ビルの屋上は銀河

夕方 楽

とあるバーにて

「やっぱり、どうしても帰るんだね」

 バーのテーブル席で、向かい側に座ったララに僕は言った。

「ごめんね。でも、しょうがないことだから」

「それがわかっているから、こうやって悩んでるんだけどな」

 開いたばかりのバーはまだガラガラで、向こうのカウンターの端の席で男が一人でウィスキーをすすっているだけだった。客の男から離れたところで、バーテンダーが静かにグラスを磨いている。

「ほんとうにごめん。今日帰るっていうことは前から決まっていたことだし。それをあらかじめキミに伝えてなかったことは、やっぱり私が悪いんだよね」

 ララは申し訳なさそうな表情で言った。

「そうだね。そうかもしれない」

「でも、最初にそれを言って、キミはわかってくれたかな」

「ララが地球人じゃなくて、やがて自分の星に帰るんだってことを、僕が理解できたかって? まあ、ムリだったろうね」

 僕はジンフィズのグラスを持ち上げて一口飲んだ。薄い紙のコースターがグラスの底にくっついてきた。

「今ならもう、わかってくれるんじゃないかと思って」

「この夏ずっと一緒に過ごして、今夜もこうして一緒に飲んでいて、友達以上のふたりだから、わかってもらえるだろうってことだよね。ムリだな」

「私が地球人じゃないことぐらいは、とっくにわかってたはずじゃない?」

 僕は、ララのミディアムヘアの頭から伸びている短い二つのツノに目をやった。円錐形のツノに、緑色の小さなリボンが結んである。カウンター席の男が、時おりチラチラとララのツノに視線を向けてくる。バーには場違いな、コスプレのカチューシャだと思っているのだろう。

「だからって、昔の少年コミックみたいに、ララが故郷の星に帰ってしまうなんて、そんなバカげたことは受け入れられない」

 ララのツノは本物で、僕はそれを後ろから両手で握ってみたことがある。暖かく、しっかりと密度の感じられる手触り。

「それは何度でもあやまるしかないかな。だって、地球人の恋愛っていうものを知らなかったから」

「物理的に近くにいることが、地球人には必要なんだ」

「そうだよね、少しわかる。また次に地球に来るまで……」

 その時、バーの入り口の扉が開いて、二人連れの客が大きな声で会話しながら入ってきた。僕とララは反射的に顔を上げて客のほうを見た。バーテンダーが、カウンターに座るよう二人の客に無言で示した。

「また次に地球に来るまで、待っていてくれたりはしないかな?」

「それは何年後? それとも何十年後?」

「できるだけ早く戻りたいとは思っているけど」

 僕は、ララが額にかかった金色の前髪をかき上げるさまを眺めながら、自分のなかの何かが決定的に変わってしまったような気持になった。

「オーケー、たとえララが光の速さで何年もかかるような場所に消えてしまったとしても、僕はずっと待ってるよ」

「ほんとうに?」

「もう行ったほうがいい。もっと悲しくなる前に」

 ララは、グレープフルーツジュースの残りをストローで一気に飲み干すと、立ち上がりながら言った。

「じゃあ、もう行くね。いろいろありがとう」

「こちらもね。さよならは言わないことにするよ」

 バーから心持ち急ぐように出ていくララの後姿を見送りながら僕は、彼女が非常階段を上ってビルの屋上に上っていく姿を想像した。屋上への出口には『立ち入り禁止』の貼り紙があるが、地球人でないララには意味がない。

 屋上の空には、広大な銀河が広がっている。そのなかのどれかひとつに、ララはこれから帰っていく。

(終わり)








 

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