第16話

「皆、静かに!」


 部長が声を張る。辺りが儀礼的に、静かになった。


「久能」


 部長は久能を見る。久能は眼差しも鋭く見返した。


「誰も、お前を疑っているわけじゃない。だが、証拠を示してほしい」


 由岐治は絶句した。何を言ってるんだ? そんなの悪魔の証明だろう。


「証明するまでもないことです」


 久能は返す。この時、抑えていたものが溢れたらしい。強い不快の念をあらわにしていた。


「俺はやっていません。そんなくだらないことをする暇があったら、練習します」


 間違ったことは言っていない。しかし、この状況――というよりこの集団には――悪手だった。由岐治の予想通り、周囲はヒートアップした。


「でも、お前しか考えられない!」

「そうだ!」

「お前、いつも勝手だし! 何も知りませんって顔して、何考えてっかわからないし!」

「俺らのこと、バカにしてるんだろ!?」

「そうだよ!」


 藤川が前に進み出ると、久能を見た。


「こいつらはやってねえ。俺にぁわかる。おメェも、仲間なら、証拠見せろや、な?」


 なんてひどい仕打ちだ。由岐治は目眩がした。中目木はというと、ずっと篭手を抱いたまま大泣きしている。ちょっとは動けよ。お前のために、大荒れだぞ――

 久能は、皆の目を見つめて、目を伏せた。


「だったら、俺は仲間じゃないんだな」


 温度のない、淡々とした声音だった。周囲は、傷ついた表情をする。


「やっぱり……!」

「じゃあお前じゃんか!」


 と叫びだした。

 こいつら、頭おかしいのか? 思考構造どうなってんだ?

 由岐治は恐怖しかなかった。どう考えても、はじき出したのはお前らだろうに、完全なる被害者面である。


「俺はやってない」


 久能は動じなかった。あくまで動じず、自らの潔白のみを示した。


「だからこんな風に言われて、非常に残念だ」

「久能……」


 部長が気遣わしげな声を上げる。


「すまない。でも、皆の気持ちもわかってくれ」


 そして、さらなる追撃を加えた。無自覚なのだろう、とことん悲しげな、久能の痛みに寄り添おうという表情をしていた。歩み寄り、久能の肩を叩こうとした。

 そして、久能はそれをすっとかわした。

 こんなときでも均整の取れた、美しい動きだった。


「わかりたくもない。親切ごかしにやめてくれ。俺がやったと思うほうが都合がいいんだろう」


 部長が息を呑む。不義理をされた、という顔をしていた。藤川が気色ばむ。


「でも、お前以外考えらんねぇじぁんかよぉ!」


 そう叫ぶと、久能に掴みかかろうとした。


「落ちつけフジ!」

「ま、まあまあ、落ち着いてください!」


 そこでようやく、由岐治は皆の間に割って入った。流石にもう見ていられない、というより帰りたかった。両手を肩まで上げ、非戦の意思を示す。


「落ち着きましょう。証拠を出すなんて、無理がありますよ。何か行き違いの可能性だって――」

「部外者は引っ込んでろよォ!」


 しかし、火に油を注いだようだ。唾も飛ぶほどの勢いで怒鳴られ、由岐治は唖然とする。今、僕、果てしなく建設的なことを言わなかったか? しかし皆、由岐治を排他的な目で睨みつけてきた。由岐治の呆然の視線の端で、黒田が信じられないものを見る目で、由岐治を見ていた。


「クロが嘘ついてるッてのか!? 何にも知らねえくせによォ!」

「そうだ!」

「引っ込んでろよ!」

「ていうか出てけ!」


 怒号と言うにふさわしい非難の数々に、由岐治は、ぐっと息をつまらせた。せっかく待ちわびた『帰宅許可』だが、「じゃあ帰ってやるよ!」と怒鳴り去るには由岐治は恥をかいていた。ここで帰ったらみじめすぎる――由岐治の目に涙さえ浮かんだ。


「もういい」


 由岐治を助けたのは、一番苦境にあるはずの久能だった。


「そこまで言うのならいい。俺は部をやめさせてもらう」


 久能は決然と言い放った。そんな……由岐治は久能を見る。それでは泣き寝入りではないか。しかし由岐治は、久能の目に満ちる覇気に驚く。負ける人間の顔ではない。


「久能、何もそこまで。謝ってくれたなら……」

「ただし」


 久能は、部長の気遣わしげな声に被せる。


「その前に、この事件を徹底的に洗わせてもらう。警察に入ってもらってな」

「そんな……!」


 周囲がにわかにざわめきだす。不安と恐怖に、彼らは顔を見合わせる。そしてそれを晴らすように、久能に向き直った。


「おい、久能! 脅しかよ!? 大会も近いのに……」

「関係ない」


 皆の動揺にも、久能は動じることはなかった。

 

「俺は俺の名誉のために、どんな手段もいとわない。お前らだってそのつもりで、俺を犯人扱いしたんじゃないのか」


 その目からは、激しい怒りと、彼らへの心底からの軽蔑が見えた。由岐治は、一緒になって気圧される気持ちと、無関係ゆえの爽快感をもって、久能の反撃を見ていた。


「俺を、いじめをして喜ぶようなオカマ野郎扱いしたこと、きっと詫びてもらう」


 言ってのけるなり、久能は鞄を抱え、用具室を出ていった。ぴんと張りつめた気配に圧されたのか、止めるものは誰もいなかった。

 一拍の静寂。耳鳴りのような電子音が響いた。


「おい、どうする!」

「久能のやつ、警察なんて……」

「汚いよ。無理心中じゃねえか」

「大会も近いのに……やっぱあいつ、俺らのことなんか、どうでもいいんだ」


 辺りはにわかに騒がしくなる。緊張の糸が切れると、あとは怒涛だった。皆、口々に久能を罵りだす。

 こいつら、正気か?

 由岐治は、がく然とする。自分たちがどれほど残酷なことを言っているか、自覚がないのだ。恐怖と軽蔑に、由岐治はおののいた。

 中目木はひたすら泣き続けている。


「ごめんなさい、おぇのせえで……」

「馬鹿! お前は悪くないだろ!」


 黒田が熱く湿った声で、中目木の肩を抱く。皆もまた、熱い視線を向けた。


「そうだよ!」

「気にすんな」

「皆、ナカの味方だって!」


 一言ずつ言いながら、中目木の背を、激励するように一発ずつ叩いていく。部長も、熱く重く頷いた。


「そうだ。この件については、部長の俺がきっと何とかする。久能を止める」


 決然と言ってのけ、皆を安心させるようおおらかな笑みを浮かべて見せた。


「頼む……っ!」


 藤川が、悲痛に頭を下げる。皆も感傷的なうめき声や、懇願をくり返す中、黒田は由岐治をきつく見すえた。

 え? 由岐治はたじろぐ。


「碓井君。君には失望した。ことが済んだら、君にもツバサに謝ってもらう!」


 黒田は高らかに叫んだ――


 ※※


 赤城は、武道場の昇降口に立ち、主を待っていた。

 やや大きな物音がし、振り返ると人影が一つ、こちらに向かってきていた。


「お疲れ様です」


 影の正体は久能だった。久能は何も言わない。ただ赤城に一瞥をくれたが、それも一瞬のことで、そのまま去っていく。

 赤城は、久能の背をじっと見送った。何かあったらしい。

 様子を見に行こうとしたところで、彼女の主がやってきた。よろよろと力ない様子でこちらに来る主を、赤城は、まずいつものごとく迎えたのであった――。

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迎陽花 小槻みしろ/白崎ぼたん @tsuki_towa

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