ビルの屋上は銀河

@akari_itsuki

短編

はぁーっと吐いた息が白いモヤに変わり、冷えた空気を微かに染める。

見上げた先には無数の星々。

暗いビルの屋上を、新月の夜空からあの星たちだけが照らしていた。


視線を下げた先の街は闇に包まれている。

街灯どころか信号機までも見えはしない。

だからだろう…普段は見上げたところで、こんなにも煌めく星空を見る事は出来ないのだ。


「せんぱーい。いつまでこんな所に居るんですか」


背後でガチャリと扉を開ける音がして声を掛けられた。

星明かりの淡い光に慣れていた視界を懐中電灯で照らされて顔をしかめる。

光を向けるのを止めてほしい。目が痛い。


「うー、寒っ!先輩は寒くないんすか」

「まぁ、寒いな」


懐中電灯が少し逸らされて、後輩の手が何かを持っているのが見えた。

湯気を立たせたマグカップが2つだ。


「コンロは使えたんでコーヒー作って来ましたよ」

「あぁ、助かる。ありがとう」


片方のカップを受け取って湯気に当たれば、寒風に乾いていた鼻先がじんわりと感覚を取り戻した。

温かなコーヒーをコクリと1口。


「あー。染みるわー」

「うわー。おっさん臭いっすよ先輩」


不躾な発言も気にはならない。

事実、自分はおっさんだ。


「しっかし、いつまで続くんスかね。この停電」

「さあな」


日曜日の午後11時過ぎ。

警備員として勤めるオフィスビルで宿直を担当していた中で遭遇した大停電。

後輩の手にする懐中電灯に照らされたアナログな腕時計の針は現在日付の変わる数分前を指していて、つまりはもう1時間弱の長い時間ずっと街は暗闇が続いているという事だ。

休日出勤していた社員も帰った後の無人のビルの中に広がるのは空調の音すら無い完全な静寂。

先程まで守衛室でスマホをいじり続けていた筈の後輩が焦れて屋上ここへ来たのも納得するというものだ。


「Wi-Fiもない。充電器も使えない。マジ最悪…モバイルバッテリー持って来るんだったなー」


どうやらスマホは電池切れか。

単調なオフラインゲームに飽きてしまった訳ではないらしい。


「まぁ、たまには電子機器から離れて星でも見ろよ」


明かりを点けっぱなしで後輩の左手にぶら下げられた懐中電灯の電源をオフする。


「やっべー。キレーっすね」


促されるままに空を見上げた後輩は目を輝かせて口から感嘆を漏らした。

スマホが使えないだけでガックリと気分を落としてしまうような現代っ子だが、何だかんだで素朴な物でも素直に感受できる所に好感が持てる憎めない後輩である。


(案外気も遣えるってのも新たな発見だ)


空になった手元のマグカップを眺めて密かに唇の端を上げた。


「ん?あ、先輩!下見てくださいよ!」


喜色の浮かぶ声に釣られて眼下の街を覗き込む。

所々にポツポツと点り始める街灯や窓枠の灯り。


「あぁ。直ったかな」


背後で屋上の出入口に設置されたLEDライトが息を吹き返し、先程までが嘘のように周りが明るく照らされる。


「これでスマホが充電できる!」と一目散にビルの中へと戻っていく後輩を見送って、再び空を見上げてみた。

満天の星空の中でも一際輝いていた星だけがポツポツと残るだけの寂しい暗闇。


見下ろした街の方が今となっては輝いている。

空から見れば背後で煌々と点るLEDを含めて、地上はまるで先程までの星空のようだろうか。


冷えた空気の中で最後に一度大きく息を吸う。

時刻は午前12時過ぎ。


宿直の夜はまだまだ長い。


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