第12話 姉妹愛

 長袖を着ると、これまでの肌寒さが消えて心地よかった。やはり寒かったのだ。

 女子たちもそれぞれ新しい服を着ており、若島も見慣れない服を身にまとっていた。

「お前、そういう趣味だったっけ?」

 翌日の朝食後、オレは皿を回収しに来た若島へそう声をかけた。

 彼女は目をぱちくりとさせてこちらを見てから、恥ずかしそうににこりと笑った。

「何か、やたらと可愛い服ばっかり入ってたんです」

 彼女はシンプルなデザインを好んでいたはずだが、今着ているものはえり付きで袖もふくらんでいた。

「できるだけシンプルなやつを選んだつもりなんですが、やっぱり変でした?」

「いや、そういうのも似合うんだなって」

 素直にオレが返すと、若島はほんのりと頬を紅潮させて微笑んだ。

「ありがとうございます」

「おう」

 そして彼女が空の食器を手に、厨房へ向かっていった。


 長山と竜野も可愛い服を着ていた。特に長山はロリータと紙一重なくらい、ふりふりでひらひらだ。まだ若いから許されるが、あれを竜野が着ていたらと考えると――うん、ないな。

 それにしても、運営の趣味なのだろうか。今どきは女子も、中性的なファッションの人が少なくないというのに。

 そんなことをぼーっと考えながら、オレは玄関外の階段に座りこみ、庭で洗濯物を干している二人を見ていた。

 背の高い竜野が長山をよくサポートしており、姉妹のように仲がいい。状況が違えば、その光景は穏やかで平和だと思えたことだろう。

 しかし、現実はよく分からないゲームの真っ最中だ。いつクリアできるのか、その方法や手段も曖昧あいまいだった。

 オレたちにできるのは、ここでの暮らしを続けていくことだけ。続けたところで、制限時間が過ぎたらどうなるかも分からない。

「晴日さんのおかげで、すぐ終わっちゃった。今日もありがとう」

 にこりと長山が笑い、竜野も満足げに微笑みを返す。

「お礼を言うのはこっちよ。いつもありがとね」

 微笑み合う二人は、やっぱり仲がいい。目には見えない絆が、確実に彼女たちの中にはあった。

 ――となると、次にクリアするのは彼女たちだろうか。

 いや、そうならとっくにクリアしているかもしれない。やはり、運営の気分次第なのだ。

 気づけば一ヶ月と二週間が過ぎていた。定められた時間の、ちょうど半分だった。

 竜野と長山がおしゃべりをしながら屋内へ戻っていき、オレはふうと息をついた。――きっと今日も、何事もなく終わるのだろう。

 日課の探索にでも出かけるかと、立ち上がったところでどこからか音がした。

「おめでとうございます」

 運営の声だ!

 はっとして辺りを見回すが、モニターはどこにもない。ふと目についたのは、上部に設置されたスピーカーだ。

「竜野晴日さん、長山梨央さん、クリアです」

 言い方がまた違う。その理由を考えようとして、はっと気がつく。

 慌てて扉を開けて中へ入ると、ロビーには誰の姿もなかった。

「竜野! 長山!」

 名前を呼んでみるが反応はない。そもそも人の気配がない。

 さっきまで二人はここにいたはずなのだ。オレが中へ入っていく二人を見ているし、扉が閉まってから声が聞こえるまでは、ほんの数十秒程度だったはず。

「クソッ!」

 いったい何があったって言うんだ。

 悔しくなって舌打ちをしたところで、二階から乱橋が、食堂の方から若島がやってきた。

「どうした、矢田!」

「矢田さん!」

 二人がこちらへ寄ってきて、オレは呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

「竜野と長山がクリアしたな」

「ああ、またモニターが起動した」

「わたしは、スピーカーから聞きました」

「オレもだ。でも、竜野と長山はついさっきまで、ここにいたはずなんだ」

 二人がはっと息を呑む。

「どういうことだ?」

 冷静であるように意識しつつ、オレは説明をした。

「外で二人が洗濯物を干しているのを、オレは見ていた。それが終わって、二人は中に戻った。そのすぐ後に、クリアが告げられたんだよ」

 乱橋と若島は戸惑った表情で顔を見合わせる。

「でも、どこにも見当たらない。まだこの周辺にいるはずなのにっ」

「確かに、ここへ来るまでに僕も二人を見てはいない」

「わたしも朝食の時に見かけたきりです」

 たった数十秒の間に人が消えるなんてありえない。

「君を疑うわけではないが、本当に二人は洗濯物を干していたのか?」

「は?」

 乱橋の問いにオレはびっくりしてしまった。

「本当だよ! 見に行きゃ分かる!」

 すぐに玄関から外へ出て、いつも洗濯物が干してある方へ駆けた。

「ほら、見……」

 確かに干してあった洗濯物が、こつ然と消えていた。あるのは物干し竿だけだ。

 呆然と立ちつくすオレへ乱橋が言う。

「嘘をついたのか?」

 我に返ってオレは振り返った。

「ち、違う。確かに、さっきまで二人が――」

「そうだ、二人の部屋へ行きましょう。荷物の有無を確認すれば、二人がいついなくなったか分かるのでは?」

 と、若島が口を出し、乱橋はうなずいた。

「それもそうだな。行ってみよう」

 二人が駆け出し、オレは少し遅れてから後を追った。


「ない……」

 竜野の部屋も、長山の部屋も空っぽだった。ベッドはぐちゃぐちゃだが、ゴミ箱にゴミだけが残っている。

 乱橋は冷静に言う。

「矢田、もう一度聞くぞ。お前、嘘をついたのか?」

 背筋がひやりとして、嫌な鼓動が鳴り出す。

「ランドリールームへ行って確かめれば分かるだろうが、この様子では、二人がここからいなくなったのは、ついさっきではなさそうだ」

 違う、違う、違う。そんなわけない。

 だが、今は何を言っても悪手だ。オレを信じてくれるわけがない。

 何も言えずに黙りこむオレへ、乱橋が呆れたような息をつく。

「君こそが運営だったのか?」

 若島が目をみはる。

 オレは首を左右へ振るが、無駄だということも分かっていた。

「いや、それにしてはあからさますぎるか? だが、現時点で一番怪しいのは、君であることに変わりはない」

 乱橋は考えている。

「状況からしても、矢田の証言は信じられないしな。となると、あの二人が消えたのは朝食の後であり、洗濯物を干す前にいなくなった。具体的な時刻まで割り出せないのが悔しいな」

 若島は不安そうにオレを見つめるばかりだ。

「いずれにしても、残り三人になってしまった。これからどうする?」

 乱橋が問いかけ、若島は言う。

「分からない、です。このままでいてもいいのか、さえ……」

 気持ちは焦る。しかし、オレがするべきは疑いを晴らすこと。だが、状況証拠がそれをはばむ。

「そうだな。今さら話し合ったところで、この人数ではどうしようもないしな」

 ため息をついてから、彼はオレの方を見た。

「矢田の件は保留だ。だが、次にまた怪しい動きをしたら、運営だと断定するからな」

「……分かった」

 乱橋が廊下へと出ていき、オレはふうと息をついた。とりあえずは安心だ。

 すると、若島が一歩こちらに近づいた。

「わたしは矢田さんのこと、信じたいです」

 そしてぺこりと頭を下げ、彼女も外へ出て行った。

 三人になったオレたちはすっかりバラバラになっていた。


 昼食を取る気になれず、部屋にこもって過ごした。疑いがかけられた今、下手な行動はできないからだ。

 しかし、夕食の頃には腹が減ったため、食堂へ向かった。乱橋に会ったら気まずいと思ったが、食堂は静かだった。

 厨房の方に電気がついており、若島がいるらしいと察する。

 食堂の時計はまだ五時を過ぎたばかりだ。何か食べるものを探そうと思い、厨房へ足を向けた。


「よう」

 と、声をかけると、シンクの前に立った若島が振り返る。

「矢田さん。もしかしてお腹、空いたんですか?」

 午前中の出来事があったにも関わらず、彼女はいつもどおりに接してくれた。

「うん、何か食いもんないかなと思って」

 と、いつものようにスツールへ腰かける。

「それなら、冷蔵庫に昼食が入ってますよ。矢田さんの分です」

「ちゃんと作ってくれてたんだな」

「はい。三人分なら、楽に作れますから」

 彼女はどうやら、米を洗っているようだ。ザッザッと音がする。

 オレは椅子から下りた。冷蔵庫を開けて中を探し、ラップのかけられた皿を見つける。フライドポテトの添えられたハンバーグプレートだった。

「あっちに電子レンジ、ありますよ。七百ワットで三十秒やれば、温まると思います」

「さんきゅ」

 教えられたとおりにそちらへ行き、皿を電子レンジの中へ置いた。ホテルの厨房でありながら、設置されていたのは家庭用の電子レンジだった。

 ボタンをいくつか押して設定し、最後にスタートボタンを押す。起動したレンジを見つつ、オレは彼女を呼んだ。

「なぁ、若島」

 米を研ぎながら彼女は返す。

「なんですか?」

「オレがあんな嘘、つくと思うか?」

 厨房の中は静かだ。ほんの一月前までは、まだここに佐藤がいた。さらに二週間前なら、間宮と唐木もいて、みんなで協力し合って共同生活を送っていた。

「いいえ、思いません。わたしは矢田さんを信じたいんです」

 その言葉を聞くのは二度目だった。若島は本当にそう思っているのだ。

「でも、信じているとは言えません。怪しいと思ってしまう気持ち、疑いたくなる気持ちがあるからです」

「……そうか」

 そうだよな。若島も大人だ。この状況で、そう簡単に誰かを信じるわけにはいかないだろう。

「オレも同じだ。お前のこと、乱橋のこと、信じたいけど信じられねぇでいる」

 電子レンジが出来上がりを知らせ、すぐに戸を開いて皿を取り出した。ほどよく温まっていた。

 調理台へ皿を置き、スツールを持ってくる。

「でも、若島は違うとも思ってる」

 炊飯器に米をセットした彼女は、引き出しからフォークを持ってきてくれた。

「理由を聞いてもいいですか?」

 と、フォークを逆向きに持ち、オレへ差し出す。

「佐藤が死んだ時、取り乱してただろ」

 そっとフォークを受け取って、オレは皿にかけられたラップを外した。

「あれが演技なはず、ねぇんだよ。もしお前が運営なら、あいつの死は仕組まれたことになるだろ。そんな人の心がないやつだなんて、オレにはとうてい思えない」

 湯気をあげているハンバーグを一口大にしてから、口へ運ぶ。

「それに目的も分からないだろ。こんなことをして、いったい何の得がある?」

 若島はほっとしたように表情をゆるめた。

「わたしもそう思います。矢田さんが運営だとしても、何の得があるのか分かりません」

 と、再びシンクの方へ戻っていき、冷蔵庫から野菜を取り出す。

 白米にも手をつけつつ、オレは言う。

「けど、それなら乱橋もだ。悪いやつではないと思っているけど、疑おうとすれば、いくらでも怪しく見えてくる。オレたちはそもそも他人同士だから、互いに関する情報が少なすぎるんだよな」

「うーん、そうですよね」

「だから自分が知らないだけで、何か裏があるのかもしれないって、考えちまうんだ」

 信じきれないのはそういうことだ。

 若島は調理をしながら返した。

「それなら、一度誰かを疑うのはやめにして、あらためて考えてみませんか? これまでの情報を整理する、という意味でも、一度フラットにするべきかと」

「なるほどな」

 それはいいアイデアだ。

「まず、運営はオレたちと接触する時間が、極端に短いよな。最初からそうだけど、姿を見せないし、声もボイチェンしてる。でもって、クリア条件と期間を伝えるだけだった」

「そのクリア条件も曖昧で、友愛でもクリアできましたよね。長谷川さんと間宮くんは恋愛で、竜野さんと梨央ちゃんは……何だったんでしょう?」

「うーん、分からねぇな。姉妹のように仲がいい、とは思っていたが」

「もしかして、姉妹愛?」

「ああ、そんな愛もあるか」

 となると、クリア条件はやはり広い。だが、判断するのは運営だ。

「より一般的にするなら、兄弟愛とか家族愛でしょうか」

「思ってたより広いな。だが、オレたちはまだクリアできてない」

 すると、彼女がふとたずねた。

「そういえば、ドアストッパーはどうなりました? 新しく分かったこととか、ありましたか?」

 はっとしてオレは思い出す。

「いや、特に何もないが……いや、待てよ。若島、誰がどの部屋にいたか、知ってるか?」

 オレは顔を上げて彼女を見る。

 若島も振り返り、答えた。

「ええ、知ってます。初日に調べて、手帳にメモしましたから」

「本当か!?」

 思わず声が大きくなってしまった。

 若島は少しびっくりしたようだが、すぐに返す。

「最初の頃、わたしがみんなをまとめていたでしょう? だから、把握できる情報は把握しておきたくて」

「それだ! あとで見せてくれるか?」

「ええ、いいですけど」

「確かめたいことがある」

 真剣な顔をするオレにつられてか、若島も真剣な表情になってうなずいた。

「分かりました」

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