星が瞬く間
増田朋美
星が瞬く間
夏の暑い日だった。特に今年の夏は暑いような気がする。でも、それでもこれ以上楽な世界というものも無いだろうし、もうこういうもんだと思い込んで生き抜いていくしか方法も無いのだろう。でも、世の中そうやって割り切って生きられる人ばかりではない。その通りにならない人もたくさん居ると思う。そして、そういう人を癒やすには、自然ではなくて、人間の手でなんとかするしか無いというのも、またよく知られている事実なのである。
その日、竹村優紀さんのパソコンに、演奏依頼のメールがあった。現在は、クリスタルボウルの演奏を専門にしている竹村さんであるが、なんとなくだけど、今年は忙しいなと思われる日々を過ごしていた。クリスタルボウルというのをまず最初に解説しておくと、風呂桶の様な形の水晶でできた楽器で、その縁をマレットと呼ばれる撥で叩いたり、擦ったりして音を鳴らす楽器である。特徴的なのは、単にその梵鐘によくにた様な音がするだけではなく、マレットで縁をこすることによって、長く持続する音色が得られるということであった。クリスタルボウルと言っても種類は三種類あり、クラシックフロステッドボウルという真っ白くて重たい音色が得られるタイプと、ウルトラライトボウルという透明で比較的柔らかい音が得られるタイプ、そして、アルケミーボウルという、ピンクやグリーンなどに着色されて視野的に映えるようにしたタイプの物があった。これを何に使うのかというと、心や体を癒やしたり、気持ちよく入眠できたりするための、いわばヒーリング楽器として使用するのである。被験者の重症度により、楽器の種類を使い分ける。あるいは、被験者の希望で楽器を変えることもあった。
「えーと、富士市吉原、、、。」
竹村さんは、メールに書かれている住所を紙に書いて、こう返事を打った。
「了解致しました。それでは、明日の8時30分に伺います。かなり頭痛が酷いようなので、ウルトラライトボウルで行きます。」
そう打って、竹村さんはメールアプリを閉じた。この二三日、よくあるなと思うんだけど、病院へ行っても体には異常が無いのに、頭や体の節々が痛いと訴えてくる人が多い気がする。大体は女性が多いのであるが、そういう女性たちを扱ってくれる医者も、もうちょっと優しい態度で接してもらうことはできないものだろうかと思う。せめて笑顔で何も無いですよと接してくれていたら、彼女たちも体の症状を訴えないかもしれない。
翌日のあさ、竹村さんは専用のケースに、7つのウルトラライトボウルを入れて、車に載せ、クライエントさんの家に向かった。最近はカーナビで住所を入力してくれて、それに従って運転すればいいだけなので、道探しもしないで済むし、本当に便利だった。確か、目印として青い屋根の家だと言っていたので、その家はすぐ見つかった。竹村さんは、車を指定された場所に止め、何の迷いもなしに玄関先へ行って、インターフォンを押す。
「おはようございます。竹村と申します。クリスタルボウルのセッションに来ました。」
竹村さんがそう言うと、ちょっとお待ち下さいと言うこえがして、老婦人が部屋から出てきた。もう、70代も等に越してしまっているんだと思われる女性だった。
「えーと、昨日メールいただきました、竹村です。クリスタルボウルセッションの。よろしくお願いします。」
竹村さんが言うと、
「お待ちしておりました。佐藤です。どうぞこちらへお入りください。」
と、佐藤さんと名乗った老婦人は、竹村さんを部屋の中に入れた。
「演奏する前にいくつかお伺いしたいことがあるのですが。昨日のメールでは頭痛が酷いとおっしゃっていましたが、なにかきっかけというか、そういうことはありますか?」
竹村さんは、クリスタルボウルを置きながら聞いた。
「それがよくわからないのです。以前、お風呂を掃除していたら、急に頭痛がして、何もわからない状態になったことがありました。その時は、病院に行って、熱中症だと言われました。それで予定通りの薬もみんな飲んでしばらく過ごしてみましたが、良くならなくて。それでもう一回病院に行ってみましたが、お医者さんはもういいとしか言いませんでした。」
「それを誰かに相談したり、話たりしたことはありますか?」
と竹村さんは聞いた。
「いえ、それはありません。私は、結婚もしていないし、家族もいないし、友達らしい人もいません。こうして人に来てもらったのも、何年ぶりでしょうか。それくらい久しぶりなんです。今までは、ただ暑いだけで我慢できましたけど、そうも行かなくなってきて、それは単に年なんですかね?」
佐藤さんは申し訳無さそうにそういうのだった。
「いいえ、そんなことはありません。寂しいなら寂しいとちゃんと言えばいいのです。それに、最近では高齢者向きのサークルなんかもありますから。それに参加してみるのもいいのではないでしょうか?」
竹村さんはマレットを布巾で拭きながら言った。
「そうなんですか?」
と、佐藤さんは言った。
「ええ僕は構わないと思いますけどね。寂しいとか、タスケテとかそういうことを発言することは悪いことではありません。それに、痛いということは、自動的に体が今の状況に耐えられなくなったということでもあるので、状況を変える工夫をしてみてはいかがでしょうか。それでは、行きますよ。」
竹村さんは、にこやかに笑ってマレットを持ち直し、クリスタルボウルの縁を叩き始めた。ゴーン、ガーン、ギーン、不思議な音色だ。とても素敵な音だった。一般的に梵鐘のような音と形容されるが、佐藤さんもそう感じてくれているだろうか。演奏時間は、45分である。それ以上やるとつかれてしまう人もいるので、竹村さんはそれ以上はやめている。45分をタイマーが知らせてくれたところで竹村さんはマレットを置き、
「はいこれで終了です。」
と、言った。
「ありがとうございました。とても素敵な音です。少し楽になれたような気がします。」
佐藤さんはにこやかに笑ってそう言ってくれた。竹村さんは佐藤さんに渡された5000円を受け取って、領収書を書いて彼女に渡した。
「もし、また聞きたいなと思いましたら、連絡くださいね。よろしくお願いします。」
と、竹村さんはクリスタルボウルをケースにしまい、すぐに片付けて、佐藤さんの家を出た。本当に小さな家だけど、それでもちゃんと家もあって、食べ物もちゃんととれて、着るものには不自由していない。それなのに頭痛が治らないんだなと竹村さんはそう思った。
竹村さんが自宅へ戻ると、またメールが来た。今度は午後一時にに竹村さんの家に伺うという内容であった。今度癒やしてほしい人は、娘さんであるという。症状は、何処か痛いとかそういうことではなくて、うつ状態というか、何をする気持ちもなくなってしまい、つらい気持ちが続いているということだった。竹村さんは手早く昼食を食べて、その二人連れを迎える準備をした。今度は精神関係であるから、比較的音の作用が弱く、視野的にも美しく見えるアルケミークリスタルボウルというのがいいかもしれない。戸棚から、アルケミークリスタルボウルを7つ出して、竹村さんはそれをテーブルの上に並べ、またマレットを取って、丁寧に拭いていると、
「こんにちは。あの、連絡を致しました、馬渕です。」
と玄関先で声がした。中年の女性であるようだ。竹村さんはマレットを持ったまま、
「はいどうぞ、お入りください。」
と言って、玄関先へ行ってみると、たしかに二人の女性がいた。ふたりとも背丈は同じくらい。確かに親子ということであるのだが、なんだか娘さんのほうがお母さんと変わらないくらい老け込んでいる。普通はそうではなくて、娘さんのほうがもっとはつらつとしているはずだと竹村さんはすぐわかった。そういうことであれば、娘さんに精神疾患があるんだなと理解できた。それでは確かに薬だけでは難しいだろう。精神疾患は、風邪のように薬でどうのというものでもないので。
「馬渕さんですね。お待ちしておりました。クライエントさんは娘さんの馬渕冴子さん。鬱になったのはいつ頃ですか?」
竹村さんは二人にクライエント用の肘掛け椅子に座ってもらった。
「ええ、ちょうど二年くらい前なんですけどね。大学に入って、なんだかそこでトラブルがあったようで、それで学校にいけなくなってある日突然引きこもるようになってしまいまして。病院にも行かせたんですけど、薬を飲んでも、落ち込んだりするのがとれないというので、それで連れてきました。」
とお母さんが言った。
「そうですか。それでは直接的な原因もわからないですかね。」
竹村さんはそう聞いた。
「ええ。私達も聞いたんですけど、本人もわからないと言うものですからね。私達は、学校に行くのなんてなんともありませんでしたけど、この子にとっては大変なことだったのかな。それもわかりませんで、こうして時間だけが経ってしまいますので。」
お母さんはそう答える。
「そうですね。ご家族だけでなんとかしようということはまずできないので、こういう人間を頼ってくれていいですよ。何なら、より専門的に話を聞いてくれる人を紹介してもいいですし。まあでもいくら解決策をアドバイスされても、そのつらい気持ちを取ってくれないとどうにもなりませんからね。それでは楽な姿勢で座っていてください。今から、45分間、演奏させて頂きます。」
竹村さんはできるだけ簡潔にそう言って、マレットを持って、クリスタルボウルの縁を叩き始めた。ゴーン、ガーン、ギーン、アルケミークリスタルボウルなので、あまり強烈な音というより柔らかくて静かな音だ。それが、彼女を包み込んでくれるようなイメージを込めて竹村さんはクリスたりボウルを叩いた。
タイマーが45分を知らせると竹村さんはマレットをおいた。
「演奏は終了です。どうですか、楽になっていただけましたか?」
「ええ。ありがとうございます。」
と、彼女、馬渕冴子さんは言った。お母さんがこれをお収めくださいと言って、5000円を竹村さんに渡した。竹村さんはそれを受け取り領収書を書いた。
「ありがとうございます。」
お母さんが座礼すると、
「私、こんなふうに人になにかしてもらったのは初めてです。だって学校の先生も皆自分でやれしか言わないで、何もしてくれませんでしたから。本当に寂しかったんです。」
と馬渕冴子さんは言った。
「そうですか。本当に今まで一度も、優しくしてもらったことがなかったのですか?」
と竹村さんが聞くと、
「はい、ありません。本当にしてもらえたのか思い出せないんですよ。思い出すこともできないくらいつらい気持ちが続いていて。」
馬渕冴子さんは答える。
「そうなんですね。確かに、悲しい気持ちやつらい気持ちが続いているのは、うつ病の症状ですが、それのせいであなたがどうなるかということは気にしないでいいですよ。それは風邪を引いたのと同じだと思ってください。薬でなんとかできます。ですが、あなたも、何もしてもらったことがないというのは、ちょっと訂正していただきたいな。それはきっと無いと思いますよ。そこにあなたが気がつくことができたなら、もうちょっと楽になれるかもしれませんね。」
竹村さんは、馬渕さんににこやかに笑ってそういったのだった。
「でも、私の父や母は、仕事ばっかりして。」
「確かに過去にはそうだったかもしれませんね。でも今は違うでしょう。こうやってあなたを連れてきてくれたんですから、きっとそれでは行けなかったとお母さんも反省していると思いますよ。だから、あなたもそうしてもらえたことはないという必要は無いと思いますよ。また演奏を聞きたくなったら、いつでもメールくださいね。よろしくお願いします。」
と、竹村さんは馬渕さんに言って、二人を玄関まで送り出した。ありがとうございますと頭を下げて帰っていく二人に、竹村さんは距離が近い関係にあると、ささやかな幸せであったことも思い出せなくなるのかなと思った。家族というのは、近くて遠いものだと言うことを、竹村さんはよく知っていた。だから修復するのも難しいと思う。それはある意味人間というのが動物であるか、人間であるか、わからなくなる感覚でもあった。それがなくて、ただ獲物が手に入れば大喜びするチーターみたいな親子関係であれば、もっと改善するのかなと思った。
そして竹村さんは今度は、一番重症の患者に使うクラシックフロステッドボウルを7つ台車に乗せて、外に出た。クラシックフロステッドはとても重いのである。暑い中運ぶのはとても大変だけど、今日はクライエントが待っているので行かなければならない。竹村さんは車を走らせて、大渕にある製鉄所という建物に向かう。製鉄所と言っても、鉄を作るところではなくて、部屋を貸し出す施設であることを竹村さんは知っていた。
「こんにちは、竹村です。クリスタルボウルのセッションに参りました。」
と玄関のとを開けてそう言うと、
「待ってたのよ。待ってたのよ。ちょうど、これを聞けばご飯を食べてくれるかなと由紀子さんがあんまりいうから。それでは、よろしく頼むぜ。」
と、杉ちゃんがでかい声で言って竹村さんを迎えた。竹村さんは、クリスタルボウルを乗せた台車を動かして、四畳半へ行った。そこでクライエントさんである水穂さんが布団の上に寝ているのが見えた。また、発作を起こしてしまったようで、近くに真っ赤に濡れたタオルがあった。そのそばに、今西由紀子さんが心配そうな顔で座っていた。竹村さんは症状を聞くこともなく、クリスタルボウルを縁側に置いて、演奏を始めた。水穂さんは布団に座ろうとしたが、由紀子さんがそれを止めた。ゴーン、ガーン、ギーン、今度は重量感があって、とてもよく響く音である。確かにこれであれば単なるヒーリングというより治療という意味が強くなるに違いない。水穂さんはところどころで咳をする場面も見られたが、竹村さんが演奏している間は、一度も内容物は出さなかった。咳をする度に、由紀子さんが背中を擦ってくれていた。
また、タイマーが45分を知らせたので竹村さんはマレットをおいた。
「それでは本日は終了です。ありがとうございました。」
竹村さんがそう言うと、水穂さんは、咳き込みながらなにか言おうとしたが、
「いえ、無理して言わなくても構いません。水穂さんが日頃から感じていることはちゃんとわかっていますので。」
と竹村さんはそれを言わないでおいた。
「どうもすみません。」
水穂さんはやっとそれだけ言うことができた。そして、枕元にあった、5000円を取ろうとしたが、その前に由紀子さんがそれを取り、竹村さんにお収めくださいと言ってそれを渡した。
「はい。ありがとうございます。領収書をお渡ししますね。」
竹村さんはそう言って領収書を渡すと由紀子さんがそれを受け取った。
「由紀子さんが一生懸命世話をしてくれるとは嬉しいですね。」
竹村さんはそれだけ言っておく。
「ええ。あたしにとって、水穂さんの世話をするのが生きがいのようなものですから。」
由紀子さんはにこやかに笑ってそういうのだった。
「じゃあ、今度こそ、ご飯を食べてくれるんだろうな。しっかり食べてよ。ほら。」
杉ちゃんがおかゆの入ったお匙を水穂さんの前に突き出すと、水穂さんはそれを受け取って中身をやっと口にしてくれた。
「あーあ、よかった。きょうもまた御飯作っても無駄骨おりに終わっちまうのかと思った!」
そういう杉ちゃんだが、嫌味を言っているような感じはない。
「杉ちゃんも由紀子さんも水穂さんのことを、大事に思っているんですね。」
と、竹村さんは、大きなため息を付いた。
「あら竹村さんどうしたの?ため息なんかついて。」
好奇心旺盛な杉ちゃんがそう言うと、
「いやですね、いろんなクライエントさんに、クリスタルボウルを聞かせてきましたが、みんな自分は一人ぼっちで寂しいなと言いますけどね。それはその人が勝手に思い込んでいるっていうか、そんな感じにすぎないんじゃないかって思うんですよ。よくよく調べてみると、誰か大事に思ってくれている人が居るんです。ですが本人はそれに気づかなくて、体が痛いとかうつが酷いなど言うんです。それに気がついてくれれば、もうちょっと症状も軽減するんじゃ無いかなと思うんですけどね。」
と、竹村さんはそういった。
「そうですね。世界で一番悲しいことは、愛されていないと確信することだと誰かの本で読んだ記憶があります。」
水穂さんが彼の話をまとめるように言った。
「まあ、そこを知っている人が少なすぎると言うのですかなあ。自分は孤独だと主張し続ける人は本当に多いですけれど、案外そうでも無いんじゃないかと訂正したくなる人のほうが多いですよ。こういう仕事をしていると、ホントそれを痛感させられます。でも不思議ですね。人って口で言ってもそれがわからないというか、わかろうとしない人のほうが多いですね。」
竹村さんは、由紀子さんが真剣に水穂さんを眺めて居るのを見て、そういったのであった。
「水穂さん、あなたは血縁関係者以外の人を動かす力があるんですから、それを忘れないでくださいよ。それでは今日はこれで帰りますが、また演奏を聞きたくなったらいつでも言ってくださいね。」
竹村さんは、水穂さんにそれだけ言って、また重たいクリスタルボウルを台車に乗せた。由紀子さんが手伝おうとしたけれど、腰を悪くするから女性には無理だと竹村さんは言った。そして、台車を押しながら、製鉄所をあとにした。
もう晩夏になってしまっているせいか日の暮れるのは早かった。空はもう暗くなっていて、星がまたたいている。それは人間への励ましか、それともバカにして笑っているのか。どちらにも取れると思うのだが、竹村さんはそれを考えずに車に向かった。
星が瞬く間 増田朋美 @masubuchi4996
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