女装将軍大作戦!

アンダーザミント

女装将軍大作戦!

「ああ、助かりました。本当によくお似合いで」

「似合っていますか? このような骨ばった身体にそなたの衣が」

「あとは、肩をこのように落として。女子おなごの肩はこう、なだらかに付いておりますから」

「こう、すればよいのですか」

「そう、それでようございますよ。あと、殿方が烏帽子も被らずに垂髪では落ち着かないでしょうから、表着うわぎを被るようになさるとお顔も見えなくてよろしゅうございます」


 将軍・みなもとの実朝さねともは、御台所みだいどころの手を借りて大急ぎで女物の装束を身に着けている。この格好で、その夜は御台所に仕える佐渡局さどのつぼねという女房の居場所で彼女のふりをして一夜を過ごす手筈になっているのだ。

 なぜそのような突拍子もないことになったのか——。すべての原因は実朝の母方の従兄弟にして執権・北条義時ほうじょうよしときの息子、朝時ともときにある。朝時は、都から鎌倉に下って来たばかりの佐渡局の美貌を垣間見るや一目惚れしてしまった。そこまではよくある話なのだが、その先が酷いものだった。

 朝時は早速佐渡局に恋文を送ったが、佐渡局は既に夫のある身なのでと断る返事をした。しかし朝時はこの程度で諦める男ではなかった。

 断りの文を受け取った直後に、それでもあなたのことを忘れられないなどと返信したのだ。しかもそれに止まらず、次の日もまた次の日も攻勢を重ねた。この矢衾やぶすまには、佐渡局は次第に恐怖を感じるようになっていた。

 そのうち、このような噂が聞こえてきた。朝時が夜影に乗じて佐渡局を奪おうとしていると。それを聞きつけた佐渡局は狼狽うろたえ、その場を動けなくなるほど打ち震えていた。見かねた御台所が自らの寝所に彼女を隠し、なんとか護ろうとした。

 しかし……、と御台所は考えた。異常なほどの色欲にりつかれた男がそのくらいで断念するのか。世の中にはもっと酷い目に遭った女人が数知れないと聞いている。そのような悲劇を増やさぬためにも、いま目の前で働いてくれている女房を助けなければ。それがこの将軍御所の北の対の女主人たる自分の務めなのだから。

 ただ、佐渡局を夫のやしきに下げさせてもそこを襲われる懸念がある。かといってこのまま隠していてもいずれは暴かれるだろう。それならばどうしたらよいのか……。御台所はしばらく我を忘れて思いを巡らせていた。

 そのようなとき、ふと御台所の脳裏に夫・実朝の体つきが浮かんだ。その瞬間ひらめいたことがあり、急いで夫を呼び、その計画を話したのだった。

 一連の朝時の騒動は、実朝の耳にも入っていた。朝時の父義時に厳重抗議し、朝時をできるだけ御台所のいる北の対に近づけないよう図った。それでも朝時は執心が消えず、なんとか障害を飛び越えようとしている。その様子に実朝も困り果てていたから、御台所の計画は渡りに船だった。わたくしの衣を着てくださいますか、と言われたのには初めはさすがに躊躇ためらったが、鎌倉の頂点に立つ者として困っている人を助けないわけにはいかない。そのような重い覚悟の上の女装なのだった。


 夜が更け、人々が寝静まったとき、夫婦は作戦を開始した。

 まず女房の居間に臥せた実朝は、怪しい足音が聞こえないか耳をそばだてていた。真夏の月の光もない闇の中、蛙の声に耳を傾けるゆとりもないなかで無粋な足音を捕まえるべく、実朝は御台所の表着の下で気を張り詰めていた。

 慣れない女物の衣だが、不思議と実朝の体格には不釣り合いなものではなかった。胸板がそれほど厚くなく、肩は張っているとはいえ幅広いわけではないうえに、細面で華奢に見えて髭も生えていなかったのが幸いした。背の高さの違いから少し窮屈には感じたが、そのあたりもすぐに慣れた。

 そのような着物の下で一刻、二刻と過ごした実朝が、覚えず眠ってしまいそうになったそのときだった。


 さくさくさくさく。


 忍ばせる努力はしているものの明らかに体格の良い男の足音にしか聞こえない響きが実朝の耳を衝いた。衣の下で身を固くして構えた実朝を目指していくかのように、その足音は近づいてきた。


 さくさくさくさくさく。


 足音は次第にはっきりと聞こえるようになる。確実に実朝に向かっている。


 ざくざくざくざくざくざく。

 とん。

 さっさっさっ。


 庭から縁に上がってきた。もう、すぐそこだ。

 そして。

 衣の下から大きな手が入れられ、実朝の腕に触れた。


「ぎゃーーーーーーーーーー!」

「おわーーーーーーーーーー!」


 女とも男ともつかないながらも甲高い声とただ野太い男の声の絶叫に御所中が震え、瞬く間に数多の人々が群参した。その中にいた宿直とのい武士が持っていた松明たいまつを掲げると、驚いた表情のまま呆然としている実朝と、——何かに突き飛ばされたように腰を抜かし、目を見開いてわなわなと震えている朝時。

「ご……御所……御所さ……こんなところに…………」

 あわあわと怯えながら必死になにか言い訳しようとする朝時に、振り乱れた髪のままゆっくりと立ち上がった実朝が近寄る。

「やはりそなただったか、相模さがみの次郎じろう

「あああ……あああ……ぁぃぁぃ……」

 相変わらず朝時は震えている。

「嫌がる女子を襲って連れ出そうとするなど言語道断。女子の心も推し量らずに恋が実ると思うか? 人の道に外れた振る舞いをするような男子おのこ、誰が連れ添おうと思うか?」

 朝時はもはや、魂が抜けた者のごとく硬直している。

「かの女房殿がどれほど悩んで、怯えていたのか知りもせずに」

 朝時はだんだんとのけぞった体勢になり、やがて逆四つん這いになりながら後ずさりしてそのまま逃げようとした。しかしすぐに取り押さえられた。

 再び掲げられた松明の炎に、誘拐及び猥褻未遂犯の間の抜けた面と、おとり作戦を成功させた精悍でありながら中性的な将軍の姿が照らされた。


 次の朝、朝時は父に呼び出され、即勘当された。そして実朝からは鎌倉追放を言い渡され、駿河国するがのくにへ向かったという。


 その後、佐渡局は無事に御所での務めに復帰した。労いの言葉をかけた実朝が、都に戻りますか、と伝えたところ、御台所と将軍家の振る舞いが素晴らしかったので心を込めてお仕えしようと決めましたと答えたのだ。

「まさか御所さまが女子に化けてまでわたくしめを護ってくださるとは思いもしませんでした。このような身に余る御恩に、なぜ背くことができましょうか」

 実朝はその夜の己の姿を思い出して顔を真っ赤に染めながら、守りきれた人の感謝の言葉を受けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女装将軍大作戦! アンダーザミント @underthemint

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ