『メトロノームは再び動き出す』

小田舵木

『メトロノームは再び動き出す』

 過去に思い残しをした人間は悲惨だ。現在を生きることが出来ない。

 俺は―過去に生きる男だ。過去の過ちを引きずって未来へと進めない男だ。

 あの時、ああしていれば。そんな想いにとらわれて。現在の有様を呪う男。

 

 見上げる空。コバルト・ブルーの深い青。ここは―俺が思い残しをした街。

 なぜだかは分からないが、俺はこの街に戻ってきた。中学生として。

 所謂いわゆるタイムトラベルとは違う。過去のこの世界に居るはずの俺は…

 

 この街は雷都らいととあだ名される。それくらい雷が多い街として知られる。

 空を切り裂く電流は。俺の…過去、

 その死体が眼の前にある。黒焦げの焼死体は身元を判別する手立てを失わせている。

 

「戻ってきちまった…と言うより。過去の可能世界に世界がシフトした…」現実の俺は、大阪の街に居たはずなのだ。そして夕立に伴う雷に―撃たれた。

 死んだなあ、とあの時思った俺は生きている。そして過去の可能世界に飛ばされてきた。

 これは何を意味するのか?恐らくは何も意味しない。ただの神の気まぐれである。

 

                  ◆

 

 俺が何故。過去の俺を判別することが出来たか?

 それは焼死体の側にチャリが弾き出されていたから。その自転車には見覚えがある。スポーティなタイプのシティサイクル。ハンドルを上向きに改造したアホなチャリ。前輪のカバーを見れば、俺の名前が書いてある。

神崎かんざきめい」それが俺の名前だ。

 

 俺はこの不幸な事故現場をチャリに乗って後にする。死体の始末はしない。

 もしかしたら歯の治療痕から身元が割れるかも知れないが…この世界に神崎鳴は2人も居ない。有耶無耶になって。そのうち記憶から消されるだろう。

 

                  ◆


 家に帰り、自分の部屋に入ってみる。

 そこにはエレクトリック・ベースが飾られていた。俺は。ギターを弾いていたのだが。この世界の俺はベースを選んだらしい。

 ジャズベースタイプのベース。俺はアンプと繋いでつま弾いてみる。

 ボォン。低い音が俺の鼓膜を打つ。適当に弾いて俺はベットに寝転がる。


 ああ。戻ってきた…訳ではない。。この世界を生きていた俺は死んだ。その代わりに俺が未来から引っ張ってこられたらしい。

 これはある種の僥倖ぎょうこうか?ふと思うが。

 これは僥倖などではなく。ただの運命だ。俺はこの街にやり残しがある。それに神が気付いたのかも知れない。


 机の上を見れば懐かしい教科書と…フューチャーフォン。所謂ガラケー。

 出かけた俺は携帯を携帯してなかったらしい。通知欄を見ればメールが来ていて。

 その送り手は。俺の後悔に密接に関わる女の名。『成澤なりさわみか』。

『鳴?ちゃんと宿題やった?』本文にはそう書かれていて。

 俺は思い出す。この頃から荒れだした俺は。宿題なんぞやってなかったよな、と。

『今からやる』俺はレスする。ああ。彼女と連絡が取れるなんて。なんて贅沢な事だろう。

 

                   ◆


 久しぶりに制服を着た。学ランタイプの狭苦しい制服。詰め襟がうっとおしい。

 洗面所で歯を磨きながら、鏡を見る。その顔はあまり変わりがない。

 俺はこの頃から老け顔だ。それが20後半になっても続く。髭は―あまり生えていない。ここでやっと若返った事を実感する。


「いってきます」俺は家に別れを告げ。通学路を歩いていく。

 通学路は懐かしい。この街を出て何年が経つだろうか。16の頃に出たから…10数年ぶりか。確かこの頃に新しい路面電車の開発計画が提出されていたっけ。未来でその開業のニュースを見たことを覚えている。

 

                   ◆


 教室に入れば。

 懐かしい面々が―と思ったが。大半のヤツの顔を忘れてる。そりゃそうだ。未来を生きていた俺はこの時期を過ぎると不登校になる。成澤みか絡みでがあり、それをきっかけに引きこもってしまったのだ。


 当の成澤は。俺の席の隣に座っていた。朝から文庫本を読みこんでいて。

「ういっす」俺は彼女に挨拶。十数年ぶりに声をかける。

「おはよ」彼女の声は記憶よりも高い。記憶というものはアテにならない。

「宿題やってきたぞ?」俺は言う。

「…珍しいね?今日は雷でも落ちるかな。近くに」

「んな訳あるか。雷なら―」と言いかけてしまう。おっといけない。

「昨日どっかに落ちてたよねえ。街中の」成澤は昨日の落雷を知っているらしい。

「おう…」俺はしどろもどろである。

「なんで神崎くんがしどろもどろになるのさ?」彼女は妙に鋭いトコロがある女だった。

「べっつにぃ」俺はまずい返しをするが。

「あっそ。ま、今日も一日ぼちぼちやろうよ」


 一日は過ぎていく。懐かしい中学2年の授業。社会人になって遠く記憶の底に埋めてしまった授業。俺はそれを新鮮な気持ちで聞く。


                   ◆


「おっす神崎」放課後の事。友人だったヤツが声をかけてくる。悪友だった西条さいじょう幸太郎こうたろう

「どうした幸太郎?」俺はできるだけ自然に返す。本当は懐かしさのあまり泣きそうになっていた。

「いや。今日のお前なんだか変だからさ」幸太郎は指摘する。頭をきながら。

「変?なんかおかしいことしたっけか?」

「いやね。お前何でか関西訛りで喋るし。宿題やってきたし」

「たまには関西訛りも出るさ。宿題は偶然」俺はこの街にやってくる前は関西に住んでいたのだ。

「…2つ揃うと怪しさ爆増だぜえ?」幸太郎は嫌に絡んでくる。

「俺も気まぐれな男だからな。こういう事もある」誤魔化ごまかしとしては低級。

「あっそ。ま、今日も遊びに行くぞお?」

「ほいほい」


 俺と幸太郎は部活に入っていない。俺はテニス部を幸太郎は野球部を辞めていた。二人共面倒な先輩に目をつけられ、いびられ、面倒臭くなって辞めちまったのだ。

 

 俺達の中学は街の繁華街のすぐ側にある。だから帰り道にゲーセンなんかに寄りやすい。


 俺達は連れ立って、近所のゲーセンに来た。この古臭い雰囲気がなんとも懐かしい。

 ドラムを模したゲームをプレイする。久しぶりだから大分鈍っている。


「鳴。こんな下手だったっけ?」幸太郎は俺をおちょくる。

「…いろいろあったの」俺は言う。

「いろいろ…ねえ。そういや成澤とはうまくいってるかよ?」

「どうだろうなあ?」俺は今の段階での成澤との親密度を覚えていない。

「お前ら。まるでカップルみたいだぞ?いい加減、お前から告れ」ドラムゲームをプレイしながら幸太郎は言う。

「告るって言ったって…」俺は昔から奥手なのだ。この手の話には。

「かっさらわれるぞ。もたもたしてると」

「…分かってらい」かっさらわれる…それだけで済んでいたら俺は後悔などしてはいない。

 

                 ◆


 そろそろ。俺の後悔について振り返っておくべき時間だろう。

 俺の後悔は。にある。


 成澤みかは。中学2年の秋口に学校で殺害された。現場は放課後の教室だった。

 事件は解決はしたが…その犯人は。中学校に侵入してきた不審者だった。

 その不審者は、中学生時代に虐められ、不登校になっていたらしい。

 そして。ふとした思いつきから懐かしの母校に侵入し、成澤みかに出会った。これは不幸だった。何故なら成澤みかはその不審者が想いを募らせていた女性にそっくりだったからだ。

 不審者は―精神のバランスを崩していた。成澤みかを想い人と勘違いするくらいに。

 成澤みかは抵抗するも虚しく、不審者に首を締められて殺される―


 その現場を俺は。たまたま彼女と話があって。放課後の教室で待ち合わせしていたのだ。

 

 教室の扉を開ければ。不審者が成澤に馬乗りになっており。

 俺はそのままフリーズしてしまった。頭に情報が詰め込まれ過ぎて、恐ろし過ぎて。フリーズして動けなかった。


 不審者は成澤を殺すのに夢中で。俺には気付かなかった。

 俺はフリーズをしていたが…きびすを返して職員室に行き、事の次第を伝え。

 後は教員たちが不審者を取り押さえて。事件は終わった。成澤みかの死体をひとつ残して。


                 ◆

 

 俺はあの成澤みか殺害事件から不登校になり。16の時に父親の転勤に伴って街を捨てた。また関西…大阪に戻ったのだ。だがその大阪でも不登校は続き、結局高校を辞め、その後で高認を取って大学に行き、そのまま就職してなんとなく生きてきた。


 中学の頃に植え付けられたトラウマは―治らなかった。俺はPTSD心的外傷後ストレス障害を発症し。しばらくその治療をしていたが。そのままうつのような状態になっていた。


 後悔を引きずりながら生きる人生は悲惨だった。あの時こうしていれば…数分早く待ち合わせの教室に行っておけば…こういう感情が芽生えては消え。俺の心はボロボロになった。

 そのせいか、人付き合いも減り。独りで生きていた。


 そんな俺が―

 今、またこの街に。あの時にかえってきた。

 ああ。このチャンスを逃す訳にはいかない。

 だが。

 これは単純なやり直しだろうか?

 俺は恐らくは過去の可能世界に飛ばされていて。この可能世界では事件が起こるかどうかは分からない。


 …あわよくば。この世界で事件が起きて欲しくはないが。

 そう、うまくいくのだろうか。

 メトロノームに合わせ、ベースをルート弾きする俺は思う。

 あの日に人死が出るのは確定事項なのかも知れない。そしてその被害者は成澤みかで確定してるのかも知れない。

 そう思うと。何度やり直しの機会が与えられようが無駄な気もしないではないのだ。

 

                  ◆

 

 季節は秋になりつつある。俺は与えられたやり直しの日々を丁寧に生きることにした。

 真面目になってみたのだ。この頃、俺は荒れ始めていたが。今回は違う。真面目に生きる事でこの世界を変えてみようと思ったのだ。


「最近の神崎くん、何か変」成澤は俺にこう言う。2人で勉強してる最中に。

「何が変なんだよ?いいだろ?俺が真面目になったって」俺はこういう風に成澤と勉強するのは初めてだ。

「…急に人が変わったみたいで。少し不気味」

「人は変わる機会というのがあるのさ。俺も真面目にやらないと人生まずいって気付いたって事」

「よっぽど何か大きな出来事があったんだね?」彼女はいてくる。

「…」俺は言い淀む。お前が未来で死ぬ…それを見て、何もできなくて多大な後悔をしたから今の俺が在る…なんて言える訳がない。

「何処かの女の子にでも惚れた?」成澤は変化球を投げてくる。

「違わい」

「んじゃあ?どうしてかなあ?」無垢な目を俺に向けてくる成澤。

「…人生には取り返しのつかない事もあるって、思ったんだよ。人生を漫然と生きがちな俺らだが。それは当たり前の事ではないんだ。いつかどこかでどうしようもない出来事が起きて…何かを失う。それを後悔したくない。だから俺は真面目に生きることにした」

「失う…ねえ。時間とかの話?」

「そうとも言える」

「ま、真面目になるのは良いことだ」目の前に座る成澤は眼鏡をクイッとあげる。

「お褒め頂きどうも」


 俺は成澤と出来るだけ一緒に過ごすようにした。

 それは要らん憶測を呼んだ。悪友の幸太郎がそれを教えてくれる。


「お前ら。付き合ってるって噂だぞ?」

「…チキンの俺が告白なんてするものか」俺は以前の可能世界では彼女に告白出来ずじまいだった。今回も…多分出来ない気がする。失敗を恐れているのではないが。

「あのなあ…お前、成澤、案外人気あることに気付いてねえのか?」

「いや。分かっちゃいるさ」

「なら。何で告白せんのか」

「…今の関係を変えたら。何が起こるか想像できんからだ」

「馬鹿。成澤はお前の事が好きなんだよ。気づけよバカちん」

「…俺で良いんだろうか?」阿呆あほうな事を見当違いの相手に尋ねる俺。

「お前が良いんだろうが。成澤は」

「お前に言われても説得力がない」

「死ね。せっかく親友が必死にお前を説得しとると言うのに」

「お前らしくねえ」

「俺もたまにはいい事するの。良いかめい。人生は一度きりなんだぜ?そして時間は限られている。この機会を逃したらお前は一生後悔しながら生きていくことになるんだぜ?」

「それは―分かっているさ」俺は後悔する人生を送ってきた。少なくとも10数年近く。

「さ。俺と無駄口叩いてないで。成澤に告ってこいや阿呆」

「…明日になったら本気だすわ」

「何処までチキンなのよ。お前は」


                   ◆


 メトロノームはゆっくりとリズムを刻んでいる。

 俺はそれに合わせてフレーズを弾く。

 カッカッカッカ…メトロノームは重りを左右に振ってリズムに合わせて行き来している。

 俺はこのメトロノームのように。行き来するだけかも知れない…ふと思う。

 雷に撃たれてこの世界に遷移してきたが、ここでも成澤の殺害は起こるかも知れない。そして今回も何も出来ずに彼女を見殺しにするのかも知れない。


 戻ってきても俺はクソだなあ、と思う。この先の10数年の人生の積み重ねがあっても、俺はあの頃の時のままの弱い俺で。

 過酷な運命には耐えられないかも知れない…ああ、神は何を思うてこんな事を為したのか?

 

 日々は秋口のあの日に向かって着々と進んでいく。

 時は待たない。ただ。人を未来へと運んでいく。どんだけ俺が時が止まるように願えど、無駄である。


 

 

                   ◆


 俺は。またあの運命の日を迎えようとしている。

 メトロノームはあのポイントに戻ってきた。雷に撃たれた俺をともなって。

 眼の前の鏡を見る。そこにはいつもの顔があるが。どこか不安そうで。

「今日…俺はあのクソイベントを止める」独り言。起こるか分からないイベントに対する決意表明。

 歯を磨いて。俺は家を出る。さあ。来てみろよ、運命とやら。

 

                   ◆


 俺は学校に着くと、隣の席の成澤に声をかける。

「今日の放課後も一緒に勉強しようぜ」告白なんぞは出来はしない。

「いいよ?最近の神崎くんは教えがいあるからね」彼女は笑顔で応えてくれる。その顔を俺はじっくりと眺める。視線を合わせると成澤は恥ずかしそうに目線をらす。

「どうしたの?急に人の顔を見て?」心なしか顔が赤い成澤。

「いや…お前の顔をじっくり見ときたくて」今日この日にまた別れるかもしれないから…なんて事は口が裂けても言えない。

「別に毎日見てるじゃん?今生の別れみたいな事しないでよ」

「…それもそうだ」俺は視線を下ろす。


                   ◆


 放課後はやってきた。

 俺は待ち合わせした教室へと向かっていく。歩みは遅い。どうにも日和ひよってしまっている。

 …この瞬間に成澤が殺されていたら。俺のやってる事は無意味になってしまう。


 教室のドアを開ける。すると、そこには成澤が。

 ここは俺らがいつも使っている教室ではない。空き教室だ。少子化に伴い、クラスが一つ減ったせいで余ってる。そこは自習室として開放されている。

「おっす成澤」ああ。今日この時間にまた成澤に会えた。

「おっす神崎くん」そういう成澤は笑顔で。その笑顔の眩しさは俺を元気づける。


 俺と成澤はさっそく勉強を始めた。俺は勉強の内容は頭に入ってこなかったが、眼の前で教科書を解説する成澤を見守っている。

「今日は嫌に私の顔を見るね?神崎くん。集中してる?」

「…すまん。少し意識が明後日の方向に行ってた」

「集中してよお。私だってそうそう暇じゃないんだぜ?」

「人気者なんだな。成澤は」

「まあね。そこそこ支持はされてる」

「そんなお前の時間を貰って悪いな」

「出来の悪い生徒ほど可愛いってね。君に教えるのは案外自分の勉強にもなるからさ」


                  ◆


 その時はやってきた。

 空き教室のドアが開く。開いたその先には―あの不審者が。

「ええと?」俺はすぐさま反応する。

「この人…どうしたんだろう?制服着てないし…新しい先生か何か?」成澤は脳天気な事を言っている。


 不審者の息は粗い。興奮状態にあるらしい。

 俺は身構える。あの時と同じパターンなら。彼は成澤に向かっていくはずで。

「お前があ…俺を見捨てたからあ!!」かの不審者は成澤に向かって叫んでいる。

「成澤。俺の―後ろに隠れてろ…」俺は震える脚をなんとか使い。成澤の席の前に立つ。

「…あんま無茶しないで」成澤は消え入るような声でそう言う。


 不審者は俺を睨む。その目は虚ろで。彼には後悔があるのだろうか?そう思わせる何かが目の光の中にあった。

 彼は俺を見つめる。何も言葉を発しない。

 このまま睨み合いが続けば良い。そして教員が通りがかれば良い。

 だが。事はそううまく行かない。


「お前はあ…なんだよお?俺の邪魔するのかよお?」不審者は沈黙を破る。

「お前が良からぬ事を…企んでいるのなら」俺は震える声で言う。めちゃくちゃ怖い。

「俺はなあ。失ったモノを取り戻しに来たんだよお!!」彼は来ていたパーカーのポケットの中からナイフを取り出し、構えている。

「…そりゃ奇遇。俺も失ったモノを取り返しに来た訳よ」

「ああん?」ナイフを振りかざしながら言う不審者。

「俺はな。今までずっと後悔し続けてきた。この日を。大切なモノを失ったこの日を」

「…」

「俺はあの日。何も出来なかった…だが今は違う。今はお前に相対あいたいする事が出来る」

「俺の…邪魔をするなああ」彼は突進してきて。俺は身構える。ここでかわしてしまったら成澤がナイフで刺されちまう―


 俺は動きたくなる欲求を我慢して―かのナイフに向き合う。

 ひらめく刃は鋭い。何でコイツ、こんなモノ持ってるんだよ。あの日は成澤を絞め殺したじゃないか。

 だが。俺は世界を遷移している。それは世界のセッティングが変わった事を意味する。

 今回の不審者くんは。ナイフ込みの存在なのだ。


 ああ。雷に撃たれて死んだはずの俺達は。ここでナイフに刺されて助かった命を無駄にしようとしている。

 これで良いのか?俺の中の声が尋ねる。

 ああ、と俺はこたえる。これでいいのさ。俺は成澤を見殺しにしたあの日を後悔してる。その代わりに俺が死ぬのなら、願ったり叶ったり。そもそも一度は死んでいたはずの男だし。


                   ◆


 鋭い刃先は俺の腹を貫いた。腹の辺りが暖かくて痛い。俺はその場に崩れ落ちる。

 だが。俺は突進してきた不審者の脚をつかんでいる。成澤に向かう事がないように。

「きゃああああ」成澤の甲高い悲鳴が学校に響く。

「離せ、クソガキ!」不審者は掴む俺の手を振り払おうと脚を動かす。

「離すかよお…大事な女、みすみす殺させる馬鹿は…過去の俺だけで良いんだ」俺は振り絞りながら言う。

「神崎くん!!!」成澤は俺に向かって叫ぶ。

「成澤あ…叫ぶなら職員室まで届くように叫べや…」俺は言う。そうしたらこの騒ぎに気付くだろう。アホな教員も。

「…助けてくださぁい!!」成澤は叫んでる。俺は不審者をこかす事に成功した。執念深く脚をとらえ続けた成果だ。


 不審者は地面に這いつくばる。俺と同じように。

「よお。このクソが…」俺は話しかける。

「邪魔しやがってえ!!」不審者は興奮しているが。こけた拍子にナイフを落としていて。無力化に成功していた。一時的にだが。

「邪魔するさあ。なんの為に死んだと思ってる?」

「意味分かんねえ事言うなやあ」そりゃそうか。

「俺はなあ…死んだはずの人間なんだよお」不審者は身体をよじって起き上がり、俺の上に馬乗りになる。

「頭おかしいんじゃねえの?」彼は俺の真上から罵声を浴びせてきて。

「…おかしいね。じゃないとこんな奇跡はありはしない」俺は出血し過ぎたらしい。意識が遠のいてくるのを感じる。

「意味が分からん!とりあえず邪魔するお前は殺す!」彼は俺の首に手を伸ばしてきて、締める。タダでさえ失血で苦しいってのに。早く教員よ、来い。じゃないと俺の命が無駄になっちまう…


                  ◆


 俺の意識はブラックアウトして。

 遠くで成澤の声が聞こえる。

「…崎くん!!」それに混じって他の誰かの声も聞こえる…

「…事だ!!」ああ。これは教員の誰かの声だ…


 俺は暗い空間に居る。

 そこでふわふわ浮かんでる。

 その中に何かを見つける。俺はそれに手を伸ばす。

 手にとって見れば。それはメトロノームだ。

 そのメトロノームは動きを途中で止められているらしい。

 俺はメトロノームをいじくり回す。コイツを動かさなきゃ。何故かそう思えて。

 俺は振り子を弄り回す。コイツが動かないからリズムを刻めないのだ…

 

 よくよく見てみれば。メトロノームにナイフが刺さっている。

 …コイツは俺の命のメタファーか何かか?

 俺はメトロノームの後ろに刺さったナイフを抜き取る。するとそこから血が溢れた。

 俺は宙に浮かんだまま、吐血する…


                   ◆


「ピッピッピ…」規則正しい音が俺の鼓膜を打って。

 ここは―何処だろう?俺はいま何処で何をしている?確か―成澤を守って…不審者にナイフで刺された後、首を締められたはずなのだが…


 目を開ける。俺は病室にいるようだ。天井を見上げれば、周りは白いカーテンで覆われていた。

 今。ここは何年の何月の何日だ?

 俺はどの世界に居るのだろう?成澤が居る可能世界に居るはずなんだが。


「やっと目を覚ました」声が聞こえてきて。俺はその方に目を向ける。

 そこには―成澤がいる。何故、お前が老けている?俺は14歳の頃に戻ったはずだが…

「…なあ。変な事訊いていいか?」俺は昔よりやや低い声をしている。

「なに?」落ち着いた声になっている成澤。

「俺は今、幾つだ?年齢…」

「…君はもうすぐ30歳」

「16年後。随分ずいぶん遠くに来たものだ」

「まるで。過去に戻っていたかのような物言いね?」

「俺は…実際過去に戻っていたような」

「過去ねえ…私が暴漢に襲われた時とか?」

「それだよ」

「…アレは思い出深いわね。私の人生を狂わせるところだった」

「俺はさ…君を助けられたのか?」

「ええ。そして一命を取り留めた。だけど。今日、夕立の中の雷に撃たれた」

「またかよ…」俺はよっぽど雷に好かれた男らしい。

「また?雷に撃たれるなんて滅多にないことよ?」

「…俺3回雷に撃たれた。色んな世界で」

「不思議な事を言う。ま、君が生きてるからいっか」

「お前は懐が広いなあ」

 

                   ◆


 俺のメトロノームは再びリズムを刻み出す。

 この神崎…いや、みかが生き残った世界で。

 俺は歩む。未来へと。そのかたわらにはみかが居て。

 俺は失ったはずのモノを取り返した…

 

 これは奇跡だったのだろうか?

 いいや。ただの運命さ。


 カッカッカッカ…メトロノームは重りを左右に振ってリズムに合わせて行き来している。 

 

                    ◆

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『メトロノームは再び動き出す』 小田舵木 @odakajiki

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