誰とも繋がれない

ささやか

ひとり

 陰茎をしごいている間は全てがフィクションになる。

 PCディスプレイに映った成年漫画。黒髪ロングのJKがチャラ男に喘がされている。彼女がこれからばちばちにピアスをつけた金髪糞ビッチになってしまうことをサンプル画像で俺は知っている。

 右クリックをするたび、彼女は淫らに蕩けていく。右手が上下にしごくと陰茎はより固くなり、最終点に到達しようとする。ディスプレイに映る痴態はフィクションで、クソみたいな毎日もフィクションで、陰茎からほとばしろうとする快楽とその熱を感じ取る右手だけが確かな現実だ。

 ほんの一話前まで清楚だった糞ビッチによる乱交が最高潮に盛り上がり、彼女が人生を投げ棄てる絶叫をしたところで、俺も絶頂に達しだくらくと射精が生じる。固くなった陰茎から発射された精液が右手を白濁に汚す。どうしようもない快楽が束の間だけ全身を支配してくれた。

 射精を終えた陰茎をこすこすとしごき余韻と共に残った精液が吐き出されると、現実が重力を伴って帰ってくる。重たい左手でティッシュボックスから何枚かのティッシュペーパーを引き抜き右手に揺蕩う精液をぬぐい、陰茎も同様にぬぐう。

 そうしてできた無価値のかたまりをゴミ箱に捨てる。

 塵は塵に、灰は灰に、ゴミはゴミ箱に。それなら。俺の人生はどうあるのが正解なのだろう。気づいたら生きてしまっていた。生きたいと思うことはなかったが、死にたいと思うことは何度もある。何度もある。何度もあるのだ。

 未来もなく希望もなく、人生にあるのは日常、日常、日常だけだ。重たい足を引きずりながら平坦な泥道を歩むしかない。

 そして日常とは労働だ。

 大規模物流センターでひたすら荷物を運搬する。俺はフォークリフト運転特別教育修了証を持っているので、最大積載荷重1トン未満のフォークリフトで作業ができる。これが仕事上の唯一の長所だ。

 最大積載荷重1トン以上のフォークリフト作業を行う場合にはフォークリフト運転技能講習修了証が必要だ。これを得るためには講習を受ける必要があるが、それには4万円ほどの費用がかかる。薄給で生活する労働者には気軽に出せない金額だ。30時間以上の講習も片手間で済むものではない。

 1トン以上のフォークリフトを運転できるようになれば給料が上がることは知っている。だがそれは大した金額ではない。それに昇給したところで日常は何も変わらない。運搬、運搬、運搬。つまり労働。それだけだ。

 決して自分の手元には届かない荷物をフォークリフトで運搬し続けているとやがて昼休みになった。

 食堂でやたら白米の多い唐揚げ定食を頼み、もそもそと死後も辱められた鶏の死体の一部を賞味する。安っぽい脂と肉の旨味が灰色の昼休みを彩る。低価格低品質低人生を礼賛する。死んだ鶏を食らう俺にそこまでの価値があるのかなんて考えない。俺をすり潰す会社にそこまでの価値があるのかなんて考えないように。

 定食を食べ終えた後はスマートフォンをいじって時間をつぶす。そのうちに友人の投稿を見逃していますと実にご丁寧なポップアップが表示された。元々同じ学校の同じクラスにいただけの希薄な友人関係だったが、ある時彼に持ちかけられFacebookで友人になっていた。

 結局俺がFacebookを活用することはなかったが、彼は近況を投稿したり他の友人とコミュニケーションを取ったりしているようであり、俺が見逃したという投稿は公園デビューした娘に関する内容だった。

 俺達は結婚して子供ができててもおかしくない年齢だ。それなのに俺は。自分が劣った人間なのではないかという漠然とした不安が親子写真の輝かしい笑顔により結実し、俺の胸に突き刺さる。死にたくなった。人生をやり直して今より確実に良くなる保証があるならさっさと死にたかった。

 スマートフォンの設定を変えるかアプリを削除してしまえば、そもそもFacebookから退会してしまえば、もはや友人とも言えぬ相手による直射日光より眩しい投稿を直視しなくて済む。簡単な手段だ。だが俺はそれをしなかった。それをしてしまえば自分の人生がまたひとつ暗がりへ転がり落ちてしまうようで怖くてできなかった。

 そしてまた労働が始まる。意思は要らず。意見も求められず。自由は許されず。指示に従いうただ運搬する。人間であることを投げ捨てて物流センターの生体機械になる。俺は生きていない。働いているだけだ。

 やがて労働が終わり、俺は冴えない人間に戻る。

 今日は金曜日だ。飲みに行く人もいるだろう。デートをする人もいるだろう。風俗に行く人もいるだろう。俺には何もなかった。飲み会を約束した友人も。デートに行く恋人も。セックスをする風俗嬢も。だからひとり真っ直ぐ帰宅して、晩飯を食べる。

 それからの予定は何もない。いっそ自分もソープに行ってみようかなんて思う。そうすれば俺もセックスができる。

 俺は今までセックスをしたことがない。相手がいないからできるはずもない。恋愛なんてのはフィクションの中にあるエンターテイメントで、俺のための現実には存在していなかった。俺にカノジョができるなんてことはひどく空々しい仮定に思えて仕方ない。これまでも、そしてこれからも。

 だがみんな当たり前のように恋愛し、セックスを経験し、これらを日常にして生きている。俺の人生が閉塞しているのは恋愛やセックスが存在し得ないことが原因ではなかろうか。

 恋愛をするには相手を見つける必要があるが、それは極めて困難で事実上不可能だ。だがセックスならお金を払えばすることができる。それならせめてセックスをしてみたいと強く思っていた。

 それが今夜不意に行動になる。俺は自宅から行くことのできる繁華街にあるソープをPCで検索し、在籍する風俗嬢の写真を確認した。

 口元を隠した風俗嬢の写真には源氏名と空々しいアピールポイントが並ぶ。彼女達は名前すらフィクションで、架空の関係を一時ひととき構築し、セックスをする。それを蔑む人もいるが、俺はちっとも笑えなかった。心をすり潰し人生を切り売りすることはまさに労働そのものだ。俺がやっていることだ。違いは仕事の内容が風俗嬢はセックスで、俺は荷物の運搬と得られる対価の金額だけだ。その差に愕然とし、妬ましいと感じることはあるだろうがまあそれだけだ。

 彼女達はフィクションでセックスし、フィクションで稼得する。その人生のどこまでが現実なのだろうか。俺の人生はどこまでが現実なのだろうか。人生という一連の物語は所詮虚構で、その最高最悪な点は破綻しても続くということだ。全てがフィクションであればいいのに。痛切に祈る。そうすれば俺の退屈と苦痛で染められた生涯を簡単になかったことにできるはずなのに。

 在籍一覧の中でも一番おっぱいのでかい風俗嬢を選択してプロフィールを流し読みする。彼女とのセックスがいかに魅力的かについてアピールしていた。

 料金を確認する。時間によって金額が変わり最短なら二万円台でセックスが可能だった。もう少し長く楽しみたいなら三万円を超える。払えないわけではないが決して安くない金額だ。フォークリフト運転技能講習を受けても人生は好転しないに違いない。だがソープに行けばもしかしたら人生が変わるかもしれない。そう思えばソープにお金を使うほうが有意義な気がした。

 この巨乳の風俗嬢とセックスをしてみたいという欲望が沸々と高まってきたところで重大な見落としに気づく。なんと彼女は今日出勤していなかったのだ。今日どころかしばらく出勤の予定がない。

 それに気づいてしまうとみるみるやる気が削がれていく。他のソープならあるいはとも思うがそこまでの決心でもなかった。諦めて検索サイトを閉じる。どうせ、どうせだ。葡萄を見上げるように内心で呟く。俺には何もない。何も。あるのはペニスだけだ。

 だから俺はオナニーをする。それしかないからオナニーをする。

 グラマラスなAV女優が複数の屈強な男優に囲まれ乱暴に犯されている。彼女が後背位で男優の陰茎を受け入れ、ゴム毬のようにぶるんぶるんと巨乳を弾ませる。

 俺は彼女の痴態に合わせてゆっくりと陰茎をしごいていく。じわじわとした快楽が勃起を促進させる。騎乗位になった女優がいっそう激しく腰を振り、乱れる。

 陰茎をしごいている間は全てがフィクションになる。価値のない俺の人生もなかったことになり、快楽があまねく存在を染め上げていく。

 そうして無価値が凝縮され、絶頂と共に陰茎から精液として噴出する。生温かい白濁が右手にこびりついた。それをティッシュペーパーぬぐい、ゴミ箱に捨てる。

 俺はゆっくりと現実になっていき、ひとつ息を吐く。

 明日は土曜日だ。

 なんの予定もなかった。

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