文化祭の出し物で、私の大好きな彼が王子様を演じることになった。だけど、お姫様は私じゃない~劇の練習で何度もキスをする2人を見て、私は心が壊れた~

よこづなパンダ

文化祭の出し物で、私の大好きな彼が王子様を演じることになった。だけど、お姫様は私じゃない~劇の練習で何度もキスをする2人を見て、私は心が壊れた~

 ずっと、私はお姫様に憧れていた。


 ―――ううん、そうじゃない。きっと、王子様という存在に憧れていたんだと思う。

 小さい頃、人見知りで引っ込み思案な私にいつも手を差し伸べてくれた、格好良くて優しい、王子様に。

 そう、私・静野 城菜しずの きなにとって、その王子様とは、幼馴染の色井 輝しきい てるくんで―――




♢♢♢




 高校生になって最初の夏休みが終わり、季節は秋へ移り変わろうとしている、今日。

 ……だというのに、私のクラスの熱気は日に日に増すばかり。

 というのも、いよいよ一大イベントである文化祭の季節が近づいてきてるのだから、仕方ないよね。


 勿論、私も楽しみにしている。でも……正直にいえば、不安な気持ちと半分半分というところ、かな。

 みんなとワイワイ盛り上がる―――というのは、私の性格的にあまり向いていないし、人見知りな私はクラスで話せる子もそんなにいないから、文化祭当日に1人ぼっち、なんてことになったら、どうしよう。


 そんな心配が頭をよぎる休み時間、私はふと、自分の席から輝くんの席へと目を向ける。

 私とは対照的で、彼の周りにはいつもたくさんの人が集まっている。スポーツ万能で頭も良くて、おまけに優しい彼のことだから、男女双方から好かれるのは当然のこと。特に、男子たちからの信頼は厚いようで……彼を中心に、いつも周囲の笑顔が絶えない。


『文化祭、輝くんと一緒に周りたいな……』


 ……あれ、輝くんを見ていると、少し気持ちが緩んでしまったのかな。無意識のうちにそんなことを考えてしまい、私は慌ててふるふると首を振る。

 だってそれは……今の私なんかには、叶わない願いだから。

 同性の、女の子の友達すらまともに作れない私に、人気者の彼の隣に立つことなんて……できるわけないよ。

 新学期早々、異性の男の子に馴れ馴れしく話しかけられたときなんか、幼馴染のよしみで輝くんに助けてもらうまで、あわあわと戸惑っていることしかできなかったような私には……


「はーいみんな、席についてー」


 結局、今日もあの輪の中に入ることができないまま休み時間は終わり、担任の先生の一声で、クラスメイトたちは一斉に自分の席へと戻っていく。

 そんなみんなの動きがいつになくきびきびとしているのは、これから行われるホームルームが楽しみだからに他ならない。

 ―――なんといっても今日は、クラスの出し物である『白雪姫』の、配役決めが行われる日なのだから。


「いやー、うちのクラスには姫が2人もいるんだから、もう1位確定じゃね?」

「勝ち気な姫と、大人しくて清純な姫……うーんどちらも捨てがたいっ!」

「ああっ!どうして姫役は1人なんだよっ!……くそー、くじでメイド喫茶を引き当ててたらなあ、2人の可憐な姿をばっちり瞼に焼き付けられたというのにっ!!!」


 あちらこちらから、クラスの出し物について期待する声が上がっている。

 クラスの男子たちは今日も盛り上がってるみたいだけど……そういえば、いつも『2人の姫』って言ってるけど、未だにその意味が私はよく分かってない。

 1人はあの、お人形さんのように目鼻立ちが整った、燃えるような赤いロングヘアがよく似合う真中 朱姫まなか あけきさんのことだと思うけど……

 姫って、彼女以外にもう1人いるの?そんな名前の子は、クラスにはいないはずだけど……いったい誰のことなんだろう……?


「じゃあ、まずは、白雪姫から決めちゃおっか。はい、やってくれる人ー?」


 ……っとと、少し考え事をしていたら、いつの間にか本題になっちゃってた。

 先生の問いかけに対し、クラスのみんなはどこかソワソワした様子だ。


 そして、私もまた、ソワソワしていた。


『はあ……こんな自分なんて……変えられたらいいのにな……』


 ハキハキとして、堂々としていて、美しい。―――それこそ、真中さんみたいになれたらいいのにな。

 高校生になって、男女という壁がより明確になって、輝くんと少し距離ができてしまってから……私はずっと、そう思ってた。

 もし、そうなれたら輝くんとも、もしかすればだけど、昔みたくたくさんお話できるかもしれない。そして、仲良くなって、それから―――


 だから私はそんな未来のためにも、今日、この時に向けて、密かに気合を入れていた。


『白雪姫に……私、立候補する……!』


 昨日の夜から、何度も今というこの瞬間を頭の中でシミュレーションしてきた。

 内気な自分を卒業して、こんな自分を変えたくて。

 こんな私でも、自分に自信を持てるようになりたくて、そんな一歩を私は今日、踏み出したい。


 そう、この文化祭はきっと、私にとって良い機会なんだ。だから……




 だけど、私の手は、机の上で情けなく小刻みに震えるばかり。

 どうしても、あと少しの勇気が出ない。


『どちらの姫も捨てがたいっ!』


 手を挙げようとすれば、さっきの男子たちの話し声が脳裏に浮かんでくる。

 そうだよ、みんなが期待しているのは、こんな私の白雪姫じゃなくて、朱姫さんか―――もう1人の姫が演じる、白雪姫。

 そうに、決まってるよ……


 私がもしここで立候補したら、そうしたらクラスのみんながガッカリして……


 文化祭が終わった後、みんなに陰でこそこそ言われて、「静野さんのせいで1位取れなかった」「朱姫がやってたら違ってた」って声が聞こえてきて―――そんなの私、耐えられないよ。


 ……つい最悪を、ネガティブなことを想像してしまうのは、私の悪い癖だ。現実を見ることができる―――よく言えばそう捉えることもできるかもしれないけど、そんな未来が私の現実だということが悲しい。

 と、そんなことで頭の中がぐるぐるしていた、その時だった。


「じゃ、私、やってみたいです!」


 スッと、細くてしなやかな腕が上がった。

 ―――真中さんだ。


「おおっ、待ってました!」

「さっすが姫、わかってるう!」


 彼女の挙手と同時に、クラス中が沸き上がった。

 こうやって、みんなの期待に堂々と応えて……真中さんって、本当に、すごいなって思う。


「じゃ、白雪姫役は真中さんに決定ね!」

「「「ウオオオオオ!!!」」」


 決定と同時に、クラスの男子たちが一斉に盛り上がった。




「……でも、白の白雪姫も、見てみたかったなあ」

「……赤は性格キツいし、正直、王子様役で一緒に練習はしたくないよなあ」

「白だったら俺、王子に立候補するって決めてたのに」

「馬鹿、お前が釣り合うワケないだろ」

「……くそ、じゃあ王子様どうするよ?」


 ―――だけど、何故だろう。みんなの期待通りの展開なはずなのに、私の席の周りの男子たちの一部は、この決定に少しだけ残念そうな様子で、ヒソヒソと小声で話し合っていた。

 そして、そんな彼らが何となくアイコンタクトを交わした後、一斉に見たのは……


 輝くんの席だった。


「輝!お前、王子様やってくれよ!」

「そうだぜ!クラス1のイケメンのお前がやってくれたら、ウチらが優勝だぜ!」


 彼らは輝くんのことを口々に囃し立てる。輝くんは少し困った顔を見せたが、彼らはそんなのはお構いなしといった様子だ。

 やがて、観念した彼は……


「……それじゃ、王子様は俺がやっても、いいかな?」


 注目を浴びて少しばつが悪そうにしながら、ゆっくりと手を挙げた。


「「「ウオオオオオオオオオオ!!!」」」


 それによって、クラスは、今日一番の盛り上がりを見せた。

 ―――そして、そんな様子とは対照的に、私は小さくため息をつく。


『ああ……輝くんが王子様、か……』


 こんなことになるなら、私がお姫様に立候補していたら……なんて考えても、後の祭り。

 そもそもあれだけシミュレーションしたのに、いざというときに怖気づいてしまった私は本当に、どうしようもない。


「……よろしくね、輝くん」


 それに比べて、後ろの席に座る輝くんのことを横目で見ただけで、そう声を掛けると赤い髪をなびかせながらすぐに前を向いてしまった真中さんは今日もクールで。ほんと、すごいな……

 だけど、そんな彼女の頬は、薄っすらと、ほんの少しだけ、赤く染まっているように見えたのは―――私の気のせい、だよね。


 こうして、私のクラスのメインキャストは決定し、その後、他の役や裏方など、役割分担がなされていくさまを、私は押し寄せる後悔の気持ちとともに、ただぼんやりと眺めていることしかできなかった。


『私、また、変われなかったな……』


 自分の臆病さに心底辟易しつつも……このときの私は、まだ気づいていなかった。


 この日……今日というこの日が、私にとって、お姫様になれる最後のチャンスだったということに。




♢♢♢




 あれから数日が経ち、今日のホームルームでは演劇の具体的な脚本について、激しい議論がなされていた。


 焦点となっているのは、白雪姫のラストのシーン。

 成績優秀で眼鏡をかけた……普段、輝くんとはあまり一緒にいないグループの男子たちが、「普通だと面白みに欠けるから、オチは童話のとおりにすべきだ!」とか言い始めて、それだと展開がエグすぎるとかなんだとかで意見が割れ、もう収拾がつかなくなりつつあったのだった。

 そんなとき……誰かが言った。




「じゃあ、白雪姫が目覚めるシーンで、実際にキスしてみるってのは、どうよ?」




 あまりに常識外れな発想に、「お前馬鹿じゃねぇのか」とか、口々に意見が飛び出して、その結果クラスのギスギスした空気は少し収まったものの、結局この件についての結論は出ないまま、ホームルームの時間は終了となってしまった。


 私は出演せずに裏方に回るので、議論の中身についてはある意味では他人事、といえばそうかもしれないけど……ううん、そんな考えじゃダメ。

 みんなと一緒に、私もこの文化祭を成功させなきゃ。小道具班の一員として、ちゃんと頑張らないと。


 そう思い、改めて気合を入れ直した私は、今まであまり関わりのなかったクラスメイトの女子たちと、放課後の作業に取り掛かるのだった。






「……静野さん、悪いんだけど、旧室からテープ持ってきてくれる?今ここ押さえててさ、手が離せなくて」


 こんな感じで、少しではあるけど、彼女たちとも会話できるようになってきた。……事務的な内容ばかりで、友達になるにはまだまだ足りないことだらけ。でも、そんな些細なことでも、私にとっては大きな進歩だ。


「わかった。ちょっと、取ってくるね」


 そう返事をすると、私は旧室に向かう。


 ちなみに旧室というのは、私たちのクラスが準備用に割り当てられた教室である、今は使われていない空き教室のこと。そこはここから少し離れた場所にあり、他クラスの前の廊下を通って行かなくてはならない。


 放課後の廊下では、どこのクラスも様々な作業が行われており、通りにくい。少し前まではこんなとき、すごく嫌だなって思ってたけど……

 すみません、と一言声を掛けると、私に向けられたみんなの視線が優しくなって、簡単に通してくれた。内心、すごくホッとする。

 そんな私を見た男子たちの何人かは、何かを小声で話していて、やっぱりちょっと気になるというか、不安な気持ちにはなるけど……ううん、大丈夫。堂々としていれば怖くない。

 そう自分に言い聞かせつつ、人ごみをかき分けていくと、やがて人通りは少なくなっていき―――目的地である旧室へと辿り着いた。


 ……このとき、私は油断していた。周囲の人が少なくなって、それがどういうことなのかって、少しも理解してなかった。

 本当に何も考えず、旧室のドアを開けようとした……




「えっ……!?」


 ―――そこには、打ち合わせをしているはずの輝くんと真中さんの2人の姿があって……






 私は見てしまった。


 輝くんと、真中さんが。




 キス……しているところを。






 私は咄嗟に、ドアの陰に隠れる。でも……もう頭の中がぐちゃぐちゃで。

 彼らには気づかれてないみたいだけど、そんなことはもうどうでも良くて。

 どうすれば良いか分からなくて、何をしに教室に来たのかさえも分からなくなっていた。


「……う、うそ……そんな……」


 立っているのもやっと、というほどに私の脚は震えっぱなしで、一度、大きく息を吸おうとしても心臓がバクバクと音を立てて……


 やがて瞼の上が、熱くなっていく。




 胸が苦しくなっていく。締め付けられるような痛みを感じて、それでも私は2人から目を離すことができなかった。

 2人は唇と唇を重ね合わせて……それはきっと、ほんの数秒の出来事なはずなのに、私にはそれが何分も続いているように、長く感じられた。




 やがて、2人の唇は離れる。


「……んんっ、こう、かな……」

「ま、真中さん!これは、その、いくら何でも……」

「え!?……えっと、その、輝くん、もしかして、今のが初めて、だった……?」

「あ……ああ」

「―――っ!!わ、わたしもこんなの、はじめてよっ!でも、れ、れんしゅーだから、こんなのノーカウントよっ!」



 真中さんは少し驚いた様子だったけど―――幼馴染の私は知ってた。輝くんが、あんなに格好良いにもかかわらず、今まで1人も彼女を作ったことがないことを。……恋人がいない理由までは、私にも分からないけど。

 幼馴染の私だからこそ知っていたはずの、そんな『秘密』をあっさり知られて、そして、彼の大切なファーストキスまで奪われて……



 あ、あああ……



 もう、何もかもがどうでも良く思えた。抜け殻のようになった私は、そのままふらふらと廊下を彷徨う。


「……お似合い、なのかな……」


 胸の痛みを我慢できずに思わず言葉にすると、先ほどの2人の関係性が、現実味を帯びてくる。


 文化祭マジック、という言葉は聞いたことがある。準備期間とかで盛り上がる独特の空気感を利用して、男女が親しくなり、結ばれる現象のこと。

 2人はこの期間を経て、きっと距離が縮まって……




 輝くんが、知らない輝くんになってしまった気がした。




 それから暫くして持ち場に戻ると、帰りが遅かったことをみんな心配してくれて、テープを持ってこられなかったことを責める人は誰もいなくて……

 でも、そんな彼女たちに、私は何て言葉を返せたのか覚えていない。




♢♢♢




 結局、劇のラストはノーマルエンド、ということに決まった。原作の童話のように残酷でもなく、キスシーンも『フリ』だけ。その代わり、小道具や大道具で魅せよう、という結論に至った。


 だけど、私は……私だけは、知ってる。


 あのキスシーンは、キスをする『フリ』なんかじゃ、ないってことを……




「……んん、ちゅっ。王子様は私のことをちっとも目覚めさせてくれないんだからぁ」

「ば、ばか、やめろよ朱姫さん。俺、気になってる人がいるって、前に言ったろ?」

「んん~?でも、その子とはずっと離れて……今となっては会話すらも、できてないんでしょう?……ねぇ、輝くん、わたし、私じゃ、その子の代わりになれないのかな……?」

「な、何言ってるんだよ朱姫さん。こんなの、幾ら劇を成功させたいからって、やり過ぎだって。俺がそ、その、勘違いとかしたらどうするんだよ」

「ふふふ、輝くん可愛いっ。今の、本気にしちゃった?じゃあ、その気持ちを、本番当日にぶつけて演技してね……?」




 放課後。いつものようにみんなと小道具を作っていた私は、お手洗いに行くから、と噓をついて持ち場を抜け出すと、その足で旧室へと向かい、ドアの窓からこっそり中の様子を伺っていた。



 見れば見るほど、傷つくのはわかってる。

 だけど、どうしてもやめられなかった。



 胸の奥が、痛みでおかしくなりそう。それは決して心地良い痛みではなくて、ズキズキと突き刺すような、強い痛み。

 でも、それでも……


 私はこの現実を、自分の胸に刻み込みたかった。

 ―――あの時、勇気を出さなかったから。

 弱い私のことを責めたかった。立候補できなかった、あの日の弱い私のことを。


 責めて、責めて、そうすれば、少しは楽になれる気がしたから。


 それに、輝くんのあんな顔は、見ているだけですごく……どうしようもないほどドキドキして。

 私なんかが相手では、妄想してるときでも絶対にあり得ないと思ってしまうような、大好きな彼のあんな表情を、現実として堪能できて……


 私ではない美人さんが相手だからこそ、彼の表情を頭の奥に、鮮明に刻み込むことができる。


 そして、動揺している輝くんは気づいていないみたいだけど、キスをしているときの真中さんの瞳もまた、とろんと蕩けていた。

 普段なら冷たいほどに凛として、堂々としているはずの真中さん。そんな彼女の気持ちが、演技とかではなくて、本気なんだってこと……私には分かってしまった。


 それから、2人は『目覚めの練習』を始めた。


 強引に、輝くんにもたれかかるようにして背伸びをし、唇を寄せる真中さん。

 慌てて輝くんは彼女の華奢な身体を支えると、彼女は腕の中にすっぽりと収まった。


『輝くんに、抱きしめられたいな……』


 今まで何度、夢見たことだろう。キスと同様、ベッドの中で何回、想像したことだろう。

 それを、真中さんはあんな簡単に……


 目覚めのキスは、何故か眠っているはずの姫からなされ、それを上手く抵抗できずに、結果的に受け入れてしまう輝くん。


「……ううっ」


 突如、激しい頭痛に襲われる。

 頭の中の大事な何かが、壊れていくような感覚。


 輝くんと夢見た、あんなことやこんなことが、次々と上書きされていく。

 私ではない、真っ赤な髪の、美人な彼女に、全て上書きされていく。

 ―――それはまるで、これからの未来を暗示しているかのようだった。


「だめ……」


 現実としてはっきりと認識されすぎてしまうと、過剰なまでに脳内にくっきりとこの光景が刻まれてしまって……


「やめて……もうやめて……」


 輝くんとの、ファーストキス。

 ずっと、私の一番の夢だった。


 それが、もう戻っては来ないという現実が、私にグサリと突き刺さってくる。

 気づけば2度目のキスも、3度目のキスも、真中さんに奪われて……まるで胸に突き刺さったナイフを、グリグリとひねって抉られているような気持ちになった。


 痛くて、辛くて……耐えられなくなった私は、とうとうその場から逃げ出した。




♢♢♢




「―――静野さん。その、話があるの……大事な話」


 そして月日は流れ……文化祭本番の日。それも、残すところ僅かとなった頃。

 私は、最終公演を終えた真中さんに呼び出されていた。


 こっそり旧室に足を運んでいたことがあったとはいえ、それは私の一方的な行動であり、班が異なっていたことから、今日という日が来るまで、真中さんとは一度も会話をしてこなかった。

 そんな彼女に突然声を掛けられて、困惑しないはずがなかった。


 そして、普段はクールな彼女の慌てた様子が、事の重大さを訴えているようで……

 私には彼女に腕を引かれるがまま、一緒に走り出す以外の選択肢がなかった。




「……はあはあ……こ、ここなら誰も来ないわよね……?」


 やがて辿り着いたのは、劇の機材置き場となっている、物置き部屋。もう公演は終わったので、これから文化祭の全てのイベントが終わり、後片付けの時間になるまで、誰かが来ることはないと思う。

 こんな場所に連れ出されて……あまりに急なことで、びっくりする。多少強引なところは、いかにも彼女らしいといえば、そうかもしれないけど。


 改めて真中さんと向き合う。綺麗な顔、サラサラの長い赤髪。

 普段はほとんど話したことがない相手。私は彼女のことを尊敬しているし、憧れてもいるけど、勝ち気でズバズバと物事を言ってしまうところは、いざ話すと思うと、少し苦手だったりもした。


 そして、そんな真中さんの方はといえば、いつになく慌てていて……でも真剣な表情で、私のことを見つめていた。




「私……貴女に、謝らなきゃならないことがあるの」


 やがて真中さんは、気まずそうな顔で、ゆっくりと話し始めた。


「私、輝くんの……ファーストキスを奪ってしまったの」






 ―――震える真中さんの声で伝えられたそれは、私が目を逸らしたかった、現実。

 たとえ練習で、本気のそれではなかったとしても、してほしくなかった現実。

 大好きな彼が、私ではない別の女の子と……


 でも、そのことを私に伝える理由が分からない。それも、今になって。

 もしかして……私の気持ちが、真中さんにはばれてて……ううん、それでも、やっぱり私には伝える必要のないことで。

 幾ら真っすぐな性格でも、恋敵に全てを伝える理由なんてない。そのまま、文化祭を通して、輝くんと結ばれました、でいいはずなのに。

 どうして……?


「私ね……輝くんのことが、好きなの」


 そんな疑問を残したまま、真中さんは語り始めた。


「私、身勝手で……輝くんの過去の失恋を癒して、そうしたら私にもチャンスがあるかもって、思っちゃったんだ」


 ―――そして、その言葉をきっかけに、彼女が口にした内容の数々は……私にとってあまりに衝撃的で、頭の中をどんどんぐちゃぐちゃにしていった。






「輝くんは幼馴染のことが諦められないって言ってて……でも、その幼馴染って、ずっと昔に離れ離れになった子なんだって勝手に勘違いしてて」


「私が練習として、その……キス、したら少しは忘れられるかなって思ったんだけど」


「昔の失恋を乗り越えさせたいって勝手に空回りして、幼馴染のその子が、静野さんのことだって気づかなくて」


「もう終わった恋だって勝手に決めつけて……もし、静野さんが輝くんのことを好きだったとしたら……本当に取り返しのつかないことをしちゃったって思って」


「輝くんに……それに、貴女にも、本当に申し訳ないことをしちゃったのかも、って」






 ………………

 …………

 ……






 私は、彼女の話をただただ黙って聞いていることしかできなかった。


 そんな……輝くんが、私のこと……




 聞きたくなかった。聞かなければ、よかった。

 私と輝くんは、ずっと両想いだった……?

 わ、わたし、私が……あと少しだけ、勇気を出していたら、輝くんと幸せになれたの……?

 そんなのって……目の前に、ほんの少し先に、輝くんとの未来が、転がっていたっていうの?


 もう、悔しいとかじゃなかった。ただただ、愚かな自分のことを呪ってやりたくなった。

 なんて私は、馬鹿なのだろう。

 いつまでもじれったくて、変に好きな人を意識してかえって距離ができて、そして……

 そんな子を第三者としてみたら、どう思うだろう。


 ……嫌……それが、私、だなんて……


 そんなのに比べて、真中さんはこんなに誠実で、そして自分の気持ちにも素直だった。

 私は真中さんのことをもっと冷酷で、他人の気持ちよりも自分のことを優先する人なんだって、そう思ってた。

 だけど、実際はこれほどまでにも真っすぐで……

 きっと、そんな彼女は、私が輝くんの言う『幼馴染』であることに気付かないふりをして、彼と関係を深めていくことに強い抵抗を感じたのだろう。

 本当に辛そうに、整った顔をゆがめる彼女は、私のことを……そして、輝くんのことを本気で考えて悩んでいたことがよく分かって、とても眩しく映った。




「……その、静野さんは、輝くんのこと……好き?」




 全てを語り終えた真中さんは最後に、私にそう問いかけてきた。

 それは、私の気持ちを……そして、輝くんの気持ちを優先させて導いた、彼女なりの答え。

 もし、私がここで素直に「好き」と言ったら……彼女は潔く身を引くつもりかもしれない。

 2人が両想いなら、私は邪魔したくないって……だって、自身の恋心を懸命に抑えて語ってくれた、真中さんなのだから。


 だから、もしここで私が本当の気持ちを伝えたら……どう転んでも、彼女のことを傷つけてしまうかもしれない。彼女に罪悪感を残してしまうかもしれない。

 それでも、私は―――ここで本当の気持ちを伝えなければいけないと思った。


「あ、あの、私は―――」






 そのとき、ガラガラと部屋のドアが開いた。

 片付けの時間にはまだ早い。だから、今この教室に入って来られるのは……






 王子様役しか、考えられなかった。




「あ、あの、朱姫さん。今から……一緒に、校庭に来てくれないかな?あと、その後―――大事な話があるんだけど」


 文化祭の締めに行われる、キャンプファイヤー。

 一緒に踊った男女はやがて結ばれ、幸せなカップルになるという伝説。……私も知ってる。




 ……ああ、そっか。

 輝くんは、もう、真中さんのことが……




 本当に、お似合いだと思った。クラスのみんなから人気の、2人のことが。

 他人想いでかっこいい、2人のことが。

 だから、私は……






「ううん、そんなんじゃないよ。だから、気にしないで、真中さん」


 瞼の上にこみ上げてきた熱いものをぐっと堪えて、彼女に精いっぱいの笑顔を向けた。


「……わかった。その……ううん、何でもない。じゃあ、行ってくるわね」




 それから、手をつないで去っていく2つの背中を見ていた。

 小さくなっていく2つの背中を、ずっと見ていた。

 やがて賑やかな人ごみにかき消されて、見えなくなっていく、2つの背中を―――






「……う、ううっ」


 誰もいなくなって抑えきれなくなった感情が、気づけばとめどなく溢れていた。




 私、ずっと……

 こんなにも、輝くんのこと……




 本当に大切なことには、失ってから気づくもの。

 恋人を作ろうとしない輝くんと、今までの関係を壊してしまうのが怖くて……

 だけど、かっこいい彼と、そんな永遠が続くわけないって、わかりきってたことなのに……




 どうして私は、輝くんにちゃんと気持ちを伝えなかったんだろう。




 やがて他の教室の出し物も全て終わり、キャンプファイヤーに向けて周囲の人通りが増えてきたことにも気づかずに、私はその場にしゃがみ込んだまま、我を忘れて涙を流し続けた。






「な、なあ、あの銀髪って……」

「あれ、白だよな。なんであんなに泣いて……」

「おい、お前声掛けてみろよ。親しくなるチャンスかもしれないぜ」

「いや、でも事情がわかんねぇし……なあ?」


 何やら私の周囲が騒がしくなってるみたいだけど、それも当然。

 廊下の真ん中で、こんなにみっともなくて、恥ずかしい姿を見せているのだから。

 膝をついて、ハーフアップにまとめてたはずの髪は、いつの間にか解けて垂れ下がっていて―――こんな人が文化祭という明るい空間に存在していたら、気味が悪くて当然だろう。

 ……だけど、周りの視線なんて気にする余裕など、今の私にはもう残されていなかった。



 ずっと、踏み出せずにいた一歩。

 引っ込み思案な私は、いつも行動を起こすことに怯えていた。


 だけど、気持ちを伝えることさえもできずに終わることが……こんなにも辛いことだったなんて。

 こんなことになるくらいなら……もっと輝くんに向き合ってたら、良かったな……



 伝えることが叶わなかった大切な想いは、次々と涙に形を変えて、儚く散っていった。

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