第13話 偏愛
若島が調理を終えるのを待ってから、彼女の部屋へ向かった。
「えっと……あ、あった」
彼女の部屋に入り、手帳を見せてもらう。
「こちら側の角部屋、201号室が竜野さんで、その隣がひばりちゃん、わたし、梨央ちゃんですね。男性の方は――えぇと、間の誰もいない客室は抜かしますね。で、一番端の角部屋にいるのが乱橋さん、隣は間宮くん、矢田さん、長谷川さん、東くん、唐木くんです」
心臓がどくんと高鳴った。
オレは目をみはりつつ、たずねる。
「これ、間違ってないよな?」
「はい。ちゃんと一人ずつ確認しましたから、間違いないです」
言い切る若島を見て、オレはどうしたらいいか迷った。――乱橋は嘘をついたのだ。間宮の部屋は最初からオレの隣だった。それなのに、嘘を信じこませて惑わせたのだ。
ということは、あいつこそが運営であると言える。だが、口に出してもいいものかどうか。
「……矢田さん、どうかしましたか?」
と、心配そうに若島がこちらを見つめ、オレははっと呼吸をする。いつの間にか息を止めていたようだ。
心臓が早鐘を打っている。もっと早く気づいていれば――いや、そんなことより、これからのことだ。
「ここにはカメラがついてる。会話もおそらく、すべて聞かれている」
オレの言葉に若島は小さくうなずく。
「そうですね」
「ってことは、もうあいつも気づいてるよな」
「え?」
どうしよう、どうしよう、どうしよう。いったい何が狙いだ? オレたちを集めた目的は? 考えたいことがたくさんある。しかし、もうそんな
「オレたちは……きっと、最初から逃げられない運命だったんだ」
苦々しく
若島は首をかしげる。
「何を言いたいんですか?」
オレは無意味と知りつつも、できるだけ小さな声で答えた。
「……乱橋だ」
彼女がはっと目を見開き、状況を理解する。
「そ、んな……」
「オレへ疑いを向けたのも今なら分かる。オレが気づき始めていたから、嘘をついたことにしたんだ。つまり、あいつには協力者がいる。敵は一人じゃない」
目の前にいる彼女だけが信じられる。しかし、こちらは二人だ。あちらの人数によるとしても、やはり勝てるとは思えない。
「この会話もきっと聞かれている。今さらオレたちがどうしようと、ここはもう蜘蛛の巣だったんだ」
逃げられない。最初からそうだった。集められた時点で、オレたちはあいつの手の中にいたんだ。
「それなら、どうしたら」
と、彼女が戸惑いを見せると、部屋の中のモニターが起動した。
「こんばんは。すべてをお見せする時が来たようですね」
「乱橋なんだろ!? 出てこいよっ!」
つかみかかりたいのをこらえて叫ぶと、モニターの声は言う。
「どうぞ、来てください。僕はチャペルで待っています」
ぶつっとモニターの電源が落ちる。
オレたちは顔を見合わせてから動き出した。
「行くぞ」
「はい」
教会には薄明かりがついていた。
扉を開けると、十字架の前に一人の男が立っていた。
オレは慎重に歩を進め、数メートルほどの距離を置いて立ち止まる。
「目的はなんだ?」
おもむろに振り返った彼は、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「まだゲームは終わっていないよ」
「ふざけんな! 目的は何だって聞いてんだ!」
と、声を荒らげるオレだが、乱橋はオレの後ろにいる若島を見ていた。
「今ならまだ、クリアできるかもしれない」
「え?」
「おい、惑わされんなっ」
かまわずに乱橋は告げる。
「まだ間に合うよ。さあ、彼に言うことがあるのでは?」
若島は戸惑いながら、オレと彼を交互に見ているばかりだ。
「待てよ。オレに言うことがあるっつったか?」
ふと冷静になってオレが言うと、若島は困ったようにうつむいた。
乱橋がうながす。
「ああ、今でないと言えないことがあるはずだよ。そうだろう? 若島さん」
いったい何だ?
まさか、若島も運営だった、なんて言わないよな? 分からない、彼は彼女の何を知っている?
戸惑うオレの顔を、彼女が見つめてきた。それは覚悟の決まった表情に見えた。
「や、矢田さんっ」
そのいきおいに思わず半歩、後ずさる。
彼女はそして、顔を赤くして言い放った。
「わたし、矢田さんのことが好きです! 付き合ってください!!」
「はあ?」
予想外の言葉に、思わず気が抜けてしまった。どういうことだよ。
彼女は不安そうにオレの返事を待っている。こんな状況で告白するやつがいるかよ、と呆れる一方で、このゲームのクリア条件を思い出す。「愛を育むこと」だ。
つまり、彼女はオレのことが好き。乱橋はそれを知っていて、告白するようにうながした。
――なるほど、そういうことか。実にひどい話である。
オレは困惑して頭をがしがしとかいた。
「悪いな、若島。無理だ」
「え?」
一瞬にして表情を失う彼女へ、オレはできるだけ優しく問いかけた。
「だってお前、オレ以上にオレを愛せないだろ?」
「は……?」
「っつーか、お前のその顔じゃ、オレに釣り合わない」
「え?」
「けっこう気ぃ強いとこあるし、オレよりお前の方が目立ちそうじゃん? そういうの、マジ無理なんだ」
「な、何を言って……?」
「そもそもオレは、婚活合宿に参加したくて参加したわけじゃねぇし、どうせ彼女にするなら、佐藤の方がまだマシだったくらいだ」
「な、そんな……」
「もっとも、自殺するようなメンヘラ女は好みじゃない。けど、オレの引き立て役には向いてたと思う」
「ひ、ひどい……っ」
「言っておくが、これでもオレは優しい方なんだぜ? でも、オレは自分の方が大事なんだ。分かってくれるよな?」
若島はその場で腰を抜かし、座りこんだ。
「悪いな、若島。――で、乱橋は満足か?」
と、彼の方へ視線を戻す。
乱橋はこつこつとこちらへ歩み寄ってきた。
「僕が思ったとおり、自己愛の強い男だ」
スピーカーから声がする。「矢田京さん、クリアおめでとうございます」と。
「は? 何でクリアなんだよ?」
たずねたオレへ彼は言う。
「自己愛だと言っただろう?」
マジか。自分への愛もまた、クリア条件になったのか。――いや、もしそうならオレは、最初から自分しか愛していない。つまり、オレを最後まで残す意味があった、ということか。
「ったく、性格悪いぜ」
「お互い様だろう?」
彼はにこりと笑っていたが、オレはむすっとするばかりだ。
すると泣き声が聞こえてきて、オレたちはそれぞれに彼女を見下ろした。
「ひどい、なんでぇ……」
若島が泣いていた。当然か。
すると、乱橋が床へ片膝をついた。
「ああ、可哀想に。でも、君には僕がいる」
「え?」
彼が彼女の顎を取り、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げさせた。
「僕はこの時を待っていたんだ」
にやりと冷たく笑った彼を見て、彼女はびくっと肩を震わせた。
「若島月葉さん、僕はずっとあなたを見ていた」
「え……」
オレは少しだけ距離を取り、彼の様子を見守る。
「取引先へ行く時、いつも駅前にある花屋で君を見かけたよ。一目惚れだった」
――何だかやばそうだ。
「僕はすぐ、君について調べたよ。生年月日、家族構成、卒業した学校、子供の頃の習い事や友人関係も、調べられることはすべてね」
「っ……」
「だが、君は強い人だ。彼氏に振られても、すぐに立ち直って婚活を始めただろう?」
もしかしてこいつ、ストーカーか?
「僕はそんな君も好きだけれど、そうしてまた君が、他の男のものになってしまってはかなわない。だから、私財を投じてこのゲームを企画したんだ」
おええ、
「最初の頃の、頑張る君は素敵だった。みんなのために努力する君は、本当に素晴らしかった。だが、僕は好きな人を困らせたり、いじめるのが好きでね」
自嘲するように笑いながら彼は言った。
「東と唐木をクリアさせたのは、君を困惑させるためだった」
はっとして、オレはゆるんでいた姿勢を正す。
「とても可愛くてよかったよ。その後、運営からの音沙汰がない日々も、実によかった。悩み、苦しみながらも頑張る君は、誰よりも輝いて見えたね」
「そ、それじゃあ、まさか……」
「ああ、いや。佐藤さんの自殺は想定外だ。あんなはずではなかった」
そう言いながらも、彼は
「しかし、結果的には彼女に感謝している。食事もまともに取れないほど弱った君を、存分に楽しめたからね」
やっぱりこいつ、やばいやつだ!
「長谷川と間宮は、君を焦らせるのにいいタイミングだった。追い打ちをかけるために竜野と長山を残していたんだが、その前に矢田が気づき始めていたからね。本当はもう少し焦らしたかったが、すべてバラすことにしたよ」
やはり、すべて彼が仕組んでいたのだ! その目的は、好きな人をいじめるため。
「先ほど君に告白させたのも、無様に振られる君を見たかったからだ。ごめんな、若島さん。でも、すごく可愛いよ」
乱橋がぎゅっと彼女を抱きしめる。
「ひっ……」
「僕が怖い? ふふっ、それでもいい。僕のこの気持ちは『偏愛』だからね」
再びスピーカーが音を流した。
「乱橋律さん、クリアおめでとうございます」
この期におよんでもゲームが進行するなんて、最悪な演出だ。
きっと混乱しているであろう若島へ、乱橋は意地悪くも言いやがった。
「おや、クリアしてしまったな。残るは君だけだ」
「え? わたし、だけ……?」
呆然とつぶやく彼女へ、彼はにこりと微笑む。
「ああ、君だけがここへ残らなければならない」
「そ、そんな……や、やだ。わたし、一人なんて――っ」
静かなチャペルにガスが噴出される。どうやら、長椅子の下に仕込んであったようだ。
「クソッ」
すぐに鼻と口を手で抑え、この前のように眠らされないよう踏ん張る。しかし、若島の意識がなくなるのを見て、オレはその場にしゃがみこんでしまう。
最後に見た乱橋は穏やかな顔で、いかにも愛おしそうに彼女を抱きしめていた。
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