転がせ!

ねむるこ

第1話

 家族連れで賑わう商店街。私は一人。重い足取りで歩いた。

 私の人生は……転がり落ちている。

「ごめん。好きな人ができてー」と、いう感じで突然パートナーに別れを告げられたかと思ったら。

「今週いっぱいで雇用契約を打ち切らせて頂きます」と、いう感じで仕事も失ったのだ。

 私の人生は短時間のうちにみぞにはまり、そのままストーンっと暗闇へと綺麗に落ちていったので感情が追いつかない。

 悲しめばいいのか、怒ればいいのか。それとも新しい未来が待ってると前向きに考えればいいのか……。


 私は自分の感情が分からないままぼんやりしていた。

 一人暮らしの部屋に籠っていると無視していた黒々とした気持ちに襲われそうで、私はこうして地元の商店街にやって来たのだけれど……。

 どうしよう。余計に惨めになった。

 通り過ぎる人全員が誰かしらと一緒にいて、それでもって笑顔で楽しそうなのだ。

 私は突然、迷子になってしまった子供のような気持ちになった。心細くて、早く家に帰らなければと思う。


 ここのどこにも私の居場所はない。そんな事実を突きつけられたようで辛くなった。


 転職活動も思うように進まない。面接の場では「それが何の役に立つんだかね~」と私がやってきたことを馬鹿にされ、「どうせ結婚して早くに辞めちゃうんでしょう~」と鼻で笑われるだけだ。悲しいかな。妙齢の女に社会は厳しい。


 日本のせいだろうかそれとも不景気な社会のせい?それとも私が役立たずなせい?……全部当てはまってる気がして虚しくなる。

 まさか「結婚の予定なんてありませんからー!なんなら振られたばっかりなんですよー」なんて言えるはずもない。

 何が駄目だった?どんなことをしたら私は幸せになれる?神様、本当にいるんだったら私に教えておくれ!幸せになる方法を!

 心の中で私は両手を広げて天を見上げた。信仰心なんてあったこともないのに突然私は神に救いを求める。何とも身勝手な人間だ。

 気落ちして道を歩き始めた、その時だった。


「ドロボー!」


 穏やかな空気が切り裂かれるような女性の叫び声が響いた。

 猛スピードで歩行者天国のど真ん中を突っ切る黒い影。通行人にぶつかるのも気にせず駆け抜けていった。


「ママー。あれ、何?」

「……スリね。ヤバい!早く警察に連絡しなくちゃ!」


 隣で自転車を押していた、私よりも若いであろう母親が首に提げていたスマートフォンを取り出して興奮したように目の前で起きた出来事を話し始めた。

 「スリ」という言葉を理解していない男の子がぼんやりと泥棒の後ろ姿を見ていた。昼下がりということもあって眠たいのだろう。目が半開きである。

 私は男の子が手にしていた自転車用のヘルメットを見てあることに気が付いた。

 アレに似てる。だとしたら……私にできることがあるかもしれない。


「ごめんね。ちょっとそれ、貸してもらえるかな?」

「これ?いいよ」


 男の子は首を傾げると眠たそうな目でヘルメットを貸してくれた。

 ヘルメットには何故か指が入れられそうな三つの穴が開いている。それがとてつもなく似ているのだ。私が長年人生を共にしてきた相棒に。

 私は泥棒が駆け抜けた為に出来上がったレーンに立つ。

 私はレーンの前に立つと大きく息を吸って、吐いた。ヘルメットの穴に右手の指を入れ、左手でヘルメット全体を包み込む。


 ああ、やっぱりしっくりくる。


 今にも隣のレーンからピンを吹き飛ばす爽快な音が聞こえてきそうだ。

 私はそのままリズミカルに助走すると下から腕を振ってヘルメット押し出した。振り子運動を意識する。


 転がれ!そんでもってぶつかれ!


 いつしか私はボールに見立てたヘルメットに思いを込めていた

 ボールが手から離れたらどうなるかなんて誰にも分からない。ストライクを取れるかどうかは神様にしか分からないのだ。

 だから私はボールを投げる直前まで最善の行動を取るしかない。今までの人生、私はどうだっただろう。


 常に最善だと思う方を思い切って選んできた。うん、それならいいじゃないか!だってどう転がっていくかは神様にしか分からないんだから。

 大切なことに気が付いた私は転がっていくヘルメットを力強い視線で追った。

 転がれ!私の人生。そんでもってぶつかれ!

 投げ出されたヘルメットは歪なカーブを描くと、泥棒よりも少し先にあった真っ赤なカラーコーンを弾きとばす。


「なんだっ?」


 驚いた泥棒は避けることができないまま、カラーコーンに足を取られて盛大にこけた。


「しゃあっ!」


 力強いガッツポーズと共に、周りから歓声が上がる。まるで試合に出場していたような……そんな気持ちになった。


「スペア!」


 どこからか粋なおじさんの掛け声が聞こえて思わずにやけた。


「すぺあ!」


 ヘルメットを借りた子供がぱっちりと両目を開けて、親指を立てるのでまた笑ってしまう。

 泥棒は転んだところを別の通行人にとらえられ、その後駆け付けた警察官に引き渡された。



「ごめんね……。君のヘルメット投げちゃって。お母様も……申し訳ありませんでした」


 私はヘルメットを手渡しながら謝った。子供のお母さんは首を左右に振って笑顔で言う。


「気にしないでください!悪い人捕まえたんですから!ところでお姉さん、すごいプロっぽいフォームでしたけど……もしかしてプロボウラーだったりするんですか?」


 若い母親の輝く顔に私は気後れしながら答える。


「ええ……。まあ、そうですね」


 恰好悪いので「元・プロボウラー」であることは伏せておく。仕事を失うと同時に私のプロボウラーとしての活動も休止になったのだ。


「ぼく、大きくなったらぷろぼらーになる!」


 「プロボウラー」と上手く言えない男の子に私は自然と笑みを浮かべる。こんな私でも子供に夢を与えることができたのだと思うと嬉しい。

 男の子とお母さんと別れた後。晴々とした気持ちで商店街を歩き始めた時だった。


「さっきのやっぱり坂見だったのか?」


 後ろから呼び止められて振り返る。

 そこにいたのは……高校の同級生だった。よく見ると犯人を捕まえていた通行人と同じ出で立ちをしている。

 まさかこんなところで再会するなんて……。


「まだボウリングやってたんだな。そうだ、戦勝祝いにどこかで飲むか?」

「……うん。そうしよう」


 人生はどう転がっていくか分からない。急に突き放されて一人になることもあるし、こんな風に突然隣に人が現れたりもする。

 私は同級生の隣を歩きながら思う。


 これからは転がっていくんじゃない。

 自分で人生を転がしていくんだ。

 







 

 

 

 

 

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