星空と缶コーヒー
秋犬
星空と缶コーヒー
祖母が死んだ。
以前から入退院を繰り返していたみたいだが、いよいよその時が来そうだと母は父を連れて先に現地へと向かっていた。俺も仕事の都合がつき次第向かうということになっていたが、思いの外容態が早く急変した。急がず来いと言われても、遂に駆けつけなければならないと思うと、やはり気は焦る。
冬が近づいてきたその日の遅く、西へ向かう新幹線の乗客はまばらだった。向こうの駅に着く予定の時間を母に知らせると、駅まで車で来てくれるらしい。それまでの数時間、何もすることはない。
(久しぶりだな、ばあちゃん家)
最後に帰省したのは大学生になった年のことだった。「合格祝いもらったんだから一応ばあちゃんに報告しないと」と両親に連れられて行ったんだった。特に何もない田舎の町。小さい頃は見慣れない景色にワクワクしたけど、そのうちどこにでもある町だと気がついて両親の帰省について行くのが嫌になった。混雑する新幹線に乗るくらいなら、家でのんびりゲームしている方がよかった。
(もっと、ばあちゃん家行っておけばよかったな)
後悔しても時は戻らない。新幹線が動き出す。英語の車内放送。普段見ない新幹線の座席にある雑誌。もうじき無くなるという車内販売のカート。そして、祖母が死んだばかりでしょんぼりしている男の顔が暗い窓に映っている。
「お疲れですか?」
気がつくと次の停車駅に着いていた。そこから乗り込んで来たのか、俺の隣に青いワンピースの女の人が座ってきた。
「ええ、まあ」
面倒くさいな、こんな時に話しかけてくるタイプのおばさんはだいたい何か厄介なことを言ってくるんだ。
「よかったらどうぞ」
おばさんは俺に缶コーヒーを差し出す。知らない人からものをもらうのは気が引けたが、相手がおばさんだと何故か大丈夫な気がする。
「いえ、そんな結構です」
「いいのよ、間違って買ってしまったの。よかったら飲んで」
とりあえず断っておいたが、おばさんは笑顔で俺に缶コーヒーを差し出してくる。
「じゃあ、遠慮なく……」
断りきれなくて俺は温かい缶を受け取る。そのまま飲む気にもなれず、缶コーヒーの温もりを手のひらに押し込める。
「こんな時間までお仕事ですか?」
「いや、身内で不幸がありまして」
「それは、お気の毒で……」
おばさんは遠慮なく話しかけてくる。面倒くさいと思いながらも、一人で窓の外を眺めているよりマシかもしれないと思い始めた。
「私はこれから主人に会いに行くんです。何だか嬉しくて……すみません」
「いえ、何か話していた方が気が紛れますので」
「そうですか」
それからおばさんとぽつぽつと世間話をした。亡くなったのは祖母であること、事情でおばさんと旦那さんは離れて暮らしていたけど、やっと会いに行けること、おばさんには娘がひとりと息子がふたりいること、俺はまだ結婚なんか考えていないこと、などなど。
電車で隣になった人とこんなに話しこんだのは初めてだった。他人のような気がしないおばさんと話していると、あっという間に目的地に着いた。俺が降りると言うと、おばさんは寂しそうに手を振った。俺は一期一会に感謝して、新幹線を降りた。
「夜遅くに大変だったね」
改札で久しぶりに会った母は平気そうにしていた。しかし、どこか小さく見えた。俺もこの母が死んだら小さくなるのだろうか。この人生で避けがたいイベントを迎えている母のために何が出来るか、俺は考えていた。
***
葬式は慌ただしく終わった。長女の母が弟の叔父夫婦たちとバタバタと駆け回り、俺と父が何となく中に入れないような疎外感があった。それでも父は倒れそうな母を支えて、俺は何とか母の荷物を持って後についていた。そんな中、祖母だけ写真の中でにこにこしていて、後はみんな祖母に振り回されているようだった。
ようやくひと段落して、祖母の家に帰ると遺影を前に皆が集まった。中学生の従兄弟が親族の中で居場所がなさそうにゲームを始めた。
「そう言えば、不思議なことがあってな」
急に遠方に住んでいる叔父が話し始めた。この叔父だけが死に目に間に合わず、駆けつけた時に大変だったというのは後から聞いた。
「やっと飛行機に乗って、安心したのかな。急に眠くなって、気がついたら母ちゃんが隣にいてさ、お前はよくやってるねえって言うんだよ。あの青いワンピース着てさ、好きだったよなアレ」
叔父の話にみんな涙を流した。その中でひとり、俺は新幹線で隣の席に座ったおばさんを思い出していた。
「ああ、あのワンピース」
「母ちゃん、若い頃好きでよく着てたな。いい顔で写ってた写真があったはずだ」
「あの頃は死んだらこれを遺影にしろとか言ってたな」
「魂になっても着てるなんて、よっぽど好きだったのね」
「どれ、探してくるか」
母と叔父たちでアルバムを探しに家の二階へと向かっていった。俺はそっと部屋を抜け出すと、外へ出た。冷たい星空の下で、すっかり冷えた缶コーヒーを開けて呷った。
それは死んだ人の夢でもなんでもなく、何の変哲もないただの缶コーヒーだった。
「まさか、な」
偶然俺の隣にも世間話好きの青いワンピースのおばさんが座った、それだけだ。
それから数日諸々の片付けをして、俺は両親と帰りの新幹線に乗った。再会なんて叶うはずもない、どこの誰だか知らない青いワンピースのおばさんがどこかで見ているかもしれない。そう思うと、背筋を伸ばさずにはいられなかった。
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