地下鉄で、君と

@koukyou_1789

第一話

『まもなく 南郷7丁目 降り口は右側です 開くドア 足元にご注意ください』

札幌市営地下鉄東西線のアナウンスが、今まさに眠ろうとしていた私の耳に入ってきて私は頭を上げた。南郷7丁目駅。私が今初めて降りようとしていた駅である。東西線の終着駅である新さっぽろ駅から出発して5駅目のおよそ10分。私は地下鉄駅巡りで歩き疲れた体を動かし、地下鉄を降りた。

降りてすぐに、目の前に広がるホームの景色に違和感を覚えた。そしてすぐにホームが3つあることに気づいた。今いる宮の沢方面のホームが二つと、奥にある新さっぽろ方面のホームが一つ。そして線路が今降りてきた一面と逆方向行きの一面、そして真ん中に一面。それに気づいた瞬間私の眠気は綺麗に吹き飛んだ。こんな面白い構造の駅、初めて見た。奥の線路は新さっぽろ行きのものだから地下鉄は来るだろうけど、真ん中の線路にはどのタイミングで地下鉄が来るのだろうか?私は疑問に思って、来るまで待ってみることにした。

次の地下鉄はさっき降りてきたところ、その次も降りてきたところ、そしてその次もまたさらにその次も…。

「いつ来るの〜!?」どれだけ待っても真ん中のホームに地下鉄は現れず、私はついに音を上げた。その時、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと私と同じくらいの年齢の男の子がこちらを見ていた。パッと見、目立つようなタイプではないけれどさっぱりした印象の好青年だった。

「あの、ここは始発専用なので今は来ませんよ」

青年がそう話しかけてくる。始発専用。いくら待っても来ないわけだ。

「そうなんですね。でもなんでここが始発駅なんですか?別に終点ってわけでもないのに。」

「東西線が開業した当時は琴似から白石までの区間でした。それが新さっぽろまで延伸した時、今まで始発だった白石駅の利用客が多かったので一つ前の南郷7丁目も始発駅にしたんですよ。」青年は迷うことなくこたえ、スマホで駅名標を撮り始めた。

その姿を見た私は確信した。彼は私が田舎から札幌へ引っ越してから、そして地下鉄に見事にハマってから未だ出会ったことない同じ趣味を持つ人間であるということを。

「あの、地下鉄、好きなんですか?」

考えるよりも先に声が出た。せっかくの出会いを無駄にしたくはなかった。

青年は驚いたようにこちらを見る。わたしは高鳴る胸をおさえ、構わず続けた。

「もしよかったら私と一緒に地下鉄駅巡り…しませんか?」

これが、私と彼との初めての出会いだった。


あれからおよそ2週間が経った5月上旬。

世間はゴールデンウィークの真っ只中で、札幌市営地下鉄の3つ全ての路線が通るここ大通駅の構内はたくさんの人で溢れかえっている。

私は人混みをかき分けながらあの日南郷7丁目駅で出会った青年、薄木 通を探していた。あの日、見ず知らずの私の急な誘いを薄木君は驚きながらも快く受け入れてくれた。彼は私より一つ上の高校三年生で、感じた通り、同じ趣味を持っていた。その日はもう遅かったのでそれまでになったが、私は彼とLINEを交換し、今日この日に大通で会う約束をしたのだった。

「えっと…南北線の北改札口の前で、服装は…」

私はLINEで送られてきた情報を元に薄木君を探した。その通りに北改札口の前に行くと、あの時あった青年が姿を現した。

「ひさしぶり、益岡さん」

彼は微笑みながら私の苗字を呼んだ。

「ねえ、今日はどこ行く?早速乗っちゃう?」

「それもいいけど、まずはどこかでちょっと話さない?ほら、まだ会ったばかりでお互いのことまだしらないから」

「そうだね!」

私達はコンビニで飲み物を買い、駅の構内のベンチに座って少し話すことにした。

「ねえ、薄木君が地下鉄に興味を持ったきっかけって何?」

私は早速問いかける。

「僕は小さい頃から札幌に住んでてよく使ってた、からかな。高校に入ってから毎日使うようになったからそれもあるかも。益岡さんは?」

そう聞かれ、私は少し物思いに耽った。

「私は…なんだろう。私、札幌に来たのは中学3年生の時で、それまでは電車もないような山奥の田舎町に住んでたから、なんか珍しかったのかもしれない。最近ハマったばっかりだから、まだ行けてないところもあるんだ。南北線の南側とか名前は知ってるけどまだ全然行ったことない」

「それじゃあ、行ってみる?」

「え?いいの?…行きたいところとかあるんじゃなの?」

「ううん。いつも駅を巡る時は特に行き先を決めないでいくんだ。その時の気分で行くっていう感じ。」

「そうなんだ、じゃあ早速行こうか!」

そう言って私は勢いよく立ち上がった。


札幌市営地下鉄南北線。札幌市の北区と中央区、豊平区と南区を通る路線で、札幌市営地下鉄の中でも1番最初に開業した路線である。

私達は改札を潜って階段を降り、人で溢れかえっている南北線真駒内行きのホームにいた。ここから終点の真駒内駅までは9駅でおよそ16分かかる。

しばらく待っていると向かって右側から地下鉄が接近メロディーと共に入線し、たくさんの人に半ば押されるようにして乗った。

地下鉄の中はとても混んでいて席は空いていなかったので、2人で電光掲示板の前に立つことにした。

「薄木君」

私は隣に立つ彼の横顔を見ながら問いかける。彼の切れ長の目はずっと電光掲示板へ向けられている。

「あの時、私の誘いをどうして受け入れてくれたの?」

彼の目線がその時初めて電光掲示板から外され、代わりに私の方へ向けられた。

「あ、えっと悪い意味じゃなくて、急だったのに嬉しかったから…」

いつも私の問いにすぐ答えてくれるのに、今回だけは少し間が空いて私はしどろもどろになる。何か変な意味に捉えられたのではないかと心配した。そんな私の心配をよそに薄木君は照れくさそうに笑いながら言った。

「同じくらいの年で、初めて同じものが好きっていう人だったからだよ」

薄木君の口から、私が彼を誘った理由と全く同じ理由が飛び出してきて思わず笑った。

「私が君を誘った理由も、おんなじ」私達は顔を見合わせて笑った。

それから暫くは他愛のない会話を続けた。それぞれの今までの学校生活のことや、私が初めて地下鉄に乗った日のことなど。そうしていくうちに地下鉄はいつの間にか平岸駅を出発していた。もう少しで次の南平岸駅に着こうかというところでいきなり視界が明るくなった。

「うわっ」

急な光のせいで、私は思わず目を閉じた。再び目を開けると、地下鉄に乗っているはずなのに窓から外の景色が見えた。そういえば、南北線の南平岸駅から真駒内駅の間は地上を走るのだと聞いたことがある。こちら側に初めて来たことと地下鉄から見える地上の景色が新鮮で、私は終点に着くまで窓の外に見入っていた。

「いきなり地上に出て驚いた?」

終点の真駒内駅に着いて、地下鉄を降りてすぐ薄木君が悪戯っぽく笑って話しかけてきた。

「うん。聞いたことはあったけど、初めて見たから。」

「この南北線は、1972年の札幌五輪に間に合うように作られたから南平岸からここまでは地上を走るんだ。あと、地下鉄が来るときに接近メロディーが流れたでしょ?あの曲も札幌五輪のテーマ曲だったんだ。」そう説明する彼の顔は輝いていて、眩しすぎるくらいだった。

駅の外にはバスがたくさんならんでいた。ここから南へいくにはバスが必須になるためである。今回はバスには乗らず雑談をしながら周辺を少し散策し、その後はまた大通に戻ってお昼を食べたり大通公園を歩き回った。彼といる時間は楽しくてあっという間で、気づけば夕方になっていた。

「今日はありがとう、通君」

夕方の大通駅は相変わらず混んでいて、小さな声は喧騒にかき消されてしまいそうだ。私は少し声を大きくして彼の名前を呼んだ。なんだか少しくすぐったい気がした。通君は少しほおを赤らめながら返事をした。

「ありがとう。また会おうね、美月さん」


ゴールデンウィークが終わるとすぐにテスト期間が始まり、受験生の通君はもちろん私も勉強に追われる日々が続いた。なので数回会うことはあってもなかなか長い時間会うことは出来なくなってしまっていた。

『よかったら、16日の神宮祭に一緒に行かない?』

通君からそんなラインが来たのはちょうど定期テストが終わった日のことだった。


6月16日。私は激混みの南北線の車内で、顔が思わずにやけそうなのを抑えながら立っていた。地下鉄に乗っている時間は長くないはずなのに、やけに長く感じられた。

『間もなく 中島公園 降り口は左側です』

ドアが開くと同時にたくさんの人が波のように押し寄せてきた。私は転ばないように、でも思わず小走りになりながら改札を降りて外へ出た。外は雲ひとつない青空。いつもは静かなはずの公園も今日は人々の浮き足だった熱気に飲み込まれていた。

北海道神宮例祭。6月14日から三日間開催される札幌まつりとも呼ばれ100年以上の歴史を持つ祭りである。今日はその最終日だった。

生まれ故郷ではなかなか感じられない人の多さと賑わいに驚きながら私は周囲を見渡し、通君を探した。幸い、彼は駅のそばにいてすぐに見つかった。

「美月さん、久しぶり!浴衣、とっても似合ってるよ!」

「ありがとう」

私は微笑みながら浴衣の袖を振ってみせた。

「それじゃあ行こうか。混んでるからはぐれないようにね」

屋台はどこも行列ができていて、人々が進むペースもとてもゆっくりだった。屋台の美味しい匂いが漂ってきて、私の舌を刺激した。

「ねえ、2人でりんご飴食べない?」

飴を売っている屋台が見えてきて、私はそう提案する。通君も賛成してくれて、2人で並んでりんご飴を買った。真っ赤で大きくてツヤツヤで、いかにも夏祭りという感じだ。

「それじゃあいただきます。…あれ、固い」

通君は食べるのに苦戦している。戸惑いながらりんご飴を舐める彼がなんだか愛おしくて、私は思わず笑った。

「思いっきりかぶりついたらいいよ。」

「ありがとう。ん、おいしいね!」

通君は無邪気に笑った。

りんご飴を食べた後はまた屋台が立ち並ぶ道を歩き、ヨーヨー釣りや金魚すくいをした。お祭りにきたことが久しぶりの私も通君も、まるで小さな子供のように笑って楽しんだ。

「お好み焼き2つお願いします」

遊び疲れてお腹が空いた私達はお好み焼きを頼むことにした。人が多かったので、通君に待ってもらって私が注文しに行った。

「はい、どうぞ」

差し出されたお好み焼きはできたてで熱く、とても美味しそうだった。

「通君!買ったよ。食べよう!」

私はそう言いながらあたりを見渡す。しかしいくら探しても通君が見つからない。

「通君?」

私は不安にかられながら辺りを歩き回る。人々の笑い声や屋台の音楽が今は一層大きく感じられていやに耳についた。ちょうどその時、公園内に放送が流れた。迷子の男の子の母親を探す放送だった。私は泣きそうにながらひたすら歩いた。今は人が少ない場所に行きたかった。

「そうだ、電話…」

人がまばらな場所に出て、ようやく冷静になった私はスマホを取り出す。通君からの不在着信が既に何件か入っていた。

「もしもし、通君」

『美月さん!今どこにいるの?』

そう言われて辺りを見渡す。必死になって歩いたため公園から外に出てしまっていた。

「えっと、アーチのある橋の近く。水色のダイヤ型がついた電柱があるところ」

私は今目の前に見える光景をそのまま伝えた。

「…幌平橋だね?今行くから待ってて。」

その電話が切れてから数分後、通君が姿を現した。

「よかった、会えた…。ごめんね、急にいなくなって」

「ううん、いいよ。お好み焼き食べる?」

「そうしよう」

私達は幌平橋の上のベンチで食べることにした。ここなら人も少なくてゆっくり話せそうだった。お好み焼きはすっかり冷めているはずなのに何故か温かく感じられた。

「おいしかったね」

お好み焼きを食べ終わって私達は立ち上がった。私達が今いる場所は幌平橋駅と中の島駅のちょうど中間地点である。私達は一旦大通へ行くことにした。

南北線に乗って大通駅へ行き、外に出ると、私達の前をちょうど豪華絢爛なお神輿が通るところだった。最終日である今日は北海道神宮の神様を乗せたお神輿が1000人以上の市民と共に市内を練り歩く神輿渡御が行われるのだった。

「この後、このお神輿は北海道神宮頓宮に行くからついて行ってみようか。」

通君が提案してきて私は頷く。私達は太鼓や笛による演奏を楽しみながら多くの人で溢れかえる歩道を一緒に歩いた。

10分ほど歩いたところで北海道神宮頓宮についた。頓宮の周りもたくさんの人で溢れかえっており、私はその熱気に圧倒される。そのうちお神輿も到着し、駐輦祭が執り行われた。

私は賽銭箱の前に立ってお賽銭を投げ入れた。そして目を瞑ってしっかりと願った。

『これからも、2人でいられますように』


7月に入って夏本番になると、通君の受験勉強はいよいよ忙しくなってきた。

2人で行く予定だった7月下旬の豊平川の花火大会は模試の前々日だったため行けなくなってしまった。通君はとても申し訳なさそうにしていたけど、私はあまり気にしていなかった。通君には第一志望の大学に受かって欲しい。まずは自分の未来のことを考えていて欲しかった。

でも1人で乗る地下鉄はいつも何かが足りない気がして寂しかった。それに、私は2人で一度JRにも乗ってみたかった。二つの相反する想いが心の中で渦巻き、激しい葛藤が私を襲っているといつの間にか夏休みへ突入していた。

夏休みに入っても私はまだ葛藤の最中にいた。

夏休みだから1日くらい誘ってもいいだろうという気持ちと、通君の勉強を邪魔させてはいけないという二つの想いがぶつかり合って私を悩ませた。

勝ったのは、前者だった。


夏真っ盛りの札幌駅は多くの観光客で賑わっていた。

「美月さん!誘ってくれてありがとう」

観光客をかき分けるようにして通君が現れた。私は夏休み中、1日だけでもいいから通君に会いたくて思い切って誘ったのだった。

「受験勉強忙しいのに誘っちゃってごめんね」

「全然いいよ。むしろ嬉しい。…でも、どうして『こっち』なの?」

そう、今私たちがいるのは地下鉄さっぽろ駅ではなくてJR札幌駅なのだ。

「たまにはJRでもいいかなって思って。切符買って行こうか」

人だかりを潜り抜け改札を通った私達は学園都市線のホームへと向かう。

学園都市線とは札幌市の桑園駅を起点とし隣町の当別町北海道医療大学駅を結ぶ鉄道路線で、本来は札沼線という名称である。目的の駅までは11駅。思ったよりも空いており席が空いていたので座り、列車に揺られながらしばし窓の外を眺めていた。いつも地下鉄に乗っていたためあまり見慣れない景色が見えてワクワクが止まらなかった。

しばらくは住宅街が続いていたがやがてそれも見えなくなり、札幌市を抜けたところで畑ばかりが見えるようになった。目的の駅まではもうすぐである。

駅に着いて​列車が止まり、私は通君の手を引きながら降りた。周囲には畑が永遠に広がっており、空は晴れ渡っていてとても気持ちが良い。

私たちがついたのはロイズタウン駅。この駅は2022年に開業したばかりの当別町にある新駅である。ここから少し歩くとロイズふと美工場に着く。今回私は、開業したばかりのここに来ようと通君を誘ったのだった。

工場には私たちの他にも多くの家族連れで賑わっていた。

施設の中に入ってすぐに売店があり、私はまずそこで買い物をすることにした。

「ねえ、一緒にソフトクリーム食べない?」

私がチョコを選んでいると通君がそう声をかけてきた。確かに今日は真夏日で倒れてしまいそうなほど暑く、例に漏れず私も涼みたかった。私は会計を済ませた後、ソフトクリームを買う列に並んだ。

ようやく私達の番がきてソフトクリームを手に入れたあと、外に出て食べることにした。

「うわ、もう溶けそう!」

涼しかった施設の中から出ると余計に外が暑く感じた。ソフトクリームも徐々に溶けてきていて私は声をあげた。急いでソフトクリームを舐めると口の中にひんやりとした感覚と幸福感が広がった。

「うん、美味しい」

よほど暑かったのか通君はもう半分も食べ終えてしまっている。

「食べるの早いよ〜」

「え?だっておいしいから」

私達は顔を見合わせて笑った。

その後、ソフトクリームを食べ終えた後は工場内を見学した。その時の通君の姿はいつもよりも無邪気で笑顔で、私はなんだか胸がドキドキした。

「まだ時間あるけどどうする?」

工場からでた後、私はそう声をかける。時間はまだ12時を少し過ぎたあたりで私はまだ一緒に遊んでいたかった。

「どうしよう。あ、百合が原公園とか行ってみる?今の時期ならちょうどユリも咲いてるはずだよ」

「そうしよっか」

百合が原駅までは同じ学園都市線で5駅。私達は工場を去って駅に戻り、ちょうど来た列車に乗り込んだ。真昼間の眩しすぎるくらいの日光が私達を照らしている。通君の方を見ると彼は静かに目を閉じている。彼の長いまつ毛が日光に照らされ輝いていて、私は思わず魅入ってしまっていた。

『まもなく 百合が原 百合が原です ホームは左側です』

そうしているうちに列車は目的の駅に着いた。ここから降りて少し歩くと百合が原公園に着く。

公園内はいろいろな種類の色とりどりの花が咲き乱れている。少し歩くとユリの咲くエリアに近づいてきて、ユリの甘く芳醇な香りが風に乗って広がり私の鼻腔をくすぐった。

「見て!綺麗だよ」

通君が声を上げながら走り、ユリの花畑の中の小道に入っていった。花は優雅に咲き誇っていて、風に揺られる姿はまるで芸術作品のようだ。花弁が幾分か和らいだ真夏の日差しに当たって輝いている。私も通君に続いて小道に入る。まるで結婚式のワンシーンのような情景に、私は胸の高鳴りを抑えられないでいた。

「そういえば、これあげる」

私はそう言って、通君に小包を渡した。

「さっき買ったものだけどどうしてもあげたくて」

「いいの?ありがとう」

通君はパッと顔を輝かせた。

それからは2人でゆっくり公園内を散策した。途中、公園内を走る列車を見かけた。列車は花と木の中を進み、それによって起こされた風が私の頬をそっと撫でた。目の前に広がる景色はまるで絵画のようで、私はまるで夢を見ているかのような気分で歩いていた。

「そういえば」

通君が急にそういったのはもうすぐ一周しようかという頃だった。昼間にはあれほどまでに眩しく強かった日差しも今はだいぶ落ち着いて私達に柔らかく降り注いでいる。

「9月にモエレ沼でやる花火大会、一緒に行かない?その日だったら模試もないから行けるよ」

それを聞いた時、私は全身から嬉しさが溢れ出てくるような気がした。私は大きく頷いて返事をした

「うん!」


それからというものの、私は花火大会の日が待ちきれずにいた。毎日のように目を輝かせながらカレンダーを眺めてはあと何日、あと何日と胸を踊らせていた。授業中など日常のふとした瞬間にも彼と会うことを思い浮かべては集中が続かなくなってしまっていた。

その日が近づくにつれて私は秘めていたはずの興奮がおさえきれなくなっていて、前日の夜はワクワクでなかなか寝付けなかった。


9月に入ってすぐ。夏本番はすでに通り過ぎたとはいえ、まだまだ残暑の厳しい日が続いていた。

「通君、お待たせ」

「お待たせ。…あれ、その子は?」

「私の妹。どうしてもついて行きたいって言うから連れてきちゃった。」

今年度に入ってからもう何度も来ている大通駅で私達は待ち合わせをすることにしていた。本当は2人で行く予定だったのだが、まだ小学生の私の妹がどうしても一緒に行きたいと駄々をこねたため、連れて行くことにした。

「そうなんだ。こんにちは。お名前は?」

通君がかがみ込んで妹に尋ねる。私の陰に隠れていた妹だったが、すぐに出てきて挨拶をした。

「こんにちは。益岡 星乃だよ」

「こんにちは、星乃ちゃん。僕は薄木 通。それじゃあ、そろそろ行こうか」

ここからモエレ沼公園までは地下鉄東豊線に乗り、そのあとはバスに乗って向かう。

東豊線大通駅のホームは色とりどりの浴衣を着た人で溢れかえっていた。東豊線は、東区と中央区と豊平区を通る4両編成の路線で札幌市営地下鉄の中で最も新しい路線である。大通から4駅目にある環状通東駅でバスに乗り継ぎ、そこから約20分ほどで到着した。

外に出ると晩夏のムッとした空気が肌にまとわりついてきた。人々の楽しげな声を縫うようにしてコオロギの鳴き声が聞こえてくる。もうすぐ感じられなくなるであろう儚い夏の夜の空気を私は思い切り吸い込んだ。

時刻がちょうど午後7時になった。花火の打ち上げ開始時刻である。

私も知っている曲が流れ始め、それと同時に極彩色の花火が夜空に天高く舞って闇夜を照らした。起伏のある地形を活かした立体的な演出に、まるで星々が地上に舞い降りたかのような感覚を覚え私は息を呑んだ。

「すごい!!キレイだよ!」

星乃が目を輝かせながら空を指差し、そういった。

「綺麗だね」

花火に照らされた通君の顔がそれに負けないくらい輝いた。私も思い切り笑い返し、それからは曲と花火の織り成す美しい光景に身を任せていた。一つの花火が儚く散ったかと思うとまた別の花火が優雅に空を舞う。どれひとつとして全く同じ花火はなく、目を楽しませてくれる。花火が打ち上がるごとに周りの人々から歓声と感動が広がった。

曲は今までの明るいものからは打って変わり、繊細で切ないものに変わった。私はまるで夢を見ているかのようだった。花火が打ち上がり消えていくのと同時に私の脳裏にも今までの思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。

初めて通君にあった日のことも、2人で全部の駅を巡った日のことも、夏祭りの日のことも、夏休みのことも。この数ヶ月で2人で作った数多の記憶に想いを馳せていた。

花火の上がる1時間は思っていた以上にあっという間だった。クライマックスを迎え、今まで以上の煌めきが私達を照らし、それらの花火も今までのものと同じく儚く消えていった。

「すごかったね。」

私はまだ花火の余韻に浸りながら通君に話しかける。会場は今までの騒がしい雰囲気から一転して撤退する人々の足音となんとも言えない虚脱感に覆われていた。私達は星乃を真ん中にして手を繋ぎ歩いている。

「そうだね!楽しかった」

「ねえ、お姉ちゃん、お兄ちゃんのおよめさんになったら?」

星乃がいきなりそう言い、私達は一瞬固まる。

「え?」

私の体温が急にあがり、顔が真っ赤になっているのがわかった。

「ちょ、ちょっと星乃!いきなり何言い出すの!?」

通君も顔を赤くしながら驚いたようにこちらを見ている。

「そうしたら、またみんなで一緒にあそべるよ!」

星乃が邪気のない笑顔を作る。

「それはそうだけど…。なんかごめんね、妹が急に変なこと言って」

「ううん。確かに僕たちが結婚したらずっと一緒だよね」

そう言って笑う彼の横顔がどこか寂しそうに見えたのは、『歓楽極まりて哀情多し』のためだったのだろうか。


あの花火大会の日から数日後僕は家でパソコンに向かっていた。画面には願書申し込み手続きの文字が浮かび上がっている。高校3年生になってからいろいろなことがあったなと思いにふける。受験勉強が辛くなった時もあったけど、そんな時はいつも彼女の笑顔を思い出しながら頑張っていた。花火大会が終わった後、彼女はまた一緒に来ようねと言ってくれたけど。僕は全ての入力を終えて『確定する』のボタンにカーソルを合わせた。これを押してしまえばもう後戻りはできない。小さく息を吸い込んでボタンを押す。

将来への希望と共に取り返しのつかなくなった悲しみが僕を襲った。


季節は秋を通り過ぎて初雪がもうすぐ降ろうかという頃までになっていた。私はすっかり冷え込んだ初冬の大通公園にいた。花火大会の日以来、通君とは会っていなかった。木々はすっかり葉を落としており冷たい風が私の頬に当たる。殺風景さの目立つこの時期はあまり好きではなかった。

通君がどこの大学に行くのか、私は知らないでいた。どこを受けるにせよ、通君には第一志望に必ず受かってほしいし、来年落ち着いたらまた一緒にいろいろなところに行きたい。そこまで考えて私は苦笑する。来年は私が受験生になるのに。私は地下に降りた。外にいても冷たい風が私を余計に悲しくさせるだけだった。

外が寒いこともあってか、地下は多くの人で賑わっている。その喧騒の中でも私は楽しくなるはずはなく、ただ自分だけどこか取り残されてしまったのかのようだった。私は家に帰ろうと東西線のホームに向かう。東西線に乗るといつも通君と初めて会った日のことを思い出す。あの日からもうすでに半年以上が経過していた。私は人をかき分けて東西線に乗り込み、静かに目を閉じた。


11月もすでに後半に差し掛かろうとしていた。雪国である北海道ではもうすでに雪がかなり積もっていた。雪が降って寒くなるとどうしてもどこかへ行こうという気が薄れてしまう。雪が降る前の殺風景な時期も嫌だが、冬はもっと嫌いだった。明るい時間が極端に短く、どうしても憂鬱になってしまう。通君に2ヶ月会えていないこともそれに拍車をかけていた。私は自室にこもってスマホの写真を見ていた。最近はこうして春から夏の写真を見る時間が多くなっている。写真を見ているうち、どうしても通君に会いたくなってしまって私はたまらずLINEを開いた。1日ぐらいもらってもいいよね。私は罪悪感を押しつぶしながら画面に文章をうちこんだ。

『もし良かったら、イルミネーション見に行かない?』

既読がつくまでの間、私は激しい鼓動を感じていた。迷惑に決まっている。でもどうしても会いたい。しばらくすると既読がついてすぐに返事が返ってくる。

『いいよ、いつにする??』

私が思い切り叫んでリビングにいた家族に驚かれたのは、言うまでもない。



「寒い」

私はそう言って両手を擦り合わせる。11月後半の土曜日に、私は通君と大通公園で会う約束をしていた。まだ夕方でライトアップは始まっていなかった。

「お待たせ、寒かったでしょ?」

いきなり通君が現れて私にカイロを渡してくれた。

「いいの?ありがとう」

通君の気遣いに感謝しながら私はカイロを思い切り揉み込んだ。

「もう少ししたらつくかな?」

時刻は午後4時半手前だった。何時くらいになったらつくんだろう。私がそう思った時、いきなり視界が明るい光に包まれた。ちょうど点灯したのだった。

「すごい!!」

私は思わず声を上げた。先ほどまでは夜の闇に包まれていた公園が一気に煌めき、私達を優しい光で包んだ。

「綺麗だね。写真撮らない?」

通君がそう言って私は頷く。光輝くオブジェの前で私は並び、写真を撮った。

横断歩道をわたり別の区画に行くと、また違った色のイルミネーションが公園を彩っている。点滅する様々な色の光が周囲に広がり、まるで夢の中にいるような感覚だった。

私達は2人でたくさん写真を撮った。一瞬でも多く、2人の時間を記録しておきたかった。時間が過ぎるのが早く、点灯からもうすでに1時間以上が経過していた。外はとても寒いはずなのに、不思議と気にならなかった。

「こんなに綺麗なんだね。私、初めてきたからびっくりしちゃった。」

私はそう言って通君の方を見る。通君はどこか思いつめたような表情を

していた。

「どうしたの?」

「…ずっと言おうと思ってて、なかなか言えなかったんだけど。」

そう言って通君は息を吸い込み、こう続けた。

「僕、東京の大学にいくことにしたんだ」

とたん、私に雷に撃たれたかのような衝撃が走った。周りはとても明るいはずなのに視界が真っ暗になる。何?東京の大学?それって​…。

「ほんとうはもっと早く言うべきだったんだけど、ごめんね」

徐々に冷静さを取り戻した私は思う。私はなぜいつも、通君が札幌の大学に行くという前提で考えていたのだろう。大学ならば道外に行ったっておかしくはない筈なのに。ずっと永遠に一緒にいられると錯覚していたがそれは大きな間違いで、楽しい時間にもいつかは終わりが訪れる筈なのに。

「そっか。…頑張ってね」

私は絞りだすような声でそう言うことしかできなかった。

残酷な程に輝くイルミネーションの光が、いつまでも私と通君を照らしていた。


12月31日。早いものでもう大晦日を迎えていた。世間は年末年始のどこか寂しくて、でも楽しげな雰囲気で溢れていた。私はあの日、通君が東京の大学に行くということを知らされた日のことを思い出していた。あの言葉を聞いた時、私はまずとても大きなショックを受けた。春になれば私は受験生となり通君は遠くへ行ってしまう。私達が一緒にいられる時間はもう僅かである。しかし、だんだん時間が経つにつれ通君を応援したいという気持ちの方が大きくなってきていた。

時刻は午後11時50分。私は星乃と一緒に父親が作ってくれた年越しそばを啜りながらつけっぱなしのテレビに目をやる。テレビには日本のどこかのお寺の様子が映し出されている。もうすぐで今年も終わりを迎え、新しい年が始まる。

「いよいよだね、お姉ちゃん」

「そうだね。楽しみだね!」

テレビではカウントダウンが始まってきていた。午後11時59分。

時計の秒針が12に近づくにつれて私の緊張感は強まった。

年越しまで後、5、4、3、2、1。

『明けましておめでとうございます!』

テレビから明るいアナウンサーの声が聞こえてくる。新しい年の始まりだ。

「お姉ちゃん、あけましておめでとう!!」

「おめでとう!!!」

私は妹と新年の挨拶をした後、LINEを開いて通君にメッセージを送った。

『明けましておめでとう。今年もよろしくね。』


1月1日。年越しから​8時間あまりが過ぎた頃。私達は実は一緒に初詣に行く約束をしていた。

「よし、行こうか。…すごく混んでるね」

隣にいる通君がそう言う。東西線のホームは同じく初詣に行く人々でごった返していた。

ちょうど到着した東西線に乗り込む。目的の円山公園駅までは3駅だ。車内は溢れんばかりの人で真冬だというのに暑苦しかった。

駅に着くと、大勢の人が吐き出されるようにして下車していく。私は沢山の人に揉まれ通君とはぐれてしまわないように気をつけながら歩いた。しばらく歩くと北海道神宮についた。それまでの道のりも人でいっぱいで、いつもは静かなはずの公園も今日は騒がしかった。

神宮の境内に入り、賽銭の列に並んだ。相当な人数が並んでおり、自分達の番がくるのはまだまだ先のように見えた。

​「​もう少しで共通テストだけど、順調?」

「もちろん。バッチリだよ」

通君はそういって笑顔になる。私はその笑顔を見てキュッと胸が締め付けられるような感覚を覚えた。こうやって話せるのももう後少しだけ。

その後も会話をしているうちに、自分たちの番がやってきた。私は財布から5円を取り出して投げ入れ二礼二拍をした後に静かに目を閉じて、通君が大学に受かるように願った。

「そうだ、絵馬書いてもいい?」

参拝が終わった後通君がそう言う。私は頷き、2人で並んで絵馬を買った。

『第一志望 合格!』

通君が書いた絵馬には筆で書いたような達筆な文字で勢いよくそう書かれている。

通君が絵馬を奉納した後、私達は駅に戻った。

駅は行きとは違ってまだ空いていた。しばらく待っていると構内に回送者がくることを伝える放送が流れる

「え?回送車?こんな時間に?」

私は首を傾げる。そんな私の前に現れたのは東西線ではなく東豊線だった。

「東豊線だ!!」

わたしは驚いて声を上げた。周りに誰か知らない人がいたらきっと驚かれていたに違いない。

「なんで?なんで?」

私は興奮し切った声で通君に聞く。通君も顔を輝かせながらそれでもいつものように冷静に答えてくれた。

「東豊線の車両基地は、本当は栄町駅付近に作る予定だった。だけど土地の確保ができなくて、もう既にあった二十四軒駅付近の東西線の西車両基地を使うことにしたんだ。多分、今来たのは朝のラッシュを終えて車両基地に入庫するところのものだよ」

「そうなんだ!たまたま来て見れちゃうなんて縁起いいね!」

私は笑顔でそういった。止まっていた東豊線が二十四軒に向かって走り出し、しばらくすると東西線がやってきた。

後2週間もすれば通君の共通テストが始まる。私達は希望に満ち溢れた気分で東西線に乗り込んだ。


1月の第二土曜日。私は今日は何もない筈なのにずっとドキドキしていた。

通君からのLINEには『着いたよ。行ってくる。』と書かれている。

今日は共通テスト本番の日。共通テストは今日と明日の二日間行われる。私は通君に応援のメッセージを送ってそっとスマホを閉じた。彼ならきっと、大丈夫だ。


次の日の夜。テレビの共通テストの解答速報が終わりしばらく経った頃だった。ちょうど自己採点が終わったところだろう。私はドキドキする胸を抑えてLINEを開く。そして恐る恐る聞く。

『テスト、どうだった?』

すぐに既読がついて返信がきた。

『バッチリ!絶対大丈夫!』

それを見た瞬間私はほっと肩を撫で下ろした。彼なら二次試験も余裕で大丈夫!私はそう確信した。そして同時に、私の心の中に惜別の念が燻った。


それから時はたち、一月も終わりを迎えて2月に入った。私も来年度には受験生になるので学校のテストや模試に追われる日々が続いた。冬の凍てつく気温と、連続でやってくるテストによってなかなか自由に行動できる日が見つけられず、つまんないな、と思っていた。今日も土曜日だって言うのに模試があってどこにも行けなかった。結果はどうせ悪いんだろうな、と思いながらふとスマホのカレンダーを開く。

「うわ、明日二次試験じゃん!」

私は驚いて声を上げた。ここで落ち込んでいる場合ではなかった。明日は私の親友の人生が決まる大切な日だった。

私はLINEを開いてメッセージを送る。

『ついに明日だね!!がんばれ〜!!』

勉強中なのか既読も返事も返ってこなかったが、今はそれが逆に頼もしいほどであった。


2月の最終日曜日。僕は緊張した面持ちでとある大学の机に向かっていた。今日は二次試験の日。僕の人生を賭けた大一番である。時計の針がだんだんと開始時刻に近づいて僕は静かに深呼吸をした。ここまで精一杯努力をしてきた。心が折れそうになった時もあったけど、でもそんな時は。僕の脳裏に会って一年も経たない親友ーー美月さんの顔が浮かんでくる。大丈夫。僕ならきっとできる。脳裏にうかんだ彼女の顔に僕は力強く頷いてみせた。

「それでは 始め!」

開始の合図とともに、僕はテストの冊子をめくった。


二月ももう終わりか…。私はカレンダーを見ながらそう思った。数日前の二次試験の日の夜、通君からは『大丈夫!』と頼もしいLINEが来ていた。そのメッセージを見た時、私の中には安心感と切なさが広がっていた。もうすぐ今年度も終わり、私達は違う道を歩き始める。今度は私ももっと忙しくなるだろう。そうなれば今年度のように沢山遊びに行くことはできなくなる。結果はまだわかっていないが、いずれにせよその場にはもう通君はいないだろう。

合格発表まではあともう少しである。私はその日まで、複雑な感情が入り混じって胸がドキドキして、碌に眠れなかった。


遂にこの日がやってきた。僕は緊張で震える手を必死に動かして大学のホームページを開く。今日は第一志望の大学の合格発表の日だった。画面に受験番号の入力画面が映し出される。僕は自分の受験番号を入力し、間違いがないか何度も何度も見返した。

僕は小さく息を吸って、『結果を見る』のボタンを押す。合否が映し出せる数秒間がこれまでの人生で1番長く感じた。検索窓の青いバーが1番右に行き、いよいよ合否が映し出された。

『合格』

僕の網膜に、その二文字が大きく映し出された。


「電話だ」

私が家でくつろいでいると、スマホに電話がかかってきた。発信者は通君である。きっと試験の結果を伝えようとしているんだ。私はドキドキしながら電話に出る。

「もしもし、通君?」

『美月さん!やったよ!!受かったよ!!』

「本当!?おめでとう!!」

私はパッと笑顔になってそう言った。

『もしよかったらさ、次の土曜日に会わない?』

「もちろん!!」

私はそう言って電話を切った。久しぶりに彼と会うことができる。私はとてもワクワクしながら眠りについた。


土曜日。私は思わずスキップをしながら地下鉄さっぽろ駅にいた。今日は大通駅ではなくここで待ち合わせの約束をしていた。通君がくるのを今か今かと待ち侘びてた。

「久しぶり」

私の目の前に、いつものように通君が現れる。

「久しぶり。合格、おめでとう!」

「ありがとう」

「ああ〜やっぱり受かってくれて嬉しいな〜。…でも、もうすぐ会えなくなっちゃうんだよね」

「…そうだね」

通君はそう言って寂しそうに笑った。

「そういえば、東京っていつぐらいに行くの?」

「えっと、手続きとかした後だから…。遅くても来週には行くかな」

「来週か…」

こうやって2人で話してられるのも本当に後少ししかないという現実を突きつけられる。

私達は地下歩行空間を少し南に歩き、4番出口で外に出た。ちょうど道庁の前に出る所である。

「そうだ、もし通君が構わないのなら、最後の日に札駅で見送ってもいい?」

私は恐る恐る訪ねる。

「いいよ。…札駅でもいいけど、折角なら最後に2人で地下鉄に乗りたくない?」

「それいいね!じゃあどこで待ち合わせにする?」

「それじゃあ…」

私が問いかけると、通君は恥ずかしそうな笑いを浮かべながら静かに口を開けた。


3月も中旬に入った。少し暖かくはなってきてはいるものの、北国の3月はまだまだ寒かった。

「美月さん」

私は名前を呼ばれて後ろを振り返る。そこには大親友である通君の姿があった。

「通君!」

私も名前を呼び返す。今、私達のいる駅にはホームと線路が3つあった。

「それにしても、なんだかアニメとか小説みたいだね。最後に私たちが最初に会った場所にいるなんて」

私達は今、はじめて2人が出会った場所である南郷7丁目駅にいた。私は初めてここで通君にあった日のことを思い出す。叫んでるところを見られて、ちょっと恥ずかしかったんだっけ。あの日から今までの1年間はあっという間だった。

「もしかしたら、本当にこれは誰かが書いた説かもよ?」

そう言って通君がいたずらっぽく笑う。私は一瞬驚いた後、すぐに言葉を返した。

「もしそうだったら、私はその作者を呪うよ」

「どうして?」

「だって、私達2人を離れ離れにしちゃったんだもの」

私達は思いっきり笑った。通君って、こんな冗談も言うんだ。私は最後に彼の意外な一面を見れた気がして嬉しかった。

思いっきり笑っていると、ホームに東西線が到着した。大通駅まで行った後、地下歩行空間を歩いて JR札幌駅へ向かう。その後通君はきっと千歳線で新千歳空港まで行って、そのあとは飛行機で東京へ旅立つのだろう。

2人で同時に東西線に乗り込み、折角なので立つことにした。

「おっと!」

地下鉄のドアが閉まって、発車する。私はその時不意に足を崩して通君の方に倒れ込んでしまった。

札幌市営地下鉄は国内で唯一、ゴムタイヤで走る地下鉄である。そのため騒音がしにくく、最初の加速度が他よりも速い。1番加速度が速いのは南北線だが、東西線、東豊線もそれに次いで速い。私はもう慣れたつもりでいたが、今日は何故か足に力がはいらなかった。

「大丈夫?」

私を抱えたまま、通君が話しかけてくる。

私は頷いて立ち上がる。

「ごめんね。ちょっと油断してたかも」

そう言って私は笑ってみせた。その時にふと、花火大会の日に妹が言い放った言葉が思い出される。

『ねえ、お姉ちゃん、お兄ちゃんのおよめさんになったら?』

そうなったら、どんなに幸せだろう。今ここで、私の胸の内を明かすことができるのなら。私は静かに首を振った。通君はこれから、自分自身が決めた道を歩み始めるのだ。私もいい加減前を向いてあるかなければ。

そのうちに地下鉄は大通駅に到着した。通君は少し名残惜しそうに、ゆっくりと下車した。

地下歩行空間は、通君と同じような大きな荷物を持った人が沢山いた。

私は通君と、今までにあったことを話した。どれもとても懐かしくて、私はなんだか涙がでてきそうだった。

しばらく歩くと、 JR札幌駅の改札口が見えてきた。いよいよお別れの時間である。

「もう、お別れなんだね」

私は思わず下を向く。すると余計に涙が溢れ出てきてしまった。まだ、まだ一緒にいたかった。これがもし、通君の言うように本当に小説だったのならば、今すぐにでも離れ離れにならないように書き換えてほしかった。でも、それは不可能なことである。

通君は俯く私の肩を勢いよく叩いて言った。

「今度、夏休みにでも遊びに来てよ。その時は東京の地下鉄を案内してやるからさ」

私は顔をあげて、まっすぐ通君の方を見つめる。そういう通君の顔は希望に満ち溢れていて眩しかった。

「もちろん。迷子にならないように案内してよね」

私は涙を拭って笑った。通君も笑顔になる。

「それじゃあ、そろそろ行かなきゃ」

「うん…。元気でね」

そう言って通君は改札を通ろうとする。だけど何故か引っかかってしまった。

「あれ、おかしいな」

通君はこちらを見て困ったように笑う。もしかしたら、改札も私達の別れを惜しんでくれているのかもしれない。私は微笑みながら彼に近づき、代わりに切符を入れた。今度こそ改札口が開いた。開いてしまった。

「それじゃあ、今度こそ。また会おうね、美月さん」

「元気でね。大学頑張ってよ、通君」

通君は笑って私に手を振る。その目にはキラリと光るものがあった。私も彼の姿が見えなくなるまで思いっきり手を振った。

人々の喧騒を縫うようにして、春の暖かさを孕んだ風が私の頬をそっと撫でた。

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地下鉄で、君と @koukyou_1789

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