第6話:閑話、フリーダの父から

 概ね、顔を合わせる機会が希薄になれば我が子であろうと他人に近くなるのだろう。


 アマルガン・ミュールはふと、星空を見上げてそんなことを考えた。

 血を分けた娘であるフリーダが、また何やら大成功を収めたようだが、その詰めの甘さから滲み出るいくつもの問題を修正して回るのはもう十四年前から続けていることだ。

 未だに娘の尻拭いをしている男、と言われれば情けない話でもあるが、それが莫大な富を生みだしているとなれば話は変わってくる。

 そういう意味では、アマルガンはフリーダにとって都合の良い隠れ蓑でしか無いのかもしれない。


 ――人の情はあるように見える。


 夜風の肌寒さを完璧に凌いでくれる特殊な防寒コートも、元はと言えば十年前にフリーダが考案したものだ。

 結果として、彼女の発明は国を豊かにした。

 世界のどこと比較しても、これほど見事な[魔導具]は存在しまい。


 そんなことを考えながら、城門をくぐり、夜回りの騎士たちを軽くねぎらってから[ミュール家ブランド]の絨毯が敷かれた廊下を進み、[ミュール家の刻印]が施された真新しい階段を登る。


 ――しかし、これはやりすぎだろう。


 あの子は、上の世代が感じるミュール家への憎悪に無頓着過ぎるのだ。


 と、皇帝の私室の前までやって来たタイミングで扉が開かれ、どこか不機嫌そうな女性が姿を現した。

 アマルガンはいつものように一礼して道を譲る。


「これは失礼致しました、フランドール・トライン皇后陛下」


 その女性――バルタザール・トラインの妻フランドールは、頰の横で短く切りそろえられた艷やかな黒髪と抱けば折れてしまいそうな華奢な体躯をしていたが、騎士顔負けの強く鋭い眼光をアマルガンに向け、吐き捨てる。


「時間が無いと言いながら、友人には会うのですね?」


 友人――。

 その言葉を聞くと、アマルガンは不安になる。


 彼の一族を殺し尽くした、ミュール家。

 だのにアマルガンは今日、彼の親友をやっている。


 めぐり合わせが良かったのだろう。

 アマルガンは、ミュール家の中では甘やかされて育ったという自覚がある。

 世間から見たら悪魔のような一族も、アマルガンから見れば何だかんだで優しい兄姉だったのだ。


 だから、アマルガンは自分の趣味を許された。

 剣術、魔術の道を目指した時期もあったが、華を持たされているのだと気づき、どういうわけだが冒険者を目指してしまった。


 若気の至りというやつなのだろう。

 知人の影響で、歴史に興味を持ち、世界の謎を解き明かしたいという思いもあったが、それは家族に対しての言い訳だった。


 本当は、自分だけの力で何かを勝ち取りたかった。

 だから名を隠し、しかし最高品質の魔法の武具を隠すことなど思いつきもせず、一言二言会話しただけで完全に信頼してしまった仲間に背後から襲われたのだ。


 それを救ったのが、当時のバルタザールだった。

 無論、彼も偽名を使っていたのでトライン家最後の生き残りなどと知る由もない。


 あの頃は、本当に楽しかった。

 世界を知り、未知を知り、あらゆるものが輝いて見えた。


 そして、家族が他国に戦争を仕掛けようとしてることも、知ってしまった。

 彼がトライン家最後の血筋だと、知ってしまった。


 ――結果として、アマルガンは彼についた。

 トライン派の一人として……。


 アマルガンは、今でも後悔している。

 家族を討ったことでは無い。

 この国を再びトライン王家に戻したことでもない。


 彼を――バルタザールを、皇帝という鳥籠に閉じ込めてしまったことを、アマルガンはずっと後悔している。

 自分でもわかる。


 気高い理想を抱き、自由を失い、しがらみに囚われ、しかしかつての友を捨てることができず、緩やかに手足から腐敗していくこの不快な感覚を、彼も味わっているはずだ。


 その罪悪感から、アマルガンは今日も暇を見つけてはバルタザールに顔を見せるのだ。


 とは言え、今目の前にいるフランドールが不機嫌なのは、全く別の問題である。

 彼女がバルタザールを愛しているのは良いが、鬱憤をこちらに向けるのは辞めて欲しい。


 が、自分くらいにしか吐き出せる相手がいないのだろうと考えたアマルガンは、あえて昔のような砕けた態度で返す。


「すまない、フラン。だが仕事も兼ねているのだ、多めに見てはくれないか?」


 半分は嘘だ。

 アマルガンは友に会うために、仕事を作っている。

 フランドールが答えないので、アマルガンは苦笑して


「頼む。キミの許可が無ければ、私はこの部屋に入りたくない」


 するとようやくフランドールの硬い表情が僅かに柔らかくなるも、扉の向こうから


「おーい、入らないのかー?」


 というバルタザールの声が聞こえてくるのだからたまらない。

 だが、彼もまた皇帝という立場上、気安く振る舞える相手はアマルガンくらいしかいないのだ。


 板挟みだな、と内心で苦笑すると、フランドールは先程と同じく[鉄の女]の異名に相応しい冷たい表情に戻っていた。


「許可など必要無いようですが」

「すまない、後で言っておく」

「おーい、アマルガンが来たのだろー?」

「……言って聞いた試しなど無かったではありませんか」


 そう言われてしまえば、アマルガンはもう一度


「すまない」


 と頭を垂れる他無いのが現状なのだ。

 フランドールは一度だけ首を振る。


「……大人げないところを見せました。もう行きます」

「……すまない」


 アマルガンは彼女の寂しげな背中を見送ることしかできなかった。

 フランドールの姿が見えなくなると、すぐにアマルガンに肩に腕が置かれる。


「冷えるぞ、早く入ったらどうだ?」

「キミのことを話していたのさ」


 と言ってから、酒の匂いに気づく。

 珍しいな、と言うよりも先にバルタザールはどこか上機嫌な様子で言った。


「何話してたんだ?」

「もう少し、他の子たちのことを気遣ってやってくれって」

「フランがそう言ったのか?」

「いや? だが言って欲しそうな顔をしていた」

「ふーん、そうなのか……」


 アマルガンはバルタザールに誘われるがままソファーに座ると、テーブルに置かれた飲みかけのグラスを見つける。

 知らない銘柄だった。どこのものだ?


「私も貰おう」

「駄目だ、辞めておけ。良い酒じゃない」


 わけが分からず顔をしかめると、バルタザールは苦笑しながら飲みかけの酒の瓶をこちらに向ける。

 見れば、見知らぬ銘の横に[ラビリス・トライン]と名が書かれているではないか。

 バルタザールが言った。


「これで二十倍の金を取られた」


 アマルガンは頭を抱えた。


 ※


 夜が更けていく。

 アマルガンとバルタザールは世界情勢や国の経済、治安と様々な分野について語り合い、気がつけば話題は一周しフリーダの[新しい産業]へと戻ってきた。

 バルタザールが、愛娘の名前が書かれただけの高級安酒をあおる。


「キミの娘は今頃笑いが止まらんだろうな」

「……すまない」


 今夜だけで何回言ったかわからない謝罪の弁を述べると、バルタザールは笑う。


「いや、良い。これで経済が回るのなら、俺も協力する」

「だが、限度というものはあるだろう?」

「それはそうだ」


 と、バルタザールは一度だけ視線を扉の方にやってから、少しばかり小声になる。


「フランは、何かに勘づいたらしい」

「…………教会か?」

「出処を探れば、そうだろう。だが――派手にやり過ぎれば、いつかは気づく」


 バルタザールはラビリスの酒を最後の一滴までグラスに注ぎ終えると、


「見ろ、量も少ない」


 と言ってから続けた。


「フリーダ・ミュールは何かしらの[魔女]だろう」


 十二年前、フリーダの常軌を逸する聡明さから、教会が伝える[原初の悪魔]の一つ、[輪廻の魔女]の疑いを持たれた。

 これは、神話の時代に現れる、殺しても殺しても別の誰かに生まれ変わり、[悪]を成す邪悪な存在とされている。

 一応フリーダが発明した[魔導具]は建前上[世紀の天才付呪師アマルガン]の手によるものとされているが、気づく者は気づく。


「先日の教会で、フリーダは『私の知らない魔法』を使った」


 気づけたのは俺くらいだろうが、とバルタザールは楽しげに笑う。


「戦ったらどっちが勝つと思う?」

「あのな……」

「冗談だ」


 とすぐに返した彼の瞳には、二十年前から変わらない純粋さがあった。


「キミは来なかったから知らないだろう?」

「皇帝陛下の代わりに雑務をしていたからな?」

「感謝しているさ」


 と本当に感謝しているのかどうか怪しく思えるほど淡々とした口調で彼は言うが、実際本当に感謝しているから誤解を生む。

 だからアマルガンにはフランドールに対しても、いい加減彼のことをわかってやってくれという思いもあるのだ。

 バルタザールは続ける。


「しかし、あそこまで強固な[隠蔽]は、魔術師ギルドのアークメイジですら不可能だし、それを演奏しながらやってみせた彼女の技量は計り知れないものがある。違和感、までなら覚えたものも数名はいたはずだ」


 フリーダは、強い。

 だがそれゆえの傲慢さが、彼女の道を険しいものにしている。

 彼女の言う完璧が完璧であった試しなど無いのだ。

 とは言え、ここ数日で急に人を頼りだしたのは、本人にも思うところがあったのかもしれない。

 だが、歴史は積み重ねだ。

 フリーダにも、ミュール家にも、逃れられない歴史がある。


「時間の問題、か――」


 という言葉がため息とともに漏れると、バルタザールはまるで状況を楽しんでる様子で言った。


「このままではな? だが伝説に聞く[輪廻の魔女]にしては随分と雑なやり方に思えるから、たぶん違う[魔女]なのだろうが、実際はわからん。次があるから雑になっているだけかもしれない。――だから、アマルガン。彼女にはキミから言ってくれないか?」

「なんて?」

「そこは任せる」


 アマルガンは盛大にため息をつくも、しかし実際その通りだろうなとも思う。

 フリーダは、賢しすぎる。それは聡明という意味では無い。

 知識の保有量と、ひらめきの数が異常なのだ。

 そしてそれを1歳にも満たない段階から存分に使おうとする姿は、[輪廻の魔女]というよりも別の何かがただはしゃいでいるだけのようにも思えた。


 ふと、[次元の魔女]という今思いついただけの造語を口にしようとしたが、やめておいた。

 確証はまだ、無いのだ。

 それに、バルタザールにはこちらからも言いたいことがある。


「だったら、バルタザール。キミもいい加減、ラビリスは母親が違うことを伝えるべきだ」

「…………」


 自分が言われるとこれだ。


「あの子は賢い。――もう気づいているかもしれない」


 すると、バルタザールはグラスの安酒を飲み干し、僅かに声を震わせた。


「何度か、タイミングはあった」

「……それで?」

「その度に足がすくむ」

「……私も似たようなものだ。本当の娘では無いかもしれなくとも、間違いなく血を分けた私の子ではあるんだ。――今の関係は、案外心地の良いものなんだと思う」


 結局、アマルガンもフリーダが怖いのだ。

 単純な恐怖というよりも畏怖に近いかもしれない。

 アレは、世界の在り方を変えてしまう存在だ。

 良くも悪くも――。


 すると、バルタザールは


「だったら――」


 とまた逃げる理由を言いそうだったので、アマルガンは少しばかり強めの声色を意識して言った。


「だが、それはフリーダが私よりも年上かもしれないから言えることだ。このままでは、きっと良くないことになる。――ラビリスは、年相応の子供だ」

「年上の娘か――」

「茶化すな。フランはキミのそういう所に怒っているんだ」


 ある意味、フランドールも被害者なのだ。

 しかし、バルタザールがこうなった原因はミュール家にあるのだから、それがアマルガンの負い目になる。

 とは言え、バルタザールの


「ラビリスの件もまとめてキミから言えないか?」


 という冗談には流石に怒って見せなければならない。


「あのな……」

「いや、悪かった。今のは忘れてくれ」

「……ラビリスの件は、私には無理だ」

「どうして?」


 というバルタザールの問いは、アマルガンを少々呆れさせた。


「あの子を次の皇帝にしようと目論む連中は知っているだろう?」

「ああ。だが規模は小さい」

「小さいが、面倒な連中が揃っている。力も、性格も」


 その見積もりの甘さが、バルタザールもまた強者側の人間であり傲慢な一面でもある。

 弱さに対して、鈍感なのだ。


「ミュール家が危険か――」

「自分の身くらいなら守る自信はある。だが、ミュール家は大きくなりすぎた。過去の恨みがあれば、うちを大義名分などいくらでも作れる」

「そう上手くはいかないか――」

「言うべきだ、バルタザール」

「…………努力するさ」


 と、バルタザールはソファーから立ち上がる。


「もう一本開ける。付き合え」


 彼が棚から持ってきた酒は、フリーダが一歳の時に考案した[生ビール]という飲み物だ。

 ふと、一歳の彼女が『これはね! お父さん! お高いグラスとかで飲むようなもんじゃないのよ!』と平然と言ってのけた危うさを思い出し、アマルガンは頭を抱えた。

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