6月16日 晴れ
まだ登校していない彼女の席に、少しだけ目を向けながら自席に着く。
別に何が変わるわけでもない、普通の日常だ。僕は助けようとも思わないし、きっといじめられる方にも原因はあるはずだ。
……ないこともあるか、と後ろめたい気持ちを軽い偽善で塗り潰しておく。
昨日、僕は何よりも先に、僕じゃなくてよかったと安堵した。波風立てずに過ごしているのだから、そうそういじめられることなんてないだろうけれど、それでも、この能力を言ったり、少しでも青葉さんとの関わり方を間違えたりすれば、標的になってもおかしくはないはずだ。だから、安堵と、少しの恐怖が過った。
彼女が、何をしたかは知らないけれど。
しばらくして、運動部が汗を拭き取った頃、扉が勢いよく開かれる。
「みんなおはよ~!」
相も変わらず、嘘で塗り固めた笑顔で、青葉さんは教室を華やかにしていく。
足取りも軽やかに、そのまま青葉さんは厭世の彼女の元へと足を運んだ。
「綿野さんもおはよっ!」
義務感だろうか、なんにせよ、厭世の彼女……綿野さんの気分が落ちていることを察知したのだろう、僕でさえ顔を見なければ分からなかったのに、すさまじい観察力だと、少しだけ羨んだ。
別に綿野さんと呼べばよかったのに、心の中でそうしなかったのは、最近知った言葉を使いたがるあの現象だった。きっとこれも病気だ。
「あ、あぁ……うん、おはよう……あ、あお……」
「ん? 私がどうかした?」
「青葉さんは、さ……い、いつでも、元気で、う、羨ましいよ」
喉に引っ掛かる異物を吐き出すようにゆっくりと出たその言葉は、青葉さんを巨大な黒で埋め尽くした。
蠢く黒の中、辛うじて分かる言葉、なんで、どうして、違う、違くない、本当の自分、ウザい、キモイ、綿野……きっともっと醜いであろう言葉は、それぞれが重なって何も見えやしない。
どんな理由かは分からないけれど、綿野さんの言葉は、自分を偽って過ごす彼女にとって怒るに足る何かがあったようだ。
それでも、彼女は怒らない。いや、怒れないのだろう。偽りの自分は、きっと誰にでも優しくて、いつでも笑顔で、そんな、誰もが羨む青葉茜なのだから。
「そうかな? でもそれって毎日キラキラしてるってことだよね! ありがとう!」
それだけ告げると、まるで上機嫌を装い、いつものように僕の隣の席に座る。
「代乃くんもおはよ!」
そういって、彼女は僕に挨拶をする。
黒はまだ、蠢いているというのに。
それからは、ただいつものように日常が過ぎていった。
彼女に挨拶を返して、ホームルームが始まり、授業が終わり、また彼女に挨拶を返す。朝の一件があったとはいえ、クラスメイトも大方そんな日常を過ごしたのだろう。傍から見れば、青葉さんはいつも通りにしているだけにすぎない。
中心人物を引き立てる役を済ませ、教室の外に歩みを進める。いじめられる側には、やはり原因があるのかもしれないと、今朝の偽善を取り払った。
綿野さんとは一年からの付き合いで、付き合いといっても話すことなんて回収物の受け渡しぐらいなもんだが、僕が話した時は何を言うでもなくポンとノートを渡してくれたことを覚えている。思ったことをただ口にするような間抜けな人には見えなかったが、人はどうも見かけによらないらしい。
興味本位、厭世の彼女は今何の彼女になっているのか、教室を出る間際、目の端に映す。
僕は、張り付いた厭世の隣の、疑問という小さな二文字を咀嚼せず、丁寧に放った。
淡白のアリシア 宮野涼 @ryo2838
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