成仏し切れなかった少女の話

名取 雨霧

残さず全部伝えて

手を合わせて2礼2拍手。儀式のような所作を挟んだ後、彼は私の好きなおはぎを墓石の上の皿に乗せる。


『今日も買ってきてくれたんだ!いつもありがと』

「お前よくこんな渋いもの食べるなぁ」

『いやいやこんな美味しいのに』


私はいつも通りおはぎを手に取る。


おはぎをすぐに平らげ、満足げにご馳走様と呟くと、彼は頭を掻きながら告げる。


「はは、まじかよ──こんなとこいないで早く成仏してくれ」

『一生分のおはぎ食べさせてくれたら考えてあげるよ』



はにかむ私を背に彼は歩いていく。

私が交通事故に遭ってから、1ヶ月が経った夏の日のこと。


次の日も、彼はよれたスーツで私に会いにきた。


「今日は大福堂の美味しいおはぎだぞ」

『わあ!いま話題のお店じゃん!』

「いやぁ、2時間も並んだよ」


今日も私は彼の贈り物を残さず食べる。餡だけが微かについた皿を彼は悲しげに見つめる。


「もっと、食べさせてやれれば良かったな」



私達の家計はずっと火の車だった。


両親の営む和菓子屋は常に閉店寸前。私と兄は、仕込みで余った餅の切れ端で飢えをしのぐような、ひもじい生活を強いられていた。


唯一の幸せは、母が父に黙って用意してくれた小さなサイズのおはぎを食べたこと。この暖かい味は、そう簡単に忘れられない。


今日も近くで足音が聞こえた。また彼がおはぎを持ってきたのだろうか。


期待を膨らませた胸は思わぬ方向にはち切れる。足音は3人分。重々しいカメラを私に向けながらレポーターは告げる。


[こちらが、お供えした食べ物がいつの間にか消えている墓地です。]


大きくため息を吐く。


彼らが私の墓石にお菓子を置きかけたとき、大きな足音がまた近づいてきた。


「あの、すみません!ここ俺の妹の墓なんですが!誰に許可取って撮影してるんですか」


息を切らしながら訴え、撮影班を撃退した彼と目が合った。お互いすぐに目を逸らす。


「ごめんな」


私は首を少し横に振る。


『たまには頼りになるじゃんか!ありが』

「誰かにお前がおはぎ食うとこ見られてたみたいだ。迂闊だった」

『全然気にしてな・・・』

「お前さ」



彼は唇を噛みながら私に問いかける。



「おはぎばっか食べてないで、俺と話してくれよ」




──あのね、私はちゃんと話してるよ。

その言葉を、ぐっと飲み込んだ。




幽霊になった私の声は、誰にも聞こえない。現実世界と繋がる術は、お供えものを空にすることだけ。


なのに私は、まだ兄に伝え足りないことが山程ある。


「俺はお前に苦労ばかりかけてきて、頼りにならなくて、迷惑ばっか」

『そんなことない』


それでも、彼に一言だけ、伝えられるなら。


兄が残していったおはぎを、その日だけは食べなかった。代わりに手に餡子と餅米の粒を貼り付けて、伝えたい5文字を書いた。


今度こそ怪奇現象だなんて騒がれるだろうななんて、他人事のように完成した作品を眺めていた。


──今日も、墓の前に立つ。

その表情は見たこともない泣き顔だ。


『兄ちゃんは不器用だけど、地道に私を喜ばせようとしてくれたよね。気づいてないと思った?』


沢山伝えたいけれど、伝えるのはたった一言でいい。皿に書かれた不恰好な5文字を復唱した。


「ありがとう」


彼は一瞬顔を上げる。

世界は眩く白く霞む。





この言葉だけは、届いた気がした。

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