第5話:女神のラブソング
結果的に、発表会までの練習期間がもう一週間だけ伸びたのは不幸中の幸いだった。
とにかく少しでも完成度を高めなければ。
それに中止要請が撤回されたとは言え、せっかくモチベを高めていたアイドルの子たちが萎縮してしまったのも問題だ。
ならばここは私が盛り上げねばなるまい。
アイドルの総数は、実質プロデューサー兼マネージャー兼社長の私を含めても十三人。
はっきり言って弱小勢力だ。
だが私は知っている。
彼女たちの爆発力を。
才能を。
尖り具合を。
何度煮え湯を飲まされてきたことか……。
しかしそれと歌の才能は別の話。
歌の練習は非常に難航していた。
練習場所は、頭を下げまくってなんとか確保した旧校舎の空き部屋。
取り壊して改築する予定だったので、そこかしこがボロボロだ。
何とか大急ぎで掃除はしたが、染み付いた汚れを丁寧に取っている時間は無い。
無論魔法を使えれば手っ取り早いのだが、敷地内での無許可魔法使用は厳禁なのだ。
……今のところ、全部ラビリスの言う通りになっている。
即ち、何もかもがズタボロの状況。
…………本当に参った。
しかも私が、「行けるよ、かわいいよリリー!」とか、「リック、凄い良い! 最高!」とか、「今のグッと来た! 良かったよビスケっ!」とかとりあえず褒める方針で徹底的に媚びて媚びて媚び尽くした結果、自信だけはある無能の集まりが誕生してしまったのだ。
おかげで今日もラビリスと一緒に帰宅するや否や、壁にドンッ! と手を突かれて息がかかるほどの距離で説教が始まった。
「……これで世に出すって正気ですか?」
「で、でも世に出さなければ何も始まらないから……」
「その前にもっとやることがあったでしょう!?」
「で、でも、机の中の名作より世に出た凡作みたいな話どっかで聞いたことあって……」
「どっかで聞いたなんて理由でこんな無茶な計画を推し進めているのですか!?」
こいつにだけは言われたくない。
でも人は他人に意見する時は物凄い正しいこと言えると聞いたことがある。
……ひょっとして[私から見たラビリス]と[ラビリスから見た私]って同じようなものなのか?
…………なんかそんな気がしてきた。
けど、時間はどんどん進んでいくのでまずは今勝つことに集中しなくては。
「ラビリス、ごめん。完成度とかならラビリスが正しい」
「だったら――」
「でもそれは最終的に負けるの」
私は、歌手ではなくアイドルグループに歌のランキングが独占される世界から来たのだ。
であれば、ラビリスの正しさは、負ける。
「……それもまたどこかで聞いた、と?」
「…………うん。でも、世界の大多数はクロードみたいな人だよ」
この現実は、ラビリスでも嫌というほどわかっているはずだ。
ラビリスは一度だけ唇を噛み、ややあってから言った。
「明日は、今日より厳しくします」
「ん、お願い」
「それで彼女たちが辞めたいと言い出しても、わたくしは止めませんからね」
「だいじょぶ、そこはこっちで何とかする」
「全く――!」
そんなことが本番直前のリハーサルまで続き、最後のリハーサルの際も、ラビリスが私に向けて『お前ふざけんなよ』と言いたげな視線を向けてきたが、もうやるしかないのだ。
だってもう賽を投げてしまったのだ。止めるわけにはいかないのだ。
そして私達はついに、本番当日を迎えたのだ。
※
決戦会場である教会は、学園の敷地内にある。
ミュール家による寄付のおかげで改築を終えたのが半年前。外見も内装も新しくまだまだ綺麗だ。
親と友人のコネを山程使った大々的な宣伝と煽り広告の結果、収容人数およそ百人ほどの席は満席で、立ち見まで含めればざっと二百人近い人数が集まったがそれは別に良い。
人を集めることは金と権力さえあればできるが、実際に人を感動させられるかどうかは努力と感性と僅かな天運だと私は思っているのだ。
私はピアノを担当するが、他の楽器はタンバリンくらい。
後は、手拍子とリズムで何とか。
私がラビリスに与えた役割は、指揮者。いつボロが出るかもわからない聖歌隊の正面に立ってもらう。
客席に背を向けることになるが、致し方あるまい。
発表の時間が迫る。
最前列にちょこんと座るイレーネが、興奮した様子で拳をギュッと握り、鼻息を荒くしてるのが見えた。
少し離れた位置にいるマティウスとクロードには、警備スタッフとして参加してもらっている。
他にも教会やそれぞれの派閥関係者たちの姿も見え、もはやこれがただのお遊びでは済まない現実を物語っている。
ふと、本当に立ち見な上に一番奥の壁際にいる皇帝が目にとまると、彼は『やあ』と言わんばかりに軽く手を振った。
(うわこの人マジで来たよ……)
仕事どうしたんだろ……。
しかし、考えている間もなくコンサート開始の時刻が迫る。
私は皇帝のことなど頭から放り出し、集中する。
いざ!
――コンサート……開始だ!
ラビリスの指揮が始まると、私はピアノでメロディーを奏でていく。
そしてラビリスの指揮の元!……私のピアノのメロディーが響いていく。
私のピアノのメロディーが響き、更にラビリスの指揮の――
ちょっと待って歌が始まらない。
な、なんで誰も歌わないの?
ラビリスだってちゃんと合図してるから、今回の原因はラビリスでは無いはずだ。
が、私はアイドルたちの姿を見、ぎょっとした。
そこにいた総勢十一名のアイドルたちは、見事に全員ガチガチに緊張していたのだ。
(嘘だろお前ら! あんなに練習したじゃん!?)
あ、いや大して練習してないな……。そうか……。
(でも私めっちゃ褒めたじゃん! メンタルから強くしたはずじゃん!?)
……でもそう言えばこいつらってこの大人数の前に立つのたぶん初めてだな…………。そうか……。
その時、私は重大なミスに気づいた。
常識が――[アイドルの常識]が違うのだ。
確かに私は練習で、『人がいっぱい来るから覚悟してねっ!』とは予め説明してあった。
だから私は[数百人が来る覚悟]をしたのだが、[アイドルの常識]が存在していない彼女たちは出来た覚悟は[数十人が来る覚悟]だ。
数十人だと思っていたら数百人……。
彼女たちがガチガチに固まっているのを、私は責められない。
どうすれば、どうすれば良い。
この状況、もう投げられてしまった賽を、どうすれば――。
と、その時だった。
私の伴奏に合わせて、ラビリスが静かに歌い出す。
その歌声は美しく、聴くものを虜にするような見事な歌だ。
ラビリスが、私を……助けてくれた。
あのラビリスが――。
私は感極まって泣きそうになるが、ふと気づく。
……本当にそうか?
あのラビリス・トラインだぞ?
むしろ、たったこれだけでどうにかできる相手なら、私はこんなにも地獄を見ていない。
そして気づく。
ラビリスが、十一人のアイドルたちに合図を出さない。
私は絶句した。
ラビリスは今、この土壇場で、私と十一人のアイドルを裏切ったのだ。
なんてやつだ。
……私も、歌うべきか?
いや、それこそラビリスの思うつぼだ。
おそらくこれはラビリスからの挑戦状。
こんな役に立たない十一人のアイドルを捨て、二人で歌おうというメッセージ。
だが、それに乗るわけには行かない。
乗ったが最後、捨てられるのは私になる。
……どうやら切り札を使うしかないようだ。
私は対ラビリスのためなら何でも学んだ。
その中に、[催眠]を主体とした[古代魔法]がある。
これは、一瞬だけ、そしてたった一度だけだがラビリスに通用するのだ。
できればいざという時のためにとって置きたかったが、今がそのいざという時だろう。
そしてラビリスは、勝ったと思った瞬間私を見て笑う。
全てのループでそうだった。
であれば、今回もきっと――。
ラビリスが、ゆっくりと私を見、勝ち誇ったように薄く目を細めた。
(今だ――!)
私はピアノを演奏しながらの完全なノーモーション、無詠唱で瞬間的な[催眠]を[隠匿]の呪文で覆い隠しながら炸裂させた。
一瞬、ラビリスの呼吸と歌が止まる。
後は私が、どうにかしてみんなに合図を――。
だが、私の合図よりも先に、ラビリスの続きを歌い始めたアイドルがいた。
そのアイドルの名は、リック・ベティ。私と同じ十四歳で、くすんだブラウンの髪を短く切りそろえた小柄な女の子だ。
彼女はラビリスの一瞬の異変に気づき、緊張の殻をぶち破ったのだ。
そして、リックが殻を破った姿は、他の子たちにも伝達していく。
まばらな歌声がやがて息のあった合唱となると、ラビリスは一度だけ私を見てから、観念したように皆の指揮に専念した。
合唱が終わると、拍手が鳴り響く。
ちらと視界の端で捉えた教会側の人間は、満足げに頷いている。
……色々あったが、素晴らしい歌だった、と、思う、たぶん。
でも、私のアイドルはここからが熱いのだ。
私は教会側の人たちに心の中で謝る。
確かに私は説得の際、『静かで、厳かな雰囲気で、綺麗な合唱会をしたいんです』と言った。
言ったが……その後どうするかについては一言も言っていない。
つまり――。
ラビリスがさっと新たな指揮を始めると、私は指揮に合わせ一気にアップテンポの曲を弾き始める。
今度はリックたちもピッタリのタイミングでそれにしたがった。
ピアノのミュージックがテンポよく良く踊ると、リックたちは身振りを加えて愛らしく歌い始めた。
そこからは、私達の独壇場だった。
歌はまだまだだけど、踊りはぎこちないけど、可愛いは完璧なのだ。
そして彼女たちは今自分の殻を破ったばかり。
であれば、今はドーパミンやら何やら溢れて無敵状態だろう。
きっとどんなことでもできる万能感に満ち溢れているはずだ。
気がつけば、教会の外からでも歌を聞こうとする学生たちで溢れ、私たちの歌は大成功だった。
学生たちと立ち見をしていた皇帝は笑っていた。
厳格な教会関係者は苦い顔をしていたが、それでもより多くの人々が熱狂し、万雷の拍手を送れば、彼らも渋々ながら受け入れざるを得ない。
パワーバランスは大きくこちらに傾いたのだから。
そうして、次にやるべきことが見えてくるのだ。
まずはアイドル事務所――即ちアイドルギルドの設立だ。
※
すべてを終えて帰宅した後。
少しばかり不貞腐れているラビリスに、私は言った。
「ありがとねラビリス。助かった」
半分は皮肉だ。
しかし、今回の裏切りに限っては、気持ちはわかるのだ。
だから私は、こう付け足した。
「他の子たちも、ラビリスが助けてくれたと思ってる。みんなラビリスのことが好きだから、ラビリスのために頑張ったんだよ」
ラビリスは、何も答えない。
しかし――。
「……フリーダ、わたくしの目を見て」
え、な、何? 良いけど……。
私とラビリスの視線が交差する。
その時だった。
瞬間的にラビリスから波動のようなものが溢れると、私は体が硬直し呼吸すらできなくなる。
――!?
こ、これは、さっきの、私の、切り札の――。
死、という単語が脳裏に浮かぶ。
だが想定していた追撃は無く、数秒後にぜえと肩で呼吸し膝を付いた私を見て、ラビリスは満足気に微笑んだ。
「覚えました。――次は勝ちます」
と。
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