エピローグ 「雪の降る村」

エピローグ 「雪の降る村」

【1】


 村に潜む悪い魔女は、そうして滅ぼされました。


 か弱いはずの一人の少女が、奇跡で村を救ったのです!

 魔女を倒したことで、それまで厄介者であった少女は、途端に英雄扱いです。


 村にかかっていた呪いも、きっと解けたでしょう。

 めでたし、めでたし。


 そんなのは、嘘っぱちです。

 少女は、大切な人と村に留まるために、嘘をつきました。

 村人たちも、結局ぜんぶ魔女のせいにしたままです。

 理想の問題解決は、なにひとつできませんでした。


 けれど、この物語は、そういうお話です。


【2】


 清々しいほどに、別れの朝だった。


 長い夜を越え、朝日がぼんやりと山陰から表出している。

 少し前までの喧騒は嘘のように村は静まり返っている。

 魔女と魔女狩り、二人の足音だけが響く。


 彼女達はこれから大丈夫だろうか、なんてことをアレシオはぼんやりと考える。

 彼女が本当は魔女であったと言われる可能性はゼロではない。

 そうでなくともこれから先、ニーヴェリタの人々は艱難辛苦を味わうだろう。

 魔女の呪いを盾にできない世界、真正面から不幸と向き合わなければならない瞬間が来るのだから。


「……これ以上、僕が考えていても仕方がないですね」


 自分は心配性な性格だな、と改めて感じてしまう。

 そうなることを見越して、その上で信じたはずなのに、今になって再び同じことを不安に思い始めている。

 悪い癖だ。


 考えることはやめにしよう。

 これから先は、彼女と、村人達の問題なのだから。



「……準備はできたの?」


 隣を歩くミーアが尋ねる。

 昨晩身体を貫かれたはずの彼女は、胸の真ん中に剣ひとつ分の穴を開けたローブをそのまま羽織っている。


「そのまま晒すのは痛々しいですね」

「すぐに治すこともできるけど、まあいいの」

「どうしてですか」

「これはあたしの勲章だから」


 穴の空いた胸を張り、誇らしげな表情を浮かべていた。


「あなたが満足なら、それで構いませんが」

「少しくらい残ってくれないかな、傷。ここにいた証が残っていて欲しい」

「無理でしょうね、魔女ですから」


 魔女達は『生きる』という呪いをかけられた存在だから、己の意思とは関係なく、心臓が再起し傷が治る。

 そして、ミーアの治癒能力は、魔女のなかでもとりわけ異常である。

 じきに傷跡すらなくなってしまう。それくらい彼女もわかっているだろうに。


「あーあ、どうしてあたしは魔女なんだろう」


 ミーアはそんな自分の身体を忌々しく思った。


「魔女に生まれてきたことで、果たせる使命があるんですよ、きっと」

「あー、鬱陶しい! 聖人君子みたいなことを言っちゃって!」


 ミーアが叫ぶ。


「あたしが知ってる聖人君子はね……いつか弟子に裏切られたり、手のひらに釘を打たれて処刑されたりしちゃうわよ、そんで三日後に生き返る」

「それはどこの国の神話の物語ですか」

「教えてあげない、きっと、別の世界の信仰」

「そうですか」


 二人はそんな風に、この村に来る前のようにとりとめのない話をしていた。

 そして駅にたどり着く。


 ここまで、誰一人として出会うことはなかった。

 それは偶然ではなく、仕組まれたことだった。


 ミーアが魔法を使ったのだ。


 村全体が眠る魔法。

 彼女が許した人間以外はまだ誰も起きていない。

 並の魔女にとっても難しい、膨大な魔力を使うものだった。

 それを簡単に行ってしまうことが、ミーアの魔力の大きさを裏付ける。

 そんな彼女自身の手にかかれば、この規模の乗り物を動かすことなど造作もない。


「僕達が公国に到着するまで、列車は貸し切りになってしまいますが……」


 発車時刻が乱れるために駅長には迷惑をかけるが、それくらいは許して欲しい。

 アレシオは心の中で謝罪する。


 しかし、この数週間で列車の魔力が途絶えたのは一度や二度ではない。

 それなら駅長もあまり気にならなくなっているかもしれないな、とも思い苦笑する。


「うーん、これから先のこの世界は、『あの子』の気分が悪いだけで列車が止まってしまうのね、可哀想な世の中だなあ」


 『あの子』というのはミーアとアレシオが以前に出会った魔女のことだ。

 人々に巨万の富を、公国を富栄える大都市へとのし上げた、他人に利用されることをいとわない少女。


 事情を知っている人々は決して多くはないが……彼女は国に魔力を提供する代わりに、不自由ない暮らしを得ている。

 それだけではない。

 『自分が必要とされている』と感じることで、承認欲求を満たしている。



 アレシオははじめ『あの子』の異常も解こうとしていた。

 けれど、結局は何もせずに終わってしまった。

 彼女が今の状況や地位に満足していると感じたからだ。


 実際にはわからないが、それがちゃんと幸福であると言い切れるのならば、無理に何かをする必要はないと考えた。

 だからあの時は、『あの子』が望まぬことはしなかった。


「僕はそれでも良いと思いますけどね。こんな便利なもの、もしかすると人間には早すぎたのかもしれない、そう思うんです」

「そんなことを言うなら、歩いて次の町まで行ってもらうけど?」

「それは困ります」

「ふんだ。どうせみんな、一度使った便利なものからは逃れられないのよ。

 いつかあの子の寿命が尽きた時に泣きわめくのが目に見えるわ。

 数日列車が止まるくらい、いい予行演習よ。

 ……それで、結局あんたは準備できてるの?」

「宿や山奥に忘れ物はないつもりですが」

「違うわよ」


 ミーアは否定して、


「さよならの準備」


 と言う。


【3】


「……………………」


 この村では、いつにも増して特定の人間との関係を深めたように思える。

 子供じみた言い方だが、仲が良くなればなるほど別れが惜しくなるのは当然のことだ。

 それを慮っての彼女の問い、それに対しアレシオは薄く笑った。


「別れの準備なんて、きっといつまでもできませんから。だから行くしかないんです」

「あらそう」


 淡泊な返事をする。しかし内心、彼の対応に安心していた。

 こういうところは、少しカッコいいと思えるのかもしれない。


「じゃああたし、先に準備してくるから。どこに魔力を通せばいいのか、確認しなきゃいけないし」


 かつてアレシオが魔石を使って列車を動かした。

 その魔石は、ミーアの魔力の一部を抽出したものだった。

 であれば、彼女当人が居れば、列車を好きに扱うことは造作もないだろう。


「じゃ、ばいばい、つまらないニーヴェリタのみなさん」


 そう言ってアレシオの前を進んでいく。

 勲章だとか何とか言うくせに、ミーアの別れはあっさりした調子であった。

 けれどもそれがミーアらしいな、とアレシオ思う。


【4】


 彼女が列車に乗り込んだところでアレシオは振り返り、雪で覆いつくされた村をもう一度だけ眺める。

 

 あと数秒だけ待ったら列車に乗り込もう。

 そう考えていたその折だった。




「旅人さん」




 懐かしい呼び方に視線を動かすと、そこにはクラウが居た。

 もうそこに車椅子はない。

 細く白い二本の脚で、奇跡でもなんでもなく、当たり前に立っている。


「もう、自分の脚で歩けるみたいですね」

「はい。まだふらついたり、転んだりするけれど。それでもなんとか歩けています。おかげさまで」

「いえ、そんな」


 自分のおかげではない。

 本当に、感謝されるようなことは何もしていないのだ。


 自分が訪れたことで、村は転機を迫られてしまった。

 彼女も自分の弱さと向き合うことになった。

 とても苦しんでいたことは、アレシオもよく知っている。


 これから先、姉妹に訪れる困難はより大きなものになっていくのかもしれない。

 そうなったら、むしろ自分は彼女に苦労を押し付けたも同然なのだ。

 悲観的な物の見方をすれば、そう考えることもできる。


 自分自身と向き合うことが、必ずしも正解であるとは限らない。

 見ないふりをすることで、むしろ自分を見失わずに生きられることだって往々にある。

 アレシオはずっとそう思っていた。

 これからもそれは変わらないだろう。


 けれど、今回だけはそこに何か意味があったと信じたい。

 それも偽りのない感情だった。



「……ねえ、アレシオさん。今になって、ふと思った事があるんです」

「なんでしょうか」

「あなたは色々と手がかりを挙げながら、私が魔女であると気付いたのだと言っていましたが……

 本当は、最初から気付いていたのではないですか?」

「最初から、とは?」

「そのままの意味、出会った瞬間、です。

 私と『旅人さん』が出会った時。

 列車の中で、向かい合って座っていた時です」

「どうしてそう思うのでしょうか」

「あの時、アレシオさんは私の脚を見て『魔法か何かで回復しないのか』と尋ねました」


 そして彼女は、『魔法が使えるのは魔女だけだ』と返した。

 それに対してアレシオは『ああ、そうですね』と頷いていた。


「ですが、いくら世間知らずとはいえ、あなたは魔女の専門家であり、魔法のことは知っている筈です。

 普通の人間が魔法を使えないということくらい、承知だったはず。

 それなのに、そんなことを言ったのは……

 

 初めから私が魔女であると思っていたから、違いますか」

「……さあ、どうでしょうか」


 白々しい言い方をする彼に少し不満そうな顔をして、クラウは言葉を続けた。


「一体どうして、私が魔女であることがあの段階でわかったのですか。」

「いや。僕はまだ、あなたの考えが正しいなんて言ってませんよ。ただ……」

「ただ?」

「……理由については、以前説明しています。相手が魔女だとわかる方法は……」


 そこまで言いかけてからアレシオは「やっぱり、なんでもありません」と言った。


「…………む。どうしてこういう時だけはぐらかして、周りくどい言い方をするのですか」


 思わずさらなる愚痴が零れる。


 どう答えたものか、とアレシオは困惑する。

 流石に、今更本当のこと----自分自身が魔女である----なんて、言う勇気を彼は持ち合わせていなかった。


「すみません、ただ、他の質問なら答えられるかもしれません。そんな話より、もっと大事なことなら」


 今の話もとても重要なのだけれど、と思いつつもクラウはその話題を取り下げる。

 彼の言う通り、一番訊きたかったことは別にあった。


「じゃあもう一つ、質問をして良いでしょうか」クラウが尋ねる。

「はい」

「単刀直入に言いますね」


 それからクラウはふうと白い息を吐く。

 話している間にも世界は段々と明るくなっていった。

 それに伴って、彼女自身も色彩を帯びていく。

 朝陽を受けた美しい瞳をアレシオに向け、胸のうちの疑問を言葉にして紡いだ。




「どうして私は、まだ生きているのでしょうか?」




 当然、考えないわけにはいかないことである。

 彼女はもう魔女ではない。魔女としての異常は失われ、魔法も使えなくなった。

 アレシオが以前言っていた。異常を取り除かれた魔女の寿命は、人間のものに戻る。


 つまり、自分は死んでいるはずなのだ。

 なのにここに立っている。

 息をしている。

 クラウにとっては何よりの疑問。


「また、何か隠していたんでしょう」

「そうですね。ずっと言わないようにしていました」


 アレシオはそのからくりをちゃんと理解していた。


「魔女の病理を取り除かれたあとも、少しだけ人間としての残り時間が存在していることがあります。

 あなたが生きているのは、何か大切な人に対する心残りがあるからではないでしょうか」

「……………………」


 もしかすると、この人は初めからこうなることがわかっていたのかもしれない。

 だったら、あんな意地悪な言い方をしなくてもよかったのに。

 そう思ったクラウは頬を膨らませる。


「ああ、あともう一つ、考えられる理由があります」

「なんでしょうか?」

「病理の残滓のようなものがまだ存在しているからかもしれません。

 あなたの場合……まだ少し、嘘から目を逸らしている、ということでしょうか」


 言ってしまった後に後悔する。こちらの理由ではないことは明白である。

 今の話を聞いて、彼女は気を悪くしてしまわないだろうか。


 しかし、彼女はアレシオの予想とは違う反応をする。


「確かに……」


 ああ、とクラウは一つ思い出す。


「そう言われてみれば、私はまだ一つ大きな嘘をついているかもしれません。

 とびきり大きな嘘です。それに、私はその嘘を全く悪いと思っていません」


 この期に及んで、そんな事を口にする彼女はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。



 その嘘について、アレシオは尋ねようとしていた。


 けれどできなかった。


 口を開くよりも前に、彼の思考が遮られてしまったからだ。




 唇が塞がった。

 柔らかくてあたたかいものに触れる。




 建物は陽光を受けて輝いている。

 時計塔には小鳥の親子が留まっていて、可愛らしい囀り声が聞こえる。

 時が止まったような感覚のもと、生きた世界の美しさだけ鮮明に感じ取れた。


 何が起こったのか、アレシオがそれを理解する前にクラウははにかんで口を開く。




「……大嫌いですよ、旅人さん」















【last】


 列車がごうごうと音を立てる。


「……そろそろみたいですね」


 別れの匂いが強くなる。

 もうすぐこの出会いは終わりを告げる。

 けれど、少女は最後にもう一つだけ、彼に訊きたいことがあった。


「あなたは何処から来たんですか。

 あなたが言っている『こことは別の世界』とは何なのですか。

 あなたは何者なんですか。

 全部じゃなくていいから……教えて下さい」


 青年は表情一つ変えないまま思案する。

 少し遅れて口を開く。


「そうですね、こんな天気の良い日は、小さな秘密を話すのに丁度良い日かもしれません」


 背負うことはできない。

 けれど、彼の痛みを少しくらいは分かち合える。クラウはそう信じていた。


 けれど、そんな淡い期待なんてどこかに飛んでいってしまう言葉が、彼の口から飛び出す。




「僕はこことは別の世界……」





「……『魔女の世界』から来たんです」





 物語は続く。


 これは、一人の魔女狩りの、出会いと別れの物語。


 人にも魔女にもなれない怪物が、死ぬまでの物語。



【千年の魔女 第一部 『嘘の魔女』 終】

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