることを知っていた。それがほのかな恋心だろうことも。

「いや、僕はそれでいいんだ。それで」

 春斗は、黒くて艶のある琴音の髪を見てつぶやいた。


 定刻になり、一年の学年担任の大原大介が入ってきた。彼は春斗とひなたのクラスの担任でもある。後ろには教頭の栗橋がいた。細身の体に、チャコールグレーのタイトスカートのスーツ。しっかり前ボタンを留めている。

 すでに、教室の席は全て埋まっている。

「おう、さすが、この暑いのに課外授業に参加したみなさん。全員そろっているな。ご苦労、ご苦労」

 大原は汗を拭きながら言う。丸くて太った体は、暑さに弱いと見えて、額を拭くハンカチはもうぬれていた。

「しかし、この教室は暑いな。おいっ、温度をもう少し下げよう」

 大原はエアコンのスイッチを押し続ける。

「この教室に目いっぱい詰め込んだんだからな。暑いはずだ」

 そう言って、大原は春斗たちの方を向いた。

「じゃあ、一応出席を取る」

 大原は教卓にファイルを置いた。

「一組からだ。赤星陸」

「はい」

 後ろの方から声がした。

「尾上夕海」

「はい」

 次々と点呼が続く。

 半分ほど、点呼が終わったとき、

「ちょっと、めんどうだな」

 大原がぶつくさ言い出した。

「人員点呼なんて、めんどうくさいな。教頭先生。点呼はもういいんじゃないですか?全員いますよ。みんな席に座っているじゃないですか?」

 大原は栗橋の方を見る。

「いいえ、だめです。そこはしっかり点呼をしてください。そして、みなさん」

 栗橋は春斗たちを見渡す。

「これから、名前を呼ばれた人は返事をして立つように、いいですね」

「えーっ」

 生徒たちから不満の声が出た。

 栗橋は表情を変えずにとがっためがねを右手で上げた。

 「かえって、面倒になったな。みんなすまん」

 大原は苦虫をつぶしたような顔になった。

 全ての生徒の名前が呼ばれて、最後の生徒が腰を下ろした。

「予想した通り、一年一組から四組まで、課外参加者46名。全員出席で間違いありません」

 大原は、わざと丁寧に言った。

 栗橋は気にせず、仰々しくうなずいた。

「では、第一日目ですので、私から話をさせてもらいます」

 栗橋は教卓の前に立つと、切れ長の目で春斗たちを順に見渡した。

「本校は、あなたたちも理解している通り、県下では有名な進学校です。そこで行われる夏季の課外授業は本校の伝統であります。この課外でしっかり学習することが、あなたたちの未来を決めます。一心不乱に勉学に励んでください・・・」

「始まったね。教頭の長い話が・・・」

 丸尾が小さい声で春斗に言った。

「ああ」

 春斗は前を向いたまま応えた。

 これが、課外授業第一日目。

 春斗たちは例年通り、何事もなく二週間の課外授業が終わるものだと考えていた。

 しかし、その予想は意外な形で裏切られることになるのだ。


      そして、事件は起こった


 その課外が始まって三日が過ぎた日のことだ。

 生徒の昇降口の靴箱に職員の靴がひもで括られて置かれていた。見つけたのは登校してきた生徒たち。その横には 次のような紙が置かれていた。


 校則 白色の靴以外で登校してはいけない 


 流水学院高等学校は 進学校というブランドの他に「厳しい校則」いわゆるブラック校則でも有名な高校であった。創立は古く、数多くの伝統があった。それに付随するように盛りだくさんの校則が残っていた。その中には 時代にはそぐわないものも数多く存在した。学生たちは そんな不自由な中での学校生活を送っていて、校則に対して、かなりの不満をもっていた。生徒側から 校則の見直しについて要求しても学校側は全然動かなかった。保護者らが時代に合わない校則の撤廃を求めても、学校側は態度をピクリとも変えなかった。そんな生徒たちや保護者たちに、高野校長は自慢のひげを触りながら言い放った。

「この校則が自分にそぐわないと感じたり嫌だったら 違う中学校に行っても構いませんよ」

と。それを聞いた生徒たちの落胆はすごかった。

 校則を全て見直せというのではない。不条理な校則に対して検討してほしいというのだ。そんな要望にも学校側は応えてくれない。

 生徒たちには、校則というの檻の中にいる囚われの羊という閉塞感だけが漂った。

 

 そんな中でのこの事件。

 自分たちを管理している職員の靴がひとまとめにされていたのだ。

 生徒たちからは、それを行った者へのリスペクトの声が挙がった。

 その反面、醜態を晒した職員からは非難の声があいついだ。

 しかし、たかがいたずらだ。保護者の耳に入って大事になってもまずい。犯人を捜して徹底的に糾弾すべきだという声が職員の間でも起きたが、高野は大げさにしたいという方針を固めた。そして、犯人解明の任は、学年主任の大原一人に任せられた。

 大原は教室に座っている生徒たちを前にして言った。

「君たちも知っているように、先生たちの靴が誰かにいたずらされるという事件が起きた」

 丸く太った大原は大らかな性格で、生徒たちからも好感をもたれている。その大原が珍しく真剣な表情で言った。

 そして、大原は生徒たちに指示した。

「みんな顔を伏せろ。そして、周りが見えないように目をつぶるんだ」

 春斗たちはガタガタと音を立てながら、机に顔を伏せた。全ての生徒の顔が下に向いたことを確認した後、大原は言った

「よし。いたずらをした者は音を立てずに、ゆっくりと手を挙げろ。今名乗り出るなら悪いようにはしないから、安心して手を挙げろ」

 沈黙の時間が数十秒続いた。手を挙げる者は誰もいない。

「うーん」

 大原の唸り声が聞こえた。

「よおし、みんな顔を上げろ」

 みんなは一斉に顔を上げた。

「先生、誰か手を挙げたんですか?」

 男子生徒が言う。

 大原は腕を組んで黙っている。眉間にある太い眉毛が中央に寄っている。

「誰もいなかった」

低いトーンの大原の答えに、春斗は当然だろうという表情になる。こんな方法で手を挙げる者などいないことは、小学生でも分かる。

「では、仕方ない」

 大原はそういうと、白紙の紙を数枚引き出しから取り出し、折り曲げて破り始めた。手のひらの大きさぐらいの紙が複数枚出来上がると、大原はそれらの紙を全員に配り始めた。

「いたずらしたものは、素直に私がやったと書くように。隣の奴から見られないようにして書けよ。やってません、やりましただけでいいからな」

大原はそう言って、どさっと教卓の後ろの椅子に座った。

カリカリカリカリ

 鉛筆で書く音だけが教室に響く。 大原は、腕を組んで目をつぶっている。

 カリカリカリ・・・

 鉛筆の音が止んだ。大原は目を開けて言った。

「みんな書いたようだな。じゃあ、何を書いたか見えないように折り曲げろ」

 春斗たちは言われた通りに紙を折る。

「よしっ。今から集める」

 大原は、両手をつけて物を乞うような形にすると、生徒たちの机の間を回り始めた。四つ折りにされた紙切れが次々と大原の太い指でできた器に入れられていく。

全ての紙を回収した大原は

「どれ。犯人が分かればいいんだけどな」

と、独り言をつぶやくと、紙を一枚一枚開き始めた。書かれた内容を確認していく。  

開いては中身を見て、また開いては中身を確認する。紙を開くごとに、大原の額の皺が深くなる。残りはあと少しだ。

 全ての紙を開き終わると大原は大きくため息をついた。顔には落胆の文字が浮かんでいる。

「だめだったか」

 大きな声を出して、顔を何回も振る。

「おいっ、いい加減にしろよ。いるんだろう、この中に。小学生じみたいたずらをしたやつが。誰だ。誰なんだ」

 大原は丸い頭をかきむしった。

「誰なんだ。正直に出て来い。悪いようにはしないから」

 再びの沈黙。生徒たちに重い空気がのしかかった。沈黙を破ったのは大原だった。

「君たちに最後のチャンスをやろう。今日帰るまでにこっそり俺に言いに来い。このチャンスを逃して言いに来ない場合、後で犯人が分かったら、その時は厳しい罰を与えることになると思う。かなり厳しい罰になるぞ。両親を呼び出すだけではすまないないかもしれない。いいか、最後のチャンスだ。俺は休み時間や放課後、職員室にいる。課外授業は昼で帰ることになるが、下校した後も、しばらく待っておくつもりだ。最後のチャンスだ。逃すなよ」

 最後の言葉を大原は威圧するような声を出した。

 結局その日は、犯人だと名乗り出る者はいなかった。


「大原先生、その後どうなりましたか?」

教頭の栗橋が近寄ってきた。

「その表情から察するに結果がよくなかったようですね」

 栗橋はフレームが大きい眼鏡押し上げる。

「そうなのかね。大原くん」

 栗橋の後ろから高野校長が顔を出す。

「ええ」

 大原はあえて渋い顔を答えた。

「うむ。そうですか」

 高野は自慢の鬚を触る。

「すいません。いろいろと手は尽くしたんですが・・・」

 大原は自分が取り組んだことを必死に説明した。

「まあ、いいでしょう。課外授業の期間は二週間です。ここでごたごたしては生徒たちの勉学に対しての士気をそぐことになりかねません。これで幕引きにしましょう。これでよろしいですね。高野校長」

「うむ」

 高野は重々しくうなずいた。

「でも、大原先生。生徒たちにはこのようなことが二度とないように、厳しく釘をさしておいて下さい」

 栗橋のメガネのレンズが光った。

「わかっていますよ。わかってます」

 大原は大きな背中を丸めてうなずいた。


     そして、事件は立て続けに起こった


 放課後、校舎を見回っていた栗橋が職員室に駆け込んできた。

「またやられました」

「何?一体・・・」

 机に座って資料を読んでいた高野が顔を上げる。

「例のいたずらですよ」

「むっ、またか。今度は何だ」

「音楽室のポスターが落書きされているのです。とにかく音楽室に来てください」

 高野とそこにいた職員が栗橋に引っ張られるように、階段を上った。そして、第二校舎の三階にある音楽室に入った。

「なんじゃこりゃ」

 高野校長は、鼻の下の鬚を震わせて声を出した。

 なんと、音楽室の背面に貼られている歴代音楽家の絵に落書きがされている。

 ベートーベンを始め、バッハ、モーツアルト、メンデルスゾーン・・・。

 落書きがされていないのは、滝廉太郎と山田耕作だけである。

 それ以外の者は、頭が黒く塗られて、おかっぱのように前髪が揃えられている。ベートーベン絵の下には、A4の紙が貼られていた。その内容は次のものであった。

 

 校則 髪にパーマをかけてはいけない。

   髪を染めてはいけない


「ふ、ふざけるな」

 高野は、両手を広げて、音楽室全体に響く声で叫んだ。

 興奮が少し冷めると、高野は腕を組んで歩き回った。何かを考える時の彼の癖である。

「仕方がない」

 高野が立ち止まる。そこにいる職員たちの方を見ると

「明日の朝、集会をしましょう」

と、言い出した。

「学年集会?」

「明日、授業が始まるまえに、体育館に子どもたちを集めて、話をしましょう」

「で、でも、一クラスだけですよ。教室に行って話しをされれば」

 数学の担当の北村が言った。

「いやいや、大原先生。今回はそれほど重大なことがおきたと私は考えている。それほど大きなあやまちを犯したと生徒たちに思い知らせる必要がある。少々大げさでもそのくらいがいい。そして、その集会の後に、今いる先生方で分担して一人ずつ面談を行う。」

 高野が提案した。

「個人面談ですか?」

「そうです。課外授業に来ている生徒は46人ですよね。勤務している職員で分担して個人面談をするのです」

「それはいい考えですね」

 早速、教頭の栗橋が校長に賛同する。

「職員の靴を紐でくくったり、音楽室のポスターに落書きするとは言語道断。それもこのようないたずらは二回目です。私たちをばかにしています。ふざけています。犯人をちゃんと見つけて厳しい指導をしなくてはいけません」

 栗橋が力説した。高野は満足そうにうなずいている。

「しかし、校長先生。大げさにしたら、逆に言い出しにくくなるのではないでしょうか?」

 大原が心配そうに言う。

「しかし、二回目になるとそうも言ってはおられません。なんとしても犯人を見つけなければならない。そうしないと、二回目が三回目に、そして四回目になる可能性だってあります」

 栗橋が大原をきつい目で見た。

「私はね、大原先生」

 高野は諭すような口調になった。

「この面談で、自分からやったと告白する生徒が出るとは思わないのです。それよりも犯人探しのヒントをもらいたいのです」

「犯人探しのヒント」

「そう、ヒント。休み時間に不審な行動をした者はいないか。音楽室にこっそり入っていった友達はいなかったか、そんなことを生徒たちに聞く必要があると思います」

「なるほど。いわゆる聞き込みというやつですか」

 大原が辛らつな言葉を出す。

 栗橋はそれを無視して、パンパンと手をたたき、

「皆さん、一時間目は集会と面談の時間にしたいと思います。こちらに集まってください。段取りを決めましょう」

 高らかな声で言った。

  

 いつものように、大原が教室に入ってきた。それを合図にみんなは席に着き始めた。  

 心なしか、今日の朝の大原はいらだっているように春斗には見えた。

「みんな座ったな。全員いるみたいだな」

 大原は教室を端から端まで見渡す。全ての机が埋まっている。

 大原は一呼吸置くと、

「今日は朝の集会がある」

と、切り出した。

「集会?」

「夏休みなのに?」

「なんで集会なんてする必要があるんだ」

 教室がざわざわし始めた。

「とにかく、一組から順に廊下に並べ」

 大原は顔を廊下のほうへ向けた。


 体育館に入ると右側の壁際に、高野校長をはじめ教頭の栗橋、そして、本日勤務している職員が並んでいた。

 いつもは全校生徒が集まり、体育館が狭く感じるのだが、今回は課外に参加している生徒だけで、体育館はかなり広く感じた。

「座れ」

 大原の声に、生徒たちはすごすごと体育館の床に座った。 昼間は暑いのだが、朝は涼しく、体育館の床はひんやりとしている。

「みなさん、集まりましたね。勉強は進んでいますか?」

 栗橋が前に出る。

「今日は、校長先生から皆さんに重要な話があります。心して聞くように。では、校長先生お願いします」

 栗橋の言葉が終わると、高野はステージに続く短い階段を上りはじめた。

演台に着くと、マイクの反応を確認した後、話し出した。

「夏休みの暑い中、課外授業に参加されている皆さん、おはようございます。充実した日々を送れていますか?皆さんの中で、たくさんの人たちが、県内に関わらず、全国の有名大学に進学するものと思います。私は大変期待しています」

 高野は少しの笑みを浮かべて話した。

「しかし、この貴重な課外授業を邪魔しようとしている者がおります」

 高野は、一旦口を閉じて、春斗たちを見渡した。そして、再び話し出した。

「先日、先生方の靴を結ぶという馬鹿げたいたずらをした者がいました。そして、昨日は、音楽室の背面の世界的に有名な音楽家のポスターがいたずらされました。髪の毛を黒く塗りつぶされていたのです」

 ざわざわと生徒たちが騒ぎ出す。

「静かに」

 栗橋が声を飛ばした。高野は静かになったところで話しを続けた。

「そういうことをする者がいると、課外授業に参加し、受験に向かってがんばろうという皆さんの一途な気持ちがそがれるのではないでしょうか?先生方もそのようなことが起こると、教えることに集中できません」

 高野はちらっと職員を見る。何人かが頷いている。

「ですから、私はこのような集会を開いて皆さんに話をしたいと思ったのです。 私が卑怯だと思うのは自分がやった事に責任を果たさないということ。それが人として最低のことだと私は思うのです。やってしまったことは仕方がない。しかし、やったことへの後始末をするのはやった本人しかできないことです。いたずらした者はしっかり名乗り出てほしい。そして、反省してほしい。先日のいたずらの後、大原先生からあなたたちへ話をしてもらいましたが、誰一人名乗り出る者はいなかったと聞いております。そのようなことでは大変困ります」

 どんと音を出して高野は演台に両手をついた。

「いやいや、私はあなたたちが困ると言っているのです。今年の受験を控えてるみんなにとってもいやでしょう。せっかく、貴重な夏休みの時間を使って授業を受けたが、あまり効果がなかったでは、無駄な時間を過ごすことになります。あなたたちの学習、ひいては将来を邪魔する者がこの中にいるのです。そのような者をこのままにしておくわけにはいけない」

 高野は語尾を強くし、一旦間を置いて話し出した。

「私は罪を犯した者の将来が心配です。罪を犯しても見つからないということに味を占めはしないか。そんな者は、将来罪を重ねる犯罪者になってしまうのではないかと憂慮しているのです。ですから、私は誰がやったかを明らかにして、その者に教育的指導を行いたいと思うのであります」

 高野の腕に力が入った。

「やった者は、この場で手を挙げろというやぼなことは申しません。今からそれぞれの教室に分かれて、ここにいる先生方と一対一で面談をしてもらうつもりであります」

「えーっ」

という声が生徒たちから挙がる。

「このような対処をすることが、あなたたちみんなのためだということを分かってもらいたい。ぜひとも、いたずらをしてしまった者は、面談で告白してもらいたい。もちろん、このことは穏便に済ませます。名前は公表しませんし、罰など与えません。ですので是非とも勇気をもって、いたずらをした者は自分から声を出してください。お願いしたいと思います」

 高野は軽く礼をして、ステージから降りた。

 高野が自分の横に来くると、栗橋が口を開いた。

「それでは皆さんに申し上げます」

 バインダーに目を落としたまま声を出す。

「今から、個人面談を行います。先ほど校長先生が申されましたように、自分から進んで罪を認めた者には罰など与えません。保護者の方にも伝えないつもりです。どうか、勇気をもって申し出てください。このようなことは、もう、この場で終わりにしましょう。皆さんよろしくお願いします。いいですね」

 栗橋が強い口調で念を押した。


      個人面談、始まる


 理科室は閑散としていた。窓の外のせみの声以外何も聞こえない。

 春斗たちは、広々とした理科室の机に座っていた。門松はいつものように黒板を背にして立っている。

「今から面談を始める。何を話したか、聞かれたかは友達にも話さないでほしい」

 門松は鋭い目つきで言った。

「まずは 赤星からだ。理科準備室に入れ。終わったら、教室に戻って黙って自習」

 赤星が門松とともに理科準備室に入っていく。扉が閉められた。

「何か、まじで、大変だな」

 こわもての加藤悠馬が言うと、

「でも、わくわくしない」

 木下紗良が口角を上げた。

「ちょっと、軽すぎだよ。紗良」

 尾上夕海が紗良に注意した。

「でも、いたずらした人、すごいよね。私、応援したい。だって、この学校の校則ってひどいでしょう」

「まあそうだけど・・・」

 その部分については夕海も否定しない。わりと大きめにうなずいた。

「髪型については、エクステやパーマや髪染めももちろんカールもダメ。ツーブロックもだめ。前髪は眉毛より長くなったらだめだし、伸びた髪が肩に付いたら結ばなきゃいけない。かなり、がんじがらめって感じ」

 咲良は自分の前髪を指に巻きつけながら言う。

「そう考えると、音楽室のバッハやベートーベンみたいなやつがいたら、もろ、校則違反だよね。バッハは髪を染めているし、ベートーベンはパーマかけてるし・・」

「本当。もしも、ベートーベンがそのまま学校に登校してきたら、生徒指導の岩田から厳重注意され、学校から締め出されるだろうね」

 春斗が紗良の言葉に付け加える。

「先生たちのくつを紐でくくったやつも面白かったじゃない。校則では白い靴しか履いてきてはいけないとなっているのに、先生たちは派手な色の靴を履いてきている。俺たち生徒には勝手なルールを押し付けて自分たちは守らないなんて、なんか自分勝手すぎると俺は思った」

 うんうんとうなずいた。

「しかし、まだまだ俺たちの学校には、おかしい校則があるよね。ピアス禁止は分かるけど、化粧禁止なんておかしいじゃない。今は、男も化粧をする時代よ。すっぴんで登校なんておかしいでしょう」

「そうよ。私なんか、朝から高血圧で唇が肌色というか、真っ白になっているの。リップクリームと先生たちには言っているんだけど、本当は薄い色の口紅なの。にきびのあとも隠すために、かるくファンデーションも塗りたいわ」

「化粧が禁止もそうだけど、鏡を持ってきてはいけないのもどうなのよ。やっぱり身だしなみって大事じゃない。だから、体育の後は、乱れた髪を直すために、女子トイレが行列になるんだよ」

 紗良がぶすっとした顔になる。

「下着の色を白だけにするっていうのもひどいよね?」

 夕海が話題を変えた。

「あっ、それ、わけわかんない。女子は白の下着だといろいろと困るのにね」

「えっ?何が?」

 春斗が反応した。

「何がって、女の子だけの事情があるでしょう。女の子の日が」

「ああ、生理な」

 加藤がさらりと言う。

「ちょっと、そんなに大きな声を出さないでよ。あの日は、汚れてしまうことも多いから、そのときだけでも色付きの下着を許してほしいな」

 紗良の髪を丸める動作が激しくなる。

「トランクスの白もかっこ悪いぜ。なんか祭りに出る若者って感じになる。俺も反対だな」

 加藤が言う。

「他にも、スカートの長さや靴下の色や長さなど、いちいち、いろいろうるさいよね」

 夕海は憤慨した表情だ。

「男子は、寒くても体操服は半ズボンだ。まいるよな」

「本当、本当」

「そういう意味では俺、今回いたずらしたやつを応援したいんだ」

 加藤の目が輝いた。

「実は私もそう。音楽室や靴のいたずらはスカッとした」

「うん、うん」

「ある意味リスペクトした」

 みんなの思いは同じ。教員の思いとは真逆に、今回のいたずらについて生徒たちは歓迎している。

「ところで、このいたずら、これで終わりだと思う?」

 少し、間を開けて夕海が切り出した。

「・・・ええと、私はまだ続くと思うわ」

 それに応えたのは、紗良だった。

「どうして?」

「だって、課外の期間はまだまだあるわよね」

「うん」

「あと一回ぐらいはやれると思う」

 紗良が人差し指を立てる。

「やれるって、もしかするとお前が?」

 加藤や春斗は紗良を見る。

「ちがうわよ。いたずらしたのは私じゃない。やってないよ」

「そ、そうなのか。びっくりした」

 春斗が胸をなでおろした。

「今話したように、この学校の校則っておかしいものばかりじゃない。まだまだ、できるいたずらがたくさんあるわ。だから、私、いたずらが続くならどんなものか楽しみにしてるわけ。願望よ、願望」

「ちょっと、不謹慎だよ」

「でも、次はどんないたずらをするのか楽しみだな。何か、わくわくしてきた。おいっ、春斗。今回の夏季課外は結構当りかもしれんな。イヒヒヒヒ・・」

 加藤がいやらしい笑いをしたとき、

「加藤、何笑ってるんだ?」

 黒板の前に、門松が立っていた。

「何か盛り上がっているようだけど、誰が話をしていいと言った。今度話をしたら、居残りだぞ。じゃあ、次、尾上、面談だ。理科準備室に入れ」

 門松が理科準備室のドアを開ける。

「はあい」

 夕海がしぶしぶ重い腰を上げた。


         春斗たちは面談を受ける


春斗に声がかかったのは、個人面談が始まって三十分になろうとしていたときだった。準備室の扉が開いて、門松は春斗の名前を呼んだ。

「ああ、なんだ。こんな大げさなことになって、お前たちには大変申し訳なく思っている」

 春斗が椅子に座るとすぐに、門松は渋い顔をして言った。

「しかし、まあ仕方がないよな。あんなバカバカしいいたずらが二件も続いたんだ。俺たち教師が本気になるのもわかるだろう」

 門松は春斗の同情を誘うように言う。

「ええ」

 春斗は軽くあいづちをうつ。

「神川。お前やってないだろうな。もしも、やったのなら・・・」

「やってません」

 春斗は門松の言葉が終わる前に否定した。

「そうか?本当なんだろうな」

 門松はじろっと春斗の顔を見た。

「本当です」

 春斗はしっかりした口調で答えた。 

「お前はいつも休み時間など誰といる」

「ぼくは友永とか丸尾とかと一緒にいます」

「一人でどこかに行ったということはないのか」

「・・・一人ではなかったと思います」

「友永とか丸尾に聞いてみてもいいんだな」

「はい、聞いてみてください。いつも一緒にいたんですから・・・」

 門松がじっと春斗の目を覗き込む。少しの沈黙の後、門松が口を開く。

「そうか。わかった。信じよう。それじゃあ、聞くが」

 門松は会話を一旦止めて、

「誰があんないたずらをしたか、知らないか?」

 少し小さい声で門松が尋ねる。

「知りません」

「そうか・・」

 少し落胆したように門松は下を向いたが、再び顔を上げて、

「じゃあ、休み時間とか、放課後とか、何かおかしい行動をとったり、怪しい態度のやつ見たことがないか?」

 と尋ねた。

「・・・」

「誰でもいい。たいしたことがなくてもいいから言ってみろ。誰だ?」

 門松はかなり真剣だ。

「いやそんなこと、わかりません」

「どこか、他のところに行った者はいないか?」

「音楽室や靴箱ですか?」

「そうだ、そこら辺の場所だ」

 流水学院の夏の課外は、学年ごとに時期をずらして行われるので、この時期は一年生の課外を受ける生徒しか登校していない。課外授業は一年一組の教室のみで行われている。

 春斗は記憶を辿る。

「どうだ?」

 門松が訊く。

「分かりません」

「そうか?よく思い出してみろ」

 門松がしつこく訊く。

「靴箱から靴を出してひもでくくる。何分もかからないだろう。それに比べて、音楽室のポスターへのいたずらは結構時間がかかると思う。休み時間に二階から三階に行った者はいなかったか?休み時間が終わるぎりぎりに教室に入ってきた者はいなかったか?」

「分かりません」

 春斗は申し訳なさそうに、さっきと同じ言葉を繰り返す。

「・・・」

 門松はじっと春斗を見る。

 そして、

「そうか。分からないか」

 門松は準備室の天井を見つめてため息をつく。

「仕方ない。もしも、何か思い出したら、私でもいい。担任の大原先生でもいい。教えてくれ。いいな」

 門松が念を押すように言った。

「はい」

 春斗は門松の目を見て返事をした。

        

「ねえ、ねえ。ひどいと思わない。まるで犯人扱いよ」

 面談が終わり、みんなが教室に戻ってきた。ひなたが春斗に不満を口にした。

「先生たち、かなり切羽詰った状態ではあるわね」

 美緒が状況を分析した。

「課外授業は二週間しかないから、その期間で勝負をつけようとしてるんでしょう。この間に犯人を見つけるつもりね。それは難しそうだけど」

「でも、そうなれば、先生たちの犯人探しや監視は、もっと激しくなるかもしれないね」

 ひなたが言う。

「放課後も残して面談とかあったりしてさ」

 蓮が大げさに両手を広げる。

「それはいやだな」

 春斗が首を振ったとき、大原が教室に入ってきた。

「面談でお疲れのようだが、二時間目の国語を始める。教科書を出して」

 大原が平然とした顔で言うと、

「先生、誰がやったのか、分かったんですか?」

 椅子の背にもたれた加藤が言った。

「それは・・・。まあ、何だ。いつか教える」

「えーっ」

「今、教えてくださいよ」

「ひどいよ」

 生徒たちから声が挙がる。

「もういいだろう。早く教科書を出せ」

 大原は厳しい口調で言う。

「本当に教えてくれないんですか?」

 加藤は食い下がった。

「うるさいぞ、加藤。大事な勉強の時間だ。早く教科書を出せ。何度も言わせるな」

 大原が加藤をきっとにらんだ。

 大原からは何も情報を得ることができないと実感したみんなは、黙って国語の教科書を机の上に出した。


       探偵は助手としての依頼を受ける

 

 その日の課外授業が終わった。

 みんなは教室から出て行く。そのとき、

「ああ、神川と友永は少し残ってくれ」

 大原が二人に言った。

「えっ?」

「ちょっと、話がある」

「あ、はい」

 ひなたが不満そうな顔で返事をした。

「私、今日は用事があるから、先に帰るね」

 美緒は、「ポン」とひなたの肩をたたくと、教室から出て行った。

「俺も、ごめん。春斗」

 軽く手を挙げて、丸尾も教室から出て行く。

 一瞬のうちに、教室は大原と春斗とひなただけになった。

「すまんな。すぐ終わる。図書室まで来てくれ」

 大原は春斗たちを見ずに教室から出て行った。

 とぼとぼと二人は大原の後を追う。

 図書室に着くと、大原は入り口から近い広い机の端に座った。

 春斗たちもその机の椅子に座る。大原はきょろきょろと辺りを見て誰もいないことを確認して言った。

「実はな。校長先生から、直々に依頼があって、俺に犯人探しをしろと言うんだよ」

「犯人探し?」

「そう、犯人探しだ。このいたずらの犯人はまだ、見つかっていない。だから、校長先生は学年主任の俺に犯人を見付けだせと言われたんだ。このままだと、また事件が起こるかもしれない。なにせうちの校則はひどいものばかりだからな。またこんないたずらが起きても不思議じゃない」

「確かにそうですね」

 春斗も同意する。

「またこのようなことが起きたら、学校の面子が丸つぶれだ。だから、なんとしても犯人を挙げたい」

 大原が刑事のような言い回しをした。

「うーん」

 ひなたは少し考えるしぐさをした。そして、何かをひらめいた表情で言った。

「私、いい解決法を考えました」

「ほう、言ってみろ」

 大原がひなたを見る。

「犯人は変な校則があることに反対をしてこのいたずらをしてるんじゃないですか?だから犯人の要求通りに、校則の見直しをするんですよ。おかしい校則を直せばいい。そうじゃないですか?」

「そう、それそれ」

 春斗が手をたたいた。

「いや、いや。それはよくない」

 即座に大原は否定する。

「どうしてですか」

「決まっているだろう。今、校則を見直すとなれば、この事件が発端だということになる。それはつまりいたずらした者の思うように事が運ぶことになる。それはまずいだろう」

「何でですか?」

「考えても見ろ。このいたずらが成功例になれば、また、学校に対する不満が出たとき、また、このようないたずらをする者が出てくるかもしれない。そして、何より」

「何より?」

「そうなることは、いたずらした犯人の勝ちになる。間違いなく教師の敗北だ。こんなことは絶対許されない。いたずらをして自分の意見を通そうとする卑劣な奴になめられてたまるか。俺はそんなやつを絶対ゆるさん」

 興奮気味に話す大原に対して、春斗たちは少しのけぞった。

「今のは全部、校長先生の言葉だ」

 大原は、しれっと言った。

「で、どうして私たちを呼んだの?」

 少ししらけた表情でひなたが尋ねた。

「友永、この流れからして分かるだろう。俺の犯人探しを手伝ってもらえないかってことだ」

 ひなたと春斗は顔を見合わせる。

「気を悪くしたらのなら謝る。でも、すまんが、何か耳寄りの情報があれば教えてくれないか」

「耳寄りの情報といわれても、個人面談で話したことだけです」

 春斗が言うと、

「私もそう」

 ひなたはつっけんどんに言った。

「そういわずに、怪しい奴は本当にいなかったのかを探ったり、誰かに話を聞いたりしてだなー」

「えっ、何ですか。先生は僕達にスパイになれと言うんですか?」

 ひなたが興奮して言った。

「いや、いや、そう大げさに言うな。私が犯人を捜す探偵になり、君たちは少し手助けをしてほしい。ただそれだけだ」

「つまり、それって、私たちに大ちゃんの助手になれってことですか?ホームズとワトソンのように」

 ひなたは時々親しみを込めて、大原を大ちゃんと呼ぶ。大原はそれを受け流して言う。

「ただ、この課外で変わったことをしたもの、へんなことを言ったものがいたら教えてほしいってだけだ。そして、犯人が分かったら教えてほしい」

「それが、スパイだというのです。」

 気の強いひなたは大原に顔を突き出した。

「まあ、まあ、ひなた。おちついて」

 春斗が大原とひなたの中に入る。

「だいたい、どうして僕たちが先生の犯人捜しの手伝いをしなくてはいけないんですか?」

 冷静を装って尋ねた。

「それは、まあ、なんだ・・・・お前たちが図書委員だからだ」

 大原は言葉を濁したように言う。

「ええ?どうしてそれとこれがつながるのですか?」

 再び喰ってかかろうとするひなたを春斗は両手で止める。

 大原は本好きということで、図書委員の担当をしていた。 ひなたも春斗も、本が好きで友永は図書委員長、春斗は副委員長を務めている。

「いや、いや。関係はあるだろう」

「えっ、どういう関係があるんですか?」

「それはだな。本の中にはミステリー小説というジャンルがあるだろう。友永も神川もミステリーが好きだったよな。それも本格推理小説が」

「ええ、好きですけど?」

 ひなたは数回うなずいた。

「本格推理小説は謎がしっかりあって、それを論理的な道筋で解決に導いていくものだ。俺はそれがあまり得意じゃないが、お前たちはそれが好きなんだろう?」

 そういう大原は、純文学が好きで、芥川賞や直木賞、それに付随する賞に入った文学作品はほとんどといっていいほど、読破している。

「そこで、そのミステリー大好きな友永と神川に言ってるんだ。実際の場で、謎解きをしてみないかと」

「実際の場での謎解き?」

「そう、本の中の架空のものではなくて、本物の生活の中での謎解きだ。こんな体験は二度とできないぞ」

 ひなたの顔が上がる。

「是非とも、是非ともお願いしたい。頼む、友永、神川。俺と一緒に、この謎を解いてくれ。俺も辛い立場なんだよ。校長や教頭からはしつこく犯人を捜せと言われるし同僚の先生たちからは冷たい目で見られるし・・・。頼む。お前たちしか頼りになる者がいないんだ。お前たちの推理力で事件を解決してくれ。お前たちしかいないんだ」

 大原の泣き脅しが始まった。

「誰が犯人なのかが分かればいいが、分からなくてもいい。これからの課外授業の期間に何もないならそれでいい。何かあった時に色々と手伝ってほしい。教えてほしい。お前たちの灰色の脳細胞に期待してるんだ」

「灰色の脳細胞!」

 アガサ・クリスティーファンのひなたにはその言葉がぴたりとはまった。

「分かりました。やりましょう。ねえ、春斗」

 ひなたは春斗の方を見る。ひなたの瞳が輝いている。

「大ちゃんがここまで言ってるのよ。私たちの力を貸してあげましょうよ」

「えっ、いいの?」

 ひなたに訊く。

「あたりまえじゃない。私を誰だと思っているの?」

「友永ひなただろう」と言う言葉を春斗は飲み込んだ。

 嬉々とした表情のひなたの決定は何を言っても覆らないだろう。

「分かりました。ひなたが決めたようだから僕もやりますよ。ただ、刑事ばりの地取りや観取りとか、そんなことはできません。もしも、犯人がわかっても僕たちが見つけたとかそういうこと言わないでください。この犯人には結構ファンがいますから、僕たちが恨まれます」

 春斗が釘を刺した。

「分かっている。犯人が見つかったとしても、穏便に済ませるので、気にしなくていい。何度でも、言うようだが、これから何も起きなかったらそれでいいと俺は思っている。犯人を捜すことより、もうこれから事件は起こさせない。それが大事だと思っている」

 大原は慎重派の春斗に言った。


 その日は、これからのことを確認して終わった。課外期間は毎日放課後、図書室に集まろうということになった。

 ひなたと春斗は一緒に学校の門をくぐった。

「本当にやるの?」

 先を歩くひなたに春斗は声をかけた。

「ええ、あれだけ先生から頼られたんだから、やってみてもいいかなと思っている」

二人は横に並んだ。

「僕はあまり気乗りしないなあ。犯人は校則反対という思いでいたずらをやっているんだろう。校則がいやな僕たちの為に戦っているとも言える。そんな人が頑張ってるのに、僕たちが犯人を挙げるというのもどうかと思うけど」

「犯人を挙げるって、春斗は刑事小説の読みすぎじゃない。さっきも観どり、地どりって」

 ふふっとひなたが笑う。

「でも、もう引き受けたんだから、仕方がないでしょ」

「それはそうなんだけどもー」

「もう、いじいじ言わないの。男の子でしょう」

 批難するような目でひなたはにらむ。

「でも、今は先生たち、またいたずらがないかピリピリしてるし、先生たちの監視ももっと厳しくなると思う。そんな中でまた事件が起きると思う?私は思わないわ」

「そうかな」

「そうだよ。春斗は心配しすぎ。とにかく、この役を引き受けて、大ちゃんの相談相手になって、悩みなどを聞いてあげる。そうすれば私たちにとっていいことが起こるかもしれないよ。ランチをおごってくれるなんて特典もあったりして・・・」

「結構、シビアだな」

「そうだよ。そのくらい割り切っていきましょう。気楽にね。もう、事件は起こらないんだから」

「うん、そうだよね」

 春斗は自分に言い聞かせるように言った。

 しかし、ひなたの予想は見事に覆されることになる。


     第三の事件はトイレの中に


「教頭先生。また、やられました」

 生徒たちが帰った放課後、血相を変えて教頭に駆け寄ってきたのは、英語教師の戸村だった。

「えっ?」

「また、いたずらされました」

 ガタッと職員室にいた教員が立ち上がる。

「トイレットの鏡がやられました」

「トイレの鏡」

「そう、職員の女子トイレットの鏡です」

 英語教師の戸村は、海外に行ったこともないのに、トイレをトイレットと発音する。 職員がトイレの前に集まる。

「確かに、これはいたずらですね」

 栗橋が職員の女子トイレの鏡を見つめる。

 そのトイレの鏡には、油性マジックの7赤で×と書いてあった。その下には、


 校則 学校に鏡を持ってきてはいけない。


という張り紙があった。

「男子トイレにもあります」

 門松が鼻息を荒くしたる。

「なんだ、どうしたのかね」

 騒ぎを聞いた高野が校長室から出てきた。その落書きを見ると、高野はトイレの壁を手のひらでたたいた。

「一体だれがこんなことを。ふざけとる!」

「校長先生、冷静になって下さい」

 栗橋が高野に声を掛けた。

「これを見つけたのは?」

「はい、私です。今日の課外授業が終わって、トイレに入るとこのいたずらがあったのです。」

 戸村が興奮気味に言う。

「教頭先生は気づかれましたか?」

「朝からトイレには行きましたけど、落書きはなかったと思います。男の先生方はどうですか?岩田先生、あなたは二時間目の休み時間にトイレに行きましたね。」

「はい」

 岩田が素直にうなずく。

「この印はありましたか?」

「いや、なかったと思いますが・・・いや、あったかな?」

「はっきりしてください」

 栗橋がいらいらしていうと、

「教頭先生。実は、覚えていません」

 岩田はバツの悪い顔をした。

「覚えてない?」

「ええ、つまり、そのとき鏡は見てないかと・・」

「えっ?あなた、トイレに行って鏡を見ないんですか?」

「はい、あまり」

 申し訳なさそうに、岩田は頭をかく。

「トイレを済ませて、手を洗ったら普通鏡を見るでしょう」

「いやあ、それがあまり手も・・・洗いません」

「手を洗わないなんて、信じられません」

「でも、男の場合は小のときは、指先で軽く済ませますので、手を洗わないことが多いんです。もちろん、大のときはちゃんと洗いますよ。石鹸でごしごしとね」

 岩田は手を洗うしぐさをする。

「あきれた。トイレに行っても手を洗わないなんて。あなたたちもそうなんですかか?」

 栗橋が男子の職員を見る。

 ぺこりと数人の職員が頭を下げる。トイレに行って、小を済ませたとき、手を洗わないということを認めたことになる。

「もう、不潔です」

 栗橋がぷいっと横を向く。

「いやあ、時々ですよ。時々。いつもはちゃんと手を洗います」

 門松が言いつくろう。

「他にもトイレに行った人はいませんでしたか?」

 高野が栗橋のバトンを受け取った。

「行きました」

 北村が言う。

「で、鏡の落書きは?」

「私も二時間目の休み時間に行きましたが、鏡は見てません」

「トイレに行ったのは、大原先生と北村先生だけですか?」

 職員は誰も口を開かない。栗橋も深くうなずいている。

「つまり、この落書きはいつ書かれたかは分からないってことですね」

「でも、女子トイレの方はある程度分かります」

 高野の言葉に栗橋が続けた。

「私は毎朝職員のトイレの鏡で、身だしなみを整えます。そのときは、間違いなく落書きはありませんでした。つまり、落書きをされたのは、今日の朝から、放課後までの間だということです」

「今日の課外授業が始まって、それが終わるまでに行われたかもしれないってことか・・・」

 職員間に少しの沈黙が訪れた。

「しかし、いったい誰がこんなことするですか」

 大原が声を荒げる。

「本当だ。わけが分からない」

「全く、何なんだ」

 口々に教員たちから文句が出る。

「いや、わけは分かります」

 みんなの視線が栗橋に集まる。

「私たちを馬鹿にしてるんですよ、きっと。ふん、いまましい」

 栗橋が吐き捨てるように言う。

「いや、それもありますが」

 北村が言った。

「こいつは、校則に対して余程の恨みがあるんじゃないですか?」

 教員たちの顔が上がる。

「それなら、まだいたずらが続くかもしれません。本校には不条理だと思える校則はまだまだありますから・・・」

 門松が加担した。

 その言葉を聞いた数名の教員がうなずく。校則の中に一般的に考えて異常であると考えられるものがあるという自覚はあるのだ。

「じゃあ、このいたずらを止めるのは簡単じゃないですか」

「えっ?」

「おかしな校則を廃止すればいいんですよ」

「そんな、単純な」

「でも、その通りでしょう」

 門松の言葉に栗橋は黙り込む。彼女もそのやり方については、念頭にあったはずだ。いや、ここにいる教員のほとんどがそう思っていたにちがいない。

「これはおかしいという校則を生徒たちに出してもらうといいんですよ。私たち教員が校則について検討するという態度を見せるのです。早いほうがいい。明日早速、そうしましょう」

「そう、それがいい」

 数人の職員が同意する。

「しかしどうでしょうな」

 高野校長が会話に入ってきた。

「そのようにすると、この事件があって、校則の見直しが始まったということになりますね」

「はい、いけませんか?」

 門松が言うと、

「大いにいけませんね」

 高野が鋭い目で門松を見た。

「と、言いますと」

 門松が首をかしげる。

「この事件が起きたことが引き金になり、校則についての話し合いを始めたとなると、事件を起こした者が報われることになります。このことが恒例になると、生徒指導上、生徒たちに不都合なことが起きたときに、何か事件を起こすことで、学校側に修正を要求する輩が出ないとも限らない。ですから、校則に対する見直しの話し合いをすべきではないのです。断じて、生徒が教師を先導するイニシアティブをとってはならんのです」

 高野はこぶしを握った。

「校則の変更はなし、校則の検討会もなし。この生徒の行為は無意味だったと生徒たちに思い知らせるということですか?」

 門松が強めの表現で言うと、

「その通り。この事件はいたずらをした犯人をあぶり出し、生徒たちに徹底した敗北感を味あわせなければならないのです。そうすることで、私たち教員の優秀さを見せつけ、その立場の違いを分からせることができるのです。門松先生も、あまり生徒の立場に立とうとせず、この犯人探しに協力してください」

 高野は釘を刺すように門松を見た。

「はい。それはしっかりやりますけど、生徒たちに敗北感を味わわせると言うのは、私にはどうにも・・・」

「門松先生。何を甘いことを言っているのですか。これは教師である私たちへの挑戦なのです。私たちは戦わねばならない。そして、勝利しなければならないのです」

 栗橋も興奮気味に言った。

 すると、

「あのう」

と言って戸村が手を挙げた。

「何?戸村先生」

 栗橋が訊くと、戸村はもじもじしながら

「トイレに行ってきてもいいですか?まだ用事を済ませてなくて」

と、申し訳なさそうに言った。


 大原から第三のいたずらのことを知らされたのは、事件の次の日だった。

 その日は、ひなたと春斗、大原との放課後の会議はいつもより長くなった。

 大原は、校長や教頭から自分の無能さをいやおうなしに批難され、攻撃され、自分がかなり打ちひしがれていることをくやし涙を流さんばかりに語った。そして、

「もういやだ。また事件が起きるなんて、俺は何てついてないんだ」

「このままじゃ、勤務評定が下がり、次のボーナスが減らされるかもしれん。嫁さんに何て言えばいいんだ」

「だいたい、お前たちは一体何をしてたんだ。少し、犯人を甘く見てないか。どうやって犯人がいたずらをしたかさえも分からない。それでよく、推理マニアと言えるな。なんのためにお前たちを雇ったんだ。しっかり仕事をしろ」

という言葉で、大原はまとめた。

「雇った」「仕事」という言葉にカチンときたひなたたちではあったが、実際の事件が起きたという事実に、何も言い返すことができなかった。


 その日の帰り道はかなり長く感じた。とぼとぼと二人の足取りは重い。

「まいったな」

「うん、まいったよね」

「やばいよね」

「うん、やばい」

 ひなたと春斗はぽつぽつと会話をした。

 もう二度といたずらはないとひなたたちは考えていたのだが、休み時間には、毎回、廊下に出て、課外授業に来ているものたちを観察してはいた。いたずらがあった日も、休み時間に不審な行動をするものは見当たらなかった。

「これからどうする」

 春斗がひなたに訊く。

「どうするって、どうするのよ?」

 ひなたが春斗を見る。

「ちょっと、僕の家に寄っていかない?少しあったことを検討しないか」

「また、会議?」

「うん、どうかな?」

「男子の家に女の子一人でいくなんて、やばいんじゃない」

「やばいって、僕がひなたによからぬことをするとでも思ってるの?やめてくれよ。何もしないって。この間まで、よく家に遊びに来ていたじゃないか」

「この間って、小学校のときの話でしょう。もう、高校生なのよ」

「ふうん。そうだね・・・。でもこのまま帰ったら一人でかなり悩みそうだしー」

「それ分かる」

「本当に何もしないから。少し話をしようよ」

 ひなたは春斗の顔をじっと見つめる。春斗の顔は真剣だ。

「分かったわ、会議の続きをしましょう」

 ひなたは前を向いた。


    ひなたと春斗、事件について検証する


 春斗の家は両親が共働きで、昼間は不在である。

 春斗は自分用の家の鍵を使って、玄関を開けた。

「どうぞ」

 春斗はキッチンの隣にあるリビングにひなたを誘った。そこには、四人がけのテーブルがあった。ひなたは腰を下ろすと、背負っていたバッグをテーブルの横に置いた。

 春斗はキッチンから冷えた麦茶が入った細めのコップを運んできて、テーブルの上に置いた。

「ありがとう」

 ひなたは麦茶を一口飲んだ。

「じゃあ、今まであった事件について整理しよう」

 春斗はひなたの対面に座った。

「ちょっと待って」

 ひなたは自分のバッグからノートとペンを出す。

「最初の事件は、先生たちの靴を結んだ事件ね」

 『①靴くくり事件』とひなたはメモをする。

「これって、誰が気づいたんだっけ?」

 春斗が聞く。

「確か、下校するとき、二組の伊東が見つけたと聞いたよ。私たちが校舎に入ったときには、人だかりができていた。」

「そうだった。あのいたずらは、先生たちの靴箱から靴を取り出し、紐でくくって靴箱に入れるというものだった。簡単だったはずだよ。すぐできたと思う。」

「そのときは、玄関の扉は閉まっていたんだよね」

「夏季休業日は、事務室にだれもいないので、玄関の扉は閉められていた。うちの学校は扉の前にもシャッターがあるでしょう。それも閉まっていたって大原先生は言ってたね。学校に用事がある人は、呼び出しベルを押して内側からシャッターを開けてもらって校舎内に入る。その日は、学校に訪問した人は一人もいなかったそうだし、外部からの人がやったとは思えない。昇降口も僕たちが登校した後、玄関同様、扉もシャッターも閉められていた。一階の窓は鉄格子のようなブラインドがしてあり、窓は開けられるけど、人は通り抜けることはできない。私立だからできることだよね」

 春斗は自分の感想を交えながら話した。

「そう、つまり、校舎の中には入れないし、外にも出られない。つまり、私たちの校舎は・・・」

「密室状態だった」

 春斗が人差し指を立てた。

「もう、春斗。それを言わないでよ。私が言いたかったワードなんだから」

 推理おたくのひなたはふくれっつらになった。

「ごめん」

 春斗が頭を掻く。

「ということは、不審者は校舎には入れない。校舎の中には、課外授業をうけていた私たち、それに先生たちしかいなかった。つまり、いたずらをした人は校舎の中にいた人ってことね」

「うん、そうなるね」

 ごくりと音を出して、春斗は麦茶を飲んだ。

「それじゃあ、二つ目の事件。音楽室落書き事件とでもいうべきかしら」

 ひなたはそういうと、ノートに『②音楽室落書き事件』と書き込んだ。

「あれは、ちょっとひどかったね。」

 ひなたはふふっと笑った。

 ベートーベン、バッハ、メンデルスゾーンという有名作曲家の髪が黒く塗られ、おかっぱのようになっていたポスターを思い出したのだ。

 そんなひなたの様子を見て、少し微笑みながら春斗が言った。

「あれは、くつをくくった事件より複雑だったよね。ポスターは壁の高いところに貼ってあった。落書きするには結構時間がかかったかもしれないね」

「十分の休み時間じゃ、ぎりぎりってとこね」

「休み時間に三階に上がって落書きをして二階に戻るとすれば、結構目立つよね」

「そう。二つ目の事件は一つ目に比べて、ハードルが高かったと思うわ」

 ひなたは、「音楽室落書き事件」というワードを丸で囲んだ。

「でも、もっとハードルが高いのは第三の事件だよね」

「そう、そう。あれは不可能という感じ」

「本当、あの状態で先生方のトイレに落書きをするなんて、本当ありえないよな」

「うん、ありえない」

「でも、この謎を解かないと犯人なんて分からないよ」

 ひなたがぼやいた。

「そうだね。どうやっていたずらをしたのか?これが問題だ」

 二人の間に沈黙の時間が流れた。

 ひなたは顎を上げて春斗を見る。

「今までの事件を整理すると少しはヒントになるかと思ったけど、何も降りてこないね。全然わからない」

 ひなたは両手を挙げて、ばんさいをした格好になった。

「ああ、やっぱり、ここで行き止まりになるのか」

「まさに、八方塞がりね」

 ひなたはテーブルに肘をついて、頭を抱えた。

 そのとき、

「何か、面白い話をしてるな」

 リビングの奥のへやの扉が開いた。

「ちょっと、くわしく話してみないか」

 奥の部屋から、グレーの上下のスウェットを来た人物がリビングに入ってきた。

「俺がその謎を解いてやるよ」

 春斗とそっくりの顔をしたその人物は、にやっと笑った。


      ひなた、再会を果たす


「いたのか。剣斗」

 春斗は眉を潜めた。春斗と剣斗は一卵性の双子であり、そっくりの顔をしている。

「剣斗君、お久しぶり」

 ひなたは剣斗に顔を向ける。

 剣斗もひなたと同じ年齢だが、流水学院には通っていない。彼は全国で学力的に最高難度の潮高等学校に通っている。

 神川家には特別な事情があった。

 春斗たちが小学校を卒業する年に、父の雅人がアメリカに長期出張することになった。当然、雅人は妻のあずさがアメリカについてくるものだと思った。しかし、あずさはそれを頑として拒んだ。それをきっかけに、二人の関係は急速に冷め、離婚へと発展した。そして、雅人は剣斗とアメリカで、あずさと春斗は日本で暮らすことになったのだ。

 二年の月日が過ぎ、雅人はアメリカ出張を終え、剣斗を連れて日本に戻ってきた。それを機会に、雅人とあずさは復縁する。一緒に暮らし始めた春斗と剣斗は中学校三年生から同じ中学校に通い始めた。

 春斗と剣斗は見た目はそっくりであるが、二人には大きな違いがあった。剣斗はかなり優秀な頭脳をもっていた。アメリカに住んでいたので、英語も流暢に話す。学力面で春斗は、剣斗にとても太刀打ちができなかった。

「何か深刻な話をしているな。眉間にしわを寄せて。」

 剣斗がひなたを見て言う。

「ちょっと、聞こえたんだが、お前たちが行っている流水学院で事件が起きたって。面白そうじゃないか。もう少し詳しく聞かせてくれないか?俺が事件を解決してあげてもいいぜ」

 剣斗は鼻を親指ではじいた。

「別にいい。これは俺たちの学校の問題なんだ。剣斗の力を借りずに解決してみせるよ。そうだよね、ひなた」

「それは、そうなんだけど・・」

 ひなたは、言葉を濁す。

「ひなたちゃん。俺は日本だけでなく、世界中のミステリーを読みまくっている。週末など、外国の推理オタクたちとオンラインで世界中の迷宮入りした事件について討論もしている。推理力は世界でもトップクラスだと言っていい」

 剣斗は胸を張った。

「だから、うちの学校の事件に口を挟もうというわけ?」

「口を挟もうじゃなくて、解決してやろうというわけだ」

 剣斗は上から目線で言った。

「どうせ、暇つぶしだろう。こんなやつの力を借りなくても・・・」

「お前たちだけで解決できるっていうのか?」

 剣斗は春斗のつぶやきに対して、言葉を挟んだ。

「ひなたちゃんはどうなんだい?君も推理オタクとしてこの事件にかかわっているんだろう。解決できそうなのか?」

「・・・・」

 ひなたは黙りこむ。

「今までの話を聞いている限り、犯人を探すとっかかりもないみたいじゃないか。このままじゃ、また事件が起きるぞ。そうなっても、俺は知らないからな」

「・・・・・」

 ひなたは黙って熟考している。そして、

「分かったわ。剣斗君、協力して」

 ひなたはきっぱりと言った。

「おい。おい、いいの?こんなやつ、あてにならないよ」

 春斗があわてた。

「でも春斗。私たちと大ちゃんだけで、犯人を見つけ出せると思う?」

「うっ」

 鋭いところを突かれた春斗は顎を引いた。

「でしょう。だから、剣斗君の頭脳を借りるの」

 ひなたは剣斗の方に体を向けた。

「剣斗君。事件が解決しても、自分がこの事件にかかわったことは人に言わないでくれる。事件のことは何も」

「ああ、もちろん」

「絶対よ」

「絶対」

 ひなたは剣斗の顔を覗き込む。真剣なまなざしの剣斗を見ると、

「わかった。剣斗君にお願いする」

と、きっぱり言った。

「うそだろう」

春斗は天井を仰いだ。

「じゃあ、早速、会議を続けましょう」

 ひなたは、椅子に深く腰掛けた。


      三人は第三の事件を検証する


「ええと、どこまで話したっけ」

 ひなたはノートをめくった。

「靴くくり事件と音楽室落書き事件まで」

「うむ。そうだった。確かに」

 剣斗は重々しくうなずく。その動作は芝居じみていて、すでに、名探偵を気取っているように見えた。

「そして、次の第三の事件が起きたんだな。お前たちが不可能と言っていた事件」

「そう、第三の事件・・・いわゆる、トイレの鏡バツ事件」

「トイレの鏡バツ事件?」

「先生方のトイレの鏡に油性ペンで大きな×が書いてあって、『学校に鏡を持ってきてはいけない』という張り紙が張ってあったの」

「ふむ、そうか。で、なんでそれが不可能だと言ったんだ」

 剣斗は前のめりになった。「不可能」という言葉に刺激されていることは、春斗にも分かった。

「今回の課外は、昇降口にある顔認証付きの温度測定装置をクリアしないと校舎の中に入れないの。課外の参加人数は46人。全ての生徒は顔認証してあり、認証ができなかった人ははじかれる仕組みになっている。そして、46人が全員がカウントされた時点で、チャイムが鳴る。すると、昇降口の扉の鍵が閉められる。扉は内側から職員が持っている鍵を使わないと開かない」

「随分厳重だな」

「そうよ。前に大阪で不審者による殺害事件が起きたことも原因の一つだけど、過去に素行が良くない人が校舎に入って、乱痴気騒ぎを起こしたことがあったと聞いた。その対策のためよ」

「そこで、流水学院は徹底した防止体制をとったの。日頃も顔認証をした人たちしか入れない。保護者は必ず、職員の玄関を使う。その玄関も授業中は閉めてある。一階の校舎のまどは白いプラスティックの鉄格子のようなブラインドが設置してあり、窓は開けられても人は入れない。そうそう、昇降口の入り口にも玄関にもシャッターがあることも話したかしら」

「ブラインドにシャッター」

 剣斗は目を見張る。

「鍵を掛けて、シャッターを閉める。どう、徹底してるでしょう」

 剣斗は大げさに肩を上げ、首を振る。

「だから、課外期間中、私たち以外は校舎に入れないの」

「この校舎は、いわゆる・・・」

「密室状態だったの」

 ひなたは自慢げに『密室』という言葉を使った。

「それで・・」

 剣斗が先を促す。

「靴くくり事件と音楽室落書き事件があったと言ったでしょう。すでに、二件のいたずらが起きているの。だから、先生たちもそれなりに対策を取ったの」

「対策?」

「そう、もう二度と事件を起こさないように、厳しく監視を行った」

 すると、ひなたは、ノートをめくり始めた。

「ちょっと、待って。」

 ひなたは、新しいページを開いた。

「流水学院の校舎内の配置図で説明するね」

 ひなたは、まず、ノートに縦長の長方形を4つ並べて書いた。左から三つは同じ大きさ、四番目の長方形は小さい。

「この四角が校舎なの。左から第一校舎、第二校舎、第三校舎になっている。右の小さな四角は体育館。」

 ひなたは、話した通りの名称を、長方形の上に書いていく。

「第一校舎の一階には玄関があり、事務室、物品倉庫、保健室などがある。二階は職員室やカウンセリング室、三階は視聴覚室やPTA会議室などがある。」

 一番左の校舎図に、説明を書き加えていく。

「第二校舎の一階は昇降口で、一年生から三年生の靴箱がある。その二階が1年生教室。課外授業は二階の一番右の一年一組の教室であっていた。そして三階に、2年生教室がある。第三校舎は、一階が図工室や家庭科室などがあり、二階が3年生教室になっている。その校舎の三階に音楽室や理科室、図書室など特別教室がある。ちなみに、流水学院は、全ての学年が4クラス編成になっている」

 すらすらとひなたはノートに教室名を書いていく。

「一階と二階には各校舎をつなぐ渡り廊下があるんだけど、夏休みの間は、一階をつなぐ渡り廊下の扉は全部鍵が閉められている。校舎に入れるのは、事務室横の職員室用玄関と生徒の昇降口だけ。さっき話したように、朝から課外を受ける生徒が全部入ったら扉は閉められる。玄関も通常は閉められている。だから、外から校舎に入るのは難しいのよ」

 ひなたは、一階を結ぶ渡り廊下に×をつけるとともに、事務室の横と昇降口にも×を付けた。

「課外があっている第二校舎から、それぞれの校舎に行く唯一の方法は、二階の渡り廊下しかないんだな」

 剣斗が確認すると、ひなたは黙ってうなずいた。

「音楽室のいたずらがあってから、生徒たちが誰も他の校舎に行けないように、朝の登校時や休み時間は、二つの校舎につながる渡り廊下と1年教室から三階に通じる階段には、先生たちが交代で一人ずつ立って監視していた。」

 春斗も話に加わる。

「帰る時はどうなんだ?」

 剣斗が訊くと、

「下校するときは、先生たちは渡り廊下にはいなくて、何人かの先生が昇降口に立っていた。」

 すぐに、ひなたが答える。

「じゃあ、そのとき、急いでいたずらすればいいじゃないか」

 剣斗が言う。

「でも、そこでいたずらをすると、いたずらする人はみんなより遅れて来ることになるわよね」

「ああ」

「それって目立たない。」

「でも、トイレに行っていたとか言ってごまかすとか・・・」

「まあ。できないことではないけど。でも、今回のことを考えると、下校時にいたずらしたとは考えられないの」

「どうして?」

「今回は、監視が厳しい中で、職員室女子用トイレと男子用トイレにいたずらをしたのよね。職員トイレは、職員室の前を通っていかなくてはいけない。下校時は先生方はかなりピリピリしていたはずよ。そんな中、職員室の前を誰かが通れば分かるじゃない。それに、その日はみんな一斉に帰ったそうよ。私と春斗は除いてね。昇降口にいた北村先生が、誰も遅れてこなかったと言ったそうよ。それに、北村先生はみんなが校舎から出るとすぐに、昇降口の扉とシャッターは閉めたそうよ。誰かが残っていたら、閉じ込められてしまうはずだけど、そんな人はいなかった。」

「ふうん。やっぱり、登校してから授業が始まる前と、下校時はいたずらは無理か」

 剣斗が残念そうに言う。

「そうなのよ」

 ひなたは満足そうにほほえんだ。

「じゃあ、やっぱり授業時間にいたずらがされたのか?授業中はみんな教室にいたのか?」

「ええ、事件があった日は、全員教室にいたわ。授業中に具合が悪くなって保健室に行った人もいなければ、先生の手伝い等で教室から出て行った人も一人もいなかった」

 春斗とひなたは二人で顔を向き合わせてうなずいた。

「それなのに、事件は起きた・・・」

 剣斗がつぶやく。そして、続ける。

「それなら、可能性は一つしかない」

「ん?」

 ひなたたちの視線が剣斗に向けられる。

「職員、先生たちが犯人だ」

急に空気が重くなった。沈黙の時間が流れる。

 空気が変わったことに気づかない剣斗が言葉を続ける。

「だって、そうだろう。校舎の中に入るときは、顔認証システムの機械を通さないと入ることができないんだろう。全員が登校した時点で、校舎の扉が閉ざされる。一階の窓はブラインドが設置されていて入れない。職員室の玄関も用事がない限りしまっている。その上、シャッターも閉められているということだから、ひなたちゃんが言ったように、密閉状態。校舎は大きな密室だった考えられる。外部からの進入が不可能だから、これは内部での犯行になる。授業中、生徒たちは自由に動き回ることができないから、生徒たちにはいたずらは無理だ。消去法で考えると学校に勤務していた先生しか考えられない」

 剣斗が早口に言う。

 すると、ひなたと春斗は向き合って、外国人並みのオーバーなリアクションをする。肩をすくめて両方の手のひらを上に向ける。「だめだ、こりゃ」という言葉は出さずに、首を何回も振る。

「ん?」

 その様子を見た剣斗は首をひねった。

「剣斗くん。あなた、私たちを馬鹿にしてない」

 ひなたが剣斗に冷たい視線を送る。

「馬鹿になんてするわけないじゃないか」

 剣斗はわめくように言った。

「私は剣斗君ほど本を読んでないかもしれない。でもね、私もそれなりの推理小説は読んでいる。一応、友達の中では、ミステリーマニアで通っている」

 ひなたはテーブルをどんとたたく剣斗は肩をすぼめた。 

「犯人が先生方?はあ?そんなこと、とっくに考えたわよ。だから馬鹿にしないでって言っているの」

 ひなたは再びテーブルをどんと叩いた。剣斗は椅子から跳びあがりそうになる。

「そう、当たり前の結論だろう、剣斗。休み時間しか自由に行動できない僕たち生徒にいたずらが無理なら、その校舎の中にいるのは、職員しかいない。他に誰も校舎に入ってくることができなかったからな」

 春斗は腕を組んで剣斗を見た。

「じゃあ、やっぱり先生たちじゃ・・・」

「だから、それもあり得ないの」

 ひなたは声を張り上げた。

「私たちも最初にそのことを考えたわ。そして、大原先生を問い詰めた。すると、分かったの。先生たちみんなにアリバイがあるってことが」

 いきなり、事件用語が出てきて剣斗は少し戸惑った。

「まずは、課外に来ていた学校の先生たちを紹介するわ」

 ひなたは、ペンを握った。

「来ていたのは、高野校長、栗橋教頭、理科の門松先生、数学の北村先生、社会の岩田先生、英語の戸村女史、そして、大原先生」

 ひなたがすらすらとノートに書く。

「何で、戸村だけ戸村女史なんだ」

「ああ、ごめん、ごめん。それは私たちが陰で呼んでいる名前だった。戸村先生」

 ひなたはノートの女史という字の横に先生と書いた。

「第二の事件があったとき、さすがに先生たちにも緊張が走ったそうよ。また、いたずらをされたらたまらない。早く犯人を見つけようとした。もしかすると、犯人は先生たちではないか?校長先生、教頭先生はそれも視野に入れたらしいの」

「そう。それが自然だろうな。当然の結論だ」

「だから、校長、教頭の二人は、職員を陰ながら監視したようなの。これは大ちゃんから聞いたことだけど、第二の事件後、校長先生は校長室にいなくて、いつも職員室にいたそうよ。職員が廊下に出ると、教頭が席を立ち、どこにいくか、何をするかを職員室から半分体を廊下に出して監視していた。そりゃ、のんびり屋の大ちゃんのような先生でも、教頭先生のそんな様子を見れば、自分たちは監視されていると気づくでしょうよ」

「まあな」

「そんな中で、第三のトイレの鏡事件が起きた」

 ひなたが再びペンを持つ。

「朝の見回りが済んだ八時ごろかな。戸村女史がトイレの鏡を見たときは、まだいたずら書きはなかった。それは教頭先生も同じように証言している」

 「八時、戸村 教頭・・・いたずらはなし」とノートに記される。

「そして、女子トイレのいたずらが見つかったのが、私たちが帰ってからの放課後。戸村先生が見つけたみたい」

 ノートに「一時、戸村・・・いたずら発見」と書いて、「八時」から矢印を「一時」という字に降ろす。

「つまり、午前八時から午後一時までにいたずらは行われたことになる。男子トイレもいたずらがあったそうだから、男子トイレも女子トイレと同じ時刻にいたずらをされたと考えられる」

「じゃあ、トイレに行ったという先生の誰かがやったんじゃないか」

 剣斗が高揚した声を出す。

「いいえ。違うわ」

「どうしてそう言える?」

「だって、さっき言ったでしょう。第二の事件があった日から、先生たちの行動は常に校長、教頭から監視されていた。トイレに行った先生たちの行動も、チェック済み。職員用のトイレは、職員室の斜め向かいにあるけど、教頭先生が見ていた分には、怪しい態度をする人はいなかったそうよ」

「怪しい態度?」

「いたずらは男子と女子トイレで行われていたので、犯人は男子トイレと女子トイレの両方に入ったのよ。トイレの鏡はトイレの中にあるから、入り口の扉を開けなければいたずらはできない。それはつまり、男の先生が女子のトイレに、女の先生が男子トイレに入るという怪しい行為を行わないといけない。実際、そんなことをした先生たちはいなかったと教頭先生が言ってた。教頭先生は戸村先生の行動もチェックしていて、戸村先生がちゃんと女子トイレに入った所も見ている。そして、トイレから出てきた所も直接見ていたというの。その戸村先生は男子トイレに入ることはなかった。」

 ひなたはそう言ってなぜか胸を張った。

「じゃあ、男子の職員と女子の職員の共犯ではないのか?別々に犯行に及んだとか」

 剣斗がしぶとく言う。ひなたは人差し指を振る。

「いいえ。この場合、男子トイレは関係ないの。問題は女子トイレ。考えてみて。女子トイレは午前八時には落書きがなかった。でも、放課後には女子トイレの鏡に落書があった。八時から放課後まで、女子トイレに誰も行かなかったということが肝なの。さっきも言ったように職員室から出て行った先生は全て教頭先生が見張っていた。教頭先生は、放課後戸村先生がトイレに行った以外に、女子トイレに入った人はいなかったと証言しているの」

「じゃあ、その戸村先生が犯人じゃ?」

 剣斗が言うと、

「それも違うわ。戸村先生は放課後トイレに行ったとき、入り口に入るなり、鏡の落書きを見つけて、あわててトイレから出てきた。マジックで×と描く時間はなかったということよ」

 ひなたは大原から聞いたとおりに話した。

「じゃあ、教頭先生がやったんじゃないか」

 剣斗は言った。

「それも、だめ。教頭先生は職員室から出ていない。これは校長先生や他の先生から確認がとれてるそうよ」

「ふーん。そうか」

 椅子にもたれかかり、両手を組んで頭を後ろからかかえる。そんな剣斗の様子は、あきらめのポーズに見えた。

 剣斗は黙って両目を閉じる。

 そんな状態で数分が過ぎる。

黙ってその様子を見守っていたひなたが口を開く。

「ねえ、どうなの剣斗君。分かった」

「・・・・」

 剣斗は目を閉じたまま動かない。

「犯人がどうやってあの密室状態からいたずらをしたのか?それさえ分かれば犯人も見えてくると思うの。どう?剣斗君。どうやったと思う?」

「・・・難しいな」

 剣斗がぽつんと言う。そして、続ける。

「・・・もしかして、誰か学校に住んでないか?ホームレスかなんか。先生たちには分からないようにして」

「それもあり得ないの」

 ひなたは即座に言った。

「なんでだ」

「先生たちからも誰かが学校に住んでいないかという疑問が生まれたの。だから先生たちは、昨日事件が起きた後、学校内を大捜索したそうよ。ごみ箱や掃除用具入れ、先生たちのロッカーなど、人が隠れていそうなところを徹底的に探索したけど、誰もいなかったし、誰かが住んでいたという形跡も見つからなかったと言ってた」

「じゃあ、霊の仕業だ。いたずらお化け、ポルターガイスト。きっと、そうだ。お前たちの学校は呪われているんだ」

「それって本気で言っているの」

 ひなたが冷たい目で剣斗を見る。

「いや、少しふざけた。ごめん」

 剣斗はすごすごとあやまった。

 剣斗は、再び黙り込む。テーブルに両肘をつき、目をつぶって両手の親指で、両側のこめかみをもむ。

 数分が過ぎようとしたとき、

「ねえ。剣斗君。いい加減にして。そろそろ答えを出してよ。どうやって、いたずらがされたと思う?ねえ」

 長い沈黙に耐えかねたひなたが言った。

「ねえってば」

 ひなたが剣斗の腕を握って揺さぶる。

「わ、分からない」

 剣斗が消えそうな声を出す。

「えっ。何て言ったの?」

「分からないって言ったんだよ」

 剣斗が首を振る。ひなたが両腕も広げて、あきれたポーズをする。

「やっぱり、剣斗君でも分からないのね。話して損した」

「全く、今までの時間を返してほしいな。俺たちはまだ昼飯も食べてないんだぜ。ああ腹減った」

 春斗は、お腹をさすった。

「私もお腹へっちゃた。もう帰るわ」

 ひなたが立ち上がると、

「ちょっと、待ってひなたちゃん」

「何?」

 ひなたが剣斗を見下ろした。

「今回、話を聞いたけど、ヒントが足りない。それさえ見つかれば、問題が解決できると思うんだ」

「ヒント?私たちが何かを見落としているかもしれないってこと」

「申し訳ないけど、そうだ。名探偵曰く、探偵の助手は目が効くものでなければならない。起こったできごと、そこにあった物的な証拠を正しく見つけて伝えること。それこそ、探偵の助手の条件であると」

「何か、失礼ね」

「そうだね。自分が名探偵で俺たちが助手であるという設定にも頭にくる」

「すまん。気を悪くしたらあやまる。でも、見落としは誰にでもあると思う。悪く思わないでくれ」

「なんか、その口調も探偵風で腹立つわ」

 ひなたが不愉快そうな顔になる。

「じゃあ、どうすればいいの?」

 ひなたが訊くと、

「流水学院に行きたい」

 そんな言葉が剣斗から出てきた。

「実際に、事件現場に行ってみたいということだ」

「そうか。なるほどね。分かった。それなら今からでも大ちゃんに連絡をとって流水に行こうか?」

 ひなたがスマホを鞄から取り出そうとすると、

「いや、いや。課外を受ける生徒は今は学校にいないだろう。事件が起きたときと同じ状況で調べてみたい」

 剣斗が言った。

「じゃあ、どうすればいいのよ」

 ひなたが剣斗に詰め寄る。

「こんなのはどうだ?俺と春斗が入れ替わるっていうのは」

 剣斗が前のめりになって言う。

「入れ替わる?」

 突拍子のない声を出したのは春斗だった。

「そう、入れ替わるんだ。一日でいいんだ。春斗と俺たちは顔も一緒だろう。入れ替わっても誰も気づかないはずだ。顔認証の機械だって騙せる」

「それは、可能かもしれないけど・・」

 春斗は不安そうな声を出す。

「ううん。そうねえ」

 ひなたは頭を唸って考えると、顔を上げた。

「それっていいかも。第三者の目で事件を見てもらうの。何か新しい発見があるかもしれない。春斗、それやろう」

 ひなたが目を輝かせる。

「俺は嫌だよ。こんなやつが俺の代わりに学校にいくなんて。こいつは何をしでかすか分からないやつなんだよ」

 春斗は剣斗を見る。剣斗はピースをしている。

「やめてよ。剣斗君」

 ひなたは剣斗の態度を注意した。

「私がちゃんと見張るから、一日だけ入れ替りをやってみよう。春斗、お願い」

 ひなたは、拝むように両方の手のひらを合わせた。

「嫌だよ。絶対嫌だ」

「お願い」

 ひなたは両手を合わせたまま頭を下げた。

「おいっ。ひなたちゃんがここまで頭を下げているのに、無視する気か。信じられんな。俺なら、すぐうんと言うぜ」

「お前は黙ってろ」

 春斗はどなった。

「剣斗。お前は、何か楽しそうだなという風に思っているんじゃないか。新しいおもちゃを与えられた子どもみたいに」

 春斗は剣斗をきっとにらむ。

「いやいや。俺は単純にこの事件を解決したいだけだ。ひなたちゃんも困っているから、助けてやりたい。心からそう思っている」

 剣斗は真剣そうな顔で言うが、心の中は分からない。

「それ、本当に言ってるのかよ」

「本当だ。この謎は俺が解く。ひなたちゃんの名にかけて」

 剣斗は右手のこぶしで左胸をたたいた。

「ほら、絶対ふざけてる。ひなたちゃん、助けてくれよ」

 春斗の眉毛を八の字にしてひなたに泣きついた。

「まあ、いいじゃないの。やってみましょうよ、春斗。ゆるしてくれないなら、この麻酔銃で眠らせちゃうぞ」

 ひなたは指をピストルの形にして

「バン」

と、打った。

「ああ、ひどいよ。ひなたちゃん」

 春斗は頭を抱えた。


 結局、ひなたと剣斗に押し切られた春斗は、入れ替わりの案に乗ってしまった。

「一つ条件がある」

 春斗は言った。

「目立つことは絶対にしないこと。これだけは守ってくれ」

「アイアイサー、キャプテン」

 剣斗が敬礼をした。

「ほら、こいつ。ふざけ始めたらどんどんエスカレートしていくやつなんだ」

 春斗が泣きそうな顔で剣斗を指さす。

「大丈夫だって、私がしっかり手綱を引いていくから心配しないで。いいわね、剣斗君。何か、やったら」

 ひなたはシュッとこぶしを剣斗の目の前に突き出した。

「そう言えば、ひなたちゃんは空手の有段者だったね」

 剣斗はひなたが中学校の空手の大会で、優勝したことを思い出した。

「何かあったらこれだからね」

 ひなたは手のひらの甲で、剣斗の胸を叩いた。結構重い衝撃が胸に伝わり、剣斗はごほごほと咳をした。

「それから、このことは、大ちゃんにも内緒ね。入れ替わっていることは、私たち3人しかしらない」

 ひなたは誰もいないのに声を落として言う。

「うん。ぜひそうしてもらいたい」

 春斗は何度もうなずいた。

「じゃあ、課外を受けている友達のことを話すね。名前もある程度は覚えてもらうわよ」

「分かった」

 剣斗がそういうと、ひなたのお腹がグーと鳴った。

「お腹すいたな。何か食べるものない?」

「カップ麺ならあるけど」

 春斗は椅子から立ち上がった。


   流水学院の情報を共有する


 カップ麺の食事を終えた後、ひなたは再びノートを開いた

「じゃあ、流水学院の情報を教えるね」

 ひなたはペンを握った。

「流水学院高校の一年生は四クラスあって、私たちは一年一組よ。ええと、春斗。四月の最初にとったクラス写真はある?」

「ああ、もってくる」

 春斗は自分の机の引き出しから、クラス写真を持ってきた。

「課外を受けている人は、一組では十一人いる。まず、私の親友水森美緒。美緒は成績優秀で、常に学年十番以内に入っている。学級委員もしているわ。何事も冷静に

判断してくれていて、頼りになる姉貴という感じ」

 ひなたは、写真上で美緒をペンで指さした。

 そこには、短く揃えられた黒髪に銀縁メガネの女子生徒がいた。細面の顔に少しとがった顎は意志の強さを示している。

「そして、その隣にいるのが、丸尾蓮。蓮は、いつも人からウケることを考えている。とにかく軽いやつ」

 ひなたが写真の丸尾蓮を指さす。薄い眉毛に小さい目。あまり印象には残らないタイプだ。

「蓮は要注意。結構春斗に絡んでくるわ。からかったり、身体を触ったりいつもしてるよね」

 ひなたが春斗に言う。

「うん。あいつ変態だからな。それが仲のよい証拠だと思っている。そんなやつだ。だからくれぐれも邪険に扱わないでほしい」

「私が危惧するのはそこ。蓮のからかいや突っ込みなどしっかり受け止めなきゃ、すぐに春斗じゃないとばれるわ。そこはうまくやってほしい」

「うまくって?」

「とにかく、蓮が喜ぶように反応すればいいんだよ」

 春斗が答える。

「そうよ。とにかく、蓮が『今日の春斗はどこか冷たいな。お前本当に春斗なのか』とならないようにしてね」

 つんつんとひなたは剣斗の肘の先を人差し指でつついた。

「なんか、面倒だな、その蓮と言うやつは」

「あいつ、結構勘がいいから、気を付けるにこしたことはない。もしも、あいつに見破られたら、今課外に来ているみんなや先生たちにすぐ広まってしまうからな。あいつはおしゃべりだから」

「そんなやつ。俺苦手」

 剣斗は蝿を追い払うように手を振った。

「とにかく、私たちが仲の良いグループは、この蓮と美緒の四人。覚えておいて」

「ああ、分かったよ」

 剣斗は渋々うなずく。

「じゃあ、次に進むわよ。次は、この加藤悠馬」

 ひなたが彼を指す。

 写真の加藤は、にらむようにこっちを見ている。

「ぼくたちの中で、特に校則に対して反抗心を持っているのは、この加藤だと思う。加藤の友達グループは学校に対しての不満をよく口にしている。だから、私たちは休み時間、加藤を中心に監視していた。」

 春斗がうなずいた。。

「そして、この木下夕海と尾上紗良。彼女たちはいつも一緒にいる。トイレだって一緒に行っている。廊下を歩くときはいつも手をつないでいる」

 写真上の夕海はぽっちゃりとした体型で背が小さい。紗良は背が高く、かなり細身だ。二人ともバスケットボール部に所属している。

「他には・・・・」

 ひなたたちは、他の友達についての情報を教えた。

「一組の人はこれぐらい。後は他の組の人だけど、主要なメンバーだけ教えるね」

 ひなたと春斗は、それぞれが知っている情報をできるだけ詳しく話した。

 ひなたはふと、壁にかかっている時計を見る。

「やばい。もう、三時過ぎか。買い物に行く約束を忘れてた。私、もう帰るね」

 そそくさと帰る準備を始めたひなたに向かって、

「ねえ、ひなた。本当にやるの?入れ替わり」

 春斗がしつこく確認する。

「そうよ。やるのよ。ここまでやったんだから、もう止められない」

 ひなたがきつい目で春斗を見る。

「そうだよ。ひなたちゃんの言うとおり」

 剣斗がにやにや笑って言うと、

「ちょっと、ストップ」

 ひなたは天井に向かって人差し指を立てた。

「ほら、そこ。春斗は私に向かってひなたちゃんとは言わないの。ひなたよ。まず、そこから直してね」

「はあい」

 剣斗は間延びした返事をした。

 ひなたを玄関まで送ってリビングに戻ると、春斗は剣斗に聞いた。

「これで良かったのかな?」

「ああ、間違いないね」

 剣斗は冷えたカップラーメンの汁をすすった。


       入れ替わりの朝


 その日は、朝から晴れていた。それも、雲一つなく。

 暑い一日の始まりだ。

 剣斗が自分の家を出ると、すぐに、

「春斗、おはよう」

と、声がした。振り向くとそこにはひなたが立っていた。

「どう?うまくやれた?」

 流水高校の課外に、剣斗が出かけることが、剣斗たちの母にばれなかったかを聞いているのだろう。

「ああ、大丈夫。おふくろは昨日も残業で遅く帰ってきて、まだ、寝ている。ばれてない」

「起きてきて、剣斗がいなくて、春斗が家にいたらばれるんじゃない」

「大丈夫。俺、ちょくちょく図書館に行くと言って家を出るから」

「図書館に行くと言って家を出るって、本当は何処に言っているの?」

「ネカフェに決まっているじゃないか。ネカフェで株の売買をやっている。家のパソコンより安全だ」

 剣斗は当たり前のように言う。ひなたはあきれた顔になった。

 バスに乗り、流水学院に一番近いバス停で降りる。

 流水学院のグレーの制服を着た学生が多くなってきた。

 すると、いきなり、剣斗の頭に衝撃が走った。頭を思いっきり叩かれたのだ。

「いてっ、何するんだ」

 剣斗は頭を殴ったやつをにらんだ。

「何?春斗。いつもの挨拶だろう。いつもの」

 その男子生徒は不思議そうに剣斗を見る。そういえば、顔に見覚えがある。昨日写真で見た。確か・・・

「もう、蓮。相変わらずね」

 ひなたが蓮に言う。

「あれっ、ひなた。お前たち一緒に来てるんか?」

「そうよ。今日はちょうど同じ時間に一緒になったから」

「おお、そうか、そうか」

 蓮はそう言いながら、剣斗の股間を触ろうとする。

「おいっ、やめろよ。この変態」

 剣斗はさっと蓮の手を払う。

「なんだよ、今日はつれないな。なあ、ひなた」

「今日は少し春斗は気分が乗らないみたいなの。何か睡眠不足なんだって。ねえ、春斗」

「あああっ」

 剣斗はわざと口を大きく開けてあくびのまねをした。

「さあ、早く行きましょう」

 ひなたが剣斗の腕を引っぱって歩き出した。

 横の道から、また違う学生のグループが合流してきた。

「ひなた、おはよう」

 その内の一人の女子が声を掛けてきた。

「あっ、確か君は水森美緒さんだったね。なかなか勉強ができるって」

 剣斗から声を掛けられた美緒は少し引き気味になった。

「何訳が分からないこと言っているの?」

 美緒は剣斗の顔を覗き込む。

「春斗は寝不足で調子が悪いってさ」

 蓮が美緒に言う。ひなたが「うんうん」とうなずく。


 ひなたたち四人が門をくぐると、生徒の昇降口の前には、列ができていた。その先にはコロナ過で設置された体温測定装置が設置してある。

 その装置の横には、いつものように生徒指導の岩田が立っていた。

「おいっ、ちゃんと並べよ。測定機のチェックが終わったものは、一人ずつ校舎に入れ」

 第2の事件が起きてから、チェックがより厳しくなった。一人一人の間隔を広くして、チェック漏れがないようにしている。

 最初に並んだひなたは一歩出て体温測定器に顔をかざす。

 ピンポンと音が出る。

「次、剣じゃなかった春斗の番」

ひなたは少し緊張した声を出した。

「分かった」

 剣斗が顔をかざす。

 測定器はすんなりピンポンという音を出した。顔認証は無事スルーできたようだ。

 顔の下に21という番号が出る。

 そのまま、昇降口の扉を通って校舎の中に入った。

 剣斗は一階の廊下の左右を見た。渡り廊下に通じる扉はしっかりと閉まっていた。

 階段を二階まで上ると、三階に通じる階段に人が立っていて、三階までの通路を塞でいた。

「ああ、大ちゃんじゃなかった、大原先生おはようございます」

 ひなたがその人物に挨拶をした。

「あれが大原先生」

 ひなたが囁くと、

「あっ。ひなたちゃんが大ちゃんと言っている先生か。確か、春斗と三人で犯人捜しをしているんだよな」

「しっ」

 ひなたが唇に人差し指を立てた。

「ああ、ちょっと美緒。私たち大原先生と話があるから、先に行ってて」

 美緒に言う。

「わかった。席取っておくね」

「じゃあ、おれもいくわ、春斗」

 蓮は美緒について教室に向かった。

 ひなたが大原の所にまで、階段を上った。

「あのう、大ちゃん。後で、この人にトイレや音楽室など見せたいんだけど?」

「この人って、春斗だろう」

 大原がいぶかし気に言う。

「そうだった。いや、もう一度、事件があったところを見たくて」

「そういうことか。分かった」

「教室に荷物を置いてくるから、よろしくね」

「ああ」

 大原は軽くうなずいた。

「じゃあ、行こうか」

 ひなたは階段を下りる。

「どうも」

 剣斗は大原に会釈する。

「うん?」

 大原はなんとなく他人行儀な態度に首を傾げた。

 二階の廊下に出るとすぐ、課外があっている一年一組の教室があった。

 左側を見ると、その先には白衣を羽織った教師が立っていた。第三校舎に通じる渡り廊下の手前だ。

「あれは、理科の門松先生。実験はないのに、いつもあの格好」

 ひなたは顎で門松を指した。そして、その反対の方向に顔を向ける。

階段から上がって左の渡り廊下の入り口。門松と対称という形で、一人の教師がこちら側を見て突っ立っている。

「あれが数学の北村先生。どう、ちゃんと私たちが他の校舎に行けないように封鎖しているでしょう」

「ふむ」

 剣斗はあごをさわった。

「じゃあ、教室に入りましょう」

 ひなたは剣斗の腕を引っ張った。

 一年一組の教室の後方の入り口に向かう。

「おはよう」

 ひなたは挨拶をして入った。

「おはよう」と何人かの生徒が挨拶を返した。

 剣斗が一歩教室に入る。

 「多いな。なんか、一つの教室に詰めこんだという感じだな。一体何人いるんだ」

 剣斗が教室を見渡す。

「それは昨日話したでしょう。46人よ」

「そんなにいるのか?信じられない」

「学校側もこれほど課外希望者がいるって分からなかったみたい。予想外だったそうよ」

「しかし、多すぎる。俺たちの高校なら、これほど多いなら二クラスにするな」

「そうよね。私もそう思うわ。でも、仕方ないじゃない。文句言わないの」

 ひなたが見渡すと、前の方に座った美緒が手招きをした。

 ひなたが机の間を進みだした。

 剣斗も後を追う。

 前から三列目に剣斗たちは座った。

「ところで、柏原琴音って子はどこにいるの?」

「どうして知ってるの?昨日、教えたかな」

「いや、いろいろとね。彼女はこの学校で一番頭がいいんだろう」

「そうよ。柏原さんなら、一列目の真ん中にいるけど・・・」

 ひなたが話している途中で、剣斗は前に歩き出した。

「ちょっと、やめてよ」

 ひなたが声を掛けるが、止まらない。

 すっと歩いて、柏原琴音の前に立った。

 琴音は英語の問題集を開いて、問題を解いていた。この高校では習っていない相当高いレベルの問題だ。多分、自分が通っている塾の宿題かなにかだろう。

「へえ。結構レベルの高いやつやってるんだ」

 剣斗は彼女の問題集を覗き込む。

「ん?何?」

 琴音が顔を上げた。鼻筋がまっすぐに薄い唇に伸びている。バランスの取れた輪郭は、その鼻を中心軸にしてきれいなシンメトリーになっている。目は切れ長で冷たい感じはするが、端正な美人と言っても過言ではない。

「おっ。なかなかいいな。春斗が熱を上げるのも分かるな」

 剣斗はにやにや笑った。

「何よ。確か、一組の神川くんと言ったわよね。何か用?」

 琴音の言葉は機械から発っせられたように抑揚がない。

「あっ、俺のこと知っているんだ」

 剣斗が自分を指さす。

「まあ、課外も一週間が過ぎたので、全員の顔と名前くらいは覚えたわ」

「あっ、そうなんだ。いや、用事なんて何もない。ごめんな」

 剣斗は自分の席へと歩き出した。二、三歩進んだあと、立ち止まる。

 琴音は何もなかったように、問題集に顔を戻している。

 剣斗は身体をくるっと回すと、琴音の耳に口を近づけた。

「問題4の③の問題、間違っているよ。答えはインスティンクト。訳すと本能、直観かな?」

「えっ」

 琴音のペンが止まる。

 琴音は直ぐに答えのページをめくる。問題4の③に目を落とす。

「インスティンクト」間違いない。

「ど、どうして」

 琴音は答えのページを開いたまま、剣斗の方を見る。その目は見開かれている。

 すると、そこにはひなたから耳をつままれて、痛そうに顔をしかめている剣斗がいた。

「あいててて‥何するんだよ」

「何が何するんだよよ。ちょっと廊下に出なさい」

 ひなたは剣斗の耳をつかんだまま、教室から出て行った。琴音はぽかんとして見ている。

「ちょっと、春斗君から目立たないように言われたでしょう。分かっている」

「分かっているよ」

 その言葉を聞いて、ひなたは剣斗の耳から手を放した。

「じゃあ、今のは何?」

「今のって、間違えていたから教えてやったんだよ」

「だから、それがダメだって言っているの」

 ひなたは腰に手をやった。

「それって目立つでしょう」

 ひなたは強い口調で言った。

「別に。間違っていた時には教えてあげる。当然のことだろう。それが人の思いやりってことだ」

「普通はそうだけど、今は違うわ。今回のことで、柏原さんの春斗に対する印象が変わったじゃない。春斗は英語が得意だと思われたわ」

「それがどうかしたか?それはそれで、春斗はうれしいんじゃないか。好印象になって」

「いいえ、そうじゃないでしょう」

 ついつい大声になったひなたの方に、そこにいる人たちの眼が集まった。

「だから。それって、本当の春斗のことじゃないでしょう」

 ひなたは声を小さくして、廊下の端に剣斗を押しやった。

「もちろん、そうだな」

「明日、本物の春斗君がきたら、柏原さんは春斗君を英語が堪能だと思って接すると思うわ。分からない問題があったら、春斗君に訊くかもしれない。当然、春斗君は分からない。これって、やばいんじゃない」

「まあ、そうかな」

 剣斗はそっけない態度だ。

「ちょっと。もう少し重く考えて。それだと春斗君が困ることになるでしょう。その状況を春斗君は恐れているの。明日学校に来たら、みんなの春斗君を見る目や人間関係も変わっていて、自分が一人取り残されてしまった状況。いわゆる、超短時間浦島太郎状態になるのよ」

「超短時間浦島太郎状態。上手だね、ひなたちゃん」

「そんなところほめないでいいの。とにかく、いつもの春斗君みたいにふるまって」

「いつものって、おれ、いつもの春斗って知らないぜ」

「分かるでしょう。あくまで、平凡。頭も悪くなく、よくなく。人に対しても、自分の考えを押し付けたりしない。と言って、自分の意見を言わないわけでもない。やさしさだけは人並み以上のものをもっているけど、他はそこそこ。一般的で平均的な人間なの」

 剣斗は小指で耳のあなをほじくって聞いている。

「とにかく、目立たない。いいわね」

「分かった」

 剣斗は小指の先に息を吹きかけた。

「じゃあ、授業が始まる前に現場検証と行きましょう」

「おっ。いいね」

 ひなたと剣斗は階段に向かう。そこにはさっきと同じ場所に大原がいた。

「先生、春斗と二人で事件があったところを見てくるわ」

「ああ、分かった」

「それから、他の所にも行きたいんだけど」

「うむ、頼む」

 大原はひなたたちにしか聞こえない声で言った。


   剣斗、現場検証に向かう


 ひなたと剣斗は、第三校舎三階にある第2の事件が行われた音楽室へ向かう。事情を大原から聞いているのか、二階の第三校舎につながる渡り廊下に立つ門松は、二人が通るのを制止しなかった。渡り廊下の途中で、剣斗はひなたを越して前に行った。勢いよく階段を上がる。三階に上がると剣斗の足が勢いを増した。一瞬で右奥にあるの音楽室に着いた。

 剣斗は音楽室の扉を開ける。

 日頃の授業が行われていない音楽室はがらんとしている。いつも並べられている小さい台が付いた椅子は側面の壁に立てかけられいて、フロアの床がむき出しになっている。前方にはピアノが一台取り残されたように佇んでいて、後方には楽器が窮屈そうに寄せ集められている。カーテンが閉められているので室内は暗い。

「パッチッ」

剣斗はスイッチを入れる。ぱっと音楽室が明るくなる。

 後ろの壁を見ると、他の壁に比べて白く薄くなった長方形がいくつも並んでいる。

「ははあ、いたずらされたポスターをはずした後だな」

 剣斗は見上げる。

「そう」

 ひなたがうなずく。

「で、いたずらされたポスターはどこにあるの」

「たしか、あっ。あれじゃない?」

 ひなたは木琴の上に置いてある紙に目をやった。

「どれどれ」

 剣斗が手に取る。

「ああこれか。ヘンデルに、バッハ、ハイドン・・・ぷっ」

 落書きされたポスターを数枚めくった剣斗は思わず噴き出した。

「この落書き、おもしれー」

 それらの頭が真っ黒く塗りつぶされている。もとは、ヨーロッパの貴族がセットしている灰色や白でカールされた頭髪だったのだろう。黒く塗られた隙間からわずかに白い下地が見えた。

「そして、これが・・・ベートーベンか」

 剣斗は手を止めてまじまじと見た。

「あははは、最高だな。こわくにらんだベートーベンもおかっぱ頭のいかめしいおじさんだ。はっはは」

 剣斗は肩を揺らして笑った。

 一通りポスターを見て、それを木琴の上に置くと

「いや。いや。このいたずらをした者にアカデミー賞をあげたいよ。ははははは、痛快、痛快」

 剣斗の笑い声は止まらない。音楽室全体に響く声で笑いながら拍手する。

「もういいでしょう。授業が始まるまで、時間があまりないのよ」

 ひなたがその笑いを制止した。

「いやあ、すまない。久しぶりに笑ってしまった。本当、これやったやつは天才だな。参った、参った」

 剣斗の賛美する言葉はつきない。

「で、ここに貼ってあった紙はどこにあるの?校則のパーマや髪染めは禁止ってやつ」

「ああ、あれはないみたいね」

 ひなたは楽器の周りを見渡す。

「先生たちが処分したのよ、きっと」

「ふうん、そうか。残念だな」

 剣斗も置いてある楽器の間を動き回って、その紙が無いか確認した。結局、その紙はそこには見当たらなかった。

「じゃあ、剣斗くん。次にいくわよ」

 ひなたは音楽室の電気のスイッチを切る。

「次って」

「次は、二階の職員トイレ」

「第3の事件があったトイレね。」

 剣斗とひなたは音楽室を出る。

 階段を降りると、踊り場に大原がいた。

 大原に会釈をした後、通り過ぎようとすると、

「おいっ、春斗」

 大原が名前を呼ぶ。

 剣斗は、呼ばれたことに気づかずに、階段を下りていく。

「おいっ、春斗、春斗」

 何度も呼ぶ大原に、

「先生、今、春斗くんは名探偵モードに入ってます。謎解きに集中すると外部からの声は聞こえないみたい」

 ひなたが取り繕った。

「こんなやつだったか?春斗は」

 大原が尋ねる。

「ああ、多分そうです」

 ひなたはそういうと、剣斗の後を追った。

 剣斗は、職員室に通じる右の渡り廊下に立っている北村に止められている。それを見たひなたは、後ろを振り向いて、大原を見る。ひなたの気持ちを察した大原は、階段を下りてくる。

「ああ、そいつらはいい。俺が一緒に行くから、通してやってくれ」

 大原が北村に言う。

 事情を知っているであろう北村は、黙って身体を壁側に移動した。

「すみません」

 ひなたと剣斗がそれをすり抜ける。

「北村先生はちょっとの間、廊下と階段を見張ってください」

 大原が言う。

「分かりました」

 北村は階段も見える場所に移動した。

 大原も職員トイレに向かう。

 ひなたと春斗はすでに男子用のトイレの前に立っていた。

「まずは、男子トイレな」

 大原は自分の上靴を脱ぐと、タイルの上にある足元のトイレのスリッパに足をつっこんだ。目の前には白い扉がある。それを開けると、右側に手を洗う洗面台があり、その壁の顔の高さに、鏡が設置してある。

「そこから見えるだろう。この鏡に落書きがしてあったんだ。今は消えているが」

 大原が扉を開けたまま話した。

「女性のトイレもこれと同じ作りだ。扉を開けると右手に鏡がある」

 ひなたと剣斗は女子トイレの前まで行った。扉は開けることができないが、外側からでもそのトイレが男子用トイレと同じ構造であるのが分かった。

「女子トイレも男子トイレも、昨日の課外授業中にいたずらがされていたということですね」

 剣斗が尋ねると、

「ああ、その通りだ」

 大原が面倒くさそうに言った。

 剣斗は男子、女子トイレを交互に見た。

「ねえ、何か分かった?」

 ひなたが聞く。

「ううん。何も」

「そうか、仕方ないね。じゃあ、次に一番目のいたずら事件の場所に行きましょう」 

 三人は生徒の昇降口に降りた。

 剣斗はそのドアを開けようとするが施錠されて開かない。その直ぐ先に、閉まっているシャッターがある。二重の壁でしっかり校舎が閉ざされている。

「職員の靴がひもでくくって置いてあったのは、この辺りか?」

 剣斗は四列に並んだ生徒用靴箱を見て言った。

「そう、『白の靴以外で、登校してはいけない』という紙と一緒に入っていたの」

 ひなたは実際に職員の靴が入っていたであろう場所を指さす。

「ふん、そうか。ここに職員の靴はここにあったんだな」

 剣斗がうなずく。すると、

「おい。春斗。お前さっきから職員、職員ってなんだ。先生と言えよ、先生と」

 大原が注意をした。

「えっ?」

 剣斗が不思議そうな顔をする。

「あっ、すみません。そうよ、春斗くん。職員じゃなくて、先生よ。いいわね」

 ひなたがニコッと笑って剣斗を見る。その目は笑っていない。

「はい。先生ですね。先生」

 剣斗は姿勢を正して言った。

「何か、お前ら、ギクシャクしてないか」

「ギクシャクなんてしてないです。ねえ、春斗」

「うん、ひなたちゃん」

 剣斗のその言葉を聞いた大原がすかざす言った。

「ひなたちゃん?お前、いつから友永のことをちゃんづけで呼んでるんだ。いつも呼び捨てでひなたって呼んでいただろう」

「そ、そうでしたっけ」

「うむ、そうだった。何かあったのか、お前ら」

「いいえ、何も。そうでしょう。は・る・と」

 ひなたが春斗を強調するように言った。

「もちろん。ひ・な・た」

 剣斗もそれに合わせる。

「まあ、いいか。今は特別だからな。事件が起きて戒厳令が出ている状況だ。いつもと様子が違っても仕方ない」

 大原は一人で納得した。

 昇降口のすぐ横にある事務室を過ぎて、物品倉庫、その隣の職員の玄関へと進む。

 畳二畳ほどの広さの靴の脱ぎ場があり、その横に職員の靴のロッカーがあった。扉は閉まっていて、その先も生徒の昇降口と同様、シャッターで閉ざされている。

 剣斗がロッカーの前にしゃがみこむと、

 キーンコーンカーン

 朝の始業開始のチャイムが鳴った。

「おっ、こんな時間か」

 大原が顔を上げた。

 大原は階段の方に歩き出した。

 ひなたは剣斗に向かって囁く。

「ねえ、何か分かった?」

 ひなたはトイレの時と同じ言葉を剣斗に投げかけた。

「・・・・・」

 剣斗は黙って首を振った。


        校長VS琴音

 

 ひなたたちが、教室に戻ると、ひなたと剣斗以外の席は全て詰まっていた。

「みんな、まじめか!」

 剣斗が言い放つように言った。

「しっ、黙って。座るわよ」

 ひなたが自分の席に着く。それにならって剣斗も自分の椅子に座る。

 教室の前方に大原が立っている。

「今日も全員出席か。えらいな」

 大原が声を出した。

 すると、がらっと教室のドアが開く。

「教頭先生」

 誰かがつぶやく。そして、その後ろには高野が見えた。

「校長先生も、どうして?」

 教室がざわつき始める。

「みんなに聞いてもらいたいことがあります」

 おもむろに、栗橋が口を開いた。

「実は校舎内に、また、いたずらがありました」

「ええっ」

 驚きの声が挙がる。

 この中に、きっと犯人がいるんだ。驚くような声を出して、内心ではほくそ笑んでいるやつが。ひなたはそう思った。

「みなさんも知っているように、これで三回目です。もう、いい加減にしてもらいたいものです。平和な学校生活にもどりたい。そうでしょう、みなさん」

 栗橋の迫力ある言い方に、誰も異議を唱えない。

「今回は校長先生がまた、みなさんに話をされたいということで参りました」

 栗橋がよく通る声で言った。

「校長先生、お願いします」

 名前を呼ばれた高野は、教卓の前に立った。

「まずは、昨日あったことから話をします」

 穏やかな声で高野は話し出した。しかし、後の後半になると、高野の口調が荒々しいものになっていった。 

「あなたたちは、私たちを馬鹿にしているのか」

「あなたたちは、何をしに学校に来ているのか」

「このまま誰も出てこなかったら、将来、どんな大人になるのか分からない」

「直ちに、事件を起こした人は名乗り出なさい」

 と強い言葉が次々と連なる。

 興奮しすぎたと自覚した高野は深呼吸をして息を整えた。

「とにかく、課外はあと三日です。何事もなく、過ごせることが私の願いです。事件を起こした人はいつでもいい、名乗り出てください。校長室で待っていますので。以上です」

 教室の端から端までを見渡して、高野が話を終わらせた。

 そのとき、

「はいっ」

と、手が挙がった。四組の柏原琴音である。

「柏原くんだったね。何ですか?まさか、あなたがやったとか・・・」

 大原が言った。

「いいえ、違います。校長先生に質問したいことがあるのです」

「ん?何かね」

 高野が言うと、琴音は席を立った。

「今、あっている事件はあるものに抗議するために行われたものだと思います。そのご自覚はおありですか?」

「抗議?何の?」

 高野は少し首をひねった。

「校則に対する抗議です」

 柏原は当然のように言った。

「校則。ああ、そうだな。いたずらされたとき、校則の内容についての紙が貼ってあったな。いたずらの内容もそれに関する物のようにも思える」

「思えるって・・・。私は校則に対する抗議だと考えます。とぼけないでください」

 柏原がズバッと言った。

「とぼける?とぼけてなんかいない。あれはただの、なんだ、めくらましだ。ただ目立とうと思ってやったいたずらだ」

「いいえ、私は違うと思います。この学校の校則はひどすぎます。理不尽なこと、この上ないと思えるものも多々あります。それを直してほしいという気持ちから、このいたずらがされたものだと私は考えます」

 ここで琴音は一旦口をつぐんだ。そして、少し息を吸うと疑問を校長にぶつけた。

「校長先生は、そんなひどい校則を見直そうという意思はありますか?」

 柏原が鋭い視線で高野を見る。

 高野はその視線を受け止めた。

「校則を見直す?そんな考えはありません。これっぽちもです。」

 高野はぐっと琴音をにらみ返して話を続けた。

「この学院の校則は、完璧なんです。学院の創立時から受け継いでいる素晴らしい伝統の一つだと考えています。それを変えるなんて・・・ありえないことです」

 琴音は臆せずに高野に言った。

「ですが、その校則が私たちの生活を窮屈なものにしています。それはご存じですよね」

「窮屈?」

「はい、窮屈です」

 琴音は毅然とした態度で話した。

「窮屈。結構じゃないか。窮屈、まさに学校生活にふさわしいものだ。今まで、自由で、自分勝手に生きてきた君たちにとって必要なものじゃないかね」

 高野がひげを触って言う。

「ひどい」

「いやだあ」

 そんな声が生徒たちから上がる。

「でも、それは・・・」

 柏原が続きを話そうとすると、

「もういい。この話はこれまでだ」

 高野の声は猛々しい。

「・・・」

 琴音は絶句した。

「座りなさい」

 栗橋が甲高い声で入ってくる。 

「校長先生のお考えがこれで十分に伝わったと思います。校長先生はもうこれ以上お話されません」

 琴音は憤慨した表情で椅子に座った。

「課外もあと三日。みなさん、平和に過ごしましょう。もうこのような事態が起こらないことを心から願っています」

 冷静さを装った声で、栗橋が話をまとめた。

「グッ」と柏原はこぶしを握った。いや、それと似たような行為を行った者は、柏原以外にもいたはずだ。

 高野と栗橋は、生徒たちの方は見ずに教室を出て行った。

 嵐が去った後のように、生徒たちは呆然としている。

 そのとき、

「パンパン」

と、教室に残された大原が手をたたく。

「それじゃ、いつものように授業を始めようか。確か、問題集の54ページからだったか?」

 大原が問題集をめくる。

「先生、少しひどいと思いませんか?」

 声を出したのは水森だった。

「何がだ」

 大原がとぼけたように言う。

「校長先生の態度です。頭から押さえつけて、俺の言うことを聞けと言う傲慢な態度にしか思えませんでした。これでいいんですか」

 思わず水森は立ち上がっている。水森は柏原を見る。

 高野に打ち負かされた柏原は、涙を出さないように必死にこらえている。

「そうです。あんな言い方はひどいじゃないですか」

 ひなたも声を出す。

「でも、仕方ないだろう」

 一番前の列に座る伊東蓮也がつぶやく。

「俺たちはそんなひどい学校に入学したんだぞ。それも、入試まで受けて」

「確かに、入学を希望したのは私たちだけど・・・」

 ひなたの発言の歯切れが悪くなる。

「でも、ひどいと思います。私たちの人権が無視されているようで、めちゃくちゃ不愉快です」

 美緒は怒りの表情だ。

「そうそう」

「私もそう思う」

 座っている生徒たちからもつぶやきが漏れる。

「そもそも、だいたいがだな・・・」

 そう言って、剣斗が立ち上がろうとするのを、ひなたが止める。ここで、剣斗をこの話に入れるわけにはいかない。きっと、かなり過激な話を持ち出すに決まっている。

文部科学省に直談判しようとか、新聞社などマスコミにたれこもうとか、SNSをフル活用して、こんな学校をぼっこぼっこにしようだとか言いかねない。

 ひなたは渾身の力をこめて、剣斗をにらんだ。

 その迫力にひるんだ剣斗は、椅子に座ったまま固まった。

「分かった。分かった」

 大原がみんなを抑えるように両方の手のひらを動かした。

「お前たちのいうことは痛いほど分かる。あの校長、いや、校長先生の態度はゆるせないよな。俺がもしお前たちだったら、学校に爆弾でも仕掛けるかもしれない。・・・いやあ、これは冗談だけど」

 大原のジョークにみんなは白い目を向ける。

「今回の事件は、起こるべきして起きた事件だと思うが、校長はあんな性格だ。今、校則をどうにかしろと言われても、なかなか難しい。とにかく、教頭が言うように、あと三日。平和に過ごそう」

「そうは、言っても・・・」

 水森が詰め寄ろうとすると、

「すまん」

 大原が頭を下げる。

「先生がどうして謝るのですか!」

 水森の追求は続く。

「みんなには嫌な思いをさせた。本当にすまん」

 大原が頭を下げたままで言う。

「なんか卑怯よね」

「そう」

「また、問題を棚上げするんだね」

「ひどいよね」

 声が次々と上がる。その声には諦めの色がにじんでいる。

「もういいから」

 みんなのつぶやく声より、大きな声が聞こえた。一列目に座っている松山葵だ。

「先生、授業を始めてください。校長先生の話で授業が遅れてしまったから。時間がもったいない」

 葵は、強い口調で言った。

「おい、おい。それはないだろう」

 白石晃大が立ち上がる。

「今、大事な話をしてるんだろう。これからの俺たちの学校生活にかかわる」

「じゃあ、話をしたら何か変わるとでも思っているの?」 

 葵は晃大をにらむ。

「いや、それはないかもしれないけど・・・」

 晃大の勢いが止まる。

「どうにもならない話をしても仕方がない。授業を進めましょう。先生、お願いします」

 伊東星也も葵に味方する。

「分かった」

 大原は再び問題集をめくった。

 ガタガタと問題集を机に出す音が聞こえた。

 憤然としている生徒もいるが、周りに合わせる生徒が多くなってきた。

 その様子を見た晃大は黙って腰を下ろした。

「じゃあ、いいか。問題集の54ページ。昨日は意見文の要旨を的確にまとめる方法を学習したな。今日はその発展問題だ」

 大原が黒板に要旨と書く。

「要旨の学習は、小学生の高学年から始まっている・・・」

 いつもの授業が始まった。


         剣斗VS数学教師


 二時間目は数学の授業。

 当たり前のように北村が黒板に問題を書いている。

「昨日は、微分積分の問題を解いてきたが、今回は軽い発展問題を出すぞ」

 黒板に問題を書き終わると、北村が板書したものを読みだした。

「『(1)曲線Y=Xの三乗マイナス七Xプラス6とX軸で囲まれた・・・・。 

 (2)① 点(2,3)から曲線Y=Xの二乗に引いた方程式・・・・・・。

② ①で求めた二本の接戦と曲線Y=7Xの二乗で囲まれた図形の・・・』

 これが問題だ。昨日教えたインテグラムを活用すれば割と簡単に答えが出るぞ。計算は結構面倒だけどな。」

 北村はパンパンと手をたたき、手に付いたチョークを落とした。

「さあ、やってみよう」

 北村の掛け声に、生徒たちはノートを開いて、ペンをもった。下を向いて必死にペンを動かし始めた。

 静まり返った教室に、カリカリという音だけがする。

 北村は自分が出題した問題に、生徒たちが一心不乱に向かうこの時間好きだった。自分が出したミッションを必死に果たそうとする生徒たち。その時、北村はこの時間の支配者であるような気がした。

 ふと見ると、まだ、顔を上げている生徒が一人いる。他の生徒はみんな問題に格闘している。頭を下げてペンを走らせている。しかし、その生徒は教室の上を見て、無表情で、机に指を動かしている。机の上にノートなど出てない。

 その生徒の指がぴたっと止まる。そして、椅子の背にもたれかかった。

 確かその生徒の名前は、神川春斗だったか?

「おいっ。神川。お前何をしてる。ノートを出して早く始めなさい」

 すかさず、北村が注意した。

「始めろって、何をですか?」

 とぼけたように剣斗が言う。

「問題を解くのをだ。分からないなら、昨日やった問題を見るんだな。そこに、ヒントが乗っている」

 北村が言う。

「終わりました」

「何?」

「終わりました」

「終わったって、この問題がか?」

「はい」

「おいっ。まだ問題を出して、一分もたってないんだぞ」

 北村の口調が荒くなる。

「はい。でも終わりました」

「そ、そんなはずあるか」

 北村が声高に言う。

 みんなの顔が上がる。今まで、問題に没頭していたひなたは、そこで、やっと由々しき事態が起きたことに気がついた。

「ちょっと、剣、じゃなかった春斗。あなた何言っているの」

 剣斗を見る。

「ああ、あの先生が問題はできたかって」

「そう訊かれたの?」

「そう」

 二人の会話が続きそうなので、北村はその会話に割って入った。

「ああ、友永だったな。そうだ、君の隣の神川が何もしないでぼおーとしていたので、注意をしたら、もうこの問題ができたと言ったんだ」

「そうなんですね」

 ひなたは剣斗をにらむ。またやったか。

「先生。神川君はちょっとふざけたんだと思います。すみません」

 ひなたが頭を下げる。

「ふざけてなんかいない。もう終わったんだ。とっくに」

 剣斗はぶつくさ言った。

「ほら、そう言ってるだろう」

 北村が言うと、

「そうじゃないでしょう。神川君。しっかりして。分かるわよね」

 ひなたがすごい形相で剣斗に顔を近づけた。

「だって、本当に終わったんだ」

 まだ言うのかという言葉がにじみ出る顔で、ひなたは剣斗をにらみつけた。剣斗は自分に危い事態が起きたことを察した。

「・・・いや、終わってないかも・・・・終わってないです」

 剣斗の意見が翻る。

「いや。それはないだろう。お前は何度も終わったと言った」

 北村が剣斗の方に近づいてきた。

「言いましたね」

「だろう?あれは嘘だったのか」

「・・・・・」

「この問題が終わったと言ったのはうそだったのか?どうなんだ」

 北村は剣斗が座る机を叩きながら言った。

「・・・」

「黙っていては分からないだろう。どうなんだ」

「・・・」

「ふん。神川春斗だったな。お前は私を馬鹿にした。そして嘘をついた。嘘つきめ。チェックしておく」

 北村はそういうと、自分が携えたノートを開いた。

「嘘つきと・・」

 北村はそう言って、ノートにペンを走らせようとした。

 そのとき、

「嘘つきではありません」

 剣斗が小さいがよく通る声で言った。北村のペンが止まる。

「ちょっと、やめてよ」

 ひなたが前かがみになって、剣斗を見ながら何回も首を振る。

「だめよ」

 剣斗にひなたは囁く。

「だめじゃない。このままでは春斗が嘘つき男になる。それは困る」

 剣斗もひなたに囁く。

「神川家の家訓は嘘をつかないことだ。春斗に嘘つき男という烙印を押されることだけは、だめだ」

「おいっ。神川、友永、何こそこそ話をしてるんだ。神川、今、自分は嘘つきではないと言ったな」

 北村が神川に鋭い視線を浴びせる。

「はいっ」

 剣斗は北村をしっかりとした瞳で見た。

「問題が終わったことが嘘じゃなかったということなのか?」

 北村が再び神川の方に近づく。剣斗の隣まで来た。

「そうです。問題は解けました」

 剣斗は北村を見ないで、前だけを見て言った。

「本当だな」

「はい」

「後戻りはできないぞ。本当だな」

「はい。本当です」

 剣斗と北村が顔を見合わせる。

「じゃあ、言ってみろ。答えはいくつだ」

 北村が唾をとばした。

「4分の121です」

 剣斗が即答する。

「4分の121?」

 それを聞いた北村の表情が変わった。北村は早足に教卓の前に戻った。教卓の上のノートを覗き込む。額には深い溝ができている。

「・・・・」

「先生、どうなんですか?」

「合っているんですか?」

 一番前の列の園田や伊東が声を出す。

「いっ、いやあ・・これは」

 北村はノートをにらんだままだ。

「合ってますよね」

 琴音がしっかりした声で言った。彼女は北村と剣斗が問答している間に計算をしていたのだ。

「ああ、まあ、合ってるかな」

 北村はしぶしぶ言った。

「しかしな。俺が出したのは、三問だ。最初の問題が終わったら、次に行くべきだ。それなのに、お前は途中でやめた。それは、よくないこと・・」

「Y=2Xマイナス1とY=6Xマイナス3・・・」

 剣斗は北村の言葉が終わる前に言った。

「な、なに」

 北村が剣斗を見る。

「(2)の①の問題の答えです」

 それを聞くや否や、琴音はノートにその問題を解き始めた。

「ちょ、ちょっと待て」

 北村はノートを見る。

「合ってる・・・」

 北村は目を見張った。

「そして、②の問題の答えは三分の二ですよね」

 剣斗は当然のように言った。

「うそだろう」

 ノートで答えを確認した北村が言う。その答えは正解を示していた。

「お前、この問題の答えを知ってたんだろう」

 詰め寄るように言う。

「いやあ、初めてですが」

「うそをいうな、うそは。こんなに早くできるわけない。それか、まぐれとか」

 剣斗は両手の平を上に向けて、困ったポーズをした。

「まぐれじゃないなら、どうやったか、黒板に書いてみろ」

 バンと黒板をたたく。

「はい、はい」

 剣斗は面倒くさそうに前に出ると、チョークを握った。

 ふーと息を吐くと、チョークから火の出る勢いで、問題を解きだした。

「う、うそだろう」

 その様子を見た北村は先ほどと同じ言葉を吐いた。


 数学の授業が終わった。

 いつも堂々と教室に入ってきて、自信満々な態度で教室から出て行く北村の背中が今日に限っては小さく見えた。

「ちょっと」

 廊下に出ていたひなたが剣斗に向かって、手招きをした。

 剣斗は廊下に出て行く。ひなたは廊下の端で剣斗を待っていた。

「ねえ、どういうつもり?」

 剣斗を前にしたひなたはいきなり切り出した。

「なにが?」

「なにがって、今の数学の話よ」

「ん?」

「北村先生が出した問題を解いたことよ」

「ああ、あれか。あれは仕方なかったことじゃないか?問題を解いてみろと言わたので解いただけの話だ」

「分かる。分かるわよ。でも、違うでしょう」

「何が?」

 剣斗が首を傾げた。ひなたは近くに誰もいないことを確認すると、

「あなたは、春斗くんの代わりに来たんでしょう。目立たないことが約束だったよね」

 ひなたは腰に手を置いて言った。

「それはそうだけど、あの状況では仕方なかったことじゃないか?それともひなたはこれから春斗がうそつき呼ばわりをされてもいいというのか?」

「いや、それは困るけど」

「じゃあ、あれでよかったんじゃない?」

「いや、いや。よくない。最後の黒板いっぱいに問題を解いたのはやりすぎじゃない。グラフを二つも書いてさ」

「うん。そのことに対してはあやまる。でも、問題を解くのに勢いがついた俺は止められないんだ。一つの・・性(さが)っていうか」

「なにが性よ」

 どんとひなたが剣斗のおなかをひじでつく。

「あいたたた」

「あなたはあのとき自分に酔っていたわよね。恍惚の表情になっていたわ」

「・・・」

「いいわね。次の英語の授業では派手なことはしないでね。だいたい、剣斗君は・・・」

 ひなたがそこまで言ったとき、

「神川君、すごいわ」

 剣斗の後ろから近寄ってきた人物がいた。

「柏原さん」

 その人物を見て、ひなたは言葉を止めた。

「あんな問題をすらすら解けるなんて。私尊敬しちゃう」

 琴音の目がうるうるしているのは気のせいか。

「いや、たまたまよ。春斗はネットおたくで、ちょうど同じような問題が出たんじゃない。ときどきあるのよ。あんなことが」

 ひなたは必死に弁解する。

「そうなの?」

「そう」

 ひなたはそう言って、琴音に分からないように剣斗をにらむ。

「そう」

 剣斗も答えた。

「ふうん、そうなんだ。でも、朝は、私の英語の解答を見て、間違いを訂正してくれたわ」

「それも偶然。そうでしょう、えい、じゃなかった春斗」

 ひなたが再び強い目力で春斗を見る。

「あっ、ああ」

「たまたまよね」

「・・・」

「ねえ、たまたまよね」

 返事をしない剣斗に対してひなたの言葉がきつくなった。

「う、うん。たまたま。偶然、たまさか、図らずも、適々、端無くも、巧まずして、偶発的に・・・」

「もういいから」

 ひなたが強い口調で止めた。

「春斗がそう言ってるから間違いないよ」

「そうかな」

 琴音は少し首をひねる。

「そうよね。あんなに早く問題が解けるなんて人間業じゃないよね。少し安心した」

 琴音はそういってきびすを返すと、教室に入っていった。

 琴音がいなくなると、

「いい。次は今日最後の英語の授業。頼むわよ。剣斗君」

 ひなたが釘を刺した。

「ああ、分かった」

 剣斗が返事をする。

「もう、頼むわよ。事件は起こさないでね」

 ひなたは何度も念を押すように言った。


    剣斗VS英語教師


「 hi hello 」

 英語専科の戸村妙子はいつもそういって教室に入ってくる。教卓の前に立つと、

「How are you all doing?(みなさん元気ですか)」

「 mr taiyou?」

 戸村は一番前の列に座る園田太陽を指名した。

 太陽が答えると、戸村は彼の後ろの生徒に順に当てていった。一通り、終わった後、戸村は、黒板に文字を書いて言った。

「Let,s study preposition today(前置詞の学習) OK?]

 戸村は四十歳を過ぎているが、留学の経験もない。しかし、授業での会話はほとんどが英語だ。

「I`m going to bring up preposition issue now(前置詞の問題を出します)]

カリカリとチョークを走らせて、戸村が問題を板書する。短い文があり、その一部が抜けていてカッコになっている。穴埋め問題だ。

 戸村は十問ほどの問題を出題した。

「please solve the problem(では、問題を解いてください)」

 みんなは一斉にノートに問題を写して、問題を解き始めた。

 ひなたはちらっと剣斗を見た。剣斗はぼーとした表情で、耳をほじっている。

「ちょっと、ノート。ノートに書くの」

 剣斗に小声で言う。

「こんな問題、簡単だ。もう、暗記した」

「いいから、みんなに合わせて。ノートを出して」

「面倒だな」

 剣斗はゆっくりとした動作で、机の上にノートを出す。

「写すのよ」

 ひなたは戸村に分からないように、低い体勢で剣斗にささやく。

「はい、はい」

 剣斗はカチカチとシャープペンの芯を出した。そして、のろのろとノートに問題を書き込んでいく。

「yes so far(はい、そこまで)」

 しばらくして、戸村が手を叩く。

「then I will guess,if you are guessed,please come forward and solve the problem(では、当ててていきます。当てられた人は前に出て問題を解いてください)」

 そういうと、名簿の紙を出し、名前を呼び始めた。

 10人の生徒が指名された。

「えっ。私当たっちゃった。六問目よ。どうしよう」

 名前を呼ばれたひなたがあたふたし始めた。

「ねえ、答えは何?」

 ひなたが剣斗に小さい声で聞く。

「・・・・」

 剣斗は答えない。

「ねえ、何?答えは?」

「分からない」

 剣斗は小さく首を振る。

「ひどい。分からないわけないでしょう。教えてよ」

「やだね。今日は春斗のようにふるまうんだろう。春斗ならこの問題は分からないと思う。だから、分からない」

 剣斗はしれっとして言う。

「もう、いじわる」

 ひなたが言うと、

「except」

 ひなたの隣に座っている美緒が囁く。

「えっ」

「exceptよexcept」

「ああ、exceptね。分かった。ありがとう、美緒」

 ひなたは前に出るとき、剣斗に対してべーと舌を出した。

 問題のカッコに答えが書き込まれた。

「she was able to buy tickets ( ) him。Answer is 『besides』」

 戸村が、カッコの中の『besides』を赤のチョークでつつく。そして、

「『besides』is good answer. 」

と、言うと大きく丸で囲んだ。

 次々と答え合わせをしていく。

「『except』0k」

 ひなたが書いた答えに丸が付いた。

 ひなたはほっと胸をなでおろした。

「next problem・・・」

「someone is sleeping in the back room ( )the roof]

戸村が流ちょうな発音で問題文を読む。

(   )の中には、belowという文字が記入されていた。

「below?フン」

 戸村が鼻で笑った。

 その問題を解いたのは、琴音だった。

 戸村は琴音にいい感情を抱いていなかった。戸村は形式ばって、問題集をなぞった授業が多く、琴音は戸村を軽視している所があった。日頃、琴音は「あの先生の授業は問題集と同じ問題が出るだけで、自分で問題集をする方が早いわ」と公言していた。そのことが、戸村の耳に入ったのかもしれない。戸村は結構難しそうな問題を選んで琴音に当てることがしばしばあった。だが、琴音はそんな問題を次々と突破していた。

 戸村は口角を上げた。

「below.this answer is not appropriate」

 戸村は、 is not の部分を強調して話した。

「この答えはふさわしくない?」

 琴音は戸村の言葉に反応した。

「because below is a childish answer」

 戸村は人差し指を立てて言った。

「childish?先生は、私の答えが幼稚だと言われるのですか」

 興奮した琴音が立ち上がった。

「OH yes]

戸村は人差し指を振った。

「miss kasiwabara」

 戸村はそこまで言うと、急に日本語で話し出した。

「あなたは、大学の過去問で、これに似た問題を解いてきたのよね。確かに、belowという答えも間違ではいないわ。合格点はもらえるでしょうね。でも、ここでの最適な答えはbeneathなの。beneathはbelowを丁寧にした言い方よ。これが正統な答えです」

 あごを上げて自慢げに言う戸村に、琴音は苦々しい顔をした。

「全く、受験英語だけを身に付ければいいという風潮には参っているわ。それでは実際の会話には付いていけないわよ。miss kasiwabara」

 戸村はチィチィチィと人差し指を振った。

「indeed miss tomura」

 すると、声がした。そして、彼は英語でこう付け加える。

「below may be a childish expression,but those who use beneath useless people」

 英語で話していたのは剣斗だった。蓮と美緒はなめからに英語を話す剣斗に驚きの目を向けた。

「つ、使えない人間ですって」

 戸村が眉を吊り上げる。

「yes,that‘s right」

「どこがよ」

「it`s about the word beneath」

 剣斗は英語で返した。

「何?beneathが良くないってわけ」

「yes. the term beneath is old-fashioned and is not often used colloquially nowadays」

「beneathが古めかしいというの」

「yes・・・・」

 続けて英語で話そうとした剣斗をひなたがひじでつついた。

「いえ、まあ、そうです」

 急に日本語で話し出した剣斗にクラスの雰囲気はほんの少し和らいだ。

「確かにbeneathはunderやbelowの丁寧な言い方です。ですが、あまりにも硬すぎる。書物ならいざしらず、日常会話として使うには適してない表現です。という意味でbelowとbeneathなら、俺はbelowに一票を入れます」

「何ですって」

 ヒステリックな高いキーで戸村が言った。柏原は剣斗の方を見て、微笑みながら親指を立てる。「いいね」の表現だ。

「いやいや、俺なら、そこはunderneathを入れるかな。奥の屋根裏部屋で何か隠れているという意味合いを残した方が、ミステリアスでエクサイティングでしょう」

 剣斗が嬉々として語った。

 そこで、どんと衝撃的な痛みが剣斗のみぞおちに走った。

「ウッ」

 剣斗は前かがみになって息ができなくなった。

 剣斗が横を見るとひなたが恐ろしい形相でにらんでいる。

「す、すみません。と、戸村先生。今のは私のたわごとです。気にしないで授業を進めてください」

 剣斗は痛みに我慢しながら声を出した。

「ふん。分かっているわよ。ちゃんと授業するわよ。あなた神川君だったわよね。もう、覚えたから」

 挑むような表情で言うと、

「じゃあ、次に行くわよ。Next problem」

 戸村は鼻息を荒くしながら、次の問題を読み始めた。声が震えている。

その様子を見ると、戸村は叫び出したい感情を必死に我慢していることが、誰の眼から見ても分かる。

 剣斗は恐る恐るひなたを見た。

 ひなたは怒りの表情で、中指を立てていた。


 授業が終わると、戸村は剣斗を一にらみして、そそくさと教室から出て行った。

 ガタっと音を立てて、ひなたが立ち上がる。

「ヒッ」

 怯えた剣斗は、ひなたの方から身を引いた。

「ねえ、何を考えているの。楽しんでるでしょう。あなた」

 座っている剣斗にのしかかるように、ひなたが迫った。

「いや。そんなつもりじゃ」

「嘘おっしゃい。あの会話は何なの・・」

 ひなたは、机をドンとたたく。話を続けようとすると、

「神川君」

 目の前に声がした。見るとまた琴音が立っていた。

「ありがとう。助けてくれて」

 琴音の瞳は間違いなくうるうるしている。

「いやあ、そんなことは・・」

 剣斗はオーバーな動作で謙遜した。

 琴音はその手を握ると、

「あなた、すごいのね。驚かされちゃった。もう琴音、リスペクト。これからもいろいろ教えてね」

「教えるだなんて、そんな」

 ひなたは鼻の下を伸ばそうとする剣斗と琴音の間に入ると、

「柏原さん、この人はそんなんじゃないの。今日は変なエナジードリンクを飲んで、最高潮の気分であんなことをしたけど、明日になれば普通に戻ると思うわ」

と、琴音に告げる。

「そうそう、今日は変なんだこいつ」

 近くにいた蓮が割り込んできた。

「数学のときやさっきの英語での会話なんかおれも驚かされた。春斗お前大丈夫か?そのエナジードリンクってまさかやばい薬じゃないだろうな」

 蓮は心配して、剣斗の顔を覗き込む。

「だ、大丈夫。大丈夫。ねえ、春斗」

 ひなたが言うと、

「ああ、大丈夫」

 剣斗もひなたに合わせた。

「ねえ、春斗。顔でも洗ってきたら、汗がすごく出ているよ」

 ひなたが言う。

「あっ、そうだね。顔を洗いに行こう」

 剣斗は三人の間を抜けて教室を出た。左に曲がる。

「おいっ、春斗。水道は右だよ」

 蓮が叫ぶ。

「そうだった」

 剣斗は方向を変えた。

「おい、あいつ、本当に大丈夫か?」

 蓮が心配そうに言う。

「大丈夫だって。明日はまともになるから」

 ひなたは自分を説得させるように言った。


      剣斗、捜査会議に参加する

 

 帰りの挨拶を終え、課外に来ていた生徒たちは一斉に帰っていった。

 最後に残ったのは、ひなたと剣斗だった。

 いつものように、図書室に入る。

 大原以外の職員は、校舎の中を見回っている。校舎内に異常はないか調べるためだ。

「で、どうだった?」

 ひなたが剣斗に訊く。

「人員配置も適切に行われている。要所要所に職員、いや、先生が立たれているからな。俺が思っていたより、しっかりしているという印象だ」

 剣斗が言うと、

「春斗、何か今日は偉そうだな」

と、大原は顔をしかめた。

「ということは、春斗はこれで次の犯行は起こらないと思うってこと」

「ああ、結構厳重だ。これを破ることはかなり難しいと思う。多分大丈夫だ」

 剣斗はあごをなでた。

「しかしだ」

 大原が言う。

「こんな状況で事件は起きたんだ。そのことを忘れてはいけない。油断禁物ということだ。とにかく、第四の犯行が起きないように全集中しなければならない。課外もあと二日。何事もないことを祈るよ」

 大原は手を合わせて言った。


 剣斗とひなたは、昇降口で自分の靴をはいた。

「それじゃ、開けるぞ」

 大原はマスターキーで昇降口の扉を開けた。まだ外には出られない。扉の先にシャッターが閉まっている。大原は、シャッター用の鍵を使って、カバーを開け、シャッターを上げるボタンを押した。

 ウイーンといいながらシャッターが上がっていく。

「じゃあ、失礼します」

 ひなたが言って、シャッターの下をくぐる。ひなたの後に、軽くお辞儀をした剣斗が続く。

 剣斗たちが数メートルほど歩いたとき、ウイーンと音を鳴らしてシャッターがしまった。

「今日は楽しかったでしょう。剣斗君」

 ひなたが剣斗の方を見る。

「な、何が」

 剣斗はひなたの顔を見ずにつぶやく。

「何がって。・・・」

 ひなたの口調が強くなる。

「今日は好き放題やって楽しかったかって聞いているの」

「好き放題だなんて」

「好き放題じゃないなら、好き勝手でしょう。私と春斗君と約束したことも破っておいてよくいうわ」

 ひなたはふんと顔を背けた。

「あのね、私たちと約束したことは何だったか覚えているでしょう。剣斗君。それは目立たないことよ。あなたはそれを破ったわ」

「・・・・」

「数学の時間には黒板いっぱいを使って問題を解いたし、英語の時間にはあの戸村先生をやりこめた」

「・・・・」

 剣斗は反省しているのか黙って聞いている。

「本当に、春斗になんと言えばいいの?」

 ひなたは顔をしかめた。

「いや、何も言わなくてもいいんじゃないか」

 剣斗が言う。

「何も言わないって。明日春斗が学校にきたらどうなると思うの?みんなはエリートで頭が切れる者だと思って接するわ。柏原さんなんて、あこがれの人を見る目で見ていた。私はかなり心配しているわ」

「ああ、そうだろうな。でも、課外はあと二日だろう。課外が終われば夏休みだ。この二日間を乗り切れば何とかなる。試練だ、春斗。がんばれ」

 剣斗は歩きながらガッツポーズをした。

「もう、他人事のように言って。そのトラブルの原因を作ったのはあなたでしょう」

「いかにも。でも、いまさら言っても仕方がないことだ。とにかく、ひなたちゃん」

「うん?」

「春斗が困ったときはフォローを頼むよ」

「もちろん、できることはするわ」

 ひなたは決意を口にした。

「でも、楽しみだな。柏原があいつに何か聞いてきたら、どう反応するか?明日も学校に来て春斗の様子を見たいよ。まさに、浦島太郎状態・・・いひひひ」

 いやらしい笑みを浮かべた。

「ひどいわ。剣斗君」

「まあ、これもあいつの成長のためだ。よろしい、よろしい」

 剣斗は一人で納得したようにうなずいた。

 しばらく歩いた後、ひなたは急に足を止めた。剣斗もそれに合わせる。

「で、本当のところどうだったの?いたずらの手口は分かったの?犯人は?」

「・・・・・」

「どうなの?分かったの?」

「いいや」

「いいやって」

「いたずらの手口も、犯人も分からない」

 剣斗は歩き出した。

「待ってよ」

 ひなたが剣斗の後ろから言った。

「全然、分からないの?」

 ひなたが剣斗の隣に並んだ。

「ああ、大原に言ったとおりだ」

 剣斗が不満そうな表情で言った。

「課外授業中、学校は完全な密室になっていた。それは認める。そして、その中にいる者たちには犯行が不可能だった・・・」

 剣斗が黙りこむ。

「・・・・」

 ひなたは首を振ってバス停までの歩みを進めた。


 バスを降りて、ひなたと剣斗は、春斗の家に入り、今日のことを春斗に報告した。授業中に起きた出来事については触れなかった。

「そうか、剣斗でも分からなかったのか」

「そう。不可能犯罪って奴だ。この犯罪を実現させた奴には頭が下がるな。まさに、ブラボーという感じだぜ」

 剣斗はそういって手をたたいた。

「ちょっと、やめてよ。犯人を賛美するのは」

「だって、痛快じゃないか。職員を手玉にとってからかっているんだぜ。楽しいね」

 剣斗の顔がほころぶ。

「第三者から見るとそうだけど・・・」

 ひなたはふてくされたように言う。

「あの流水学院は、前からおかしい校則がいっぱいあったんだろう。それがわかっていて、入学したのが悪いのさ」

「ああ、だからね」

 ひなたは春斗を見る。

「剣斗は、それがあったんで流水には行かなかった。バスで三十分もかからない距離なのに、剣斗は電車で一時間以上かかる潮高校の試験を受けたんだ」

「・・・・」

 剣斗は言葉を発さない。

「そんな剣斗君が流水の事件に関わろうとしてくれたのは、昨日は面白半分、暇つぶしと思ったけど、それだけではないよね」

「・・・・・」

「やっぱり、中学校のあの事件が原因なんでしょう?」

 ひなたは剣斗を見る。剣斗は黙ったままだ。

「だよな・・・」

 その場の空気の重たさにたまりかねて、春斗が口を開く。

「それって、あのカバン事件でしょう」

「当然。ひなたもそう思っていたでしょう?」

「うん」

 ひなたと春斗の二人で会話が進む。剣斗はだんまりを決め込んだままだ。

「あのときは驚いたよ。いきなり、朝からリュックを担いで学校に行くんだもんな、剣斗」

「そうそう、花森第三中学校では、通学かばんは手提げタイプのものしか許可されていなかったもんね」

 じっとひなたは剣斗を見る。

「毎日持っていくものが多すぎて、腕が凝って大変だった」

「そうね。教科書やノート、参考書だけでなく、英語の辞書や英文法を解説した冊子」

「確かにあれは重かったな」

 春斗が言う。

「それを毎日持って行ったよね」

「重さ十キロを軽く超えてたと思う」

「余りの重さに、登校の途中で、左右交互に鞄を持つ手を変えたり、肩を回したりして、大変だった」

「剣斗君は、それに異を唱えたのよね」

 ひなたは剣斗に話を振る。

「だって、全然、機能的じゃないだろう」

 剣斗がやっと口を開いた。

「他の中学校では、リュックのような肩で担ぐタイプの鞄を許容していた所があった。でも、あの中学の先生たちは頭が硬くそれを許さなかった」

「だから、剣斗は学校が指定した手提げかばんを使わずに、リュックを担いで登校したんだよね」

「そう」

 剣斗は当たり前のように答えた。

「生徒手帳にはなんと書いてあったんだっけ」

「それには、ちゃんと手提げかばんの図が描かれてあった。しかし、それが望ましいという文言が添えられていた。だから、俺はリュックにしたんだ。それもできるだけ、黒色と紺色をベースにした地味な色合いにした」

 剣斗は興奮気味に話す。

「でも、ダメだったんだよね」

「担任からリュックでの登校はダメだと言われた。生徒手帳には鞄が望ましいって書いてあった。あいまいな表現だ。俺がリュックはどうしてダメなのかを訊くと、彼は単純明快と前置きをした後に、リュックは本校には望ましくないと答えた」

 剣斗は苦々しい表情になった。

「それで終わらないのが剣斗君なのよね。次は何も持たないで登校した」

「そうだよ。当時は教科書などを学校に置いて帰る置き勉は禁止だったので、教科書や参考書は全部家に置いたまま、手ぶらで登校したんだ」

 春斗が言った。

「本当、ばかだね。すぐ見つかって、担任から大目玉を喰らったんだよ、こいつは」

 春斗が剣斗を指さす。

「そうだ。俺はあの担任にどうして重い教科書などを毎日学校に持ってこなければいけないかとも聞いた。すると、担任は当たり前のように答えた。教科書がないと授業中、困るだろうと」

「ふむふむ」

 そこの顛末を詳しく知らないひなたは聞き入っている。剣斗は続けた。

「だから、俺は言ってやった。俺には教科書は不要だ。何も困らないって」

「うんうん」

「担任は俺に聞いたね。教科書がないのにどうして困らないんだと。だから俺は言っったね。俺は困りません。教科書の内容は全て暗記してあるからと」

 剣斗が意気揚々に言い放った。

「本当に覚えていたの?教科書の内容全部?」

 ひなたが疑問をぶつけると、

「そうだ。国語や数学、理科、社会だけでなく、音楽、技術、家庭科など。中学校レベルだから、簡単なものさ」

「簡単?」

 ひなたが少し引く。

「簡単さ。美術は絵を覚えなくてはいけなかったから少し面倒だったけどな。それを担任に言うと、教科書の内容を本当に全部覚えているのか確かめに入った。他教科の教科書を持ってきて何ページには何が書いてある?そこにはどんな資料が載っている?エトセトラエトセトラ・・・」 

「もちろん、剣斗君は全部答えたのね」

「オフコース」

 剣斗が胸を張る。

「でも、それもだめだった」

「教科書は毎日指定されたかばんに入れて持ってくる。このことはとうとう変わらなかった」

 剣斗は遠い目をした。春斗が付け加える。

「結局、剣斗は卒業まで、あの手提げかばんで登校した。中身はちゃんと入れて。しかし、剣斗はそのかばんから教科書を取り出すことはなかった。かばんのふたを開けることも一切しなかった」

「俺はあのかばんをザ、シャトルバッグと名付けた。学校から家、家から学校をただ往復するだけの物。それは俺の腕力を鍛えるためのアイティムでしかなかった。お陰で腕の力は強くなったがな」

 剣斗は力こぶを作った。しかし、それは当然、春斗と同じ程度の力こぶだった。

「それで、剣斗は校則を憎み、校則が厳しいと有名な流水学院には行かなかった。春斗と剣斗は別の高校に進んだのね」

「まあ、それも潮高校を選んだ理由の一つかもしれないな」

 剣斗は素直に認めた。

「でも・・・」

 少し間があった後、ひなたが話題を変えた。

「そんな優秀な剣斗君でも、今回の謎は解けなかったか」

「ああ、そうだ。今回は敗北を認めるよ。今のままじゃな」

 剣斗は頭を振った。

「とにかく、課外もあと二日。何もないことを祈るしかないわ」

 ひなたが言うと、

「そうだね」

 と、春斗が同意した。

「俺もそれを祈る」

 めずらしく、剣斗もひなたの言葉に賛同した。


      そして、春斗が登校する


「一日しか学校に行かなかっただけだけど、なんか長く休んだ気分だな」

 ひなたと二人で通学路を歩く春斗は朝の空気を大きく吸った。

「春斗、あれから、どうなったの」

「ああ、剣斗とのことか」

「何か進展はあった?」

 ひなたが興味深そうに聞く。

「いや、何も」

「そう」

 ひなたは肩を落とした。

 駅からの電車通学者とバス通学者が合流する場所を過ぎた。

 タタタタタ・・・

 足音が聞こえた。

 その足音は春斗のすぐ後ろに迫ってきた。

「おはよう」

 春斗の後ろから声が聞こえた。春斗は身を固くした。

 バン

 衝撃が頭に走る。頭を叩かれたのだ。春斗はすぐさま振り返り、

「おはよう」

と、逆水平を放つ。

「ぐえっ」

 胸を平手で打たれた蓮は声を出した。

「おはよう。蓮」

 春斗は口角を上げて言った。

「コホン、コホン。春斗、なかなかやるな」

 蓮が咳き込みながら言う。

「いつもの春斗に戻ったんだな。今日は変な薬は飲まなかったのか」

「変な薬?なんだそれ」

「いや、昨日は、何か結構強いエナジードリンクを飲んできたって」

「エナジードリンク?」

「コホン」

 二人の会話を聞いていたひなたがせきをした。

「ちょっと、早く行かないと遅刻するよ。行きましょう」

 ひなたが春斗の腕を引っ張る。

「エナジードリンクって?」

「あっ、向こうに美緒がいる。美緒」

 ひなたは春斗の言葉を無視して、美緒に近づいて行く。

「おっ、ひなた。今日も一緒に来たの」

 美緒がひなたたちの方に向き直る。

 美緒は春斗をじろじろ見ると、

「今日は、いつもの春斗君なのね」

 そう言った。

「えっ?どういう意味」

「だって、昨日はおかしかったじゃない。いろいろと・・・」

 美緒が言葉を続けようとしたとき、

「美緒。宿題はした?」

 ひなたが美緒に訊く。

「やったけど・・」

「春斗。あの数学の宿題難しかったね」

 ひなたが話題を春斗に振る。

 昨日の宿題は春斗に伝えてあり、剣斗がしっかり春斗に教えて込んで、今日学校に持ってきたはずだ。

「ああ、結構難しかったね。でも、ちょっと待って。昨日はおかしかったって何?」

 春斗は美緒に聞いた。

「何でもないのよ。美緒、行きましょう。できるだけ前に座りたいでしょう」

 ひなたは早足で歩き出した。

 春斗は一旦足を止めた。

 少し首をひねる。

「おいっ、どうした春斗」

 蓮が春斗の肩をポンポンとたたいた。

「俺、何か昨日おかしかったか」

 春斗が訊くと、

「ああ、最高に」

「最高に?」

「うん、最高におかしかった。これが春斗なのかって目を疑ったこともあった」

「何が?」

「何がって、お前覚えてないの?」

「い、いや・・・」

 ここで覚えてないと答えるわけにはいけない。どうして覚えてないのか、興味関心の強い蓮の追求が始まるに違いない。そうすれば、昨日春斗と剣斗が入れ替わったことがばれてしまう。蓮には春斗に双子の兄がいることも教えていない。

「いや・・もちろん覚えているさ」

 歯切れの悪い口調で春斗が答えた。

「うん」

 蓮はいぶかし気な視線を春斗に向けた。

「もう、分かったから、行こう」

 春斗は足を速めた。


 いつものように、自動温度測定機をクリアして昇降口に入った春斗は、自分の靴を棚に入れた。

「ひなた。何か僕に隠してない?」

 春斗は小声でひなたに訊く。

「な、何も」

「何か、あやしい」

 ひなたは何かドギマギしたように見える。

「何もないって」

 ひなたはすばやく上靴を履くと、階段を上った。

「ちょっと、待ってよ」

 春斗もひなたの直ぐ後を追った。

 二階のフロアに着くと、いつものように廊下の両端に職員が立っていた。三階に通じる渡り廊下には、やはり大原の姿があった。

 ごちゃごちゃした教室に入る。すでに、半分近くの席が埋まっている。

 ひなたの隣の席に座り、参考書や問題集を机の中に入れていると、

「おはよう。春斗君」

 声がした。

 春斗が上を向くと、そこには春斗があこがれている柏原琴音の顔があった。その顔には微笑が浮かんでいる。春斗の胸がドクンと鳴った。

「お、おはよう」

 春斗は戸惑いながら挨拶を返す。琴音はこの学年一の秀才。春斗とは違う世界に住んでいる住民である。話しかけることはあるかもしれないが、向こうから話しかけられることは卒業するまでないものと春斗は思っていた。

「昨日はありがとう」

 琴音ははにかんで言った。

「あっ、ああ」

 春斗は緊張して応えた。

「ところで、訊きたいことがあるの」

 琴音は持っていた問題集を開いた。この学校で使われているものではなく、ある大学の過去の問題が載っている赤い表紙のものだ。

「この問題がよく分からないんだけど・・・」

 琴音は問題集を開く。そして、そのページにある問題を指さす。そこには、春斗が見たこともない記号が入った数字が羅列してあった。数学の問題ということは春斗も認識することができた。きっと、数Ⅱか数Ⅲの問題に違いない。

「この問題、V=πであることは分かるけど、バームクーヘン積分の活用法が分からないの」

 バームクーヘン積分。なんじゃそりゃ。バームクーヘンなんてお菓子のことか?そんな言葉が春斗の頭の中で飛び交う。

「ねえ、春斗くんなら分かるでしょう。教えて」

 琴音は問題集を突き出して、春斗の言葉を待っている。

 春斗の額には冷汗の粒ができ、数滴、頬を流れ落ちる。脇にも冷たい汗が伝う。

「そ、それは・・・」

 春斗がかろうじて声を出そうとすると、

「ちょっと、ごめん」

 ひなたが間に入ってきた。

「柏原さん。ごめんなさい。春斗に用があって」

 座っている春斗の肘をひなたは強引に引っ張る。

「何?今、私が春斗君と話しているのに」

 琴音が戸惑いの表情になった。

「ごめん。でも、大原先生が呼んでるの。直ぐに、春斗を連れて来いと。かなり怒りの表情で」

 ひなたは早口で言うと、春斗を立たせる。

「本当に、ごめんね」

 ひなたは琴音に頭を下げると、春斗を廊下まで連れ去った。

「おい、今のは何?」

 春斗がひなたに尋ねる。

「今のって?」

 ひなたが感情のない声を出す。

「とぼけるなよ。今のだよ。柏原さんがぼくに数学の問題を聞いてきた。今まで話したこともないのに」

「ちょっとのすれ違いよ。何でもないよ」

 ひなたは手のひらをひらひらと振った。

「何でもないことはないだろう。きっと、あれだろう。剣斗が何かしたとか」

「まあ、そうね」

 ひなたは素直に言った。

「あいつは柏原さんに何をしたんだ」

「何もないって。ただ、柏原さんが問題を解いていたときに、答えを教えただけ」

「何?あいつそんなことをしたのか」

「そう」

 ひなたがそっけなく応えた。

「どうすればいいんだ。ぼくが数学苦手なことは知ってるよな。バームクーヘン理論なんて全然知らないよ。それっておいしいの?ぐらいの反応しかできない」

「私もそうよ。バームクーヘンなんて・・・。私はぱさぱさしているバームクーヘンはきらいだな。私はケーキの方が好き。ところで、図書館の前のコンビニのケーキ、おいしいって評判だよ。今度行ってみようか」

「ちょっと、ごまかすなよ」

 春斗の口調が荒くなる。

「しっ。声が大きいよ。後少し、あと少しの辛抱よ。課外も今日も入れてあと二日。そうすれば長い夏休みよ。夏休みが終わると、柏原さんも剣斗君との記憶が薄れるわ。クラスも違うし、会う機会も減る」

「それまで、どうすればいいんだ」

 春斗は眉をハの字に曲げる。

「なんとかなるわよ」

「なんとかなるって、どうするの?」

「大丈夫。私が何とかするから」

 ポンとひなたは春斗の肩をたたいた。


 ひなたは教室に戻ると、いろいろ話題を出しながら、琴音の質問をはぐらかした。

「春斗君にも分からないことがあるのね」

 琴音は失望して自分のいつもの席に戻った。

 春斗はほっとしたが、これから琴音が自分とはもう話しかけてもくれないと思うと、寂しい気持ちが押し寄せてきた。

 教室に大原が入ってきた。

「おいっ、みんな座れ」

 教室に響き渡る声で言った。


 春斗は居心地の悪い中で課外の一日を終えようとしていた。

 数学の授業では、問題が出るたびに、教師の北村がちらちらと春斗を見る。春斗が目を合わせようとすると、北村はさっと顔を背けた。

 英語に至っては、事あるごとに戸村が春斗をにらんだ。こちらは、春斗と目が合ってもそのままにらみ返す始末だ。

「先生、僕になにか用ですか?」

 そんなことは訊けない。きっと剣斗が何かしたんだ。

 今日が終わって、あと二日。春斗の我慢の日々が続く。


       パンツ、パンツ、パンツ


 みんなが帰った後、いつものように図書室で大原と向かい合って春斗は座っていた。となりにはひなたがいる。

 今日のみんなの様子をひなたが話していた時、

「大原先生」

 理科担当の門松が図書室に駆け込んできた。その様子はいつもの冷静な門松ではない。

「また、ありました」

「あったって。まさか」

 大原が立ち上がる。つられたように春斗とひなたも席を立った。

「いたずらですよ。いたずら」

 憤慨したように門松は言った。

「ど、どこに」

「体育館です。体育館」

「体育館?」

 大原はそういうと図書室を出て行く。春斗たちもそれについていく。

 だれもいない廊下は走りやすかった。

 第三校舎を通りすぎて、体育館に入る。

「これは、なんじゃ」

 大原が叫び声を上げた。

 二階の観覧席から見た体育館の様子は騒然としていた。

 大量のボールが床に転がっている。それら一つ一つが下着を付けていた。

 つまり、パンツを付けたボールが体育館のフロア全体に転がっていたのだ。

「おいっ、こっちだ」

 大原が一階のフロアに続く階段を降りた。二人はあわてて大原の後ろに続いた。

 一階に着くと、パンツをはいたバスケットボールやバレーボールが至る所に転がっていて、騒然としていた。二階で見るよりその異様さが際立っていた。

 パンツは男物のボクサーパンツやブリーフで、縞模様のものや赤色、ピンクのもの、キャラクターが描いてあるもの、色も模様も様々だ。

 体育館の真ん中に、A4の紙がビニールテープで貼ってあった。

 近づいて、その紙に目を落とす。その紙に書いてある文章は短い。


校則 下着は白色のものを着用すること

   *この者、校則違反により退学!


 いつもの言葉だ。

 しかし、今回は「この者」とは、白色以外の下着をつけているボールたちのことであろう。「校則違反により退学!」という厳しい言葉が添えられているのは、今までより強い意志が伝わってくる。

 教頭が近づいてくる。

「何ですか?あなたたち。まだ帰らなかったのですか?」

 きつい口調でひなたたちを攻めた。

「いや、いや。こいつらは私の助手として雇ったもので」

 大原が弁護するように言った。

「助手。まるで探偵気取りね」

「へへへ・・」

 大原が頭を掻く。

「でも、また事件が起きてしまいました。その責任をどうとってくれるんですか?」

 教頭は鋭い目で大原をにらむ。

「いや、それは」

 狼狽した大原はひなたと春斗を見る。

 ひなたはうつむいて額に人差し指を当てている。ひなたの考えるときのポーズだ。

 ひなたはふいに顔を上げると、

「大原先生。とにかく、図書室に戻りましょう」

 張りのある声で言った。


 なんやかんやと文句を言ってきた校長と教頭たちをかわして、ひなたたち三人は図書室のいつもの場所に座った。

 座ると同時にひなたは鞄からスマホを取り出した。

「そう、また起きたの、いたずら。今すぐこっちに来て。バス?何言っているの、タクシー。タクシーを使いなさいよ」

 そう叫んで、ひなたはスマホを切った。

「大ちゃん。彼がもうすぐ来ると思うから、昇降口のシャッターと扉の鍵を開けてね」

 ひなたがにこっと笑う。

「彼って誰だ?」

 大原がポカンとした顔になった。


    探偵は推理を披露する


「嘘だろう。そっくりやないか」

 大原は余程驚いたのだろう。思わず関西弁を使った。

 春斗の隣には、同じ顔が並んでいる。

「春斗君のお兄さんの神川剣斗くんです」

 ひなたが紹介した。

「ども」

 剣斗は軽く頭を下げる。

「知らなかった。春斗が双子だなんて」

 大原は目を見開いたままだ。

「始めまして、じゃない。二度目かな?」

「二度目?」

 今度は大原の口が開いた。

「そう、剣斗君は昨日、この学校に来たの」

「えっ?」

 大原の口は開いたままだ。

「実は、昨日この学校に来ていたのは、春斗君じゃなくて剣斗君だったの。入れ替わったのよ、昨日だけ」

「な、なぜに?」

 大原の口から疑問符が出る。

「この剣斗君は潮高等学校に通っているの。夏休みだから学校はないでしょう。だから、お願いしたの。入れ替わってうちの学校に来て、謎を解いてほしいって。彼、とても優秀だから」

「ああ」

 大原が腑に落ちた表情をした。

「だからか。昨日はちょっとした事件が起きたそうだな。先生たちから聞いたんだが、北村先生や戸村先生がある生徒にやり込められということ。その生徒が春斗だったと聞いた。俺は鼻から信じなかったけど、だからか、納得いった」

 大原は何度もうなずいた。

「で、謎は解けたのか?」

 大原は期待を込めた目をした。 

「今、体育館の二階から様子を見てきましたが・・・」

「うん、うん」

 大原が先を促す。

「まだ、分かりません」

 剣斗の言葉を聞いた大原は、脱力した状態になった。

「期待した俺がばかだった。何だこいつ、使えないじゃないか」

 期待を裏切られた気分になった大原は肩を落とす。

「すみません」

 剣斗にしては、か細い声を出した。

「もう、一体どうなるんだ。かなり厳重に監視したのにいたずらは防げなかった。課外はあと二日もあるんだぞ。くそう、これからどうなるんだ」

 大原は頭を抱えた。

「大丈夫です。大ちゃん」

 大原の上から声が降ってきた。

 大原は頭を抱えたままうつむいている。

「謎は解けました」

 キラキラした声が下りてきた。

 神の声を聞いた信者にように、大原は顔を上げる。

 そこには声の主ひなたの顔があった。

「謎が解けた?」

 大原が唇を震わせる。

 剣斗も春斗もぽかんとした表情でひなたを見ている。

「ええ、謎は全て解けました。この名探偵、友永ひなたによって」

 ひなたは勝ち誇ったような表情で、開祖のように両手を広げた。

「ほんとかよ」

 しばらくの沈黙の後、剣斗がつぶやく。

「本当」

「本当なの?ひなた」

 春斗も訊く。

「ええ」

 ひなたは大げさに首を大きく縦に振る。

「だ、誰なんだ。誰がどうやってやったんだ」

「ダン」と大きい音を立てて大原が立ち上がった。

「まあ、まあ、そのことを言うまえに、私がどのようにして謎を解いたかを聞いてください」

 ひなたは大原を座らせる。

「もう、もったいぶって」

 春斗は言う。

「だって、これこそ探偵の醍醐味でしょう。解決編。論理の披露。もう、鳥肌が立っちゃう」

 うふっと右肩を上げて、ひなたはウインクをした。

「じゃあ、その推理を聞かせてもらおうか」

 剣斗が机に両肘を付けた。。

「そうこなくっちゃ」

 ひなたは親指を立てる。

「いい?まず、校門から学校の敷地に入る段階から、犯人を絞っていこうと思います」

 日なたは人差し指を立てる。

「学校の中に入ることができるのは、校門が開いている時間。つまり、私たちが登校する七時から八時半までの間。それと私たちが下校する12時過ぎだよね。この時間帯にしか校門は空いてない。後は鍵がかかっている」

「いやいや、敷地内には入れるんじゃないか。乱暴なやり方なら、学校の塀を乗り越すとか・・・」

 剣斗が指摘すると、

「いや、それは結構難しい。流水学院の塀は結構高いし、防犯カメラが複数台あって、不審者が学校の敷地に入ってくれば直ぐわかるシステムになっている。一応、三回目のトイレのいたずらがあったとき、カメラの映像を調べたが、不審者の姿は見られなかった」

「そうでしょう。カメラに映らないように壁沿いに歩いたり、何かに隠れたりしていたら、逆に目立ってしまうわ」

 ひなたが三人の顔を見る。

「無理をすれば学校内に入ることができそうな気もするが、まあいいとしよう」

「大原先生、ちょっと甘いんじゃないですか?」

 春斗が大原に文句を言う、

「いいじゃないか、俺は先を聞きたい。友永、続けてくれ」

 大原が先を促す。

「はい。それじゃあ、下校時は帰るだけだからいいとして、朝の開門の時間に学校に入ることができた人は誰か。それは、私たち。それに・・・」

「先生たち」

 春斗が言う。剣斗は黙ったままだ。

「そう、その通り」

 ナイスというように、ひなたは親指と人差し指で丸を作った。

「それは当たり前じゃないか。お前たちを教えるために、俺たちは学校に来る。だから、学校の門をくぐるのは当然だ」

「じゃあ、聞くけど、先生たちは学校に何で来る?」

「何でって、車だ。教頭以外はみんな自家用車だ」

 教頭は電車を使って通勤している。

「その車です」

 ひなたはさらりと言うと、次の言葉を継ぎ足した。

「先生たちの車に誰かが乗っていた」

「いやいや、それはないだろう。職員が誰かを車の中に隠して運んだというのか?共犯ということか」

「いいえ、そうとは限らないわ。その先生は、車に誰かが乗っていることを知らなかったかもしれない。朝の時間はみんな忙しい。一々、車の中を気にすることはないかもしれない。後部座席に誰かが隠れているのに気づかなかったかもしれないわ」

「誰が隠れているというんだ」

「そう考えると、先生たちの家族。小学生の息子とか・・・」

「なるほど、自分の家から自分の家の車に隠れていて、学校についたらこそっと車から出たということか」

「ねっ、考えられるでしょう」

「おおっ」

 パチパチと大原と春斗は手をたたく。しかし、剣斗は手を叩かず腕を組む。そして、

「いや、それではダメだ」

と、首を振った。

「えっ」

 春斗と大原は剣斗を見る。

「それは俺も考えた。でもそれではダメなんだ」

 剣斗が言う。ひなたは黙っている。

「その方法なら学校の敷地内に入ることはできる。しかし、校舎の中に入るのは無理だ。もしも、校舎に入れたとしても、そんなやつが校舎をうろちょろしていたらすぐに気づかれてしまう。その前に、あの顔認証システムをクリアして校舎に入ることはできない」

「うん、うん」

 ひなたは自分の意見を否定されたにも関わらず、満足そうな笑みを浮かべた。

「そう、剣斗君の言う通り、それはありえないわ」

 あろうことか、ひなたは反論もせず、剣斗の言葉に合意した。

「なんだそりゃ」

 大原は椅子から落ちそうになった。

「先生たちの車に隠れて学校の敷地内に入ってきても、校舎内には入れない。剣斗君が言ったように顔認証システムがある限り校舎の中に入ることはできないのよ。でも、私がしっかり考えて結論を出したということをみんなに分かってもらいたかったから、あえて、このことを話したの。実行可能なものは何かを必死に考え、頭の中に浮かんだものを羅列し、正解ではないものを一つずつ消去していった。そうやっていくうちに、この犯行が可能な者の条件が見えてきたのよ」

 ひなたの言葉に熱がこもる。

「その条件とは何?」

 春斗が目を輝かせた。

 ひなたはここで三人の顔を見た。

「その条件は七つ。」

ひなたは、両手の指を使って七を表現した。

「一つ目の条件は、車なんかに頼らず登校時間に学校の門をくぐれる人。学校で起こったことなので学校の敷地内に入らなくてはいけない。当たり前のことよね。」

 ひなたは指を一つ立てた。

「第二の条件は、その人がうろちょろしても、ビデオカメラに取られても、誰も不審に思われない人物。これも当たり前よね」

 ひなたは言葉に合わせて指を二本立てる。

「それから、第三の条件は誰からも怪しまれずに、校舎内を自由に動き回ることができる人。これは、第二の条件に付随する。」

 ひなたの指は三本立っている。

「第四の条件は、かなり頭が切れる人。こんなトリックを思いつくんだもの。これも当たり前」

 ひなたは数回うなずいた。

「そして、第五の条件は、学校の校則に対してかなりの不満をもっている人。このいたずらは、校則に対する反抗心から起きたもの。そうでしょう」

 ひなたは、三人の顔を見渡す。春斗はいやな予感がした。

「そして、これは条件というより、推理のヒントになったことだけど、犯人は男の人の可能性が高い」

「えっ、どうして?」

 すかさず、春斗が訊く。

「それは分かるでしょう、春斗。体育館のボールに履かせられた下着は全部男性用だった。あんなにたくさんあったんだもの。家にあった分では足りないわ。犯人はどこかの店で下着を買ったんでしょう。犯人が男の人だから、男性用の下着しか買うことができなかった。女性用の下着はお店では買いにくいわ。レジの人から変態と思われるかもしれないでしょう。それはいやだったはずよ」

「ああ、なるほどね」

 春斗は意外とあっさり了承した。

「では、第六の条件として、犯人は男の人だとしましょう。根拠は少し薄いけど」

 ひなたは両手の指を使って六を表した。

「そして、七つ目。これが最後の条件」

 春斗はごくっと喉を鳴らした。剣斗と大原は緊張しながらひなたを見ている。

「これが、決定的なもの。校舎に入るためには、あの顔認証システムをクリアしないといけない。それができるのは、私たち課外を受けている流水学院の生徒とあと一人」

 ひなたの視線がある者に向かって止まる。

「そ、それって・・・」

 春斗が声を出す。

「そう、全ての条件に当てはまる人は」

 ひなたの視線は動かない。

「その人は、あなた」

 ひなたは指さす。

「剣斗君。あなただったのね。いたずらをしたのは」

「・・・」

 春斗が剣斗を見る。

 剣斗は、片方の眉を上げてひなたを見ていた。


「だいたい、おかしいと思ったのよ。あまり、人には興味がないあなたが、流水学院で事件があったことを聞くと、急に近づいてきた。自分が犯人だから、あえて私たちのふところに入ってきたのね。春斗と入れ替わろうと言い出したのも剣斗君、あなただった。入れ替わったのは、学校の様子を探るためね」

 ひなたはまくしたてる。

「音楽室に行ったときも、剣斗君は音楽家のポスターのいたずらを見ると、高らかに笑い出した。そして、犯人を賛美するような言葉を並べた。まるで、犯人をリスペクトするみたいに。ナルシストな剣斗くんなら、自分でやったことを自分がほめるなんて自然よね」

 剣斗はもう笑っていない。ひなたが浴びせる言葉を真剣に受け止めているようだ。

「音楽室に行くときも、あれっ?て思ったことがあったわ。あなたは、音楽室に行くとき、私を追い越したわよね。音楽室のフロアに着いたとき、迷わず音楽室に入り、音楽室のスイッチを入れた。そのとき、私は思ったの。どうして、こんなにスムーズに音楽室にいけるんだろうと。あなたは始めて流水学院に来たのに、何度も来ている人みたいに私は思えた」

「それは・・」

 春斗が口を挟もうとすると、

「黙って。まだあるのよ」

 ひなたは手のひらで春斗の言葉を止めた。

「あなたなら、校舎の中を歩いていても誰も不審に思わない。だって、春斗と同じ顔だもの。二人が近くの場所にいない限り、同じ顔の人が二人存在しているなんて思わないわ。あなたは春斗と会わないように、朝早く登校するか遅刻ギリギリの時刻に登校するのか、どちらかを行った。同じ顔だから、体温測定器も難なくクリアすることができた」

 ひなたは一息ついて、また話し始めた。

「校舎の中に入れば、こっちのものよ。授業が始まるまで、トイレにいればいいのよ。大ちゃんの出欠確認があって、みんなが椅子に座っているときに、トイレから出て、どこか近くの教室かどこかに隠れる。授業が始まり、誰もいないときを見計らって、いたずらをした。帰るときも、トイレにいて、下校時間に合わせてトイレから出て、みんなに紛れ込んで下校した。そうでしょう」

 ひなたは剣斗に鋭い視線を送る。剣斗は黙ったままだ。

「そんなに、うまくいくのかな」

 大原がつぶやく。

「そう、こんな計画。かなり杜撰ですよね。ばったり春斗に合うかもしれない。そうなれば、このトリックもろとも、この計画は崩れ去る。だから・・・」

ひなたは春斗を見て言った。

「だから、春斗。あなたも共犯だったんでしょう。剣斗君と」

「えっ?」

 春斗の目が大きく開かれる。ひなたは春斗が言葉を発する前に話した。

「登校時間に春斗と剣斗が登下校するときは、できるだけ時間の幅を広げる必要がある。それは二人で打ち合わせをしていないとできないことよね。だいたい、おかしいと思ったのよ。家は近くだけど、この頃は行き来をしなくなった私を春斗が自分の家に呼んだこと。私を家に誘って、流水学院での事件の話をする。そこで、剣斗くんが登場する。打ち合わせ通りよね」

 ふんと鼻をならしてひなたは言う。

「剣斗君が部屋から出てきたとき、春斗は剣斗君に対してうっとおしいような態度をした。何かと反発し合うような会話から、私は兄弟仲が良くないという印象を持った。でも、それは嘘だったんでしょう。日頃は、二人は仲よく、何でも気軽に話せる仲だった。二人で協力して、いたずらの計画を立てて、実行したんだから。」

 ひなたは春斗と剣斗を交互に見た。

「いたずらの解決に協力するという約束で、この事件の内容を詳しく聞くと、解決できないから情報が欲しいということになり、剣斗君は春斗と入れ替わるということを提する。しっかり、段取りができていたのね。本当、役者よね、二人とも」

「おいっ。そうなのか」

 大原はどすの利いた声で言った。怖い表情で剣斗と春斗をにらむ。

「剣斗君。私を出し抜いてさぞ気持ちがよかったことでしょう。入れ替わった時も、自分気ままに行動できて楽しかったでしょうね」

 剣斗は黙ったままだ。

「ほら、反論の余地がないでしょう」

 ひなたがさらりと言った。

「いや、ち、ちがう」

 春斗が首を大きく振る。

「いい加減認めなさい。春斗も剣斗君も」

 がたっとひなたは立ち上がった。それにつられて大原も立ち上がる。

「正直に言うんだな」

 大原は、平然とした態度で座っている剣斗の目の前に顔を近づける

「先生、違うんです」

 春斗が言うが、大原は剣斗に顔を突き付けたままだ。

「往生際が悪いわね」

 ひなたが声を張った。すると、

「ふふふふ・・・」

 声が漏れた。そして、その声は、

「あはははは・・」

という、笑い声に変わる。高らかに笑っているのは剣斗だ。

「やるな。ひなたちゃん」

 剣斗は手をたたいた。そして、

「おい、おい、剣斗、お前」

 春斗が剣斗をにらむ。

「もう観念しようぜ、春斗」

 剣斗が春斗に向かって口角を上げる。

「観念って・・」

「はい、はい。すみませんでした。この事件を起こしたのは・・・」

「剣斗!」

 春斗が叫んだ。

 その声を無視して剣斗が言う。

「この事件を起こした犯人は・・・私たちではありません」

「そうでしょう。あなたたちが犯人でしょうって、えっ?」

 ひなたが驚きの声を出す。

「犯人じゃないっていうの」

 ひなたが質すと、

「はい。そうです」

 剣斗がはっきりとした口調で言った。

「うそお、春斗、そうなの」

「そうだよ。違うよ」

 剣斗は必死に首を振っている。

「違うのか?」

 大原が問いただすと、

「はい。違います」

 剣斗がきっぱりと言う。

「ええっ、何でよ」

 ひなたは頭を抱えた。

「ねえ、正直に言って。ぼくが犯人って」

 言い募るひなたに向かって、剣斗は軽く頭を振る。

「だいたい、お前の推理には大きな穴がある」

 剣斗がひなたに言った。

「穴?どこにそんなのがあるの?」

「うすうす分かっているんだろう」 

 剣斗が言う。その表情は余裕しゃくしゃくという感じだ。

 逆に、ばつの悪い顔になったのはひなただった。

「穴ってなんだ。まさか、校舎の地下に穴を掘って潜入したとか」

 大原が口を挟む。

「先生、まじめに言っているのですか?そんなのあり得ないじゃないですか。でも、いい線行っています」

 剣斗が続ける。

「大きな穴とは、ひなたちゃんの推理には、校舎に入るときのトリックが抜けているという事です」

「校舎に入るときのトリック?」

「そうです」

 剣斗が応える。

「俺は、ひなたちゃんが言うように、誰からも疑われず学校の敷地に侵入できたかもしれません。しかし、校舎の中には入れないのです。あの顔認証付きの自動温度測定器がしっかりガードしている限り」

「いやいや、さすがの顔認証システムでも、同じ顔なら通してしまうだろう。春斗の顔が登録してあるからな」

 大原は目の前で手の平をひらひらと振る。

「はい。それはできました。昨日、春斗と入れ替わったとき、顔認証システムはクリアできました。あの機械は、俺と春斗の区別をすることができなかったのです。でも、思い出してください。あの温度測定器には、他の機能も付いていましたよね」

「他の機能?」

「そう、あの測定器は顔を認識した後、どうなるんでしたっけ?」

 剣斗が訊く。

「どうなるって、その下に顔認識した人の数が刻まれる」

「そう、それです。春斗が認証されて、その後に俺が認識された場合、課外の参加人数が一人増えることになります。課外者は全部で46人でしたよね。それが一人増えて47人となる。それはおかしいでしょう。温度測定器が示した参加者数は毎回カウントされていました。これまで、47人と出たことはなかったはずです」

「そ、そうだな。46が47となった時点で、あの測定機ならブザーがなるかもしれない。ということは、君が校舎に入ることは・・・」

「不可能です」

 剣斗がきっぱりと言った。

「でも、剣斗君は秀才でしょう。あんな測定器が示す数字なんて、いくらでも操作できるんじゃないの」

 ひなたが言い募るが、

「いや、さすがの俺にもそれは無理だ」

と、言い切った。

「そして、あの課外の時間帯で、同じ顔のやつがいたら、さすがにみつかるんじゃないか?俺が朝一番に来ていて、春斗が遅く学校に来たとしても、昇降口で俺をみたやつが教室に入ってきたとき、同じ顔のやつが教室に座っていたら、おかしいと気づくだろう。一種の恐怖のミステリーだ。さすがに無理すぎるだろう」

「トイレに入ればいいんじゃない。学校から入ってきて、すぐにトイレに行けば」

「いやいや、それも無理だろう。あわよく誰にも気づかれず、トイレに隠れることができたとしても、下校するときはどうだ。下校時間はみんな一緒に校舎を出ることになる。みんなが下校したら、昇降口の扉は閉められるんだろう。そのときに、春斗と俺はみんなに見られてしまう。そのときに外に出られなかったら、俺は校舎に閉じ込められてしまうから、みんなの下校時刻に合わせてトイレから出ないといけない」

「でも、私たちは、大原先生と図書室にいくことになっていたわ」

「それはそれで妙だろう。美緒と蓮は、放課後春斗たちが図書室に行くことを知っていた。今、三階の図書室に上がって行った春斗が、自分と同じ時間に昇降口にいるとなると、さすがにおかしいと思うはずだぜ。」

「ふん。そうなるね」

 ひなたはぶすっとして言った。

「やっぱり、トイレに隠れていても無理か」

 ひなたはしぶとく言った。

「無理だね」

「じゃあ、こんなのはどう?剣斗君が学校にきたら、そのトイレに行ってメガネを変えて、かつらをかぶって、変装してきたら」

「まだ、あきらめないの。それほどまでに、僕たちを犯人にしたいの?」

 春斗が悲しそうな顔をひなたに向ける。

「そうじゃないけど・・・」

 ひなたの言葉が尻つぼみになる。

「この課外期間は僕たちしか来てなかった。それも全員ね。それは間違いないでしょう。だから、剣斗が入る余地何てなかったんだよ」

 春斗がひなたを説得するように言う。

「そうか、どうしても無理か」

 ひなたが悔しそうに言ったとき、ガタっという音を立てて剣斗が立ち上がった。

「いや。待てよ・・・そうか、そういう手があったか」

 剣斗は何回もうなずくと、図書室から走り出た。


    探偵は推理を披露する 2


「ちょっと、待ってよ」

 ひなたが剣斗を追う。ひなたの後ろから、春斗と大原もついていく。

 剣斗はすごい勢いで階段を降りた。

 一年二組をちらっと見た後に、課外授業があっている一年一組の教室に辿り着いた。

 剣斗は誰もいない教室を見渡した。

「何よ。剣斗君。何か分かったの?」

 ひなたは剣斗の次に教室に入る。

「ちょっと、待って」

 剣斗は人差し指を小刻みに動かしている。

「やっぱりそうか」

 満足そうに剣斗は微笑んだ。

「分かったよ」

 剣斗の言葉に、

「えっ、分かったの?」

 ひなたが目を見開いた。

「ああ」

「何が分かったって?」

 春斗も教室に入ってくる。その後ろには息を切らした大原がいた。

「トリックさ」

「トリック?」

「そう、この事件のトリック」

 剣斗が自慢げに言う。

「本当か」

 春斗をどかすように、大原が剣斗に近づく。

「簡単なトリックでした。子どもじみた・・・」

「一体、どうやったんだ」

 大原は剣斗の体に触れるほど近くに歩み寄った。

「ちょっと、近いんですけど・・」

 剣斗は両手を広げて大原を制止する。

「もったいぶらないで、早く教えて」

 ひなたが剣斗をにらむ。

「そう、怖い顔をするなって。ひなたちゃんでも分かるよ」

「私でも分かるって、失礼な」

 ひなたはぷいっと横を向く。

「悪かった。謝る。今からそのトリックを教えるから機嫌直して。いいかい?この教室にある机を数えてみて」

 剣斗は一組の教室全体を指すように両手を広げる。

「机の数?46個でしょう?」

「いいから、数えて」

「一、二、三、四、・・・」

 ひなたが数え始める。大原も春斗もそれぞれで数え始めた。

「41、42、43、44、45・・・あれ?45しかない」

「本当だ、45だ」

 春斗が鼻息を荒くする。

「これがこのいたずらのトリックさ」

「どういう意味だ?」

 やっと数え終わった大原が訊く。

「机は45しかない。参加者は46人、一人ぶんの席が足りない。46人が校舎に入ってきて、教室で授業を受けていたのは45人だった。一人、余ったものがいる。つまり、そいつがこのいたずらをした犯人だ」

 剣斗がずばりと言い切った。

「おかしいな。俺が出席をとったとき、46人ちゃんといたぞ」

 大原が首をひねる。

「俺はちゃんと全員の名前を呼んで、一人ずつ立たせて確認した」

「でも、それは初日だけだったわよね。教頭先生がきたときだけ」

 ひなたがびしっと言った。

「そうだったかな」

「そうだったでしょう。それから後は、教室全体を見て、全員が席についているから人員点呼はしないで、全員出席だと決めつけた」

「ああ、そうだったっけ」

「昨日もそうだった。あなたは出席を取らずに、全部の机が埋まっているのを確認しただけで出欠を済ませた」

 剣斗が言うと、

「そうか。確かに」

 大原は頭をかく。剣斗は言う。

「犯人は、課外を数日受けたとき、あなたが名前を呼んで出席を取らないことを知った。だから、このようなトリックを思いついたのだと思います」

「し、しかし、俺が気まぐれで名前を呼んで、出欠を取る可能性もあっただろう」

 大原は不満顔だ。

「そのときは、代返という方法も考えていたのでしょうね」

「代返?ああ、誰かがそこにいない人の代わりに返事をするってことね。」

 ひなたが補足する。

「しかし、かなりうまく代返をしないと、近くにいた人からばれてしまうんじゃないか」

 春斗が会話の中に入る。

「そう、そこが問題だ」

 剣斗の顔が真剣になる。

「つまり、この犯行を行うためにはかなりの大人数が必要になるってことだ。学校に入学して、まだ一学期しか過ぎてないので、他のクラスの生徒の顔と名前はあまりは覚えてないだろう。しかし、隣にいる者が二回も返事をしたら直ぐに気づくはずだ。だから、代返をする人は代返したことがばれないように座らなくてはならない。代返者を囲んで大勢が守るように座る必要が出てくる・・・」

「なるほど、たくさんの者の協力がいったわけだ」

「うむ」

 剣斗は椅子を一つ引いて座った。

「この犯行の仕方はこうだ。まずは、前準備。大原先生が出席をとらないことが分かると、46あった席から一つの席を減らす。減らした席は、隣の一年二組の教室に入れる。課外中は一年一組にあった席だけでは足りないので、足りない分は一年二組から補ってあった。だから、一年二組の机と椅子が一つずつ増えていてもわからないだろう。下校時に、みんなが教室から出るとすぐ、机と椅子を一つずつ一年二組の教室に戻したんだろうな。まだ監視が厳しくなかったので、簡単だったと思う」

 ひなたたちは剣斗の説明を黙って聞いている。 

「一日の手順を考えてみよう。犯人をAとしよう。Aは、みんなと一緒に登校し、当然のように顔認証システムに顔をかざす。Aは課外を受ける者として登録しているから、簡単にそのシステムをクリアして校舎の中に入ることができただろう。8時過ぎ、46人全員が登校して来たことが確認されると、昇降口の扉が閉められる。Aはもちろん教室に入ることができる。しかし、席には座らない。いや、座れない。席は一つ不足しているのだからな。そして、いつもの隠れる場所に行く。第一、第二の犯行の時は、先生の監視もないので、トイレや隣の教室等に難なく隠れることができたことだろう」

 剣斗はここでいったん止めて、ひなたたちを見る。何も質問がないことを確かめると、話を続けた。

「しかし、第三の犯行と第四の犯行となると難しい。監視が厳しくなったからな。俺が思うに、そのときは、Aはやはりトイレに隠れたと思う。他の教室に入れば、廊下で監視している職員に不審がられるだろうから」

「でも、トイレに隠れるにも不審に思われないかな。トイレに入った人が出てこないわけでしょう。おかしいと気づかれるわ」

 ひなたが剣斗の話のほころびを指摘する。

「それが、少し多くの人数なら可能なんだ。一人が入って、その一人が出てこないなら不審に思われるかもしれないが、数人が集まってトイレに入ったらどうだろう。大勢でトイレに入り、一人が隠れる。たくさんの者がトイレに行ったら、出てこない者が一人いるなんて余程注意して見てない限り分からないと思う。このことを考えても、Aの共犯者は一人じゃないんだ。かなり大勢いる。下校するときも、Aの荷物をAに渡す必要がある。帰るときは二階の廊下には監視者はいなかったが、生徒たちの眼がある。Aの荷物をAに渡すのにはかなり気を使ったに違いない。Aはみんなが帰るのに合流して、みんなと混じって下校した。荷物の手渡しもその時に行われたはずだ。その共犯グループは多分教室を一番最後に出たと思うぜ」

 一気に話して、剣斗は話を止めた。そのタイミングを見計らって春斗が訊く。

「剣斗は、共犯者は何人ぐらいいると思うんだ?」

「そうだな。3,4人じゃ厳しい。7,8人。いや、10人ぐらいは必要だ」

「10人って、かなり多くない」

 春斗が驚く。

「多いだろう。でも、その10人程度ということは、あるユニット、まとまりが考えられるんだ」

「それって・・・まさか・・クラス?」

 ひなたがつぶやく。

「そうさ、この犯行はクラス単位で行われた可能性が高い。いや、これは可能性だ。確かめてないからな」

 剣斗は腕を組む。

「しかし、それなら犯行は可能だな。Aは授業中、自由に動き回ることができる。音楽室でも体育館でもいたずらし放題だ」

 大原は言う。

「じゃあ、犯人は分かるわよね。明日、学校に行って、授業が始まったらトイレを探せばいいんでしょう」

「それと・・・共犯者を見つける方法もあります」

「それは、どんな方法なの?」

 ひなたが前のめりになった。。


   ひなたたちは、罠を仕掛ける


 次の日になった。

 ひなたはいつも通りに校門をくぐり、顔認証の装置をやり過ごして校舎の中に入る。

 一時間目が始まる時間が近づいてきた。

 教室の後方にはひなたが前方には大原が立っている。

 やがて、教室の全ての席が埋まった。ひなたの机の上には鞄が置かれていた。その席は空いていないというアピールだ。

 大原が教卓の前に進み出た。

 大原はコホンと咳をして、

「みんな揃っているな」

 と言うと、教卓に手をついて教室を見渡す。

 いつもの時間が過ぎようとしていた。

 すると、その時、

「先生すみません」

 教室の後ろから声がした。

「どうした神川?」

「席がありません。ぼくが座る席がないんです」

 春斗は教室中に響く声で言った。

 ガタン ガタン・・・

 席を立つもの、後ろを振り返るものがいた。

「柏原さん」

「園田君」

「白石君」

 ・・・・・・・

 ひなたと春斗が名前を呼ぶ。

 春斗の声に過剰に反応した者たちだ。

 琴音たちは驚愕の表情をしている。

「今、指摘された者は一年四組の者がほとんどだな」

 大原は満足したようにうなずく。

「一体何なんですか?」

 琴音が叫ぶように言う。

「いいか、よく聞け。一年四組は、今すぐ図書室に行くように。あとの者は自習だ」

 大原が指示を出す。

「ど、どうして」

 園田が声を出す。

「いいからこい。穏便に済ませたいならな」

 白石晃大はこぶしを固める。園田は口を開いた。園田太陽が何か言う前に、琴音は言った。

「もういいわ。行きましょう、みんな。」

 琴音は椅子をきちんと入れると、教室から出て行った。

 晃大や太陽、一年四組の生徒が続く。

 春斗とひなたは大原の後ろについて、教室を後にした。


「えっ?うそだ」

 一番に図書室に入ってきた琴音が驚きの声を上げた。

「よっ。元気」

 すでに机に座っていた男子が手を挙げる。

「春斗君。あなた、さっきまで教室にいたでしょう」

「そう。いたよね」

 図書室に入ってきた者たちが騒ぎ始めた。

「何、騒いでるんだ。適当な場所に座れ」

 そう言って、大原が図書室に入って来た。

 しばらくして、ひなたと春斗が到着した。

「どうなっているの?春斗君が二人」

 琴音が二人の顔を見比べる。

「いやあ、驚かせてすまない。俺は、剣斗。神川剣斗。春斗と双子の兄弟だ。似てるだろう」

「似てるって、そっくりじゃない」

「だって、一卵性双生児。そっくりでも仕方がない」

 剣斗はすまして言う。

「もう、驚きはすんだか。こいつは、潮高等学校通っていて今は夏休み中、オブザーバーとして来てもらった」、

 大原は前に座っている剣斗を指差す。

「ども・・」

 剣斗は軽く頭を下げる。

「始めまして、じゃないな。昨日もあったから」

 剣斗は琴音を見ると、にこっと笑った。

「えっ。昨日学校に来ていたのは、あなただったの?」

「そうさ。俺さ。春斗に、あんな数学の問題は解けやしないし、英語の表現の違いなど分からないさ」

 琴音は合点がいったようにうなずく。

「もう自己紹介はいいだろう。みんな空いている席に座れ」

 大原は、まだ立っている一年四組の者に着席するように促した。

 みんなが座ったことを確認すると、大原が話し出した。

「どうして、お前たちが呼ばれたのか、分かるな?」

「・・・・・・」

 四組のみんなは黙っている。

「分かるな」

 大原の声が自然と大きくなる。

「分かりません」

 太陽が声を出した。

「分からないなら教えてやろう。君たちは今まであったいたずらの犯人だろう」

 図書室のホワイトボードの前に立つ大原は、凄みのある声を出した。

「お前たちのトリックは分かっているんだぞ」

 大原は四組の生徒たちをにらみつける。

「机を減らすってやつだよ」

 大原は自慢げに言った。

 二組の生徒はすっと息を吸った。誰も声を出さない。

「どうやら図星のようだな。ところで、どうだったトイレの方は?」

 大原が春斗に言う。

「いましたよ。入ってきて」

 図書室の前の入り口から、すごすごと一人の男子生徒が入ってきた。

「おっ。四組の竹下か」

 大原が言うと、竹下翔太は首を縦に振った。

「お前が余った一人というわけだな」

 大原が尋ねる。翔太は黙っている。

「肯定したと受け取っていいんだな」

 竹下がどう返そうか戸惑っていると、

「もう、いいわ。もう、いいです」

 琴音が立ち上がった。

「おいっ、柏原」

 晃大が琴音を見上げる。

「ここまでだわ。竹下くんだけに罪を背負わせるわけにはいかないじゃない」

 琴音は晃大に視線を返した。

「ねえ、みんな、いいでしょう」

 琴音が聞くと、四組の生徒は一斉にうなずいた。

「それはありがたい。素直に告白してくれれば助かる」

 大原はそういうと一番前の机の椅子に座った。

「竹下。お前も座れ」

 大原が言うと、翔太は四組が座っている机の中の空いている席に座った。

「どれ、どうしてこんなことをしたのか、説明してもらおうか」

 大原が話を投げた。琴音がすくっと立ち上がった。

「大原先生たちは気づかれていると思いますが、この学校の校則のことです。私たちは、不条理な校則を見直してほしい。ただそれだけで事件を起こしました。」

 琴音が話し出した。

「この流水学院の校則がかなり厳しいということは私たちも知っていました。それを承知で試験を受けて入りました。それは、分かってはいたんですが、実際に生活していく中で、息苦しさを感じるようになったんです。体育の後など髪が乱れたときは、その髪を直すために鏡が必要だと思ったし、毎回白の下着を着けていくのもいやでした」

 琴音はとつとつと話す。

「パーマや髪の毛を染めるのも禁止。それもいやでした。本当は私、くせ毛で少し髪がパーマがかっているし、色も赤みがかっているのです。実は校則に違反して、ストレートパーマを当てています。髪も黒く染めています。そうしないと、校則違反だと非難されるから」

 琴音が生え際を見せる。黒いストレートの髪の生え際の色は確かに赤っぽい。

「なんか、見えない手で頭を押さえつけられているようでした。先生たちがうらめしくなりました」

 四組の生徒たちは時折うなずきながら聞いている。

「課外期間が始まって、二、三日過ぎたころでした。靴箱に自分の靴を入れているとき、ふと見ると、その靴箱には、白い運動靴が並んでいました。誰かが言いました。『いいな。先生たちはいろんな靴がはけて』って」

 琴音がそのときの様子を丁寧に話す。

「すると、私の周りの人たちが言いました。『先生たち、ずるいよな、俺たちだけ白い靴をはかせて』『先生たち、ゆるせない』などと・・・。みんな鬱憤がたまっていたのです。それで、先生たちの靴にいたずらしようということになりました」

「いたずらについては色々出たよな。靴を白く塗るとかハサミできるとか。」

 太陽が言った。

「でも過激なことはやめようということになり、先生方のくつを紐でくくるという保方法で落ち着きました。校則のことを考えてほしいということで、白い靴に関する校則の紙を張ろうということになりました。」

 晃大が会話に入ってきた。

「一回目は簡単でした。休み時間に一階に降りて、玄関の先生たちの靴箱から靴を出して、それを紐でくくる。1分もかからずに終わりました」

 晃大が言うと、

「先生たちがあたふたしているのを見ると楽しかったな」

「ああ、スカッとしたよな」

 男子たちから声が上がる。

 大原はぶすっとして聞いている。

「あのとき、大原先生から話がありましたね」

 琴音が話を受け継いだ。

「でも。その話を聞いて私たちは不思議に思いました。それは靴を縛ったいたずらのことを非難するだけで、どうしてこんなことが起きたのか、白い靴でしか登校できないという校則についてはどうか、事件が起きた原因もその校則の内容について何も話題に出てきませんでした。」

 琴音がきっとした目で大原を見た。

「いろいろと取り立てて話をして、大げさにならない方がいいと思ったんだ」

「それは違うでしょう。大原先生」

 琴音がビシッと言う。

「この学校では校則の話題はタブーなんでしょう。それは伝統だ。決まっていることだという考え。校則の内容を考えようという気持ちなど一切ない。そのことがよく分かりました」

「だから、第二の事件を起こしたというわけね」

 ひなたが言う。

「そう。音楽室のポスターへの落書き」

 琴音が言うと、

「あれは素晴らしかった。ユーモアが効いてて。ブラボー」

 剣斗が拍手する。

「ありがとう」

 アイディアを出したであろう晃大が剣斗に礼を言う。

「あの落書きも結構簡単にできました。先生たちは二度といたずらがされるとは思っていなかったからです」

 園田が言う。

「まあ、そうだろうな。あまり緊張はなかった」

 大原は椅子の背にもたれて言う。

「しかし、あのトイレの鏡のいたずらは、そうはいかなかったはずだ」

「そう。第二の事件から先生方の監視もかなり厳しくなりました」

「だよな。でもそんな環境の中で、お前たちはやった」

 大原は琴音に前向ける。

「あれは・・・」

 琴音は一旦言葉を切って言う。

「あれは、やるつもりはありませんでした。・・・あんなに厳しい監視があるのに事件を起こして、見つかったらたまらない。私たちは、音楽室の落書きだけでやめるつもりでした」

「でしょうね。あれから先生たちは本当に真剣になった。目の色も変わったし、監視も厳しくなった」

 ひなたがそれを認めた。

「それでも、やろうとした理由は何だ?」

 大原が訊く。

「それは、あの校長先生の話です。高野校長は、いたずらをした者を徹底的に非難した。学校の邪魔者扱いをしましたね。不条理な校則のことは棚に上げて」

 琴音がこぶしを握る。

「だから、俺たちは校長たちの上をいく方法で、いたずらをしようと思ったんだ。先生たちを出し抜いてやろうと思った」

 太陽が言った。数人のものがうなずく。

「その日、学校が終わり、私たちはこれからどうするかについて話し合いました。すると、もう一度事件を起こそうという意見が圧倒的に多くかったのです。では、どうするか?そこで、私たちが考えた方法が机を一つ減らすという方法でした。一年一組にある机を一つ、一年二組に入れる。そうすることで、一人余る人が出ると」

「教室の机に全員が座っていたら、全員出席で、みんなそこにいると思うからな。ちくしょう、ちゃんと名前を呼んで確認すれば良かった」

 大原が机をこぶしで叩く。

「そうよ。大、じゃなかった。大原先生。先生がきちんと出席をとっていたら、机を一つ減らすという方法は使えなかったかもしれないのよ。先生の面倒くさがりな性格が原因なの。しっかりしてください」

 ひなたにやりこめられた大原は体を丸めた。

「問題は、どうやって机を一つ一年二組に移動するか。誰を余らせるか。いいや、誰を犠牲にするかだな」

 剣斗が冷たく言う。

「そう、そこが一番苦労したのよ。朝から先生たちは、廊下に立っていた。だから、朝から机を移動するわけにはいかない。休み時間も先生方の監視があった。残るは下校のとき時だけ。その時だけ、帰りの昇降口に監視の目が集まって、廊下の監視もなくなる。そのときを狙って、机を移動したの」

 琴音は剣斗に向かって話した。

「うそだろう。下校するときは、先生たちがいなくても、他の組の人もいる。そいつらが、お前たちが机を動かしているのを見たら、不審に思うだろう」

「そう、そうよ。見られたら終わり。先生たちにも他のクラスの人たちからも。だから、賭けだったの」

 琴音の強い口調に、剣斗はたじたじとなった。

「私たちは、他のクラスの人たちが階段を降りるとすぐに一の一の教室の机といすを一年二組に運んだ」

「それができたのか」

「できたのよ。誰からも気づかれずに移動できた。まさに、天が我々に味方した。正義は我にありという感じでした。校門から出たとき、私たちは歓喜し、心の中でやったと叫んで、こぶしを握り締めたわ」 

 ひなたは、四組の者同士が目くばせあって、喜びあっている姿をイメージした。集団でやりとげたという連帯感と達成感。そして、共通の秘密を共有しているという幸福感を味わっていたのだろうと想像した。

「そして、竹下を犠牲にしたんだな」

 彼女らに冷や水を浴びせるように、大原が言った。

「いえ、一人じゃないんです」

「一人じゃない?」

 ひなたが声を出した。

「交代で行ったの」

「交代?」

「そう。課外の期間十日間。机を移動したのが、課外が始まって五日目だった。第三のいたずらをしたのが六日目だった。課外はあと四日もある。先生たちの監視も厳しく、みんなの目もあったので、減らした机はなかなか元には戻せなかった。でも、机を一つ減らしてしまったので、課外の残りの四日間は一人だけ席に付けない人が出てくる。余ることになる。その人は課外を受けられないので勉強は遅れる。同じ人をずっと休ませるわけには行かなかった」

「だから、一人ずつ休ませたのね」

「そう。一日、いや半日だけど、休んだ人には昼間、私や園田君、白石君が交代で、学校であった内容を教えたわ」

「今日が、四組の竹下翔太の番だったんだな」

 大原が口を出した。

 翔太が黙ってうなずく。

「しかし、お前らよく考えたな。休んだ者に対してアフターケアまでやっている。大したもんだ」

 大原は感心した。

 そのとき、廊下から足音が聞こえた。

「犯人が分かったそうだな」

 声も聞こえた。間違いなく高野校長の声だ。

 あわてて、大原が図書室から出て行く。

 大原は、事件の顛末が詳しく分かるまで、校長たちには伝えないでくれと門松に頼んでおいた。しかし、何かのきっかけで校長たちの耳に入ったに違いない。門松が、高野が図書室に向かうのを必死で止めている。

「おお、大原先生。そこに犯人がいるのか」

 高野と栗橋は、門松の制止を振り切ろうとした。

「校長先生、ちょっと待ってください。今、話を聞いているいますので」

 大原も二人を止めようと、廊下の真ん中に立って制止しようとした。

「いいじゃないですか。みんなに聞いてもらいましょうよ」

 図書室から出てきた剣斗が叫んだ。

「ついでに、この学校にいる先生も全員呼んできてください」

「君は誰だ、偉そうに」

 高野が鼻息を荒くした。

「ああ、彼は一年一組の神川春斗です」

 門松が剣斗を見て言う。

「違いますよ」

 図書室の扉から、また一人男子学生が出てきた。図書室前の廊下に同じ顔が並ぶ。

「こいつは神川剣斗。ぼくの双子の兄です」

 春斗が言うと、剣斗は仰々しく礼をした。


「そうか、そうだったのか。全くけしからん」

 琴音たちと向かい合って、図書室の後ろの席に座っている高野が言った。

「こんなくだらないことをするなんて、私には信じられない。たかが校則ぐらいで」

「たかが校則って、私たちには大きな問題なんです」

 校長の言葉を聞いた琴音が言う。

「ふん。靴のことや髪のこと、それに何だ。鏡や下着のことだろう。勉強には全然関係ないことだ。学生は勉学するのみ。そうだろう」

 高野はふてぶてしく言った。

「そうです。その通りです。でも、そんな校則があることは勉学を進めるにあたって有利に働くものでしょうか」

「それはどうかは分からない。でも、パーマを掛けたり、髪の色を変えたりとオシャレにかまけて、勉強がおろそかになるのは分かる。風紀の乱れは心の乱れとも言うだろう」

 高野は正論を吐く。

「それも分かります。そんな人もいるでしょう。でも、私はその校則のせいで、毎回ストレートパーマをかけ、髪も黒く着色しなければならない。かなり面倒なんです。この毛髪に関する校則は私にとって邪魔でしかない」

 琴音は怒りに満ちた目で高野を見る。

「確かにあなたはそうでしょうけど、その髪に対する校則をなくすと、他の女子が一斉におしゃれするんじゃないの」

 高野の横から栗橋が会話に入ってきた。

「そうかもしれません。でも、そうではないかもしれない」

 琴音が言った。

「じゃあ、どうすればいいと思うの?」

 栗橋が訊く。

「その校則を『学生としてふさわしい髪形にする』というものにしてはどうでしょう?」

「そんなアバウトな。それでは取り締まる時の基準があいまいなものになります」

「取り締まる?そこからおかしいんじゃないですか?先生たちは警察ではないんです。罰を犯した人を罰する。それが教師じゃないでしょう。もっと、私たちを信頼してもらえませんか。私たちは『学生としてふさわしい髪型』ってどんなものかしっかり考えて、行動しますので」

 琴音が訴える。

「ふん。そう言うが、最初はそこまでひどくなかった髪型が、ちょっとしたおしゃれ心が入ると、どんどんエスカレートしていく。みんなも知っているだろう。靴下のルールの話を」

 高野が言うと、ほとんどの者が首を振る。

「君たち、知らないのか?靴下のルールの話」

「知りません」

 生徒たちから声が出る。

「じゃあ、教えてやろう」

 高野が席を立つ。そして、図書室の後ろにある黒板に近づくと白いチョークを握った。

「いいか。その学校では白い靴下しか着用できない決まりがあった」

 高野は黒板に白いチョークで靴下の形の線を描いた。

「ある時、先生たちから、ちょっとしたワンポイントなら許してもいいじゃないかという話が出た。そこで、そこの学校は、白い靴下であれば、少しのワンポイントくらいならいいというふうにルールを変えた。こんなイチゴぐらいのワンポイントならOKだと」

 高野は先ほど描いた靴下から矢印を伸ばして、その先にまた靴下を描いた。そのくるぶしあたりに赤いチョークで小さい丸をつけた。

「しかし、しばらくすると生徒たちの中から、線の入った靴下を履くものが現れた。教師が注意すると、その生徒たちは、『ワンポイントよりこちらのほうがかっこいいし、高校生ぽい。ワンポイントは少し子どもじみているので線を入れることを許可してほしい』と言い出した。教師は、そっちの方が学生らしいと考えたのだろう。そして、この靴下に線が入ったものが、暗黙の了解として許された」

 黒板には三つの靴下が描かれた。

「そうなると、もう、歯止めがきかない。靴下に入った線の数が増え、ストライプになったし、ワンポイントという定義も変わり、キャラクターが堂々と靴下の中に、はびこるようになってしまった」

 高野は四つ目の靴下を描いて、赤、青のチョークで適当な線を描いて、靴下の中に黄色でニコニコマークを入れた。

「こうなると、どうだ。その学校は結局どうなったと思う」

 高野が問う。

 誰も口を開かない。

「その学校は校則を元に戻したのだ。靴下は白いものしか着用できない。ワンポイントが入ったものや線の入ったものは一切禁止と」

 そう言うと、高野は左の靴下だけを残し、右の3つの靴下に赤のチョークで大きな×をつけた。

「靴下にワンポイント程度なら入れていいという校則に変更してもらったのに、また厳しい校則に逆戻り。ばかげているだろう」

 高野はチョークのついた手をはたいた。

「この説話には続きがある。校則を元に戻した教師側に対して、生徒たちが文句を言ったんだよ。先生たちはひどい。先生たちは悪いと。でも、本当に悪いのは誰だと思うかね。柏原君」

 高野は琴音に指を指す。

 琴音は渋々口を開く。

「決まりを守らなかった生徒たちです」

「うむ」

 琴音の言葉を聞いた高野は重々しくうなずいた。

「そうだ。約束を破って、エスカレートしたものを着用し始めた生徒が悪いのだ。その生徒がいなかったら、靴下は少しの線、ワンポイント程度なら着用できた。先生が悪い?ふん、そうじゃない。決まりを破った生徒が悪いのだ。そのことを自覚できないばか者が多すぎるということだ」

 バンと高野は黒板をたたく。黒板の溝からチョークの粉が舞い上がる。

「そんな例もあるのに、『学生にふさわしい髪型をしよう』という校則に対して、自分で基準を設けて守ることができると思うか。私はそうは思わない。自分のいいように決まりをねじ曲げて、好き勝手をするのではないかね」

 高野が琴音たち一人一人を指さして言う。

「そうかもしれません」

「ふふん、そうだろう」

 高野が鼻で笑った

「でも、私たちはそうではないという理想を追い求めたいのです」

「理想。理想はいいが、現実にできるものとできないものがある。そんな言葉を話すこと自体、幼稚に聞こえるな。柏原くん」

 高野が琴音を馬鹿にするような口調で言ったとき、

「琴音さんを馬鹿にするな」

 声が響いた。

 その先には興奮した春斗がいた。

「琴音さんは、先生が思っているより優秀です。そして、周りのことを見て行動できる素晴らしい人です。彼女は掃除時間、だれよりも必死に廊下の床を拭いています。学校がきれいになるために懸命に頑張っているのです。そんな行動をする人が理想を語って何が悪いんですか?」

 掃除時間という低次元の話。今、問題になっている校則の話題に対してもほとんどつながっていない。それは感情から出た言葉だ。でも、琴音はうれしかった。勉強の成績以外、周りの者から認められたことがなかったからだ。

 そして、琴音は思った。自分とは違うクラスなのに。彼はそんなところを見てくれていたんだ。彼こそ、周りの人のことを温かい目で見ることができる純粋な人かもしれない。自分の周りには、成績のことや自分のことだけを第一に考えるものが多い。そんな中で、彼は違う存在である。琴音は春斗のことに興味をもち、春斗を見た。

 琴音が自分を見ていることに気づいて、春斗の胸は早鐘を打った。春斗ははずかしくなり琴音の視線を外した。

「私は・・・」

 琴音は高野に視線を戻す。

「私は、髪にパーマは掛けるな。色をつけるなという校則より、学生らしい髪型にしろと言われたい。つまり、学校が作ったスタンダードではなく、自分たちで考えたスタンダードを作りあげたいのです。それは、もしかするとパーマをかけることが許されるものかもしれません。茶色っぽい髪をする人も出るかもしれません。しかし、それが学生らしいと判断できる範囲のものであれば、先生方に容認してもらいたいのです」

「何を言ってるの。そうすれば、私たち一人一人がそれぞれで違う尺度を持ち判断しなくてはいけなくなるじゃない。学校には全体に通じる基準が必要なのよ」

 英語の戸村が思わず口走った。

「戸村先生」

 琴音はまっすぐ戸村を見た。

「先生はこの学校にある校則に甘えていませんか?校則があるので、その校則に沿って判断さえしていれば簡単で、対応も早くできる。ものさしは具体的であればあるほど、測定しやすくなりますからね。でも、それって姑息ではありませんか?一人一人違うのに、十把一絡げに対応するなんて、それこそ、先生方の怠慢です。先生方もしっかり私たちを見て、それぞれで判断していくべきです。思考していくべきです。戸村先生は考えましたか、学生らしい髪型ってどんなものか」

「ええ、考えているわよ」

「どんなものか教えてもらいませんか?」

「黒髪でストレート。そして肩にかからない程度の長さ」

「ステレオタイプの答えだわ」

 琴音があきれたように言う。剣斗も苦笑している。

「でも、それで本当にいいのですか?」

 琴音が戸村に言った。

「何がよ」

 戸村がヒステリティックな声を出す。

「私は心配しているんです。この流水学院の未来を」

「未来?」

「未来だと」

 今度は、高野が反応した。

「そうです。パーマはダメだ、髪の色は黒だとそんなルールを決めたままで、この学校の未来は大丈夫かと」

「大丈夫に決まっているだろう。この学校は今までこれでやってきたんだ。有名大学への進学率も高い」

「高いと言っても、東京大学並みの大学に一割ほどの学生が合格する。そのレベルでしょう。生徒の主体性をつぶしている学校はその程度なのです。」

 琴音は悲しそうな顔をして、続けた。

「では、校長先生にお聞きしますが、もしも、外国籍の生徒が入学したとします。彼、彼女の肌は真っ黒、髪の毛はパンチパーマ。さあ、校長先生ははどう対処しますか?パーマをストレートにしろというのですか?西洋人で金髪の女の子には、髪を黒く染めろというのですか?」

「うっ、それは」

「この流水学院ではそのようなことは想定していないのでしょうね。私はこの学校で外国から転入した生徒にはあったこともないし」

「この学校はそうなんだな」

 剣斗がつぶやく。

「潮高等学校には、一クラスに二、三人の外国籍の生徒がいる。肌が黒い子、金髪でパーマの子、いろいろだ。外見では分からないが帰国子女も結構いる。なんで、ここにはいないんだ」

「私が想像するのに、この流水学院は外国籍の生徒から敬遠されているのではないでしょうか?」

 琴音が言う。

「なぜだ」

「・・・・それは校則が厳しくて、おかしいから」

「何をいうんだ。校則が厳しくておかしいだけで、敬遠されるなんてありえないだろう」

 高野が興奮して言うと、剣斗が即座に口を開いた。

「いいや、ありえるね」

 みんなの目が剣斗に集まる。

「俺がそうだ。俺は弟の春斗と同じこの学校に行きたかった。ひなたちゃんとも」

 剣斗はちらっとひなたを見る。ひなたは少しドギマギした。

「しかし、俺は潮高等学校に通っている。どうしてかというと、理由は分かるだろう。校則だ。厳しい校則というより、意味が分からない校則がある学校には死んでもいきたくないと思った」

「たった校則ぐらいで・・」

 栗橋がつぶやく。

「そうじゃないんだ。一事が万事なんだよ。校則一つでその学校のスタイルが分かる。伝統や約束事にこだわり、まわりを雁字搦めにする学校。生徒の主体性を大事にすると言いながら、生徒の意見を無視する学校。今の状況に満足し、これからの未来を見据えていない学校。そんな学校は、未来を拓く教育活動が行われないと俺は想像する。そんな学校は、東大という狭い場所を頂点として考え、オックスフォードやハーバードなど世界に通用する学校には、到底生徒たちを送り出せない。校則というちっぽけなことも変えられない学校なんて、なんかみみっちいよな」

「何ですって」

 剣斗の言葉に栗橋がメガネを右手で上げる。

「じゃあ、先生。聞きますが、この学校には下着の色は白というものがある。どうして、そんな校則があるんですか?教えてください」

「そ、それは・・」

 いきなり剣斗から質問をぶつけられた栗橋は口ごもりながら言った。

「それは、白の方が集中力が高まるし、着替えの時に気にしないでいいですし・・・」

「それって、本当ですか?みなさん、白い下着の方が他の色の下着より集中力が高まるのですか?」

 剣斗は図書室にいる生徒に向かって尋ねた。

「いいえ」

 生徒たちは大きく首を振る。

「着替える時、白の方が気にならない?」

 剣斗が立て続けに聞く。

「逆です」

 女子が答える。

「白いほうがよごれが目立つし、中身が透けて見えそうでとても気になります」

 それを聞いた剣斗は深くうなずく。

「という意見ですが、教頭先生もその意見分かるでしょう?それとも何ですか?先生の勝負服は白なんですか?いやいや、すみません。セクハラでした。失礼」

 剣斗は軽く頭を下げる。

「そもそも、先生たちは今の校則にしっかり向き合おうとしましたか?こんな事件を生徒に犯させて、生徒たちを追い詰めたことに対してどう思っているのですか?」

 剣斗の追求は激しい。

「いやいや。彼ら彼女らは、それを知ってこの流水を選んだんだ。いやなら受験してまで入らないならいい。選んだのはあの子たちだ」

 校長は投げやりな態度で言った。

「そうです。あさはかでした」

 琴音は校長をにらんだ。

「まさか、これほどまでに自分たちの古い考えに固執し、私たちのことを考えてくれない学校だとは思いませんでした。こんな学校に入学したとは、私たちも愚かですね」

 琴音は首を数回振った。そして、瞳に強い光を宿らせて、高野たちを見た。

「ですから、私たち13人は流水学院から出て行きます」

「ええっ」

 高野たちは驚きの声を出す。

「私たちは学校をやめます。やめて、他の中学校に行きます。この夏に編入試験を受ける予定です」

「う、うそだろう」

 高野の声がかすれている。

「先生。私たちは、一人の友達を学校にこさせないような取り決めをしてまで、そんな犠牲まで払ってこの事件を起こしました。相当な覚悟だったのです。これでも校則について変わらないなら、学校を去ろうと話し合いで決めました。ねっ、みんな」

 琴音の言葉に、太陽や晃大たち一年四組全員がうなずく。

「どうも、お世話になりました。そして、迷惑をおかけしました」

 琴音が高野たちに向かって大きく頭を下げる。

「ま、待て。進学クラスの君たちはのエリート中のエリートだ。中学校まで出向いて、スカウトしてきた者もいますよね。君たちがいないと進学率がぐっと下がる。やめてもらっては困る」

 高野があたふたし出した。

「本当に身勝手ですね。でも、もう決めたことなのです。こんな大事件を起こした私たちですし、このまま学校に残ることはできません」

 琴音が言葉を紡ぐ。

「おっ、いいね、琴音ちゃん。琴音ちゃんは、潮高校に来てよ。きみなら軽く編入試験に受かると思うよ。来なよ。潮高校は楽しいよ」

 剣斗が琴音に向けて親指を立てる。いいねのリアクションだ。

「そんな、だめだ、だめだ。親御さんはどういっているんだ」

「まだ、なにもいってませんけど、私たちは必死でこの学校の実態を訴え、説得するつもりでいます」

「そんなあ」

 高野の肩から力が抜けた。

「行きましょうか。みんな」

 琴音が見渡す。四組の生徒が立ち上がり、図書室の出口の方へと動き出す。

 大原がその出口の前に立つ。大原にしては素早い動きだ。

「ちょっと、待てや」

「何ですか、大原先生。そこをどいてください」

 先頭の晃大が言う。

「いや、どかない」

 出口の前に立つと、でっぷりと太った大原は迫力があり、出て行けるほどの隙間がない。

「このまま出て行ったら、お前たち負けだぞ」

「負け?」

「そうだ。自分勝手な負け組野郎だ。お前たちの言いたいことはよくわかった。お前たちの気持ちもな。でも、今、出て行けば自分たちの考えを言って、それが通らなかったら出て行くという我儘小僧の行為そのものになる」

「うっ」

 我儘小僧という言葉に対して晃大は一瞬ひるんだ。しかし、

「だって、仕方がないでしょう。僕たちは、必死に考えたんですよ。校則のことはもちろん、学校のこれからについて。でも何も変わらなかった。失望以外の何物でもありません。残念です。大原先生」

 晃大は大原の横のちょっとした隙間から通り抜けようとした。

「なめるなよ。園田」

 大原がどすのきいた口調で言う。

「俺は、この学校卒だ。それなりに学校愛もある。こんな俺はお前たちの言葉に圧倒されてしまった。心に刺さったよ」

「それは、ありがとうございます。でも、帰ります」

「だから待てと言っただろう」

 大原は晃大の行こうとした方向に合わせて体を動かす。

「お前は何も変わらなかったといったな。それは違う。変わったんだよ。少なくとも俺はな」

 はっと晃大は顔を上げて、大原を見つめる。

「こんな学校に未来はない。確かにその通りかもしれない。実は受験者数も落ちているんだ。中学校を回って、この学校に来るように優秀な生徒を誘っているのもそのせいだ。このままでは、この学校は尻つぼみになる。いや、もうなっている」

 図書室の後方にいる職員の中にはうなずいている者もいる。

「俺はこぶしでがつんと殴られたような気がした。俺は今まで寝ていたんだ。通例とか伝統とかいうぬるま湯の中で」

 大原は真剣な顔で話しかけた。

「だから、俺は変える。この流水学院をだ」

「いくら、先生一人がやったって」

 晃大が言うと、

「いや、俺もやるぞ」

 北村から声が出る。

「俺はここの学校出身ではないが、学校を変えていこうという気持ちはある。俺もやる」

「まあ、俺もかな」

 岩田からも声が出る。

「いいですね、岩田先生。もちろん、私もやります」

 門松が手を挙げる。

「校長先生。こいつらすごいですよ。学校の未来をちゃんと見据えて、行動したんですよ。これは、本来、私たちがやるべきことだったんじゃないですか」

 門松が校長に言う。

「こんな生徒たちをみすみす失うなんて、それこそ学校の未来をつぶすことにつながります。何とかしませんか?」

「なんとかって・・」

 校長がしどろもどろに答えた。

「生徒たちの声を聞くんです。そして、動くんです。それしかない。まずは、校則の見直しから始めましょう。そして、生徒指導から授業の在り方、はては学校の教育活動全体について、実際に生徒はどう思っているのか、生の声を聞いていきましょう。そして、改善できるところは改善する。校長先生、やりましょう」

 意気揚々としている北村の言葉を聞いた高野は、急に我に返った。 

「改善、改善というが、それが本当に改善になるのか?」

 追い込まれた校長が開き直って言い返す。窮鼠猫を噛む状態だ。

「校則を変えることこそ、改悪ではないのか?今まで、この学園はそれで成り立ってきた。優秀な生徒も排出してきたんだ。改善などくそくらえだ。ですね、栗橋教頭」

 高野は栗橋に顔を向けた。

 栗橋は下を向いて体をぶるぶると震わせている。

「じ、実は私もいやでした」

 栗橋は消え入るような声で言った。そして、顔を上げると炎を吐くような勢いで話し始めた。

「私もこの校則がいやだったんです。私もこの学園出身です。制約が多く、意味の分からない校則が大嫌いでした。しかし、そんな校則を守ることこそ学生の本分であると自分に言い聞かせて学生時代を過ごしてきました。教員になっても、校則を生徒に守らせることこそ教育であると信じて生徒と接してきました。しかし、今はっきりと分かりました」

 栗橋はきっと高野をにらんだ。

「そんなのは教育でもなんでもない。ただの強制です。生徒の成長、自立へとつながるもの、生徒の主体性を促すものこそ教育の原点であり、教育の価値であると考えます。生徒たちを押さえつけるくだらない校則こそ、くそくらえです」

 栗橋は言い終えるとぜーぜーと息を荒くした。高野は驚きの表情で立っている。

 その様子を見ていた大原が声を出す。  

「おいっ、四組のみんな。聞いたか、今の言葉。教頭先生もそうおっしゃってる。どうだ、俺たちにチャンスをくれないか?学校を大きく変革する。その姿を見てもらいたい。それでも、出て行くというなら仕方がないが・・・」

「いえ、私たちも出て行くことは本意ではありません。できれば、ここにいたいのです」

 琴音が言う。

「よおし、決まった。編入試験を受けるのは、学校がどうなるか見届けても遅くないだろう。やりますよ、私たちは。ねっ、教頭」

「はい、もちろんです」

 栗橋が力強く言った。

「校長先生もね」

 大原が声かけると、高野は黙ってうなずいた。その体は急に小さくなったようだ。

「という訳で、今回はこれで終わり。もう、いたずらはしないだろう。学校を変えるという約束はした。俺を信じろ。じゃあ、教室に帰って授業を受けるんだ。これからの予定は後で話す。みんなの意見を聞く場を設けないといけないからな」

 大原はそう言うと、図書室の出口から身を引く。

「はい」

 四組の生徒たちの表情は明るい。次から次へと大原に頭を下げて出て行く。

 琴音が出て行こうとすると、

「柏原さん」

 剣斗が声を掛けた。琴音が振り向く。

「柏原さんが、うちの学校に来ないのは残念だな」

 剣斗が琴音を見て言う。

「私は大丈夫。近くにあなたと同じ外見の人がいるもの。その人はあなたよりも魅力的かもしれない」

 琴音は春斗を見る。

 春斗は何があったか把握できずに、口をぽかんと開けた。

「でも、柏原さんが認めるような学力を身に付けなくてはいけないわよ。頑張ってね、春斗」

 ぽんとひなたが春斗の背中をたたく。

「あいたっ」

 春斗は転げそうになる。

「頭もいいけど、体も鍛えなきゃね」

 ひなたはふふふと笑う。

「頭も体も両方ともか、お前も大変だな」

 剣斗が春斗に言う。

「うん」

 春斗は深くうなずいた。

 これから結構大変かもしれない。しかし、春斗はわくわくしていた。学校が大きく変わるかもしれない。いやそれもそうだが、自分が大きく成長するチャンスが来たかもしれない。

 春斗はその期待で胸をいっぱいに膨らませた。


 


                                    了


 











 

  



 





  

 



  





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そして、ベートーベンは、おかっぱになった @00ka

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