お冷をいっぱいいただけますか?

鳥辺野九

お冷をいっぱい


 とにかく蒸し暑くてやってらんない夏。何か冷たいの飲みたくて喫茶店に入って、テーブルについた時に出されるお冷あるじゃないですか。

 あれが冷たくって好きなんです、僕は。注文もまだだってのに、手持ち無沙汰の店員さん待たせて、まずはぐいっと飲んじゃいますよ。




 昔の話ですけど、とある喫茶店に勤めていました。お客様が15人も入ればみっちり満席になるくらい小さなお店です。

 それだけ小さなお店ともなるとアルバイトを雇うのもままなりません。お茶を淹れたりケーキを焼いたり、土日を除いてほぼ僕一人でお店を切り盛りする状態が続いていました。

 そんなある日のこと。お客様も少なくわりと暇な午後、子供連れの若いママさんがご来店されました。幼稚園児くらいの幼い子を二人連れていたので、奥のゆとりのあるテーブルにご案内しました。

 うちは狭いお店です。少しでも落ち着けるようにと背もたれがゆったりとした大きめの椅子が置いてあります。それはそれで小さな子にはちょっと座りにくい大きさです。そこで僕が休憩時に厨房内で腰掛ける小さい椅子をお貸しすることにしました。

 トレイにお冷を三つ。片手でエレガントに構えます。もう片方の手には小さな椅子をぶら下げて。気の利くお店だとアピールするように小さいお子様に椅子を薦めます。二人いたけど、とりあえず特に小さい子に座っていただけたら……。

 えーと。あれ?

 椅子をセットしようとしましたが、お子様が一人しかいません。若いママさんが椅子を受け取ってくれました。テーブルにお冷を三つ置こうとして確認しますが、テーブル下とかどこかに隠れてる様子もなく、やっぱり子どもの姿は一人きり。

 たしかに小さな二人の姿を見たので、狭いお店の中でも広めのお席に通して、お冷を三つ、お子様のために小さいグラスを二つ用意したのに。

 ぼくの手にお冷が一つ残り、もったいないので僕が飲みました。あの小さな子は、どこに行ってしまったのか。




 それから一週間くらいして。仕事上がりに、彼女と夜ごはんしようかって24時間営業のファミレスに行くことになりました。

 彼女も仕事で夜遅くなることがよくあり、時間を合わせて一緒に帰ってよく利用していた深夜も営業しているファミレスです。特にいいお店行ってちょっと贅沢な食事とか、軽くお酒でもって感じじゃなくて、普通に夜ごはんを食べるためだったのでファミレスで充分でした。

 席について注文もまだなのにたわいもないおしゃべりをしていると、ようやくお冷が運ばれてきます。

 コト、コト、コト。

 彼女の前に一つ、そして僕の前と隣に一つずつ。三つのお冷がテーブルに置かれました。

 会話が途切れて、ただ静かに三つのグラスを見つめるだけの時間が流れます。小さな立方体の氷が細かくたくさん入るタイプのお冷が、三つ。

 彼女の前に一つ。僕の前に一つ。四人掛けのテーブルに僕と彼女は向かい合って座っていたので、誰もいない僕の隣のテーブルの端にもう一つ。

 少しだけ間が空いて「失礼しました」と店員さんはグラスを一つ下げていきました。

 僕と彼女は黙ったまま、テーブルに残された濡れたグラスの跡を見つめるしかありませんでした。

 そこで僕は思い出しました。同じことが僕の店でも起きたな、と。

 直感的にわかりました。

 やっぱりあの時、もう一人子どもがいたんだ。あの子、お冷を持ってきてくれた僕についてきたんだ。

 そして、今、お冷を持ってきてくれたあの店員さんについていったな。

 ひょっとしてあの子は、こうやって人から人に渡って歩き、自分の居場所を探しているんじゃないか。これからも人から人へ、仙台市内の飲食店を、お冷を持ってきてくれた人についていくのかな。

 先週僕の店であった出来事と、今目の前で起こった出来事を、彼女に伝えました。あいにくと霊感なんて持ち合わせていない僕の勝手な想像ですけど。


「そんなことあるんだ。何ならうちに来ちゃってもいいのにね」


 彼女は笑って言いました。


「うちにって、それってどういう意味で?」


「さあて、どうでしょう?」


 やっぱり彼女は笑っていました。




 それから数ヶ月が経って、僕の知らん男と結婚することになったって彼女から別れを告げられました。

 おい。ちょい待ちだ。何それ。何が起きた? オンナって怖いわ。本当にあったちょっと怖いお話です。おわり。

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