第14話 乱橋

 目を覚ますと車の中だった。はっとして両目をしっかり開ければ、座席に座っていたことに気づく。どうやら、眠らされてから車に乗せられたようだ。

「ここは……っ」

 と、周囲に顔を向けると、通路をはさんだ隣に乱橋がいた。

「起きたか。僕もつい先ほど目覚めたところだ」

「なっ、お前――」

 と、声を荒らげようとして注意される。

「静かに。彼女がまだ眠っている」

「は?」

 後ろを見ると、一番奥の座席に若島が寝かされていた。丁寧にブランケットまでかけられている。

「置いてくるんじゃなかったのか?」

 思わず怪訝けげんになってたずねると、乱橋は横目に視線をやりながら答えた。

「確かに彼女はゲームをクリアできなかった。だが、外へ出さないとは一言も言っていない」

「……本当に性格悪いな」

 乱橋がこんなに頭のおかしいやつだとは思わなかった。本当に、人は見かけで判断するものではないな。

「っつか、どこに向かってんだよ」

「東京に決まっているだろう」

「は?」

 東京ということは、帰っているのか? 帰ってもいいのか? 理解できなくて、頭が真っ白になりそうだ。

 すると彼は、隣に置いた鞄から何かを取り出した。

「報酬だ」

「は?」

 差し出されたのは分厚い長封筒だった。

 おそるおそる受け取り、中を確認してみる。――今までに見たことのない数の一万円札が、びっしりと詰まっていた。

 こんな大金を手にしたのは初めてだ。思わず怖くなって手が震えてくる。

「い、いくらだよ、これ」

「百万だ」

「百万……!? 偽札じゃないだろうな?」

 疑わしくなってたずねるも、乱橋は表情を変えることなく説明した。

「他の四名にも同じように渡してある。皆、納得して受け取ってくれたようだ。ちなみに、君はよく働いてくれたから、いくらか上乗せしてある。突き返してくれてもいいが、一ヶ月半ものロスに見返りがないのは辛いだろう?」

「う……」

 どうせバイトはクビになっている。しかし、この百万円があれば、普段の生活へすぐに戻れる。さらに、数ヶ月は遊んで暮らせるかもしれない。

「でも、オレたちは行方不明者になってるんじゃないのか? お前に誘拐されて監禁されたと、警察にチクったっていいんだぜ」

「その心配はない。君たちは僕が雇ったことになっている」

「雇った?」

「集合場所へ集まった時、申し込みの確認のために名前を書いてもらっただろう? 裏にカーボン紙をはさんであって、自ら契約書にサインしたことになっているからな」

「は?」

「スマホを回収した時には、連絡が必要そうな相手に連絡も入れてある。誰一人として、行方不明にはなっていないよ」

「マジかよ。じゃ、じゃあ、佐藤は?」

「近くの街へ移し、別のビルから飛び降りたことになっている。警察への連絡もしたから、無事家族の元へ引き渡されただろう」

 最悪だ。でも――最高だ。

「マジでこの百万、くれるんだな?」

「ああ。給料明細や契約書の控えなど、書類は後ほど郵送する」

「マジかー。めちゃくちゃまともなバイトになってんじゃねぇか」

 そこまでされたら、こちらとしても誘拐だなんだと騒ぐ気にはなれない。ただでさえ、大金を渡されているのだし、彼の言うことに従う方が得だ。

「お前たち、何人でいたんだ?」

「スタッフは十人ほどだ。そのうちの二人が、東と唐木の役をしてくれた」

「役って……偽名かよ」

「もちろんだ。早々にクリアさせた後は、地下の部屋で待機していた。モニターを遠隔操作していたのも彼らだ」

「……地下には何もなかったぞ?」

「明かりがないから、扉が見えなかったんだろう」

 なるほど、オレの見落としってわけか。確かにスマホは没収されていたし、懐中電灯すらなかったもんな。

「じゃあ、ドアストッパーは?」

「ガスを仕掛けていたからな、彼らの部屋から同時に廊下へ向けて噴出させていた」

「防犯じゃねぇじゃん。めっちゃ嘘ついてんじゃん」

「すまないな。他にも質問があれば答えるぞ」

 今さらそう言われてもと思いつつ、オレはたずねた。

「彼女をどうするつもりだ?」

 乱橋はオレの方へ顔を向け、平然と言い放つ。

「第二段階へ移行するだけだが?」

「は? まだいじめようって言うのかよ」

「明るくて気の強い女性が弱った顔は、何よりもそそる」

「変態だな」

 すかさず言い返すオレだが、乱橋は何故か満足そうにする。

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 クソ、やっぱりこいつはやばいやつだ。

「で、具体的には何をするんだ?」

「そうだな、まずは僕の家へ招待し、彼女のために用意した部屋で過ごしてもらう」

「うわっ、キモ」

「徹底的に弱らせてから、僕がいないと生きていけないのだと思い込ませる。ここまでが第二段階だ。その次は結婚をし、幸せに暮らす」

 何を言ってるんだこいつは。

「もっとも、彼女が逃げだす可能性も考え、努めて優しく接するつもりだ。やりすぎては嫌われてしまうからね」

「自覚はあるんだな」

「いや、自覚したのは大人になってからだ。学生時代、付き合っていた女性には悪いことをした」

「何を?」

「分かりやすく言うと、佐藤のようにメンタルを病んでしまったんだ」

「うぇ……」

 好きな女を追い詰めて何が楽しいんだか。

 すると、乱橋が言い返してきた。

「さっきから好き放題言ってくれているが、君も似たようなものだぞ」

「は? オレの方がマシだろ」

「君は自分のことしか考えていない。自分にとってプラスになる言動ばかり取っているし、優しさには常に裏がある」

「そうか?」

「彼女と親しくしていたのも、彼女がリーダーだったからだろう? 全員の情報を手っ取り早く得るため、使ったに過ぎなかった」

 オレは黙って窓外へ顔を向けた。言い返せる言葉がなかったからだ。

「もっとも、君がどう動くかはだいたい予想済みだ。最初から、運営に敵意を向けるであろうことも分かっていた。こちらとしては何の支障もなかったし、むしろ、想定したシナリオ通りに進んでくれて助かったよ」

「……オレのこと、知ってたのか?」

「ああ。念入りな調査の上で参加者を選び、シナリオ通りになるよう、完璧に仕組んでいたからね」

「完璧? ってことは、もしかして先輩に申し込まされたのも――」

「そうするように依頼した。もちろんお金を払って」

 辟易へきえきする。まさか、初めから全部仕組まれていたなんて。いや、今にして思えば先輩があそこまでするのも妙だった。だが、先輩は妻子持ちで常々、結婚しろだの、彼女を作れだのと言ってきていた。それに目上の人であるのは確かだから、オレはどうしようもなかったのだ。

 ということは、オレ以外の人間も同じように、仕組まれたということか?

「他のやつらもか?」

「もちろんだ。唯一想定外だったのが、佐藤の一件だ」

 どうやら、佐藤のことを一応は気にかけているらしい。

「予想できなかったのか」

「ああ。そもそも、僕は佐藤をほとんど気にかけていなかった。今ではそれが失敗の元だったと思っているが、僕には彼女さえいればいいんだ。避け得ないことだったのだと思う」

 なんて自分勝手な言い草だ。しかし、過去のことに今さらどうこう言ったって、無意味でしかなかった。

 どうにも胸がもやもやするが、オレの手の中にあるのは分厚い長封筒。少しの間は遊んで暮らせる金だ。

「婚活合宿だったんだろ。お前、まともな手段で若島と付き合おうとは思わなかったのか?」

 最初はみんなクリア条件を恋愛だけだと考えていた。その状況でなら、いくらアピールしたって自然に見えたはずだ。

 しかし頭のおかしい男は言う。

「僕が見たいのは、苦しむ彼女だ。もちろん喜ばせたい気持ちもなくはないし、彼女の笑顔を見たいと思うこともある。だが、それでは満たされないんだ」

「……彼女からの愛はいらねぇ、ってか?」

「そうだね、はっきり言うとそういうことかもしれない。僕は絶望で彼女を独占したいからな」

「意味分からねぇ」

「僕にも、君のような自己愛の強い人間のことは理解できないよ」

 言い返す乱橋になんとも微妙な気分になり、オレは再び窓外へ視線を向けた。

 見覚えのある景色が近づいてきている。もう23区内に入ったようだ。

「オレたちは、また会えるのか?」

「君がそれを望むなら。長谷川と間宮は、本当に付き合っているからな」

「……そうか」

 会うつもりなんてこれっぽっちもないけれど、それならいいかと思えた。

「分かった。もう二度と会わねぇだろうが、てめぇの顔、よく覚えておいてやる」

 と、オレは彼へ顔を向け、にやりと笑ってみせた。

 乱橋も口角をつりあげて不敵に笑う。

「僕もそうしよう」

 友情とは言えないかもしれない。しかし、オレたちの間には、他の人間には理解できないであろう何かがあった。

 人はそれを、一種の「愛」だと言うかもしれない。気のせいだと称されることもあるだろう。でも、それでいい。ゲームはもう終わったのだから。(終)

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