第45話 下層との別れ

 アークス高等専門学校を受験すると決めてから、約半年が過ぎ、あんなに長いと思っていた受験勉強も終わりを迎え、ついに高速エレベーターに乗る日がやってきた。


 ソフィアは諸々の手続きの為、高速エレベーターを見張っている警備隊の一人に許可証を提示していた。その許可証が問題なく警備隊に受理された後、大きなシルバーの扉が開き、プリシラがトレーラーに乗せた〝グルヴェイグ〟と〝ヒルディスビー〟を高速エレベーターに運び込む。


「じゃあ、私はお先に失礼します! W・V・O(ワールド・ヴァルキリー・オペレーションズ)の申請手続きは、ロスヴァイセ研究所からやっておきますね!」


 プリシラがエレベーター前で両手を振りながら言う。警備隊が早く乗れと言わんばかりに無言で睨むものだから、プリシラはあっかんべーをしながら、高速エレベーターに乗り込んでいた。


「お願いね、プリシラ! 後、ヴァルキリーのプログラミングの件も!」

「はい、ソフィアちゃん! 私に任せてくださーいっ! プログラミングも〝ヒルディスビー〟がいるので、問題なく進めとき――」


 高速エレベーターの扉が閉まり、全部言い終わる前にプリシラの声が途切れてしまった。


 ソフィアはすぐ近くにいた警備隊をキッと睨んだが、警備隊はこちらの小言なんて気に留めもせず、銃を所持したまま一点を見つめていた。


「イグニス兄ちゃん、とうとう上へ行けるね!」

「あぁ! どんな所なのかめちゃくちゃ楽しみだ!」


 俺とロイドは希望に満ちた目で高速エレベーターを見つめた。


 この巨大なエレベーターは元々、下層で作られた資材や機材等を運搬する為に造られた物で、上層の工業地帯に繋がっているらしい。先にエレベーターに乗ったプリシラが、迎えの車とホテルまで手配してくれているそうなので、試験日までみっちり勉強できるというわけだ。


 俺は背負っていた大きな荷物を足元に下ろし、背後を振り返る。「皆、見送りに来てくれてありがとう! 俺、頑張って合格できるように頑張るから!」とお礼を言うと、皆が笑顔で応えてくれた。


 見送りに来てくれたのは、百道ももち商店の店主であるケンタウロスおじさんと看板娘のユナ、ジャンク屋・ヴァルカンの面々、孤児院で特に仲が良かったアイナとエダ、シスター達が見送りに来てくれた。


「ケンタロウさん、本当にお世話になりました。貴方がいなければ、今頃、僕達はどうなっていたか……」


 真っ先にケンタウロスおじさんと握手を交わしたのは、マリウス先生だった。


 マリウス先生はこれを機に孤児院の牧師を辞め、〝ヒルディスビー〟と一緒に上層へ移動する事に決めたようだ。上層に行った後、何をするのか具体的に聞いてはいない。しかしマリウス先生なら、どんな仕事でもこなせそうだと俺は思った。


「こちらこそ君達に出会えて良かったよ。また困った事があれば、気軽に訪ねてくるといい」

「はい、ありがとうございます」

 

 ケンタウロスおじさんはいつもの穏やかな笑みを浮かべながら手を強く握り返し、マリウス先生の肩を抱き寄せて、軽く抱擁していた。


「それと、イグニス。マリウスを困らせないようにするんだぞ。それから試験に合格したら、必ず連絡するように。適当にお金は振り込むから、金銭面の心配はしなくて良いからな」

「わかってるって。まだ試験に通った訳じゃないから、めちゃくちゃ不安だけど、精一杯頑張ってくるよ」


 俺が張り切った様子で親指を立てると、近くにいたジャックおじさんが俺の首に手を回し、頭を力一杯撫でてきた。


「ハッハッハッ! 万が一、試験に落ちても下層に戻ってくるだけだろ? そうなったら俺がお前を雇ってやるから、そんな深刻そうな顔をするな!」

「うぐぐ、ジャックおじさん……ぐ、ぐるじい……」


 ギブアップだというように、ジャックおじさんの腕を数回叩くと、今度は隣にいたロイドに狙いを定め、子供をあやすように頭を撫で回しながら、「ロイドも頑張るんだぞ〜〜!」と応援を始めたのだった。


「ゲホッゲホッ! あぁ、死ぬかと思った……」


 首が絞まってしまった影響で息がしづらく、俺は軽く咳き込んでしまった。息が整い始めた頃に顔を上げると、ユナが大きな目に涙を溜め、こちらを睨むように立っていた。


「なぁ、イグニス……ほんまに上に行ってしまうん?」


 今にも泣きそうになっているのは、百道ももち商店の看板娘であるユナだった。数回瞬きをしただけで、大きな藤色の目から涙がボロボロと流れ落ち、子供のように嗚咽を漏らして泣き始める。その様子を見た俺は困ったように頭を掻いた。


「おいおい、今生の別れじゃないんだぜ? またすぐに会えるって」

「だって、ウチら小さい頃からずっと一緒やったやん! イグニスは寂しないんか!? ウチは……めっちゃ寂しい。うっ、うぅっ……」


 ユナは声が裏返るくらい感情を爆発させた。周りにいた人達は何事だと顔を見合わせていたが、ユナは止めどなく流れる涙をゴシゴシと手で拭い、めそめそと泣き続けている。


「ユナ〜、そんなに泣かないでくれよ〜」

「ウチはイグニスの事を家族みたいに思ってるんや! お母さんやお兄ちゃんみたいに、ウチの前からいなくならんといて欲しいねん!」


 そう言って、ユナは本格的に泣き出してしまった。


(うーん、どうしたものか。こう見えて、ユナは寂しがり屋だもんなぁ……)


 俺だって、下層の皆と暫く会えないのは寂しい。けど、俺は〝グルヴェイグ〟を見つける前から、ずっと上層に行きたかった。その思いは本物で、例え誰に引き留められたとしても、俺は上層に行くと決めていた。


「俺だってさ、寂しいのは寂しいぜ? けど、俺はずっと上に行きたかったんだ。鉄屑の火葬場で、〝グルヴェイグ〟を見つけてから、その思いは一層強くなった。小さい頃から舞妓に憧れてたユナなら、俺の気持ちを分かってくれるだろ? だから、できれば笑顔で見送ってほしい。その方が俺も嬉しいんだ」

「…………うん、わかった」


 ユナは俯いたまま、渋々頷いてくれた。悪い事はしてないはずだが、なんだか申し訳ないような気持ちになってしまった。


(う〜ん、なんかこのまま行くのは気まずいっ! こういう時って、どうすれば良いかなぁ……あっ、そうだ!)


 俺は色々考えた末に、小さい頃によくやったハグをしてた事を思い出し、ユナの前で手を広げて見せたのだった。


「ユナ、ハグしよーぜ! 昔、よくやってただろ?」

「……ハグ? 皆がおる前で?」


 鼻水を垂らして顔面がぐちゃぐちゃになったユナは、「前は大人になったから、ハグしてくれへんかったのに、このタイミングでやる?」と涙声で笑った。


「その時は色々と恥ずかしかったんだ。ほら、つべこべ言わずに早くハグしようぜ!」

「もう……ほんまに我儘やなぁ、イグニスは」


 ユナが俺の胸に飛び込むようにハグをしてきた。細い腕が背中に回り、ギューッと抱き締めながら、「こうやって見送ってくれてるのに、入学試験に落ちたら恥ずかしくて帰って来れねぇかも……」と自信なさそうに俺が呟くと、ユナはいつものようにクスクスと笑い始めた。


「大丈夫やって! もし試験に落ちたら、ウチがイグニスの事を慰めてあげるわ! 子供の頃、色々あって落ち込んでたイグニスを元気付けようとした時みたいにな!」

「おわっ!? ユ、ユナ!?」


 いきなり俺の頬に唇を押し付けてきたので、抱き締めていた手を離し、真っ赤な顔で自分の頬に手を添えると、ユナはキャハハッ! と揶揄うように笑いながら、手を振ってきた。


「次会う時は舞妓のユナとして会う事になるかもな! 上層で公演する時かもしれんし、その時は舞妓として私もレベル上げしとくから、楽しみに待ってるんやで!」

「わかった! 俺もユナと上で会えるのを楽しみにしてるからな!」


 俺は少し照れながらもユナに向かって手を振り、先にエレベーターへ乗り込んでいたマリウス先生、ロイド、ソフィアの元へ向かったのだった。

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赤錆のヴァルキリー 梵ぽんず @r-mugiboshi

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