第4話 その姫は誇りを捨てていない

 姫たちの会議は幾夜を徹して続けられた。


 それは異様な熱の高まりであった。


 当初は、〈姫〉という役割に対し皆が体験を踏まえて言及し、建設的な議論の土壌どじょうが生まれつつあった。


 ところが日を経るにつれ不満が噴出すると、もはや会議という体裁ていさいを失して、いかに自分達が報われていないかという、いわば不遇合戦の様相をていしてきたのだ。


 そんな不毛の場と化した会議室に、新たな一石を投じる者がある。


「もし。わたくしもう、おいとましてもよろしいかしら?」


 その言葉に場内は騒然とする。


 それは、彼女たちが何日も前に捨てたはずの〈姫〉としての役割語だったからだ。


「え、何、いまの?」


「てか、しゃべりおかしない?」


「は? キモ。無理なんだけど」


 混乱の声は明確な悪意をはらんで瞬く間に伝播でんぱし、多くの姫が一人の姫を糾弾する姿勢を見せた。


 この姫は、名をマリーといった。


 マリーはしかし、おくするでもなく悠然と続ける。


「いえ何も、皆さんの情熱を否定するわけではないのですけれど――」


 そうして静まったざっと場内を眺めると、こう続けた。


「なんだかもう、わたくしこの話には飽きてしまいましたの。でも、よろしくってよ、皆さんはどうぞ、そのままお続けになって。では、ごめんあそばせ」


 そう言ったきり、マリーはドレスをつまんで優雅に会釈すると、たっぷりとした袖を翻して会議室の出口へと歩を進めた。


 皆が呆気にとられる中、勝ち気そうな一人の姫がマリーに詰め寄った。


「ちょっと待ちなよ、あんたは悔しくないわけ? 〈姫〉やめたいって思わないの?」


 振り返ったマリーは返事をせず、穏やかな表情で、その声を聞いていた。


「そんなの絶対おかしいよ! 私たちはみんな、男やオバハンどもに搾取さくしゅされてるんだよ。本当はあんただって〈姫〉であることに苦しんでる。ねえ、そうでしょ?」


 そう言って絡みつこうとする姫の手をマリーは強く振り払い、一転して厳しい目を向けた。


「そこまでおっしゃるのでしたら、わたくしからも言わせてもらいますけれど」


 そう前置きして一呼吸すると、マリーは目の前の姫だけでなく、己を取り囲む姫たち皆に向けて口をふるった。


「おかしいのは、皆さんの方ですわ」


 マリーの口からはよどみなく言葉があふれ出す。


「何ですの、この集まりは? 寄ってたかって不満を並べ立ててばっかり。そんなに〈姫〉がお嫌いなら、さっさとお辞めになればいいのですわ。でもわたくしは違います。わたくしは、〈姫〉であるわたくしが好きです。わたくし自身がこうありたいと願う〈姫〉であることが、わたくしの望みなのです。皆さんがおっしゃっているのは、誰それから押し付けられて嫌だ嫌だというだけで、ご自分がこうありたいなんてこと、どなたも、一つもおっしゃらないではないですか。そんなのおかしいですわ」


 その言葉に、目を怒らせていた姫たちは、ハッとさせられた。


「わたくしは〈姫〉でありたいのです。可愛く賢くたくましい、わたくしの好きな、わたくしだけの〈姫〉でありたいのです。王子でも魔女でも、あなたたち同じ姫でも、お父さまやお母さまにだって、誰もわたくしの〈姫〉を奪うことなんてできませんわ。させませんわ、誰にだって!!」


 言い切ったマリーが肩で息をする様を、会議室にひしめく姫たちは黙って見守っていた。


 すると、ふいに何人もがハッとして耳を押さえた。 


≪……さん……みなさん……どうか落ち着いて……≫


「何? 頭の中に、直接……?」


 他の者も次々に気がつき、マリーもまた耳を押さえ声に聞き入った。


 そのうち、誰かがこう声を上げる。


「いや違うこれ、あそこのスピーカーからだよ!」


「この声は……エヒメ様!?」


 何を隠そう、姫たちをかくまった張本人である女神エヒメが、県庁の庁内放送を介してテレパシーを送っていたのである。


≪よいですか……こういうときは落ち着いて……落ち着いてポンジュースを飲むのです……廊下の蛇口から出ます……≫


「いやマジか」


 エヒメの一声で、姫たちは一斉に外へ出てその喉をうるおした。


 まったく会議というものは大変にのどが渇くものなのである。


「ホントだ! スゲー!」


「おいしーッ!」


 そして姫たちは大変チョロかったのである。


≪フフ……落ち着いたようですね……≫


 姫たちの様子をどこからか見ているのか、エヒメは優し気な声で語りかけた。


≪みなさんの苦しみは十分にわかりました、お辛かったですね……≫


 その声に、涙ぐむ者まである。


≪しかし――≫


 エヒメは続ける。


≪――マリーさんの言うこともまた、もっともです。私たちは一度、自分というものを探すべきなのかもしれません。何になりたくないではなく、どうありたいかを示すために……≫


 そうエヒメにさとされると、姫たちは少しずつ我を取り戻したように、それぞれの胸に手を当てた。


 多くの姫たちは不遇を嘆くあまり、自らの願いを忘れてしまっていた。


 こんなはずではなかったと、己の運命や外界を憎むばかりで、自分自身に目を向けることができなくなっていたのである。


≪……この中で声を上げるのは、勇気が要りましたね、マリー。感謝しますよ≫


 ふいに名指しされたマリーが、廊下の端で肩をびくつかせる。


 マリーはまだ、この場を捨ててはいなかったのだ。


 マリーは己の〈姫〉を愛し、誇っていた。


 同じく〈姫〉であるこの者たちにも、同じ気持ちを持ってもらいたいと思わなかったとは、いったい誰が言えよう。


 周りの姫たちの目線もマリーへと集まったが、その目は先ほどまでとは違い、同胞を見る温かな目へと変わっていた。


 あちこちから、ありがとう、目が覚めたわ、などとポンジュース越しに言葉がかけられる。


「なッ、何のことだかわかりませんわ。わたくしは、わたくしが思ったことを言ったまでですから……フ、フン!」


 言うなり、これまで我慢していたのか、マリーもまた蛇口からポンジュースをくみ始める。そしてグビグビと音を立てて飲み干すと、やっとその顔に笑みをみなぎらせた。


「……プハーッ! やっぱこれですわね!」


 折しも庁舎の窓には、遠くそびえる石鎚いしづち山の奥から、朝日が差し込み始めた。


 その光を受け、廊下に居並ぶ姫たちの容貌ようぼうが、みかん色に染められていく。


 それを合図としたように、エヒメは改めて姫たちに語り掛けた。


≪さあ、ゆきましょう。なりたい自分になるために。誰のものでもない、あなたたち自身の〈姫〉を、その手で取り戻すのです≫

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