白映え
碧月 葉
白映え
—— 童貞って悪い事なのかよ。
ヘコんでる。
心の天気は大雨って感じだ。
自分の機嫌は自分で取るもの。
分かってる。
『ポジティブ思考は生産性を上げるだけじゃなく、寿命すら伸ばす』と聞いて以来、常にプラスのマインドでいる事を意識してきた。
けれど人間だもの、そう簡単にはいかない。
脳みそでは分かっていても、心がついていかないことはままある。
特に悪意に触れるとどうしても気分が落ち込んでしまうんだ。
ましてや今日のはクリティカルダメージ。
思った以上にショックを受けている自分にショックを受けたりもして……思考がぐるぐるしている。
今夜は新しいバイト先の歓迎会があった。
最初は改めての自己紹介や世間話をしていたのだが、アルコールが入るにつれて話題は徐々に際どいものへと移っていった。
艶ネタを聞きながら静かにジンフィズを飲んでいると火の粉が飛んできた。
「阿久津、お前童貞だろ」
先輩の一人がニヤリと笑い俺を見た。
俺は嘘が苦手な方だ。
仕方なく頷くと、その後集中砲火を浴びた。
「やっぱりね。してたしてた童貞臭」
「女知らねーの⁈ マジで可哀想」
「暗い青春送ってるねぇ」
「ダサっ。高校や大学で何してたの。意気地がねぇなぁ」
「童貞くんはモテないぞ。早く捨てちまえ」
うるせーな。勉強してたんだよ。
部活で青春感じちゃ悪いのかよ。野球部の練習、舐めんじゃねぇぞ。
大学? 恋くらいしてるわ。片思いなだけで……大事にしたい想いってあんだよ!
色々言い返したかったけれど、ムキになるのも子どもっぽい気がした俺は、無難に悩める青年風の受け応えをした。
その結果、先輩たちの武勇伝(?)を延々と聞かされる羽目になった。
これまで何人とヤったことがあるだとか、こうしたら女は喜ぶとか。
風俗の選び方や、オススメの出合い系アプリまで。
半分はからかい。
半分は、ひょっとしたら本当に親切心からのアドバイスだったのかも知れない。
が、彼らの話をひと通り聞いて、全く羨ましいと思わなかったのは、童貞の僻みなのだろうか。
俺は、金や見境なしに女性を漁った末の性体験で自分が満足できる気がしなかった。
好きになった人と、体を重ねる。
だからこそ、その行為に憧れるんじゃないのか?
それとも、この思考こそが子どもっぽい童貞思考なのか?
何もユニコーンを探している訳じゃない。
俺には2歳上の姉がいて、色んな姿を見て育ったから女の子に理想を押しつけはしない……はずだ。
等身大の恋をしている……と思う。
それでも彼女が出来ないのは、俺が冴えないからなのか、勇気が足りないだけなのか。
意気地が無い俺は、ひょっとして一生童貞だったりして……。
なんだかんだで童貞に劣等感を感じつつ悶々とした気持ちを抱えたまま、家まで帰ってきてしまった。
10階建の学生マンションを見上げると、5階、右から3つ目の部屋は灯りがついていた。
黒瀬、まだ起きてんな。
オリエンテーションで一緒の班になった黒瀬は偶然同じマンションに住んでいた。
気さくなやつで、食べ物と音楽の趣味が合うこともあり、直ぐに打ち解け友人関係になった。
今では、特に用事がなくても喋りに行ったり、ついでにご飯を作りあったり、たまには真剣な相談をしたりと、親友と呼べる間柄になっていた。
——実家から佐藤錦が届いたんだけどさ、食う?
メッセージを送ってみると、直ぐに返事があった。
——高級フルーツ✨ 食べる!
俺は1階の自室に寄って佐藤錦を1パックを手に持つと、階段を登った。
チャイムを押すとダボっとしたTシャツに、ショートパンツ姿の黒瀬が出てきた。
「あれ? 飲んでたの? …… 何かあった?」
黒瀬は鼻をピクリとさせた後、俺の目を見て眉を寄せた。
「愚痴っていって良いか?」
「なんだよ馬鹿、愚痴りたいならそう言えよ。エサなんか使わずに。入りな」
ククっと笑う黒瀬。
良かった。この胸の靄を抱えたままでは眠れそうにない。
「これも渡したかったんだよ。母方のじいさんが作ってんだ」
「わ、めちゃくちゃ立派なやつじゃん」
「ああ。じいさん、ガチめの農家だからな。美味いぞ」
「今一緒に食べる?」
「いいや、後で食ってくれ」
黒瀬は嬉しそうに佐藤錦を冷蔵庫に仕舞った。
リビングに進むと、テーブルの上には作業途中のノートパソコンがあった。
「わりぃ、勉強中だった?」
「大丈夫、煮詰まってきたからそろそろ切り上げて、ゲームでもしようかと思ってたとこだったから」
黒瀬はデータを保存するとパソコンの画面を閉じた。
「何ががいい? お茶、ジュース、酒、何でもあるけど」
「もっと飲みたい気分」
「ビールとハイボール、あと芋焼酎どれにする?」
「ハイボールで」
「了解」
カランコロンっ、氷の音がして少し経つと、スライスレモン入りのハイボールが洒落たタンブラーで出てきた。
素焼きのナッツとゴーダチーズまで添えてある。
「さっきの居酒屋より断然美味そう」
「伊達にバーでバイトしてないよ」
黒瀬の作ったハイボールは少し甘めの香りがして、爽やかでとても飲みやすい。
「ウマっ。プロじゃん」
「カナディアンウイスキーって、フルーティーでハイボールに合うんだ。今度やってみなよ」
黒瀬は得意そうに笑う。
「で、何を吐き出したいんだ?」
そう尋ねると黒瀬はハイボールを口に含んだ。
俺はほんの少し勇気を出す。
「……なあ、童貞ってさ、悪い事なのか?」
「ゲホッ、ゲホ」
黒瀬はハイボールを溢した。
「おい、まじでどうした?」
汚れたテーブルをティッシュで拭きながら黒瀬は聞き返す。
「さっき、バイト先の歓迎会だったんだけどさ。先輩たちに俺が童貞だってイジられた」
「それで?」
「俺も軽く受け流そうと思ったんだけど、しつこいしさ、経験無いのは確かだから。なんつうか結構言葉が刺さったんだよ。やっぱ経験の無い男ってダサいのかなとか……」
俺の言葉に黒瀬は思案顔で首を傾げた。
「んー……、『virgin』に男も女も無いだろ。女のには価値があって、男のには無いなんて変だと思うけど。その先輩たちってさ、マウント取って気持ち良くなりたかっただけだろ。気にすることないよ」
「だよな。ちょっと出遅れたからってなんだっていう話だよな」
俺はその答えにほっとして頷いた。
俺の様子を見て、黒瀬は再び一瞬だけ難しい表情を浮かべた。
「……なぁ、18〜19歳の未婚男子の童貞率は何割だと思う?」
黒瀬からそんな質問を受けるとは思わす俺は戸惑った。
「え? ご、5割くらい?」
肌感覚で答えると黒瀬は首を振った。
「7割以上だよ。阿久津は20歳になったばっかだろ。全然普通じゃん」
「経験者は3割……なるほど。そんなもんなのか。っていうかそんな事よく知ってたな黒瀬」
「今書いてるゼミのレポートテーマが『少子化問題』なんよ。だからたまたま国の機関が出してるデータを見たばっかりだっただけ」
黒瀬はチラッとパソコンを見た。
「へぇ。いや、助かった。今、心底安心した」
「そうそう。そんなんでコンプレックスを感じる必要無いよ。それに、年齢に関わらず、人の格好良さというか魅力ってさ、性経験のあるなしで決まるもんじゃないだろ。どう生きてるかとかさ、そういう所じゃないのか?」
黒瀬は微笑む。でも言ってることは割と厳しく、何気にハードルを上げて来やがった。
「あと正直さ、童貞を嫌がる女子ってそんなにいないんじゃないか? って思うんだけど」
「え、そうか?」
「ああ。逆に童貞に拘る方が。うーん、なんだろう…… 男は女をモノにしてナンボみたいな一昔前の思想から抜け出せて無いっつうか。逆に気持ち悪い感じがしないか?」
カラカラと黒瀬が笑う。
「だよな」
話題は、やがて音楽に移り、黒瀬は推しているバンドの新曲について語り始めた。
「童貞は嫌じゃない」か。良かった。
俺は卑怯者で、こうやって探っていくんだ。
今夜は安心したくてここに来た。
俺の心の雨は静まってきている。
ごめん。
無害なフリをして、今この瞬間も色々妄想してる。
君の髪の滑らかさ、胸の柔らかさ、唇の温かさ。
君に触れて、その先も……。
青臭く想像してしまう俺は、先輩たちがいうように意気地なしの童貞くんそのものだ。
この悶々とした欲を、持て余している感情を。君に伝えられたら良いのに。
「はぁ……好きだ」
「ん?」
やべぇ、心の声が漏れた⁉︎ これはピンチかチャンスか。
どうしよう、どうする?
「あのさ、俺、黒瀬の…………黒瀬の作ったハイボール好きなんだ」
ださっ。
俺は空になったタンブラーをぎゅっと握った。
「あ、お代わりな」
黒瀬はサッとタンブラーを奪うとキッチンへ向かった。
やっぱりヘタレだ。
俺は天井を見上げて、大きなため息を吐いた。
カランコロンっ。氷の音がする。
俺の鼻先にレモンの香気が漂ってきた。
白映え 碧月 葉 @momobeko
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