第32話・再会

柚子ゆずちゃん!』


 玄関に姿を現した彼女に、私は思わず抱き着いていた。

 彼女とは、昨日の夜に別れたばかり。けして長い別離だったわけではない。それでも、あの恐ろしい夜を経験してどうして、彼女が無事であるはずと楽観的に信じることができようか。


亮子りょうこ先輩!良かった、先輩も無事だったんですね……!』


 柚子は、助けたという女の子の手を握ったまま微笑む。彼女はけして、霊能力者などではない。突然見知らぬ土地で悪霊に襲われて、怖くて怖くてたまらなかったはずなのだ。それなのに、出会ったばかりの年下の女の子を助け、守り抜き、朝まで生き抜いたのである。なんて勇敢な後輩だろう。私は心の底から感動させられた。

 同時に、朝起きた後でシャワーを浴びるだけの心の余裕があったらしい。抱きしめた彼女の髪からは、シャンプーの優しい香りが漂ってきていた。


『うん、まあ、なんとかね』


 これ以上、彼女を不安がらせてはいけない。私はどうにか笑みを浮かべて言ったのだった。

 そもそも、柚子を巻き込んだのは完全に私の責任である。なんせ、柚子は私が祖父母の家に帰る時、一緒にこの村までついてきただけなのだ。もっと言えば、小説のネタになるからと私が彼女を誘ってしまったのである。

 余計な真似をしなければ良かったと、何度後悔したことだろう。そうしなければ柚子は今頃、東京の実家で、暖かい布団でぐっすり眠れていたはずだったというのに。


『本当にごめん……ごめんね柚子ちゃん。私が、柚子ちゃんを撒きこんじゃった。柚子ちゃんに、うちの村に来る?なんて誘わなかったらこんなことには……』

『いえ、先輩のせいじゃないですよ!誰もあんなことが起きるだなんて想像できなかったじゃないですか』

『柚子ちゃん……』

『それよりも、まだ何も解決してないんですよね?あのオバケみたいなの、夜になったらまた地下から這い出してくるって聞きました。だから、対策立てないと……』

『……うん、そうなの』


 散々怖い目に遭わされたはずなのに、柚子はどこまでも気丈だった。朝を迎えて、そのまま自分だけ逃げだすことなんて微塵も考えていない様子だ。まあ実際、村の人達は観光客が邪気を持ち出すのを防ぐため、すぐに村から逃げないようにと見張ってはいるようだが。

 なんて勇気ある後輩だろう、と思う。昨晩、自分が助かることだけで精一杯で、祖父の背中にくっついて子供みたいに泣いていた自分とは大違いだ。


『それについて、今からみんなで会議があるんや』


 私の祖父、正之が言った。


『亮子ちゃんにも、柚子ちゃんにも、それから美咲みさきちゃんにも。話してへんことがいろいろある。……今から、私が知ってること、全部話す。疲れてるやろうけど、付き合ってくれへんか』

『わかりました』


 私が体を離すと同時に、柚子は力強く頷いたのだった。


『私も、最後までできることをしたいと思います。先輩や、美咲ちゃんたちのためにも』


 この時は、どうして想像できただろう。

 この勇敢な女性が、あんなひどい目に遭うなんてことが。




 ***




「ここで終わりはしんどいってばあ!」


 貴子の大学時代の友人、聖菜せいなはそう言って机に突っ伏した。まだテーブルの上に、注文したパフェが来ていなかったためである。もうお互い三十代だというのに、彼女ときたらいつまでも子供みたいにリアクションが激しくて可愛らしい。ついつい、貴子も笑ってしまう。

 まあ、彼女のテンションが高いのは、このカフェが貴子の奢りというのもあるのかもしれないが。


「なんで貴子、あそこで話切ったの?確かに、これから真相解明ってところで次巻に続いた方が読者を引っ張れるだろうけどさ。三巻だけ、ページ数ちょっと少なくなっちゃってたじゃんか」

「あ、バレた?」


 友人の指摘に、貴子は苦笑で返す。


「編集さんにも、本当は真相説明までページに入れろって言われたんだけど、あたしが押し切っちゃったの。最終巻に、真相解明と最後のどんでん返しを一気に詰め込みたかったもんだからさ」


 去年、貴子は夢だった作家デビューを果たしていた。釜戸ホラー新人賞で最終選考に残り、受賞は逃したもののそこから声がかかって拾い上げされたのである。

 初の書籍にして、しかもシリーズ連載。

 もちろんまだ書籍だけで食べていくことはできないので、セレクトショップで働きながら兼業作家をしているわけだが。出版社によれば、思った以上に売り上げが伸びている聞いて安心しているのだった。それは、版元が一生懸命宣伝してくれた上、非常に綺麗な絵を描くイラストレーターさんを見つけてきてくれて素敵な表紙を作ってくれたことも大きいのだろうが。

 本当は、釜戸ホラー新人賞に自分は応募するつもりなどなかったのである。ホラー小説も好きだが、そこは大学時代の後輩が狙っていた賞だった。なんだかその名誉をかっさらってしまう気がして、気が進まなかったのである。

 その考えが変わったのは――あの事件から十年が過ぎたからだろう。

 十年が過ぎて。死んでしまった後輩が、夢に出て来たことがきっかけで。


――紬ちゃん。あたし、頑張ってるよ。……紬ちゃんをモデルにした話、結構売れてるみたいだよ。


 膝の上で、拳を握りしめる。最終巻の発売まで、あと少し。あと少しで、全てが明るみに出る。

 あの愚かな村が隠そうとしたこと、そのすべてが。


「ここで引っ張られるの、超悔しいってかんじなんだけどさ」


 けらけらと、何も知らない友人は笑って言う。


「でも、めっちゃ面白いよ、貴子の小説!ページめくる手が止まらないもん。大学の頃から、文芸部で超がんばってたもんね!」

「まあね。あの頃の作品なんて拙くて、読み返せたもんじゃないけど」

「またまた。大学の頃で既に、大きな公募の佳作とか取ってたくせにさー」


 それに。と聖菜は続ける。


「この話の……後輩の女の子って。貴子のお祖父ちゃんの村で……事故で死んじゃった後輩がモデルなんでしょ?すっごいかっこいい女の子だったんだね。きっとその子も、天国で喜んでるって!」

「……そうね」


 天国。その言葉に、ちくりと胸が痛む。


「そうだと、いいわね。あの子が、喜んでくれたなら」


 自分は知っているのだから。彼女がまだ、天国になど行けていないことを。




 ***




 十年間。貴子はずっと考え続けていたのである。

 もし、自分にもう少し勇気があったなら。もう少し強かったなら。あるいは、紬をあの村に連れてくるなんて愚行を起こさなければ。あの悲劇はきっと回避することができたのだろうと。彼女と、彼女が必死で助けようとした少女を死なせることはなかったはずだと。

 それから、祖父のことも。

 村人の多くが、“よそ者を口封じするため、儀式の生贄に選ぶ”ことに反対しなかった中、彼だけは最後まで紬と紗知を助けようとしてくれた。その結果、暴力を受けて無理やり黙らさせられたのだ。今なら、祖父を止めた者の気持ちもわからないではない。よそ者を生贄にしないなら、村の人間が選ばれてしまう。それだけは絶対避けなければいけなかったし、何よりこれ以上儀式の進行が遅れて祟りが広がってしまうのが恐ろしかったのだろう。

 しかし。あの時の傷が想像以上に深かった彼は、そのまま昏睡状態になり――命を落としてしまった。あんなに若々しく、元気だった祖父がだ。

 貴子はあの日一瞬にして、大切な後輩と祖父の両方を失ってしまったのだ。しかも、村を守るためと言う名目で、誰もが惨劇を隠蔽し口を閉ざした。旅館の運営会社や警察にどうやって手を回したのかはわからないが、ニュースによれば旅館で火災が起きてたくさん人が死に、火の勢いが強すぎて遺体が回収できない人が多数登ったということになったらしい。観光客たちもそれに巻き込まれて死んだのだ、と。


――確かに。村を守る方法を、あの時のあたしは……提示することができなかった。生贄を重ねる以外に、下から来る者達に蓋をする方法がわからなかったのも事実。でも。




『生贄に生贄を重ねてどうしろっちゅうんや、そないなことしたら、いつまでたっても恨みが消えんだけやろうが!!』




『さっき、典之のおじいちゃんが言ってた通り……。こんなやり方で封じ込めたって、怨霊の数が増えるだけ。また時間が経てばきっと、封印が解けてしまう。そうなったら、また同じように人が死ぬ。たくさん死ぬ。何も、何も解決なんかしてないのに……』




 典之が、紬が言った通りではないか。

 結局恨みに恨みを重ねて、無理やり蓋をして閉じ込めただけ。悲しい人達をまともに弔う努力もせず、何一つ悪いことをしていない人達を地獄に追い込んだだけではないか。

 確かに、異変は収まった。

 しかしいつかまた封印が解ければ同じことが繰り返される。それを、“そのころには自分達は生きていないから別にいい”なんてスルーできる人の気が知れない。その負債を背負わされるのは、結局生き残った人の子孫たちだというのに。


――何一つ、解決なんかしていない。


 貴子は歩く、歩く、歩く――冷たい洞窟の中を。

 あの儀式のときに、場所は教えて貰った。もう一度、下蓋村の同じ場所へ行くことなど造作もないことである。ましてや今、貴子自身が招かれているのだから尚更に。


――生贄にするのはいけないだの。いもしない邪神を使って、都合の悪い人間を消すのは間違ってるだのと言いながら。結局、やってるのは同じこと。口封じしたい人達に生贄を押し付けただけ。それで、村の人達はのうのうと平穏を取り戻して暮らしている。……そんなことが、許されるの?


 一度貼り直された結界は強固だ。だから少しでも緩むまで、十年の月日がかかった。

 しかしその十年の間、貴子も手をこまねいていたわけではない。作家としてデビューし、この村で起きた悲劇をモデルとしたホラー小説を出版したのだ。最終巻の発売は、まさに今日。既に本屋には、たくさん貴子の本が並んでいる。SNSにも感想をアップしている人がたくさんいたから、そろそろ下蓋村の人も気づく頃合いかもしれない。――あの小説、“下から来る”の作者が貴子であり、全てを白日の下に晒そうとしていることを。

 だが、もう遅い。

 今日の二十時にアップされるよう、もう一つ仕掛けをしてきた。自分が運営しているブログに、全てを明かした文章を書いて予約投稿してきたのだ。

 そう、これから貴子がしようとしていることも含めて。


「許せない。……そうよね、紬ちゃん。紗知ちゃんも……きっとお祖父ちゃんもそう望んでくれるよね」


 やがて、大きな石が乗った井戸が見えてくる。この石を少しずらすだけで、礎の力は弱まると知っている。どれほど重たくても関係ない。そんなもの、あの子達が受けた苦しみに比べたらどうということもないのだから。


「いよいよだわ」


 ずり、ずりりりりり。石に触り、奥へと押す。重たいけれど、思ったよりずっとあっけなく石の場所はずれた。

 割れたトタン板の中を、貴子は笑みを浮かべて覗き込むのだ。


「下からおいで、紬ちゃん。あたしが引っ張り出してあげる……さあ」


 差し出した貴子の腕を――汚泥にまみれた手が、掴み、そして。

 井戸の中から現れた、その顔は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

下から来る。 はじめアキラ @last_eden

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ