File6_また明日
7月31日。月曜日。22時40分。
「先輩、聞こえてますか?」
ほの暗い熱を感じるが、甘い声。
「今日の先輩、とっても可愛かったです。昨日、あんなこと聞いちゃって意識しちゃったんですよね。ふふ」
悦に浸るように、内側に向けられた笑い声。
「朝私の顔を見た瞬間に、目を軽く見開いてから、おずおずとあいさつして来るんでもん。その後も私が声を掛けるたびにビクッとして。ふふふ。先輩は、ずーっと私のこと考えて意識しちゃってたんですよね」
くすくすとした笑う。
「ふふふ。まだ分かってませんかね。ああ、そんな先輩も想像すると可愛いなあ。目をまん丸にして、おろおろしてるのかな……」
綿のこすれる音。想像して、ぬいぐるみを抱く力が強くなっているのだろう。
「ああ、もう。本当、可愛いなあ」
にやけていることがありありと伝わってくる柔らかい声。だが、相変わらずほの暗い熱が籠められており、どこか不気味さをかもしだす。
「あ、ごめんなさい。先輩が可愛い反応してると思ったら、つい……。でも、先輩がいつも可愛い反応するからダメなんですよ?」
「ふふ。このまま焦らして、色んな想像をして不安になる先輩を思い浮かべるのも楽しいですけど、いい加減に教えてあげますね。1年ちょっと前にこの子……あなたをお迎えしたですけど、こうやって抱いてたら、なんだか違和感があったんですよね」
キュッと軽く抱きしめる音。
「何か固いものがあるような感触。不思議に思って調べてみたら、盗聴器が仕込まれてたんです。あの時は、びっくりしたなあ」
しみじみと懐かしむ声。
「ネットで調べたら、100メートルくらいしか届かないタイプだったんです。もっと調べたら、wifiに接続するモードに切り替えることもできちゃうみたいなんです。なんだか面白そうだったので、ネットワークに接続して自分の声を録音してたんですよ」
「あっ、でも大丈夫です。安心してください。勝手にインターネットに接続して、外に流出したりしていないことは確認済みですから。先輩は優しいから、心配してくれますよね。ふふ、ふふふ」
またしても力が入ってしまったのか、ぎゅむっと押しつぶされる音。
「そうしてこの会社に入って、先輩に会って、ほとんど毎日顔をあわせて。……そしたら、数日前からなんだか気持ちを抑えられなくなっちゃったんです。先輩のことが頭から離れなくて、切ないのに、幸せ……。これが好きになるってことなんですね」
声に吐息交じってきて、より熱を感じさせる。
「でも、これって不公平ですよね。私がこんなに先輩から幸せをもらってるのに、先輩には何も返せてないじゃないですか。それはすごく申し訳ないなって。その時、あなたのことを思い出したんです」
「あなたに仕込まれてた盗聴器のデータ。これを編集して先輩に聞いてもらえば、先輩も私のことで頭がいっぱいになるかなって。我ながら名案ですよね!」
最後はやけに明るい声。有無を言わさず自身の考えを押し付けるような声で不覚にも背筋が寒くなるような声。
「私、頑張ったんですよ。それっぽいアプリを開発して、録音データを編集して、アプリに音声データを配信して……。こんなことを出来るようになったのも、先輩がアプリ開発の技術を仕込んでくれたおかげです」
褒めてくれと言わんばかりの自慢げな声。
「あ、でも注意してくださいね。アプリを入れるときに先輩のスマホを借りましたが、誕生日がパスワードだなんて、安易過ぎですからね。私だからよかったですけど、悪意のある人だったら大変なことになってますよ。大事なものなんですから、ちゃーんと管理してくださいね」
怒ってますと言わんばかりのどこか茶目っ気を感じる声で注意される。しかし、やっていることは犯罪まがいの行為でちぐはぐだ。
「ふふ。一つ録音を聞くたびにファイルをアンロックしていく形式にしたんですけど、このファイルまで聞いてくれたってことは、先輩も私のこと、いっぱい、いーっぱい考えてくれたってことですよね。ふふ、ふふふ」
ぎゅむっと抱きしめられた手に力がこめられる。
「ああ、嬉しい。嬉しいなぁ。先輩が私のことたくさん考えてくれてる。これを聞いたら、きっと、もっとたくさん私のこと考えてくれますよね。ふふふ。明日会った時どんな顔をするか、楽しみにしてますね、先輩。おやすみなさい」
弾んだ声でそう言って、録音が終了した。
知らない間に入っていた盗聴アプリを起動したら、職場の後輩のぬいぐるみにつながっていた件 明日葉いお @i_ashitaba
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