焼き鳥屋フェニックス

ブンカブ

焼き鳥屋フェニックス

「ちくしょうッ、あのクソ上司めッ!」


 何度洗っても油汚れの取れなくなってしまった上着を肩に引っ掛けつつ、一人の男が鬼のような形相で夜の繁華街を闊歩していた。


 この日も例によって分からず屋の上司の説教を受けたばかりだった。会社から徒歩5分の距離に住んでいるくせに月一で遅刻して来て、そのくせ作業効率の改善をしろと頭ごなしに怒鳴ってくるようなどうしようもない人物だ。


 この際、クビを覚悟で「お前がいなければ現場ももっとよく回る」と言い返してやりたかったが、その刃を鞘に戻せるほどには大人であるつもりだ。


 疲れ果ててジンジンと痛む足で無理やり歩を進めていると、不意にコンビニの前にたむろしている若者たちの姿が目に止まった。部活帰りだろうか。学生服に大きなスポーツバッグを背負っており、仲間内で楽しそうに肉まんか何かを頬張っている。


 羨ましい。

 いや、肉まんがではなく、仲間と一緒に楽しい時間をすごせることが。

 思えばいつからだろうか、気の合う友人と集まることもなくなり、ただ仕事に追われる日々。笑い合うこともなく、昔のように誰かから褒められることもない。


 コンビニのガラスに反射した顔が、ゾンビのようにこちらを見つめていた。

 およそ生気を感じさせない、つまらない男の顔だ。

 さっさと死んでしまいたい。

 本気でそのようなことも考える。

 都合よく、次の瞬間に車に跳ねられないものだろうか。

 あるいは病気で急逝でもかまわない。

 そう思えるくらいには、男は人生に疲弊しきっていた。

 ヨロヨロと、今にも倒れてしまいそうな体で街を歩く。


 気づくとその姿は暗がりに落ち、見たこともない裏通りをさまよっていた。

 カビのような苔のような、あるいは腐った雨水のような臭いが立ち込める闇の世界。

 その中に、男の背中を強く引き留める香りがあった。

 甘い醤油だれと焼けた炭の匂い。

 間違いない、それは焼き鳥の香りだった。

 後ろ髪を引かれる思いで足を止めると、ついで彼のお腹が「ぐう」と根をあげた。

 今日はあまりのストレスで昼飯もろくに喉を通らなかった。


「へい、らっしゃい!」


 夕暮れ色の暖簾のれんをくぐると、この店の大将らしき威勢の良い声が響き渡った。


「へえ……いい感じの店じゃないか」


 男はカウンターの真ん中にどっかりと腰を落とすと、手荷物を隣の椅子に置く。

 初めてきた店だが品が良い。

 据えた臭いのする路地裏にひっそりと佇んでいたのであまり期待はしていなかったのだが、無垢板を使った長机はピカピカに磨かれていたし、今時のニーズに合わせて店内は完全禁煙だった。

 スルリと手を伸ばして品書きを失礼する。

 縦書きの品名に指先を這わせ、美味そうなものを探した。


「何にします?」


 ゴトッ、と目の前にお冷やが置かれる。

 男は指先に伝わる冷たさに仕事の疲れを溶かされるような気分に浸りながら、それをゆっくりと喉に流し込もうとした。


「えーとっ、じゃ––––ぶはあはッ!!???」


 吹き出した。

 盛大に水を。

 男は目を大きく見開いたままカウンター奥から顔を覗かせている店主らしき人物をマジマジと見つめた。

 いや、人物?

 人物なのであろうか?

 男の目にはどこからどう見ても真っ赤な羽毛を持つ巨大なニワトリに見えた。

 巨大な男の体躯とニワトリの頭を持つ怪人だ。


「ちょっとお客さん、大丈夫ですかい?」


 ニワトリは慣れた手つきと態度で、男がぶちまけてしまった水を拭き取っている。


「ふぁっ? えっ? はあっ???」


 あなたはいったい何者なんだ。

 そのように問いかけようにも頭の中が混線して言葉が口をつかない。


「ああ、これですかい?」


 が、すぐにカウンター向こうの鳥頭は男の疑念を理解したのか、グラスを拭きながら笑っていた。


「自分、不死鳥……フェニックスって種族なんでさあ。人間の方も来られますが、だいたいお客さんみたいに驚かれますね」

「は、はあ……」


 呆気にとられている男の前に、再び水の注がれたグラスが置かれた。

 男は脂汗をズボンで拭いながら、気持ちを落ち着かせるために水を舐める。


「それで、どうします?」

「あ、ああ、ええっと……」


 適当に焼き鳥の盛り合わせと中ジョッキを頼む。


「どうぞ」


 ビールはすぐに出された。一緒に出てきたお通しの茹で卵は絶品であり、男は奇怪な店主のことを忘れて卵とビールを交互に流し込んだ。


「うまい! うまいよこの卵!」


 男は上機嫌になり舌鼓を打った。先ほどまでのどんよりとした気分が、雨上がりの空のように晴れ渡っていくのを感じる。


「ありがとうございます。女房も喜びますよ」

「へえ、奥さんが料理してるんですか?」

「いえ、今朝女房が産んだ卵なんです」

「ぶッ!?」


 吐きそうになって慌てて口元を塞いだ。


「不死鳥の卵なんてそうそう食べられませんよお客さん」

「は、はあ……」


 男は喉の奥に引っ掛かった小骨のような気持ちを抑え込みつつ、口の中に残った卵をビールで流し込んだ。


「へい、焼き鳥お待ち!」


 間も無くして甘いタレの香りとともに串焼きが5本出てくる。

 右からネギマ、トリ、皮、レバー、つくねだ。


「そうそう、これこれ!」


 甘いタレの香りによだれをすする。

 男は自他共に認める焼き鳥好きだったが、中でもレバーをこよなく愛していた。このプリップリの表面を噛み潰す食感に、ほど良い苦味でビールが進む進む。

 あっという間に一杯目を飲み干しておかわりを要求する。


「お客さん、いい飲みっぷりですね」

「いやあ、こんなに美味い焼き鳥は久々ですよ! あっ、まさかこの鶏肉も奥さんが産んだなんて言わないでしょうね!」


 男は笑ってジョークを飛ばした。


「いえいえ、まさか! そんなはずないじゃないですか」


 店主もこれには苦笑いしながら言葉を返す。


「あっはっはっはっは! ですよねえ?」

「ええ、これは私の肉です」

「ぶうぅっっ!!?」


 口の中身をぶちまけた。


「私たち不死鳥は不死身ですので、体を切り離しても元に戻るんですよ。そのレバー美味しいでしょう? 日頃から健康には気を遣ってるんです」

「……」


 汚してしまったカウンターを紙で拭きつつ、無言で残りの串を避ける。本気だか冗談だかは知らないが、そんな話を聞かされて食べ続けられる方がおかしい。


「あ、でも若い肉質がお好みでしたら、ちょっと長男を呼んできますが」

「けけけけっ結構ですッ!!」

「でも、ほかの串に手をつけられてないみたいですし……」

「あっ、あー! うまいなあ! こんなうまい焼き鳥なら何本でも食べられちゃうぞ!」


 不死鳥だかなんだか知らないが、罪のない子供(小鳥?)を犠牲にするわけにはいかない。男は両手に串を構えると、ついばむような勢いで次々と咀嚼していった。


「いい食べっぷりだ! おかわりはいかがです?」

「うぷっ、いっ、いえ、もう結構です!」


 なんだか気分が悪くなってきた。


「ごちそうさま!」


 心なしか熱っぽい気もしていた男は、水を飲み干してから財布を取り出す。


「大丈夫ですかいお客さん? なんだか顔色が悪いような?」

「あっ、あはははは! な、なんででしょうねえ……!」


 お前のせいだよと一喝してやりたくなる気持ちをグッと堪える。何せ相手は人間じゃない。火の鳥の化け物だ。気分を害したらこちらが焼き鳥にされるかもしれない。


「まあでも、きっといいこともありますよ。うちに来た人間のお客さんには、たまにそういうこともあるんです」

「それはそれは! そんなことがあればいいですねえ!」


 支払いを済ませてそそくさと席を立つ。一刻も早く外の空気を吸いたくて仕方がなかった。


 ガラガラガラ……ピシャリ!


 立て付けの若干危うい戸を閉めて路地裏のすえた臭いを肺いっぱいに溜め込む。いつもなら顔をひそめてしまう臭さだったが、今日ばかりは自分を現実の世界に引きずり戻してくれる気付け薬のように思えた。

 とにかく、もう二度とこの店には近づかないことを決めると、男は急いで帰路に着く。


 それにしても先ほどからずっと体が暑い。もう晩秋だというのに、脂汗がじっとりと背中を濡らしていた。

 焼き鳥のタレのようにべっとりまとわりついてくる熱気を払うように小走りになると、男は勢いよく路地裏を飛び出した。


 その次の瞬間だった。

 男の体は宙に舞っていた。

 激しい衝撃と共に天地が入れ替わり、空中でグルグルと回転してから地面に叩きつけられた。

 強烈なブレーキ音。

 巻き起こる悲鳴の嵐。

 男は狭い通りを猛スピードで走っていたトラックに跳ね飛ばされたのだ。

 これは死んだな……と、男は妙に冷め切った頭でそのように考えていた。

 冷たいアスファルトに横たわり、90度傾いた世界をぼんやりと眺め続ける。

 血相を変えて飛び出してくるトラックの運転手や、ざわざわと集まってくる人々の姿が見えていた。


「だだだだだっ、大丈夫ですかっ!!?」


 トラックの運転手が血相を変えて駆けつけてくる。

 大丈夫なわけがないだろう。トラックに跳ね飛ばされて宙まで舞った人間の体が五体満足なはずがないではないか。自分はもうすぐ死ぬのだ。


「今救急車を––––」


 と、声を発したのはサラリーマン風の男だ。


「––––呼んでいますけど……なんか、けっこう大丈夫そうですね」


 ……はあ!?

 男はカッと頭に血が上って立ち上がった。


「そんなわけないだろ!? トラックにはねられたんだぞ!! 全身の骨が折れて内蔵だって破裂して、もうすぐ死ぬんだぞ!!?」


 ……………………。

 …………。

 ……あれ?


 しんと静まり返った空気の中、男はパタパタと自分の胸や脚を叩いて怪我を確認した。

 いや、そんな馬鹿な。

 痛みがない。

 痛みを感じないほどの大怪我がなのかも?

 次いで隣のビルを振り向き、そのショーウィンドーに映る自分の姿を見つめた。

 そこには、五体満足で間抜け面をさらす自分自身の姿があった。


「…………え?」


 確かに衣服のあちこちが擦り切れていたが、そこから覗く皮膚には切り傷どころか擦れた跡さえも見当たらない。当然、出血の痕跡もなかった。

 そんな男の様子を見た野次馬たちは、皆一様に安心したような、あるいは興味をなくしたような表情を見せた。そして、トラックの運転手と救急車を呼んだサラリーマン以外の人々はそそくさといなくなってしまう。

 その後、男はやってきた救急車に乗って病院へと搬送された。一応、レントゲンなども撮って確認されたのだが、結果は案の定異常なしとのことだった。まるで狐につままれたような気分だ。


 後日、男は再びあの焼き鳥屋を訪れようと夜の街へと足を運ぶことにした。ひょっとしたら、あの不死鳥の肉を食べたのが原因ではないのかと勘ぐっていたからだ。

 ところが何度道を行き来しても、あの寂れた通りも不死鳥の焼き鳥屋の暖簾も見つからなかった。ひょっとしたら、先日の出来事は真夏の寝苦しい夜に見る怪談じみた悪夢のようなものだったのかもしれない。


 しかし、こうしてみると気になってしまうことが一つある。

 それは不死鳥の肉の効果が一度きりなのかどうかということ。

 男は会社の屋上から眼下を両断するように走る大通りと車の群れを見下ろすと、自重するように笑い、静かに首を横に振った。

 いや、それはいつか死ぬときの楽しみにしておこうではないか。

 老衰してベッドの上で死んだ時、息子家族や孫の前で蘇ってみせればさぞかし気分もいいだろう。

 男は、人生最大の楽しみができてしまったと苦笑する。

 雪どけを前にした春の日差しの笑顔を見せる彼の背後で、今日も昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴り響くのだった。



〈終わり〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焼き鳥屋フェニックス ブンカブ @bunkabu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ