『サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム―いつか王子様が―』
小田舵木
『サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム―いつか王子様が―』
サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム。
有名な『白雪姫』の映画の劇中曲。多くのジャズプレイヤーがカバーしたことで有名だ。私はビル・エヴァンスのモノが気に入っている。
いつか王子様が。この曲は白雪姫が王子様を想って歌った曲。可愛らしい歌詞が付されている。
いつか私の元に王子様が来る…女の子なら誰しもが持つ願望。
だがしかし。現実はそうも甘くは出来ていない。
ただ、待ち続けるだけでは婚期を逃してしまう。
女性の身体は男性の身体と比べて、色んなタイムリミットが課されている。
単純に卵子の数は歳を経るごとに減っていくのだ。
私は今年、30になろうとしている。
古い世の中なら婚期を逃してる、出遅れである、と罵られるような年齢だ。
仕事に夢中になっている内に20代は溶けて消え去っていった。
20代前半の内は疑問を持たなかった。20代後半になれば自然と恋人は出来るだろうと。20代後半になると、私は仕事に生きがいを見つけて。恋愛から離れていった。
そして気がつけば30歳。それに気付いたのは残業中の事。
何気なくプライベート用のスマホを見たら、家族から祝いのメッセが来ていて。
「
私は
私は王子様を待ち続けてはいる。まさか30になるまで来ないとは。
「どしたの?天井眺めて」一緒に残業していた上司―女性、未婚40代―が話しかけてくる。
「いやあ。30になってしまったな、と」
「おめでたい。で?何で凹み気味なのよ?」
「…恋人の1人もいやしない」
「って言っても。仲の良い男友達くらい居るでしょうに」
「それがまったく」私はプライベートでは人付き合いが乏しい女だ。と言うか、なるべくプライベートな時間は持たないようにしている。
「私は結婚
「取り返しはつくんでしょうけど…男との付き合いかた忘れちゃいましたよ。最後に付き合ったのって大学生以来かも知れない」社会人になってからは、キチンと付き合った男性はいない。一夜の関係をもった人間ならいるが。
「…確実に私の方に近づいてきてる」
「ま、それも悪くはないような気もしますが」私は…一人でも生きていける。
「止めはしないけど。かなり孤独よ?」
「私は孤独、慣れてますよ」
「そういうんじゃないんだなあ…分かる?」
「…想像してみたけど。分からないかもです」
「街中でね。家族…子どもを持った家族を見たりするとね…来るわよお。孤独が。私には側を歩く人が居ないって思ったら。ホント、死にたくなってくる」
「でも生きてる」
「そりゃ。自分で選んでしまった生き方だもの。開き直りもするわよ」
「ナマな感覚ですねえ。まだ、私には自覚が足りないのかも知れない」
「さっさと自覚しなさい。そして行動するの。私みたいにならないように」
◆
日曜日。ワーカホリックな私も流石に日曜には休息を取る。
今は料理をしている。一週間分のおかずを作りだめして平日に備える。
料理は楽しい。だが、ふと去来する思いがある。
誰かの為に料理したほうが楽しいだろうなと。
一人分の料理を作るのは手間だ。とかく材料が余りがち。だから同じ材料で違うメニューを無理やり
私は料理を小分けしたタッパーを冷ましながら、ビル・エヴァンスの『サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム』を聴く。
エヴァンスが弾くこの曲には少しの憂いを感じる。
メロディが展開するところは楽しげだが、最初のひき始めに少しの憂いがあるのだ。
王子様やってこないかな…そう願う白雪姫の顔が私の頭に浮かび、その顔が私にオーバーラップしてくる。
待っているだけでは駄目だ。私は思う。
女はとかく待ちがちな生き物だが、この目まぐるしく回る世の中では待っていては置き去りにされてしまう。
そして待ちぼうけをした女には孤独な未来が待っている。
今は孤独に耐える事が出来るが、歳を取ったら分からない。会社の上司みたいに言い訳をしながら生きる事になるのかも知れない。
私はタッパーの中身を冷まし終えると、おかずを冷凍庫にしまい込み。
外に出かける準備をする。
今から趣味であるボルダリングのジムに行くのだ。
◆
ジムに着くと。私は更衣室で着替えて。マイシューズとチョークバックを持って。
壁の近くを歩き回る。まずはウォーミングアップをしたいのだ。
適当なコースを見つけると。私は壁から離れ、準備体操をする。
身体は20の頃と比べて柔軟さを失っている。着実に年月が私を
私が選んだウオーミングアップコースはスラブ。薄いホールドで構成された絶壁を伝って行くコース。
ここにはメタファーがある。私の人生の。私は薄いホールドの上でバランスを取り。
なんとかバランスを取りながら、次のホールドに脚を伸ばしていく。
綱渡り。そう形容したくなるコース。私の人生も綱渡りになりつつある。
なんとか私はコースをクリアするが。達成感は薄い。こういうのは慣れきっているのだ。
私はレストをはさみながら色んな壁を登っていく。
クリフハンガーじみたコースを登っていると先の人生が頭に浮かぶ。厳しい上り。
しばらく登り続けると身体が
ジムを眺めて見れば。家族連れやカップルが多い。
私だけが一人のような気がしてくる―がそれは勘違いだ。案外ボルダリングジムにはソロの客が多いものなのだ。
「やってますねえ」おじさんが声をかけてくる。これは多分、こういうとこ名物教えたがりおじさんだ。孤独を持て余したおじさんは教え魔と化すものなのだ。
「お疲れ様です」私は警戒しながら返事をする。
「あのコース。難しかったでしょう?」
「なんとか登れたって感じですかね。私がもっと腕力があれば楽できたのですが」
「腕力なんて。あっても困らないが必須のモノじゃない」
「まあ、テクニックがあれば
「そうです。お教えしましょうか?」ああ、やっぱ来やがった。指導と称して付きまとう気満々なのだ。
「いや。自分でやり方考えるのも修行ですから。丁寧にどうも」私はさっさとこのおじさんを追い払いたい。
「僕の指導を受けた方がいいのに…」そう言いながらおじさんはどこかに去っていった。
この後、私は幾つかコースをこなして―ジムを去った。
去り際に教えたがりおじさんの熱い視線が私を追っていたが。それを無視して私は去った。
…おじさんには人気なんだよな。私。
◆
私はジムを出ると、近くにある温泉施設に行き。そこで汗を流す。
風呂に入ってしまうと血流が良くなり。腹が空いてくる。
今から家に帰って一人飯も悲しいものだ。どこか適当な飲み屋にでも行こうかな。
人は一人でご飯を食べていると悲しくなる生き物だ。食卓は色んな人と囲む方が良い。
私は適当な小料理屋に入り。ビールと茄子の煮浸しを頼んで。突き出しのひじきの煮物を食べる。
こういう家庭的な味に飢えている。私は。なら自分で作ればいいじゃんと思うがそうじゃない。誰かに作ってもらう家庭の味に飢えているのだ。
私は茄子の煮浸しをビールで流し込み。ついでに
魚は面倒臭いから自炊では避けがちだ。
私が鯵を突いていると、いっこ隣の席に30代と
私と同じようなメニューを頼んでいる。彼も独身だろうか?家庭の味に飢えてこの店に迷いこんだのだろか?
「こんばんは」彼はビール片手に話かけてくる。
「こんばんは」私は日本酒にシフトしている。魚といえば日本酒だ。
「…
「そうですね。自分で作っても何かが違ってしまう。だからこの店の常連なんです」
「気が合いますね。僕もこの店のファンなんですよ。結構通っているけど、貴女は初めてみるなあ」
「私。週末にしか
「健全な飲酒生活。羨ましい。僕なんて孤独を持て余してよくここに来てしまう。一人で晩飯を食うのが嫌でね」
「私もそうですが。節約の為に自炊してますよ」
「偉いなあ。僕なんて社会人になってからとんと自炊してない」
「私は言うて女ですし」
「家庭的な女性であることを捨てきれない?」
「いくら社会が進んで、専業主婦が絶滅しようとも。女は家事をして生きてきた動物ですからね」
「立派ですねえ」
なんて。私と彼は会話を弾ませる。
彼は中々男前だ。私の好みにどストライク。
こういう男に抱かれるなら―良いかなって思ってしまう。
いくら男日照りの私でも、性欲には勝てない。
役に立つ予定はない感情だが。
私達は酒を呑み進めていく。明日は仕事だというのに。
相手が居る酒はとかく進みがち。
私と彼は酔っ払って。お互いの仕事の愚痴を
「私ね。最近30になっちゃって」私はポロリと
「同じく。気がついたら30。月日が流れるのは早いですよねえ」
「…昔なら結婚して家に入って、子どもを産んでるはずなのに」
「今は僕と呑んだくれてる。ま、現代ではよくある話です。僕だって、パートナーは居ないんです」おっと。これはチャンスなのだろうか?
「パートナーってどうやって作るんでしょうね?」私は
「…出会う機会がないとそうなりますよねえ。気が付いたら結婚適齢期を過ぎようとしている」
「そして。親にさっさと男を作れと急かされる」
「そううまく言ったら、結婚相談所なんて要らないですよねえ」
「そうそう」
私達は一軒目の小料理屋を出て。
二軒目のバーに入る。そこではビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』のアルバムが流されており。
私はスクリュードライバー。彼はジントニックを片手にエヴァンスのピアノを聴く。
「…人生って結婚がゴールなんですかね?」私はふと言う。
「生物学的にはそうでしょう」彼はジントニックを
「子孫を次代に送り出す…それだけが人生だったら。私の人生は何なんでしょうね?」
「酷く詰まらなく思える…同意見です。今は子孫を増やす以外の生きがいも用意されている。個人では何でも出来る…だけどこれが曲者です」
「そう。何をしても良いって事はゴールが設定されてないようなもので」
「僕らはないゴールを目指すよう、強制されている」
「そこに現れる簡単な解決法。それが結婚」
「話が戻っちゃいますよね」
今のナンバーは『オータム・リーブス』。はらはらと舞う秋の木々の葉を表現したピアノが美しい。
「ねえ。
「今のところは居ないね。孤独に生きる準備をしている」
「私と一緒か。ねえ。
「ええ。ひしひしと身に感じる」
「私は―今のところ仕事に生きがいを見出して居るけど貴方はどう?」
「僕?しがない感じですよ。生きがいを感じるほど仕事に打ち込んでいない」
「じゃあ、どうやって孤独に耐えてるの?」
「そうだなあ。趣味と後は猫かな」
「趣味かあ。私はボルダリングが趣味だけど」
「僕は一人で小説を書くのが趣味でね。今日も一本書き上げてきた」
「どういう小説を書くの?」
「どれもこれも孤独な男が主人公さ。孤独な男が世界を旅する…そんな話を猫と一緒に書いている」
「貴方は。感情をぶつける先があるのね」
「ああ。だから案外、平気なのかも」
「それに猫も居るしね」
「そうそう。これが愛猫の写真」彼はスマホを見せてくる。そこには三毛猫がゴロンと寝転がった写真。
「いいなあ。私も迎えようかな…って私猫アレルギー気味なんだった…」
「人生はうまくいかない」
◆
『ポートレイト・イン・ジャズ』は進んでいき。
今日二度目の『サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム』。この曲は何度聞いてもいい曲だ。思わずうっとりしてしまう。
だが。酔った私はこの曲の元のメッセージに皮肉を感じてしまう。
「なーにが。王子様はいつか来るよ。来ないってば」吐き捨ててしまう。男の前だと言うのに。
「王子様を待つ白雪姫。うん。ある種の皮肉だね。
「私だって…20代の前半…大学生の頃は色々あったわよ。でもね。そこから結婚までには繋がらなかった。そして社会人になってしまって。恋愛の仕方を忘れちゃったの」
「はは。それは僕もそう。大学生の頃からの恋人が居たけど。あっさり愛想をつかされたね。稼ぎが少ないからって」
「稼ぎ
「そうは言っても。女性には社会的にハンデが課されている。生涯を通せば出産というイベントは避けられない」
「出産ねえ。そんなに子どもを産むって大事なことなのかしら?」
「一応は意義のあるイベントさ。人間生物だから、その辺に幸福や達成感を感じるようプログラムされている」
「ああ。私はそんなモノを無視して生きたい。だけど。性欲はキチンとあるから不思議」明け透けに語る私。ここまで来るとカマトトぶってる場合じゃないのだ。
「性欲はしょうがないよ。避けられない」
「でも。結局は妊娠出産の為のモノでしょ?」
「そりゃそうさ。だが、手段を使えば、その快楽だけを味わう事も出来る。別に恥ずかしがる事はない」
「んじゃあ…抱いてよ」私は酔いに任せて言ってしまう。誘い方として最低だ。雰囲気もクソもないし、自分から言ってしまってる。
「…据え
「男はそういうところ大変よね」男の性欲のピークは10代〜20代前半。対する女は30代〜40代前半。このアンバランスさは悲劇を生み出していると思う、その被害者が私。
「…ここまで呑む前に誘って欲しかったかな」
「こりゃ。作戦失敗だったかな」
「狙ってたのかい?気付かなかった」
「鈍感過ぎるわよ」
「久しくこういう事態に
「モテるんじゃないの?
「職場じゃ猫好きのホモだと思われてる」
「私と一緒で婚期を逃しそうね」
「それは言えてる。だが。僕は僕で生きていける。結婚に頼らなくても人生は彩れる」
「負け惜しみにしか聞こえない」
「結構。負け犬の遠吠えさ」
「…貴方には叶いそうもないわね」
◆
私と彼はビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』を聴き終えると店を出て。
「最後に連絡先と名前くらい…」私は引き下がっている。これじゃあ性に飢えた大学生のオスみたいである。
「
「意地が悪いわね」
「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム…あの小料理屋で待っていれば。そのうち僕と会えるよ。平日なんかも夜ご飯食べにいくからね」
「自分で王子様と形容する?お笑い草ね」私ははっはっはと笑ってしまう。夜中の道の真ん中で。
「こういう駆け引きがあった方が面白い。もし出会えなければ僕らはその程度の関係なのさ」
「試してくるところが最高に女々しい。モテない訳よ」
「ははは。そうだね。僕は女々しいよ」
「まあ、いいや。今晩はここでお開きということで」私は彼と別れる。ちょうど丁字路があり。私達の家路は別れていたのだ。
◆
夜空の下を私は歩いていく。空には満月。丸く金色のそれは猫の目を思わせる。
私は
もしかして。インポテンツなのか?と思ったが。酒を呑みすぎてなければ勃つらしい。
…今日の私が下品すぎたから断られたのだろうか?
私は寄り道したコンビニで肝臓系栄養ドリンクと水を買いながら思う。
今日の私は荒れていた。それはビール日本酒ウォッカをちゃんぽんしてしまった結果とも言える。
うん。普段の私はそう下品ではない。
そう言い訳しながら家に帰った。
◆
あれから一週間近くが経とうとしている。今は金曜日。
珍しく私は平日の飲み屋に居る。あの小料理屋。今日も家庭的なメニューに吸い寄せられてきた…というのは嘘だ。
あの男性を待っている。
サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム。いつか王子様が。
私はビールをちびちび呑みながら、将来の私の王子を待っている…
今度こそは上品な女でいよう。
◆
『サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム―いつか王子様が―』 小田舵木 @odakajiki
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