十字軍

「十字軍に従軍すべきかどうか悩んでいます。」


ジナという旅の占い師がいるというので宿を訪れてみた。

突然の訪問を侘びてから改めて女を見ると、旅人言うことを差し引いても見すぼらしい恰好をしている。

ぼさぼさの赤毛はナイフで切ったように長さがバラバラで、首から薄汚いガラスのような飾りを下げていた。

さらに驚いたことには、ジナは床で寝転んでいた。

寝床もあるのに、だ。

ジナは寝転んだまま顔だけ上げて僕を見た。


「あなたはだれ。」

「レーモン・プールと申します。普段は鉱夫をしております。」

「私はジナ。」

「お忙しいところを失礼します。少しお話を聞いてもらえませんか。」

「お忙しそうに見える?」


手を差し出すと、ジナはニヤリと皮肉な笑みを浮かべて身を起こした。

跳ねた髪の毛に絡みついた落ち葉やら埃やらが、宙を舞う。


「話をする前に一つ聞きたいんだけど。」

「はい。」

「この絵の男を知ってる?」


ジナは寝転がったまま一枚の丸まった羊皮紙を差し出した。

顔をしかめて受け取ってみると、思ったより上手な筆致で人の顔が書かれていた。


「申し訳ないですが、知りませんね。」

「そっか。ありがとう。」

「話をしても?」

「うん。」


ジナは絵を丸めて油紙に包んだ。


「十字軍の募集がこの村にもかかりまして。とはいえ村の人たちは誰も気にも留めてませんが。この村には教会もないもので……。」

「そうだね。ここは隣村の教会の教区らしいね。」

「そうなんです。」


僕は息を吐いて、口を閉じた。

この先の言葉をどういえばいいのか少し悩みたかったから。


「十字軍には興味があるんですが、しかし……。」

「しかし?」

「病気の母と幼い妹がいるんです。母子三人の暮らしで……。私は全キリスト者のために聖地を取り戻したいのですが、二人を置いていくことは心苦しい。地獄に落ちるような所業のような気もします。」

「ふぅん、大変だね。」


ジナはこともなげに言った。


「もちろん鉱夫として家を数日空けることはあるんですよ。それはしょっちゅうです。でも十字軍となると数日ではすまないでしょう?」

「そうだろうね。」

「やはり十字軍よりも身近な家族を大事にするべきでしょうか。」

「そんなことない。」


思わず耳を疑った。


「なんですって?では現世の家族よりも宗教的威信が大事だと?」

「うーん。私も十字軍見たいんだよね。行きたい。一緒に行こうよ。」

「ええ!?急に何を……あなたは女でしょう、変な冗談はやめてください。」


ジナの言葉にぎょっとした僕は身を引き、居住まいを正した。


「なんで?本当は行きたくないの?」

「行きたいですけど!状況が許さないんです!」

「さっきお母さんを置いて行ったら地獄に落ちるかもって言ってたね。」

「そうです。そう言いました。やはり残るべきなんでしょうね。」

「そうじゃなくて……。」


ジナは髪が乱れた頭をガリガリ掻いた。

フケや埃が床に落ちるのを見て、思わず顔をしかめる。


「誰が地獄に落ちるなんて言ったの?」

「そんなもの、なんとなくですよ。一般的に。」

「あなたの想像する他人が言ってるってこと?」

「病気の母を大事にする。それが一般的な意見でしょう?」

「そうかなあ。そんなことないと思うけど。」


ジナの無神経な言葉につい苛立ち、僕は声を大きくした。


「何をもってそう言うんです?いかにも常識がなさそうな貴方が!」

「じゃあ村の人全員に聞いてみようよ。十字軍に参加すべきか、残るべきか。それで結果を集計しよう。」

「あ……あなたねぇ!」


怒りで目がくらむ思いだったが、さすがに怒鳴りつけるわけにもいかず深呼吸をした。


「馬鹿にしてるんですか!?僕は真剣に悩んでいます!他人がどう思うかの統計が欲しいんじゃないですよ!」

「一般論の話を先にしたのはあなただよ。」


ジナはそう言って、ホコリだらけの服を払いながら立ち上がった。


「気を悪くさせたのならごめんなさい。行きたいとこあるから、行くね。」


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寄る辺のない旅人を相手に言いすぎてしまったと僕は反省し、隣村の教会でも懺悔をした。

この村に旅人が来ることは多くないのに。

直接謝りたかったが宿を訪問するのは気が引けたし、なにより仕事で数日間、家を空けることになってしまった。


二日が過ぎた頃、疲れた体を引きずって家に戻ると驚くべき光景があった。

普段座りっぱなしの母が立ち上がって庭の木の枝を折っている。

しかも、顔色が前より明るくなっていた。


「母さん!?珍しいね。」

「それがねぇ、ジナさんに会ってから体が軽くてねぇ。」

「ジナ?あの占い師の女が来たのか?」


なぜ家に入れた?と言いたくなる気持ちに蓋をして聞き返した。


「それでねぇ、レーモン。」

「うん?」

「母さん再婚しようと思うの。」


ああ……。

顔色が明るいと思ったのは、化粧っ気があるからだと今頃気づいた。


「急にどうしてそんなこと言うんだ?僕は母さんのために頑張ってきたつもりだけど。」

「もちろんよ。でもね、母さんは村を出たいのの。そうしたらあんたも好きに生きられるでしょう。」

「村を出るって、何を考えてるんだ!」


カッと頭に血が上るのが分かった。


「この村の連中はみんな、私が夫に逃げられたことを知ってるだろ?それがイヤでねぇ。」

「イヤって……自業自得だろ!」

「そうなのかねぇ……。でもジナちゃんは一緒に行こうって言ってくれたのよ。」


なんだって!?

母さんを誑かしたのはあの女だったのか!

僕の前で十字軍に行きたいと言ったのと同じ口で、母に村を出ようと唆したのだ。


「病気も治してくれたし、一緒に行ってくれるっていうし、あの子は本当にいい子だよ。」

「あんなに世話になった村人を捨てて、一介の占い師と出ていく気なのか!?正気じゃないよ!」

「世話になったっていう、そこなんだよ。どれだけ肩身が狭かったか、息子でもわからんかねぇ。」

「……っ!」


よりにもよって僕を批判するとは!

僕がどんな思いで頭を下げ、母や妹をよろしくと行って回ったのか、わからないのはそっちだろう。

唇を噛んで、できるだけ冷静を装って話を続ける。


「それで?再婚って?」

「ジナさんの助言なのよ。母と娘二人だと警戒されるだろうから、結婚しておいた方がいいよってね。家も借りやすくなるし。で……結婚して一緒に村を出てもいいって言ってくれる人がいたのさ。」

「はあ!?まさか引っ越すために打算で結婚をするつもりなのか!?」

「お互いそれで構わないって話になったから。あら……レーモン、大丈夫かい?」


母さんが心配そうに僕を覗き込んだ。

そんなふうに子供扱いされるとなおのこと腹が立った。


「ふざけるなよ!僕は道理を説いているんだ!この恩知らず!」

「すまないねぇ。そんなに怒るとは思っていなかった。十字軍に行きたいんじゃなかったのかい?」


母さんは目に見えておろおろし始めた。


「それとこれとは話が別だ!再婚相手は誰だ!?」

「ごめんね、レーモン。母さんが悪かったのかねぇ。」

「誰なんだ!教えてくれよ!」

「教えたら殴り込みにでも行きそうだから言えないよ。ねぇレーモン。」


母さんが僕の肩に手を置いた。


「あんたに甘えすぎてたみたいだ、ごめんね。母親を理由に生きるのは、もうおやめ。十字軍へ行くんだよ。」

「母さん!!」


僕は母さんの手を振りほどく。


「あの女のせいだな!魔女め!いや違う……利益をちらつかせて魂を奪う悪魔だ!」

「ああ、レーモン……なんてことを。母さんの病気が治ったのがそんなにイヤだったのかい?」


僕が叫ぶと母さんは恐ろしくなったのか祈るように手を握った。


「悪魔め!ジナはまだこの辺にいるんだろ!?どこにいるか教えろよ母さん!」

「知らないよ。最初は一緒に行くって言ってたけど、結婚するなら大丈夫そうだねって話になって。」

「今なら追いつけるかも!どこに行ったのか教えろ!」

「レーモン。」

「教えるんだ!」

「ごめんなさいね。レーモン。」


唾を飛ばして叫ぶ僕を見る母の目に涙が浮かんだ。

目の前の人を哀れむような無責任な涙。

怒りで揺らぐ視界の端でその涙を捉えると、母さんが二度と村に帰ってこないことを僕は確信した。

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ジナはまじなう @kamekamu

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