鬼の変遷

めへ

鬼の変遷

深夜二時、瀬田の唐橋を渡ると鬼が出るという。


昔、その話を聞いた一人の男が度胸試しに深夜二時に橋を渡った。

橋の途中、美しい女がいて声をかけてきたのだが、男は「鬼が化けているに違いない」と用心し、乗っていた馬をせかして通り過ぎた。

その女は鬼の姿を現し追いかけてきたが、男は何とか逃げ切った。

しかし鬼は男の親族に化けて、自宅までやってきたのだ。男は鬼に食われてしまったという。


瀬田の唐橋を一人で歩いていて、N君はふとそんな話を思い出したそうだ。

残業で遅くなった勤務先からの帰り道、腕時計を見るとちょうど深夜二時だった。しかし全く恐怖を感じない。

鬼なんてものは、今や幽霊以上に現実味の無いものである。それに当時の彼にとっては、幽鬼の類よりも生きているパワハラ上司や陰険な同僚、劣悪な雇用環境の方が怖かった。


明日もまた仕事である。二、三時間しか睡眠を取れないだろう。そんな事を思いながら、フラフラと橋を渡っていると


「なあ」


と背後から声がした。しかし自分にかけた声とは思わなかった。辺りには自分一人しかいなかったわけだが、激務とストレスや寝不足の頭ではそこまで考えが至らなかったのだ。

なので、ポンと肩をたたかれようやく、自分に声をかけたのだと気付いた。


振り返ると、そこにいたのはTシャツにジーパンというラフな格好の男が一人。

年齢は、辺りが暗いせいもあってよく分からない。学生のようにも見えるし、中年にも見える。どこにでもいそうな、見た後すぐ忘れてしまいそうな、普通の顔立ちの男で、しかし妙に警戒心を抱かせない親しみやすい顔をしている。

こんな夜中に見知らぬ男からいきなり声をかけられたわけだが、N君は恐怖も警戒心も抱かず、むしろどういうわけか喜びや期待を感じたという。それが激務による疲労故なのか、その男が持つ独特の雰囲気によるものなのかは分からない。


「お兄さん、疲れてそうだね。良かったらコレ使ってよ。」


そう言って、男はN君に小さな小瓶を差し出した。瓶の中には錠剤らしきものが詰め込まれている。


違法薬物の類だろうか、とようやく警戒心を抱いたN君は「いや、けっこうです。」と言って後退った。

男は拒絶されても顔色一つ変えず、「そっか、じゃあね。」と手を振り、去って行くN君を見送った。


数日後、N君は深夜の唐橋を一人、渡った。今度は狙って二時に来たのだ。

そして橋の中ほどまで来た時、その男はまるでN君が来る事を知っていたかのように、そこに佇んでいた。


何も言わず小瓶を差し出す男の手から、N君はそれを受け取った。


「その錠剤を飲むようになってから、全然睡眠とってなくてもしんどくないし、気持ちは明るくなるし…何でもっと早く、あの男と会えなかったんだろうって思います。」


瞳孔の開いた目をギラギラ光らせながら、N君は興奮気味にそう語った。


「でもその薬、二回目からは無料じゃなくなったんですよね。しかも、回を追うごとに高額になっていく…まあ、背に腹は代えられませんから払うんですけど。もう、あれ無しじゃ生きていけないですし。」



ひょっとして、N君が最初に危惧したように違法薬物ではないか?と尋ねると


「かもしれませんね…いや、きっとそうなんでしょう。

でも、もういいやって…だって、ただでさえクソみたいな人生ですし。

このクソみたいな生活を忘れさせてくれるなら、もう違法薬物でも何でも良いから縋りたい気分なんです。」


それからしばらくして、N君と全く連絡がとれなくなった。

そして風の便りに知ったのが、彼がヤクザの家へ強盗に入り、その後消されたという事だった。

最近、特殊詐欺以上に裏稼業として流行っている犯罪が強盗らしいのだが、ヤクザの家に強盗を働く者は、たいていが薬中らしい。

おそらくN君は薬を買う金欲しさに、強盗に手を染めたのだろう。


N君が唐橋で会ったのは、やはり鬼だったのではないか。

時代と共に、鬼や妖怪も姿を変えるのかもしれない。


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