一匹狼
俺はそれからしばらくの間、隠遁生活を送った。
カプセルホテルや漫画喫茶を転々とし、魔法協会や生徒会とは無縁の生活を送る。
エーテルビジョンを開くことすらしなかった。
どんな経路で尻尾を掴まれるか分からないから、火事場を見学する放火魔のような馬鹿な真似はできない。
何の目的も無く、何の意味もなく、ただただ時間が過ぎていった。
記憶さえあれば、もう少し行動のきっかけはあったのだが。
何日かそんな日々が過ぎ、ようやく俺は壁子に再会した。
場所は馴染みの牛丼屋。俺たちは半分偶然の、半分必然の再会を果たしたのだった。
確信があった訳ではないが、いつかは出会うような気がした。
それが一週間後か、一ヶ月後か、一年後かは分からなかったが。
しかし、それはビジネスパートナーとしては、微妙だった。
記憶を失う事が重要な任務なのだから、壁子は俺に対して必要以上の説明をしなかった。
壁子を信用していれば、説明を要求したりするべきではない。
だから、俺は別にいつもの日常のルーティーンだし、としらばっくれて牛丼屋に通っていたのだった。
そして彼女と出会うという事は、彼女ももやもやとしたものを胸に抱えていたのかもしれない。
しらばっくれて出会うのは、お互い様なのかも。
「……俺は仕事を終えたんだよな?」
と、俺は壁子に尋ねた。
「報酬は振り込んでるはずよ」
ドライな回答を行う壁子。
ドライなのはいつもの事だが、今日は妙にそれがとげとげしい感じだった。
「もちろん、報酬は知ってるけど……実感が無いんだ。記憶が無いから」
「だったらあんな無茶はしないで欲しい。自殺まがいな作戦だった。今日まで死んだと思ってた。特盛つゆだく」
俺への小言から流れるように店員への注文を済ませる壁子。
「責められても、覚えてない。並盛たまごとみそ汁」
俺の減らず口に、壁子はほんの少しむっとした顔になった。
が、どちらかと言えば俺が気になっているのはその鉄面皮の奥に潜む違和感だった。
壁子は何かを隠している。
クー・シーのような姿を変えた偽物ではない。
彼女が彼女の魂を持って、何かを隠しているのがはっきりと分かった。
理由は無い。長い付き合いから来る、ただの俺の勘だ。――それは“人間ランタイム”の上の薄皮に刻み込まれた暗号のようなものかも知れない。
「……仕事はこれで終わりなんだろ」
「ええ」
と、壁子は言った。
「報酬については、引退してもしばらくは食っていける額だった。俺たちは一体、何をクライアントに届けたんだ……?」
「知らない」
壁子は、今度は見え見えの嘘をついた。俺を巻き込まないためだろう。
「……記憶を消す前のあなたが言った事。『全ては知らぬ存ぜぬで通すべきだ』って」
俺の口から乾いた笑いが漏れた。
「絶対に嘘だ。俺はこう言ったはず。『全てが終わったら、ちゃんと俺に教えてくれ』って。
お前が知っている以上、知らぬ存ぜぬでは通せないだろ。自分一人で抱えなくてもいい」
「恰好つけなくていい」
「それはお前だろ」
「恰好つけてない。私も忘れた。記憶消した」
見え見えのウソで頑固に拒絶する壁子。
「……恰好つけるわけじゃなくて、俺は何も知らずに死にたくないんだよ。明日にもメガネに殺されるかもしれない。いつまで逃げ隠れすればいいかも分からない。ほとぼりが冷めるのは待ってられないよ」
壁子は困った顔で、小さい溜息をついた。
「……私たちが盗んだデータは、メガネが行っていた人体実験と“副業”の顛末についてよ。テロリストは魔法協会や生徒会にとって表向きの敵だけど……その実、一部のテロリストを牽引していたのは、まさしく彼女に他ならないの。
メガネはクー・シーのような魔法に無関係な少女たちをさらって、“需要”に対して供給していた」
「詰まるところ
「ええ。これが暴露されればメガネの立場は危うくなるし、他の生徒会メンバーだって黙ってないわ。内部で抗争が勃発するかもしれない。
生徒会も一枚岩じゃないから。メガネの尻尾を掴もうとしている連中は一人や二人じゃない。
クー・シーに化けてあなたから情報を盗もうとしたのは、まさしくメガネを凋落させようと画策していた別の生徒会員の手先。
で、その事を知っていたあなたはわざとそちらに情報をリークし、窮地を脱した」
「なるほど……俺たちの雇い主は誰なんだ?」
「分からない。相手が隠しているなら、私たちは知らない方がいい」
ずずず、と壁子はお茶を啜った。
「クー・シーは実在するのか?」
「もちろん。生徒会への接触には、学園内部の協力者が必要だった。仕事が終わってからは、私が匿ってるわ。
学園内部はもう危険だし、彼女を狙う人間も多い。生徒会に唾を吐いた初めての学園生徒として、学園内では人気者らしいけど」
「匿ってるなんて、親切なもんだ。君の目的はなんだ。引退して、あの子と家族ごっこでもしてひっそりと隠れ住むつもりか?」
壁子はぼんやりと外を眺めて、また小さくため息をついた。
「それは私のプライベートの話」
お待たせしました、と店員が言った。昼飯が机に並ぶ。
腹が減ったら、二人でよく食べたいつものやつだ。
当時はお腹が満たされればなんでも良かったが、いつの間にか“これじゃなくちゃ”と思うようになった。
(……プライベート、か)
俺は何も言わなかった。確かに、俺が踏み込む領域の話ではない。
俺たちはあくまでビジネスパートナーで、ビジネスはもう終わったのだから。
牛丼を食べ終わるまで、俺たちは何も喋る事は無かった。
店から出て、左右を見る。
正真正銘の野良犬となった俺は、右に行くべきか、左に行くべきか、それすらも分からなかった。
少なくともほとぼりが冷めるまで、この町から離れた方が良いかもしれない。
いや、もう少しポジティブに捉えよう。俺はこれで、自由な一匹狼だ。
「……じゃあな、壁子。何かあったら連絡くれよ。世話になった」
俺はちらり、と彼女のほうを見て、呟くようにそう言った。
壁子は何も言わず、ぼんやりと俺の方を見ていた。
右に行くか、左に行くか。
足を進める方向すらままならず一歩を踏み出した瞬間……。
「私はメガネみたいなやつは許せない」
と、壁子は誰にともなくそう言った。
許せない、なんて久々に聞いた。俺たちのビジネスには縁遠い言葉だ。
テロリストに攫われ、夢を潰えた彼女自身の言葉だった。
「クー・シーも生徒会にまだまだ“お返し”したいそう。
でも……私たちだけじゃ人手が足りないかもしれない」
「それは、君らのプライベートだろ?」
「違うわ。ビジネスよ。『その際は俺を雇ってくれ』って、誰かさんが言ってた。『野良犬はごめんだ』って」
「俺が……?」
壁子は明後日の方向を見ながら、そう言った。
彼女はまた嘘をついている。
「……俺なら『これでやっと一匹狼になれる』って言ったと思うぞ」
「言ってないし、覚えてないでしょ」
気の抜けるような笑いが、俺の口元から漏れた。
壁子のプライベートには踏み込まないが、彼女が俺の飼い主になるなら別だ。
もうしばらくは首輪をつけて、彼女の後をついて行くしかなさそうだ。
ビジネスはビジネスなのだから。腐れ縁とも言うけれど。
記憶を失って、俺は一つ思い知った事がある。
誰かが居なければ、俺は俺ですらない。昨日の俺ですら、今日の俺を証明できない。
他の誰でも無い、俺自身に対して。
だから、腐れ縁でも俺を証明してくれる人間は必要だった。
たかが“人間ランタイム”の薄皮である俺の存在を証明できるのは、壁子だけだった。
魔法少女として終わりを迎えつつある、ポンコツパートナーの彼女にしか、それは出来ないのだった。
「……じゃ、契約の話をしようか」
俺の言葉に、壁子は親指を立てた。
いつもの無表情の奥に秘められた、安堵とも喜びともつかない感情をほのかに感じる。
忠犬とは言わないが、もうしばらくは飼われていよう。
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