最終話 その姫はどこにだって行ける

 姫たちは次々と愛媛県庁を旅立っていった。


 姫とはどうあるべきなのか。どこまで姫であるべきか。


 その問いの答えは姫たちによって様々だったが、共通しているのは、それぞれが己の在り方について考え、志し、行動しようという思いを確かにしたことだった。


 ある姫は、愛媛から本州へ渡った。


 誰からの束縛もなく、本心から共に生きたいと願う人を探すために、旅をしてより多くの人と出会おうと考えたのだ。


 この姫はやがて羽田から大陸へ渡り、諸国を漫遊することとなるのだが、その可憐で純朴な笑い声が通りに響くと、どの地でも振り返らぬ者はなかったという。


 そんなわけで言い寄られることは多かったのだが、自ら想いを致すような相手は、まだ見つからない。


「確かに、ちょっと焦った時期もあったよねー」


 後日、再会した別の姫にはこう語ったという。


「でも、独りでいるのも、これはこれでいいんじゃんって感じ。それより今は旅が楽しいの! ねえ、次はどんな国が良いと思う?」


* * * * *


 またある姫は、愛媛からフェリーで九州へ渡った。


 この姫は、〈姫〉というだけで男に助けられることが我慢ならなかった。


 助けるだけならまだしも、大抵の男は下心があって、いつも暗に見返りを要求してきた。


 だから姫には示す必要があった。


 男に、世の中に、そして自分自身に、私たち〈姫〉は強い存在であると。


 姫は博多港から上陸すると、並み居る荒くれ者の九州男児をちぎっては投げ、ちぎっては投げしながら九州を南下し、最南端の鹿児島県佐多岬でようやくその歩みを止めた。


 遠く奄美大島を眺めながら満足げに頷いていたが、ここで、はたと気がついた。


「私は強くなれたけど、他にもまだ、嫌な思いをする人はいるよね……」


 すると今度は海に背を向けて、姫は颯爽と北へ向かい歩き出した。


「だったらこれからは、私がその人たちの盾になる。皆が強くなきゃいけないなんてこと、おかしいんだ」


 その後この姫は、あまねくハラスメントから弱者を守り、その社会進出の一翼を担う存在として各地を席巻した。助けられた者の中からも、姫の姿に勇気を得て共に弱者のために立ち上がらんとする者たちが後を絶たなかったという。


* * * * *


 またある姫は、愛媛から太平洋へ繰り出した。


 この姫は幼い頃から虫を採集したり機械を分解したり、とにかく自分で物をつまびらかに観察することが好きだったのだが、周囲の大人たちからは「はしたないことをするな」ととがめられ、常に抑圧されてきた。


「な~にが『はしたない』だ。ふざけやがってよ。そんな〈姫〉はな、こうだ!」


 自分の〈姫〉という肩書きをヤフオクに出品したのである。


 これがまあ売れた売れた。


 肩書と引き換えに大金を手に入れた姫は、その売上金をもとに深海探査艇を建造した。


 目指すはマリアナ海溝、水深一万メートルの世界。


「私の未知への憧れは、もう誰にも止められない!」


 こうして単身やってきた海の底、大自然の中で人間一匹。


 間断なく目に飛び込んでくる様々な光景に、元姫の胸は躍った。満たされてこなかった好奇心が、ようやく日の目を見たのである。


 しかし、水深八千メートルを過ぎた当たりで、元姫は急に不安に駆られてきた。


 これほど周りから隔絶された環境なんて、今まで過ごしたことがなかったのだ。まるで奈落の底にでもいるかのよう――


 突如、ガコン、と何かが船体にぶつかった。


 固唾を飲んで様子をうかがう元姫の前に、何か大きな影がぬっと横切る。サメ――のような何かとしかわからない。とてつもなく、大きい。


「これは……ここは、ひとりで来ていいところじゃない……」


 元姫はぶるぶると体を震わせた。


 しかしこれは、興奮のあまり震えていたのである。


「こんなの……こんなの、私が独り占めなんて、もったいないじゃない! みんなにもっと見せてあげなきゃ! こんな楽しいこともできるんだって!」


 元姫は血走った目でそう叫ぶと、一転して深海から浮上を開始する。


 後日調査結果を学会に発表すると、未曽有みぞうの発見がいくつも認められ、元姫のもとには多額の研究資金が集まった。元姫はこれを元手に、理系進学者向けの奨学金を設立する。その後は自身の研究も続けつつ、共に未知に飛び込もうとする若人たちを支援しているのだという。


* * * * *


 またある姫は――。


 そのまたある姫は――。


 多くの姫たちがこのように愛媛県を飛び出し己の道を歩み始めていたが、実は一人だけ、未だに愛媛県庁から足を踏み出せないでいる姫がいた。


 この姫は実のところ、みんなの言う〈姫〉というものがわからなかった。


 もちろん、マリーが語ったような〈姫〉としての矜持きょうじなんて何もない。


 自分はこれまでなんとなく周りを囲われて生きてきた。


 でもそのことに特に不自由も感じなかったし、いろいろ言われることはあっても、別にそれほど嫌な思いもしてこなかった。


 それが普通だと思っていた。


 なのに、みんなはそれが嫌だったらしい。


 そう言われると、姫は自分というものがぐらぐらと揺らいだ。


 私が変なのだろうか。世間知らずなだけなのだろうか。


 もっと、反発したほうがいいのだろうか。


 でも、何に? どうやって? 


 この姫には何一つわからなかった。


 それで、どこへ行くこともできず、十三階の窓からみんなが外へ行くのを、潤んだ目で見送ることしかできなかったのだ。


「そんなに暗い顔をするものではありませんよ」


 聞き覚えのある声に姫が振り向くと、そこには美しい羽衣に身を包んだ妙齢の女性――エヒメが立っていた。


 最後に一人だけ残されたラストワン姫――ラス姫のために、長年封印していた姿を現したのである。


 ラス姫はすがるように言った。


「エヒメさま、私はどうしたらよいのでしょう。別に、〈姫〉に不満なんてないんです。でも、みんなはそれぞれの〈姫〉を探すと言って出て行きました。私もそうすべきだと思うんですけど、でも、何がやりたいとか、どうありたいとか、私考えたこともなくって……〈姫〉ということしか、自分が、無いんです。うっ、ううっ……」


 一度口を開くと、もう涙が止まらなかった。


 そうして胸に飛び込んできたラス姫を、エヒメは優しく迎え入れる。


「いいのですよ、無いものを急に求めたって仕方がありません。もちろんあなたがいいのなら、〈姫〉のままでもいいのです。それでも――もしあなたが本心から、本当の自分を探したいと言うのであれば――」


 ラス姫のぐちゃぐちゃに濡れた顔が上がるのを待って、エヒメは続けた。


「私と一緒に、ここで探しましょう」


「それでは――っ」


 ラス姫が何か言いかけたのを指で遮って、エヒメはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「こらこら、それでは遅すぎます、なんて言わないでくださいね。考えてもごらんなさい、私などもう何千年も〈姫〉なのですよ? あなたはまだ若いのです。ゆっくり、気楽にやればいいのですよ」


 エヒメの慰めの言葉は、ラス姫の不安をゆっくりと、だが着実に溶かしていった。


 確かに他のみんなからは出遅れたかも知れない。


 でも自分にとっては、これがスタートなのだ。


 比べたって仕方がない。急いだって仕方がない。


 今、自分の手の届くことを、精一杯、やっていこう。


 ラス姫はそう決意し、ぐしゅぐしゅと涙をぬぐうと、少し恥ずかしそうに笑顔を見せた。


「そうそう、笑顔が一番ですよ」


「えへへ。じゃあ、エヒメさま、何から始めましょうか!」


「あら威勢のいい、フフ。そうですね、何かいい案はありますか?」


「実は……ちょっと気になってたことがあるんです」


 そう言うと、ラス姫はスマホを操作し始めた。


「よいではないですか、初めはそういうものからですよ。どれどれ……よう、つ、べる、なんですかこれは?」


「えっとこれはYoutuberって言ってですね――」


 かくして、姫たちの大失踪は一応の幕引きと相成る。


 この後、謎のVtuber二人組による動画配信『ヒメトーーク!』のチャンネル登録者数が一億人を突破したという話があるにはあるのだが――。


 それはこれよりずっと先にある、また別のお話である。

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大失踪 ~プリンセス彷徨奇譚~ 望月苔海 @Omochi-festival

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