SS ライリーとジョセフの約束
昼下がりの厨房で料理人や下働きの者たちが昼食の片づけをしている。
夜の準備に備え、下拵えを始める前のこの時間は料理人たちが息抜きできる貴重なものだ。
そんな厨房をこっそりと覗く小さな姿がある。この屋敷の令嬢、ライリー・テイラー8歳である。
その姿に気付いた料理人たちが慌てて彼女の元へと来る。
「お嬢さん?ここで何をしているんですか?あれ、お付きの方はいないんですか?」
「あぁ、彼女はね、巻いたの」
「はい?」
キョロキョロと厨房を見回す彼女から出たのは子どもらしくない言葉だ。普段、偶然見かける事しかないライリーは大人しいご令嬢にしか見えなかった。実際に言葉を交わしたことがない彼らはライリーの内面の変化には気付いてはいない。
彼らの関心はご令嬢が1人でこんなところに来てしまった事にある。
厨房には火や包丁など、怪我の要因となるものが多い。実際、彼らの腕も怪我だらけである。そんな場所に、この屋敷のご令嬢が来てしまったのだ。何かあったらこちらの責任になるのは間違いない。
だが、そんなこちらの考えには既に気が付いている様子で、少女は厨房には入ろうとはしない。ただ、ひたすら熱心な目で下働きの動きや厨房の設備を見ているのだ。
聡明な子どもの真剣な姿に誰もここにいるなとは言いづらくなる。
「お嬢さん、そこにいるのは構わないんですがこちらには、その……」
「ここにいていいのね!ありがとう!私、ここでじっと見ているわ!」
「あ、ありがとうございます。あぁ、そろそろ休憩も終わりだな」
「お嬢さん、失礼しますね」
「えぇ、皆さんお仕事頑張ってね」
「はい、えっとありがとうございます」
まだ幼いとはいえ、この屋敷のご令嬢である。彼らより上の立場にある少女からの労いに料理人たちは狼狽える。こちら側の事情を汲んでくれたのか、厨房には入らずただ興味深げにその仕事ぶりを見ている姿に自然と仕事にも力が入る。
目立たない風貌の少女だが、熱心にこちらを見る姿やコロコロ変わる表情は子どもらしく愛らしい。
ただそこにいるだけの少女の姿に彼らの仕事にも気持ちの変化が生まれた。
そう、彼女がある目的の元に、その場にいることなど誰も気付いてはいない。
******
「ねぇ、ジョセフ。なぜ、ここにはコンロがあるの?」
「へ?コンロがなければ、どうやって調理するんですか?」
「そう。それはご都合主義だけれど、私にはありがたいなぁ……」
「ゴツゴウ?じゃあ、私は行きますよ」
「待って!ねぇ、ジョセフ。お出汁はどうしてるの?魚の骨?お肉の骨?それともお野菜や海藻からかしら?」
「ダシ、ですか?」
きょとんとするジョセフにライリーもまたきょとんとする。彼女が知る限り、多くの国の料理には出汁となるものが使われているのだ。
そんな2人の様子を見て、料理人たちは微笑ましいものを見るように笑う。
少女が約束通り、調理場の入り口から一歩も入らない。
だが、代わりに新入りのジョセフを捕まえて色々と尋ねるのだ。ジョセフはテイラー家では新入りだが他家でも長年に渡り料理人をしていたため、なかなかに腕がいい。
毎日のようにこっそりと姿を現す少女と彼女に掴まる新入り。これは厨房の者たちに日常の光景となっていた。
「出汁って言うのはね、料理の旨味となる基本なの。そうね、例えば今日のスープ。きのこと玉ねぎが使われていたでしょう?あれは美味しかったわ」
「あ、ありがとうございます」
「それはね、きのこには旨味の成分が含まれているからなの。玉ねぎもね、じっくり弱火で炒めることで、さらに甘味が出るのよ。そういった食材の特徴を生かす事が料理をさらに美味しくするの」
「はい、あのじっくり弱火で炒めるだけですか?」
「えぇ、でも根気が必要よ。焦がしてしまうと苦みに変わるから」
「はい。他には何かありますか?」
「魚の骨をね、丁寧に洗っても茹でても出汁がとれるわ」
「骨ですか!?」
微笑ましく見える2人だが、話す内容は常に料理の内容だ。それもその内容はジョセフが今まで知らなかった事ばかりだ。
無論、子どもの言うことではあるのだが言葉にジョンは強い関心を持つ。貴族のご令嬢であるのだ。貴重な書籍や情報をどこかで耳にしたのかもしれない。ジョセフがそう思うくらい彼女の言葉には説得力がある。
「お肉や野菜のアクって気になるでしょう?でも、野菜のアクの方が苦みに繋がるから丁寧に取らなきゃダメなんだよね」
「アク、って言うと」
「そこから?えーっとね、ほら、煮ると白い泡みたいなのが出てくるでしょ?それをちゃんと取ってねって話!」
「あぁ、それならわかります。見た目も悪くなりますからね」
「そうなの!それに味も悪くなるんだよね」
「勉強になります」
彼はその言葉を記憶し、1人遅くまで残り、厨房で実践した。そしてわかったことはまだ幼い彼女の言葉が全て真実であること。ジョセフにとって、8歳の少女の言葉はまさに金言であったのだ。
それから、さらに熱心にジョセフは彼女の言葉に耳を傾けるようになる。
そんな姿を遠巻きに微笑ましく見つめる。おそらく、新入りのジョセフは気を遣い、少女が厨房に入らないように彼女の関心を自分に向けているのだろうと。そして、そんなジョセフに熱心に何事かを話す少女もまた子どもらしいと。
実際には貴重な料理の情報をジョセフの方が熱心に聞いているのだが、そんな真実には誰も気づかない。
だがそんな微笑ましい2人の姿が、テイラー男爵家の食事を変えていくのだ。
「ジョセフ、このスープはお前が?」
「えぇ、そうです」
「いつもより格段に味がいいな」
「えぇ、それは、その……」
言いよどむジョセフの姿に尋ねた先輩は笑いながら首を振る。料理人の技術は本人のものだ。見て学ぶ事はあっても、下の者から無理に聞き出すつもりはない。
「良い味だ。これからも努めるんだぞ」
「はい」
そう答えたジョセフだが、心苦しさを感じる。この知識は彼が自ら得たものではない。褒められるべきはまだ8歳の小さな少女なのだ。
だが、彼女にその言葉を伝えると返ってきた答えは意外なものだ。
「うーん、ジョセフが偉くなるまで、ううん、偉くなっても黙っていて」
「どうしてですか?せっかくお嬢様が出したお考えなのですし、他の方にもそのことがわかったほうがよろしいかと、その」
言いかけてジョセフは口を噤む。8歳である彼女に、自身の置かれた状況を口にするのは憚られたのだ。
だが、そんなことを気にした様子もなく少女は笑う。
「うーん、確かにお兄様と違って家を継げるわけでもないし、かといってお姉さまたちみたいに見た目も良くないし、礼儀作法や教養も今一つなんだから、何か良いとこをアピールするべきなんだけどね……」
「アピール?えっと、お嬢様」
「あぁ、いいの。気を遣わないで。それより料理の話!私が教えた事は全部、あなたが考えた事にしていいからね。で、この屋敷の料理を美味しくして!」
「……わかりました。ですが、教わった知識や技術、それは全てお嬢様のものです。いつか、何らかの形でお返しさせてください。そのことを、お約束します」
「うーん、わかったわ。じゃあ、ジョセフはこの屋敷のごはんを美味しくしてね!」
特に彼女はジョセフの約束を気に留めた様子はなかった。言葉通り、彼ら料理人の力で屋敷の料理を変えて欲しかったのだ。
8歳である彼女が調理の知識や技術を持っているのはおかしなこと。そう思われるのは自分にとって不利であるし、8歳の貴族令嬢である彼女が厨房に立つことは困難だ。
であれば、料理人である彼に託したほうが良いだろう。
こうして交わされた約束をジョセフは胸に刻んだ。
彼女の言う通り、今はまだ隠しておくべきだと。いずれ彼女が成長し、自分が彼女を支援出来るようにせめてもう少し自信を高めておくのだと。
*****
「今日のご飯も美味しかったー。流石、ジョセフ!」
「全てはお嬢様のご教授の賜物です」
「もう、からかって!」
「からかってなどおりません。私の本心です」
この男爵家の令嬢にも関わらず、厨房に当然のように顔を出すライリーと生真面目な料理長ジョセフのやり取りはこの場にいる者には日常の光景だ。
あれから8年、卓越した技術と知識でジョセフは料理長となった。他家でも料理長を補佐するほどの腕前を持っていた男ではあり、その実力を買われこの屋敷に来た。だが、テイラー男爵家に来てからの彼の進化はめざましいものであった。
「それにお嬢様とのお約束でもありますからね」
笑顔でライリーを見るジョセフだが、彼女の瞳は彼の視線から逃げる。それでは答えを言っているようなものだ。貴族令嬢らしさを今も持たないライリーにジョセフは軽くため息を溢す。
そんな様子に事情を知らない料理人のジョンも確信する。
「こりゃ、お嬢は覚えてないですね」
「いや、その、なんていうか。ごめんね、ジョセフ!」
「いえ、良いのです」
困った表情を浮かべるライリーにジョセフは笑顔を返す。
この8年、厨房に顔を出し続けた少女の知識と技術はこの屋敷の料理を変えた。今ではひそかに厨房にも立つライリーにジョセフは誓う。
いつか必ず何らかの形で彼女に報いると。そのために今日までジョセフは研鑽を積んできたのだ。
「いつか必ず、お約束を守って頂くので」
「うっ!」
全く内容を覚えていないのだろうライリーはまたも視線を逸らす。そんな姿にジョンはもちろん周囲の料理人も笑う。
8年間のあいだ、彼女が築いたものはこの屋敷の料理だけではないのだとそんな周囲の様子にジョセフは思う。
そんなライリーとの約束を守る日のためにも、ジョセフは今日も腕を磨き、知識を深める。いつか必ず、彼女ライリー・テイラーへと報いるために。
モブ令嬢、奮起する ~婚約破棄されたライバル令嬢は私のパトロンです~ 芽生 @may-satuki
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