第10話 「それでも、生きていく」

【1】


 私は広場へと駆けた。

 青年と魔女はそこにいるような気がしたし、実際にそうだった。


 広場に再び魔女と青年が現れた、という噂はみるみるうちに村中を駆け巡っていたようだ。

 私が到着する頃には、既に人だかりができていた。


 しかし、その一番真ん中の部分には、やはり空間ができている。

 怒る人と不安そうに見つめる人が一緒くたになって、晒し台の方を向いている。

 誰もそれ以上は近付けない。

 まるで、彼女の周囲には誰も破れない円形の防護壁が張り巡らされているみたいだ。


 怖い、と思う。

 それでも行かなければならない。

 だから、脚を踏み入れる。

 それぞれの方向から上がったどよめきは、私が魔女に接近したからか、それとも私が自分の脚で歩いていたからか。

 どちらでも構わないな、そう思いながら歩みを進めた。


【2】


「ミーアさん」


 中心に立つ少女に声をかける。


 ローブは後ろが破れて背中が露わになっているが、それでも肌に傷は一つも見当たらない。

 余程大きな傷であろうと、数日で傷は癒える。

 それは私だけではなくこの子も、他の魔女も皆同じなのだろう。


「準備は終わった?」


 身体を翻してこちらを向き、ミーアが問いかける。


「はい、あなた達のおかげで、少しだけ分かった気がします」

「じゃあ、あたし達も心おきなく最後の仕事ができる」

「……やっぱり、そうしなければいけないんですね」

「もう、全部わかってるんだ」

「きっと、全部じゃないですよ。けれど大体は……」


 ミーアの手が輝く。

 眩い閃光に思わず目を閉じてしまう。

 やがて視線を向けると、眼前には一本の剣が現れていた。

 彼女が意図していることは、言わずとも直感できた。


「やっぱり、そういうことなんですね」

「うん、そうだよ」


 ミーアはニヤリと笑って、続く言葉を口にする。




「あなたには、あたしを殺してもらう」




 恐ろしい言葉を発しているのに、それが当然であるかのような口ぶりだった。



「当初の予定とほとんど変わらない。

 村の魔女のふりをしているあたしが殺されれば、村人達はこの村から魔女がいなくなったと勘違いする。

 その計画自体は、最初の方からあった」


 そして、私自身もわかっていた。

 なんとなく、わかってしまったのだ。


「今なら、その理由がわかるでしょう?

 あいつが……アレシオが、こんなシナリオを描いた、その意図が」


 私は頷く。


「つまり……私は、根本的に履き違えていたのですね」

「と、いうと?」


 ミーアは何もわかっていないようなそぶりをして尋ねる。


 全部わかっているだろうに。

 心の中でそう思いつつ、クラウは自分の至った結論を口にする。


「私は『嘘の魔女』。

 しかし、私の異常は……嘘をつくことではなかった、ということです」

「……………………」


 ずっと、自分が嘘をやめないから、真実を口にしないから、ヒトではないのだ、そう思っていた。

 だから頑張って、気持ちを偽ることをやめようと、心の中で決意して……そして、何度も失敗した。

 けれど、そもそもそれ自体が違ったのだ。


「どれだけ善良な人間であろうと、嘘をつかねばならない時はあります。

 そして、世の中には優しい嘘もあるということを、私はよく知っています」


「だから、全ての嘘を排斥することが、正しい解決方法ではない、と」

「はい。つまり、私の本当の異常は……


 『ついた嘘と、向き合わなかった』ことでした」


「……やっぱり、そういう結論に至ったんだね」


 ミーアは頷く。

 その表情には、ほんの少し安堵が見て取れる。


 ちゃんと、同じだった。

 アレシオがたどり着いた結論と、同じ結論にたどり着いていた。


 考えてみれば、ミーア自身も、クラウに違和感を感じていた。

 久しぶりに使ったはずの彼女の魔法が、予想よりも強力だったこと。

 そのことについてミーアはずっと違和感を抱いていた。


 雰囲気も含め、異常に対して自覚のある段階の魔女にしては、クラウはやはり少し危険すぎる。

 そこからミーアはその理由に薄々気付き始めた。

 彼女はまだもう一つ深い段階、「自分の異常が何か理解していない」魔女だった、ということだ。


 そこまでは、アレシオも早い段階から辿り着いていたようだ。

 けれどそれは私と同じ理由ではなく、ソレラの発言を拾い上げたものだったのだけれど。


 とにかく……そうすれば、彼女は嘘をつくことが悪いわけではないということになる。

 それなら一体、彼女の異常は、生まれ持っての呪いとは何なのだろうか?


 それをアレシオと共に考えて……最後に彼が気付いた。


「まったく……あんなに人の心がわからないヤツなのに、どうしてそんなことだけはわかっちゃうのかねぇ……」


 姿を見せない勝者にそんな恨み言を呟いてから、ミーアはもう一度クラウの瞳を見つめる。


「もちろん、魔女は『自分の異常を理解し、克服する』必要がある。

 けれど、その克服は、必ずしも完治する必要はない」



 だって、そもそも人は。

 多かれ少なかれ、異常を抱えているものだから。


 ニーヴェリタの人々だって同じだ。

 何でもかんでも村の魔女のせいにして、自分たち自身の問題から目を逸らす。

 それは魔女の持つような歪みと、本質的には何も変わらない。


 ならば人と魔女を分かつ境界は何なのか?

 そんな至上命題に対する一つの仮説を、ミーアは口にする。


「重要なのは、自分の異常に対し、折り合いをつけること……

 異常を抱えた上で、それでも人間であると主張することなのよ」


 過ちを抱えていても、人として生きることを選択すること。

 それは人が『人たりえる』ために、最も必要なことなのではないか。


 詭弁だと笑われるかもしれないが、ミーアはそう信じたかった。


 ならば、どうやってその異常に折り合いをつけるか、という話になるのだが。

 既に、ほとんど彼女は克服しようとしているのではないか、というのが予想だった。

 そもそも、今の彼女は自分が嘘をつき続けることに対し、何も感じていないようには見えない。


 きっかけはきっと、自分たちがこの村に来る数年前に起こった、彼女の出会い。

 初めてできた『家族』という存在。

 それにさえ嘘をつき続けなければならない、という現実から、彼女に罪の意識が芽生えたのだと、そう思った。


「あなたはもうとっくにきっかけを掴んでいる。

 けれど、魔女が人間に戻るには、トリガーが必要なんだ。

 行動としてのトリガーがさ」


 魔女が魔女をやめるその最後の一押しとして、行動が必要だった。

 自分自身の異常に気づき、それと向き合ったという証拠を……神様に、世界に示す必要があった。

 そうすることで初めて、魔女は自分の異常を取り除くことができる。

 人間に戻ることができる。


 こんなにも面倒な工程を踏む必要があるのは、神様が全知全能ではないなによりの証拠だな、とミーアはいつも思っている。


「それが……これから行われる行為だというわけですか。

 私は、嘘を背負い続ける証明に、あなたを貫かねばならない、と」

「うん。でも、それだけじゃない」


 それだけが目的じゃない。

 こうすることで彼女を魔女から人間にするだけではなく、彼女が村に残る理由を生み出そうとしているのだ。


「あなたが魔女でなくなってしまえば、魔女の力で存在していた『嘘』は全て解ける。

 つまりソレラだけじゃなく、村人全員があなたやソレラの存在の矛盾に気付いてしまう。

 そうすればソレラは捨てられたはずの少女だ。

 死んだはずの彼女がどうして、知らない少女と姉妹だと言い張っている?

 おかしな話だと思われる」

「……だから、私を村の象徴にしようとしている」

「そう。ここであなたが剣を突き立て、魔女を殺す。

 そうすれば、あなたは魔女を殺した救世主であり、英雄よ」

「そうなってしまえば、些細な問題を気にする必要もなくなる、ということですね」

「そう。ほんの少しの不可思議も、あなたの伝説のいいスパイスになる」


 なんとなく、納得はできる。

 そこまで予感したからこそ、クラウは彼らの行動に今こうして応えている。


「……でも、それにしても、強引すぎるやり方ですよね。もっといい方法は無かったんですか」

「そりゃ、あったと思うよ?

 いつもあの子のやり方は突拍子もなくて極端だ。勝算も薄い」

「なら……」

「でも、みんな不完全だからさ、不完全な解法しか思いつかないんだよ」


 そして当然、彼もそうだったというだけだ。

 そして時にはその不器用さが誰かを救うこともあるのだと、ミーアは彼から教えられた。


「もっと、誰も苦しまない方法があったのかもしれない。

 皆が救われる可能性があったのかもしれない。

 けれど、今回はそういうわけにも行かなかった。


 ……完全であることが、いつも正解とは限らない。あたしはそう信じたいから」

「魔女だから、ですか?」

「人間だからだよ。人間だって、あたし達と同じで失敗作なんだ」

「失敗、作……」

「アレシオ自身は上手くやろうって必死だと思うけどね……

 彼が不完全だからこそ、あたし達はなんだか救われた気分になる。

 だって、それは魔女が最も欲していることだもの。

 欠けたことを赦される、っていうことだもの」

「……あなたは、そんな彼を肯定しているから、協力しているんですか」

「まるっきり全部肯定したわけじゃないよ。あたしはあの子のやることにただ従うだけ」

「それは、信頼ですか」

「さあね」


 話を逸らしすぎたな、と思いつつ、ミーアは言葉を続ける。


「ねえ、クラウ……あなたの言葉を聞かせなよ。あなたなりの答えを、教えてよ」

「……本当の答えは見つかっていないのかもしれません。

 難しい理屈もわかっていないのかもれしません。

 だから、曖昧な言い方をしているのかもしれません。

 けれど、結局私は、こう考えるしかないんだと思いました。

 『それでも、生きていくしかない』んだって」

「……………………」


 ミーアは​心の中で先ほどの自分の発言を少し訂正した。

 面倒な工程、というのは誤りかもしれない。

 だって、この行為はきっと、彼女にとって必要なものだったのだろうから。


「……合格。頑張ったね、クラウ」


 彼女には罪が必要だ。


 生きることは苦しむことであり、後悔することである。

 苦しんだその先に、何か幸せが訪れる、なんて確証は当然なくて……

 それでも、どこかで自分を肯定する必要がある。


「これからあなたは、もう一度嘘をつく。

 あの時、あなたがソレラを救うために嘘をついた時と同じ」

「……はい」

「一つ、違うことがあるとすれば……

 今度のあなたは、その罪悪感としっかり向き合わなきゃいけない、ってこと」

「……はい、わかっています」


 クラウは震えた手で眼前の剣を掴む。

 ミーアは簡単には死なない。

 魔女だから。

 けど、それでも人を傷つけることは怖い。


 けれど考えてみれば、自分は何度も人を偽った。

 ソレラのことも、それで傷つけた。

 目に見えない傷は幾らでもつけていたのだな、ということを今更実感する。


 ああ。

 自分はこれから一生、この感情と向き合わなくてはならないのだ。


「ミーア……私、あなたに酷いことをしてしまいました。

 自分が生き残るために、あなたを身代わりにしようとして……今もそうで……」

「確かにその通りかもしれないね」


 自分もクラウを騙していたわけだし、お互い様と言えばお互い様だけどな。

 なんて野暮なことをミーアは言わないでおいた。


「けど……そういうのを含めて、背負って、これから生きていきなよ」

「…………はい」

「すごく辛いかもしれない。でも、みんなそうなんだ。

 だから頑張って、それを背負ってね。

 あなたが『生きるために嘘をつく』、その代償を」


 ……そうすれば、あなたはやっと、人間になれるから。


「……ありがとう、優しい魔女さん」


 心の中でそう呟いた彼女は直後、聖なる剣に胸を貫かれた。


【2】


 胸を貫かれた途端、視界を光が包む。

 その直後、ミーアは違う光景を見ていた。


 馴染みのある宿屋の中で、妹が微笑んでいる。

 今よりも少し背が伸びた彼女は、今と同じくらいあくせく働いていた。


 妹?

 そう、妹だ。


 今、ミーアが見ているのは、クラウの未来だったもの。


 魔女としての未来を、千年の日々を、吸収する。

 それがミーアの魔法だった。


 自分ではないものの感情を抱えたまま、時は進んだ。


 彼女は妹を愛し、そしてやはり妹に先立たれ、そのことを嘆いた。

 何年も、彼女は自分の選択を後悔し続けた。

 それでも、彼女は生きるしかなかった。


 絶望の中で生きた。

 ただひたすら、魔女として生きた。

 恐れられても生きた。

 騙され裏切られても生きた。

 愚かにも、誰かを再び愛してしまった。

 再び誰かを救えなかった。

 それでも生きた。

 共に暮らした少年が、老衰して死んでいく様を、少女の姿のまま見届けた。

 一つの国が生まれ、栄え、その国が滅んでいく様を、最後まで傍観していた。

 みんな必死に生まれて、それなのに簡単に死んでいった。

 それでも自分だけは生きた。

 理由なんて一つもなくても、側に誰もいない時間がどれだけ続こうとも。


 生きて、生きて、生きて、生きて……

 その果てに、彼女は唐突にその寿命を終えた。


 待って。

 まだ私は、何も成し遂げてはいない。

 誰も救えてはいない。

 生まれた意味を、生きる理由を、ほとんど見つけてはいない。


 けれども同時に、そういうものなんだとわかった。

 全てを成し遂げること、なんてないのだ。

 二度と取り返せない失敗が、最期の瞬間までつきまとうのだ。

 叶えられない夢と、分かり合えなかった人と、やがて腐り行く身体を残して、その21グラムは世界から姿を消していく。


 満たされない生を過ごし、肯定できない最期を迎えた彼女は、それでも最後に少しだけ微笑んだ。


 あのね。

 私ね。

 大好きな人がいたよ。

 彼女は……欠けていても、嘘つきでも、それでも私を愛してくれたよ。

 だから私も……同じ時間を生きられなくても、救うことができなくても、それでも愛したよ。




 そして、長い命が終わる。


 そうだ。

 私には、大好きな人がいたのだ。

 そして、世界のことも……大嫌いだけど、きっと大好きだったのだ。







【3】


 夢が、長い旅が終わる。


 ミーアの視界は、現実のニーヴェリタの光景に引き戻される。


 激痛と同時に、自分が胸を貫かれていたのだと思い出した。

 いくら魔女といえど、胸を貫かれたその瞬間に意識を保つことはできない。

 痛みの総量は、普通の人間と何も変わらない。

 だとすれば、耐えられないのは道理だろう。


 けれど、ミーアは意識を失うその瞬間に、少しだけ微笑んだ。



 光の中で視えた、彼女の魔女としての未来は、確かに幸福ではなかったかもしれない。

 けれど最後の最後で、彼女は自分の生を肯定できていた。

 それだけで十分だ、と思う。


「おめでとう」


 音を成すことのないまま、言葉が紡がれる。


 魔女である自分、欠けた自分を肯定することが出来た今だからこそ。

 クラウは、もう魔女である必要がなくなった。

 人間であることを、認められた。


 おめでとう。

 あなたは乗り越えることができた。

 自分の異常に、向き合うことができた。

 だから、もう大丈夫。


 これまでのご褒美に、少しだけ人間としての日々をあげる。


 これからは、普通の人間としての日々が始まる。

 普通の人間というものは、どうやら案外大変らしい。

 これまでのあなたの人生からすれば、ほんの少しの時間だろうけど。

 とても苦しくて、けれどとても愛おしい日々を、どうか愛してほしい。


 そしてミーアは暫しの眠りについた。


【4】


 赤髪の少女は倒れる。

 ぴくりとも動かない。


 けれど、周囲の誰も声を上げない。

 本当に魔女が死んだのか、確証が持てないからだ。

 どれだけ殴り、鞭を打ち、石を投げても死ななかった魔女なのだから、ふとした拍子に起き上がるかもしれない。

 皆、耳を澄ませてその瞬間に怯えている。


 そんな今、やるべきことは、わかっている。


 そんな村人たちの方を向き、英雄となった少女は叫ぶ。


「魔女は居なくなりました!」


 村人の注目が一か所に集まる。


「動かなかった私の脚は、嘘みたいに動いています。

 生まれた時から、治ることなんてあるわけがないと決まっていた脆い両脚です。

 きっとこれは魔女の呪いでした。

 彼女が居なくなったことで、呪いは解けたのです」


 呪いは解けた。

 それ自体は彼らにとってとても魅惑的な言葉だ。


 しかし、ここで村人達の間に別の不安が生じる。

 それは千年もの間、彼らが目を背け続けてきた事実。

 『魔女が居なくなったところで、何も変わらないとしたら?』という疑問。

 それを考える時が来てしまった。


 魔女が死ぬことは、なんの根本的解決にもなっていない。

 全員が全員、薄々そのことに気付いていた。


 そして、そんな彼らの不安もクラウは理解している。

 その上で、彼女は声高らかに話す。


「魔女が居なくなれば、この村は豊かになる、幸せになる。

 私たちはそう信じていました。

 そして、その通りでなければなりません!」


 例え魔女が死んだとしても。

 きっと、この村の寒さは何も変わらない。

 作物の実りだって増えることはない。


 乾燥した空気の中で、また火事が起こるかもしれない。

 今度は山中だけでなく、村にまで火が届くかもしれない。

 また、誰かを悪人に仕立て上げようとすることがあるかもしれない。


「危機はこれからも幾度と無く現れます、しかし、私たちが最も恐れていた魔女はもういないのです!

 ならばその程度、取るに足りません!」


 だから、私達は変わらなければいけない。

 ニーヴェリタは、困難を乗り越える人々の村にならなければならない。

 『魔女だった少女』が訴えているのは、そういうことだ。


 村人たちは彼女の言葉に耳を傾ける。

 それが救世主による福音ではないかと、期待している。


 けれど、やっぱり私は場違いなのではないか、とも思う。

 ああ、世の中にはもっと生きる価値のある人間がいるはずじゃないんだろうか。

 夢があって、目標があって、世の中に必要とされて、

 どうして何もない私だけがずっと生き続けているのだろう。


「魔女のいなくなったこの村で、少しの貧しさも跳ね返すほどの幸福を手に入れる、その時が私たちの本当の勝利です、そうでしょう!」


 どうして嘘まみれの私が、人々の前に立っているのだろう。

 中身なんて空っぽで、最後まで結局嘘をついて、正しいことなんてほとんどなくて……

 鏡なんてなくても、醜い自分自身はいつも目の前に映っている。

 そんな私に、大衆は希望をはらんだ眼差しを向けている。

 私だけが、価値のある皆が心から欲していた大切な寿命を消費し続けてきた。


 みんな、間違っている。

 間違っているけど、そういうものだ。


「幸せになる準備はできました、後は自分たちがそれを掴み取れるかどうか、それだけです」


 口から飛び出す出任せは嗚咽が零れそうなほどに醜かった。


 嘘をつくのはこんなに苦しいものだったのだということに、私はやっと気付いた。

 けれど、そうするしかない瞬間、そうせざるを得ない瞬間があることも確かだった。


 『それでも、生きていくしかないのだ』

 言葉にするのはとても簡単で、行うのはとても難しい。

 そんな、たった一つの事実を抱きしめた。


 何もない私は、これから先も幾度となく無力を痛感する。

 輝いた生を送る人間との間にある溝を何度も味わう。

 これまで重ねてきた罪、これからも重ねていく罪。

 自分のための嘘、生きるための嘘。

 そういったものを、死ぬまで背負っていく必要がある。


 「奇跡」と誰かが呟いた。

 一人が口にすると、他の大勢の人たちも口を揃えてそう呟く。

 生まれつき脚が動かず、治る見込みも無かったはずの少女が二本の脚で立っており、魔女を殺した。

 そして今、感情が揺らいでいた村人達の心を一つにした。

 これを奇跡と言わずして何と言うのだろう。


 けれど、当の本人、奇跡の少女だけはそれを心の中で否定する。


 そんなわけがない。

 最初から何も変わっていない。

 全てが偽りだった。

 自分と、彼と彼女による、ただの自作自演だった。


 これだけの嘘を並べてきた私に、それでも嘘を重ねさせる彼は、やっぱり優しくも何ともないんじゃないか、とも思う。


 今、どこかであなたは見ているのでしょうか。

 これが全て、あなたの望んだことなのかはわかりませんが。


 私は不安です。

 不安と後悔でいっぱいなまま、どうにか言葉を絞り出しました。

 これから先も、この村と共に何度だって苦しむことになると思います。

 私の大嫌いだった、ニーヴェリタと共に。


【5】


 この村は、私自身なのだと思います。

 沢山の問題を抱えながら、目を逸らして、他人に責任を押し付けて、そんなどうしようもないところが、どこか他人事には思えません。


 けれど、時々かもしれないけれど、優しさがちゃんとあったんです。

 千年前も、今も。


 それに、今は沢山の思い出があるんです。

 いつか色褪せてしまうとしても、大切にしたいものが、沢山。



 だから私は、もう少しだけこの村と、生きて行こうと思います。


【6】


 あの気弱な少女が、力一杯に声を張り上げている。

 そんな姿を見たバルドが真っ先に感じたのは、自分自身へのやるせなさだった。


 自分はどうして、何か一つを信じることができなかったのだろう。

 結局、旅人の青年が本当に魔女の味方なのかどうか、自分にはわからなかった。

 彼を信じたくて、けれど信じられなくて、怒りを拳に込めた。


 眼前でクラウが魔女を殺した。

 彼女は決してただの怒りや恨みで魔女を殺すような人間ではないだろう。

 涙を流しながら村人に語り掛けているのには、何か理由がある。


 強い意志を感じた。ただただ、眩しかった。


「……ッ」


 どうして自分はああすることができなかったのだろう、と思う。

 何が正しくて、何が正しくないか、考えることを放棄していた。

 正解か不正解か、なんて問題じゃない。

 騙したかそうじゃないか、なんて問題でもない。


 ただ、何か一つを信じることができなかった自分が、不甲斐なかった。


 辛気臭い村の淀んだ空気に、いつのまにか自分もどっぷりと漬かっていたのだろう。


 変わるのだ。

 自分自身だけじゃない。

 今が、この村が変わる機会なのかもしれない。


「ありがとな……クラウちゃん。そして、ありがとな……旅人の兄ちゃん」


【7】



 村人たちの騒ぎも収まらぬまま、それでもどうにかクラウは人混みをかき分ける。

 既に疲労困憊もいいところだった。


 宿までたどり着くと、玄関の前で不安そうな表情をした少女が一人。

 その姿を見て安心してしまった私の身体は、途端に力が入らなくなる。


「お姉ちゃんっ!」


 崩れ落ち、地面が膝に着いてしまう。

 そのまま身体ごと倒れようとしていた私をソレラが大急ぎで支える。


「ん……ソレラ、ごめん」

「気にしないで、疲れちゃったんでしょ。……って言いたいけど、重いよ」

「重い?」

「や、細いから軽いけど……それでもわたしには重い、だからそろそろ自分で立って……」


 そう言われた私は、地面に着いていた膝を持ち上げ、脚の裏で自分の身体を支える。


「……あーあ、私の身体、ちゃんと中身があったんだね」

「当たり前じゃん、生きてるんだから……」


 そうだ、当たり前なのだ。

 生きているから重いのだ。

 嘘をついても人は軽くならない。


「……それで、どうなるのかな、これから」

「わかんないね……私、救世主らしいし……

 これまでの立場から一転しちゃった」

「まだまだ、嘘つきの日々は続くんだね」


 ある意味、何も解決していないのかもしれない、とさえ思う。

 結局、私は嘘つきなままで、しかも辛い気持ちから目を逸らせなくなって。

 魔女をやめたからと言って、ソレラとの間に流れる時も、決して同じになったわけじゃなくて。

 いつか、どちらかが先にお別れしてしまうこともわかっていて。


 でも、そんな曖昧で不安な未来があるとしても。


「けど……大丈夫じゃなくても、きっと大丈夫だよ。

 結局最後に全部だめでも、一緒なら、笑ってられるから」

「……うん、お姉ちゃんもそう思う。

 きっと大丈夫。私達は、もう大丈夫だから」


 もう一度、強く抱きしめる。


 愛して良かった。

 この気持ちだけは、本物でありますように。

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