第22話 疑似恋愛の始まり

「桜空さんが疑似恋愛を持ちかけたのは、僕にボカロ活動を再開させるため……か」


 紅葉さんとの邂逅を終えて、自室で横になりながら振り返っていた。

 ゴールデンウィークの終わりから開始された疑似恋愛関係。

 桜空さんの思いつきで始まって、恋愛に消極的なクラスメートとして偶然僕が選ばれた。

 そんなふうに装われた始まりだったが、全てに思惑があったみたい。

 そのことは別にいい。

 気にならないというか、納得できる理由が提示されてスッキリしたぐらいだ。


 桜空さんが『ハル』のファンだった。

 それも自分でバンド活動を始めるほどの熱狂的なファン。

 そして今も僕にボカロ活動を再開してほしいと思ってくれている。

 疑似恋愛という形で接触してきたのも、僕が活動をやめた原因である荒らし行為の発端が投稿したラブソングだったからだろう。

 当時の荒らしコメントを思い出すと、僕に恋人がいれば簡単にあしらえる程度でしかなかった。


 あくまで疑似恋愛という形にしたのは桜空さんなりの誠意だろう。

 中学時代に自分が体験した告白ラッシュ。

 勝手に持ち上げてアイドル扱いして、入れ代わり立ち代わり告白してくる。

 そうした行為への嫌悪感があったのかもしれない。

 あと僕に予防線を張ったか。


『私のことは好きにならないでください』


 僕が作った曲の歌詞で、桜空さんが書いた小説内の台詞だが、僕らの関係を的確に表していた。

 お互いに恋愛感情がない。

 本当の意味で恋愛をするつもりがない。

 だからこそ成立する疑似恋愛だ。


 愛されることを望み始めたら疑似恋愛は成立しない。

 相手に恋愛感情を求めない。

 ただ一方的に見返りを求めない愛情を与える。

 推しという呼ばれ方をするがファン心理としては健全だ。

 桜空さんの行動はなにも悪くない。


「ただいま~」


 そんなことを考えていたら柚希がボイトレ教室から帰ってきたみたいだ。

 もらったばかりのでかいぬいぐるみ『きくらげ』君を持って廊下で出迎える。


「柚希おかえり」


「お兄ちゃんただいま。出迎えご苦労!」


「はいこれ。柚希にやるよ」


「この可愛いぬいぐるみどうしたの?」


「貰い物だけど……それ可愛いのか」


「このアンニュイとした可愛さがわからないとは、お兄ちゃんもまだまだお子様だね。このつれない表情の黒いもふもふを抱きしめて……ん……この感触は!?」


「どうかしたのか!?」


「どうかしたのかじゃないよ! これかなりお高いやつなんじゃ?」


「そう聞いているけど」


 確か転売すると五桁するとか。

 冗談のような価格だが、ファングッズとはそういうものかもしれない。

 けれどぬいぐるみに顔を埋めるモフリスト柚希の評価はただのファングッズに留まらないらしい。


「この表面のヌメ感を出している接触冷感素材。細い足の部分までみっちり詰まった綿の量。造形が崩れすぎないように芯まできちんと作られている。この難しい造形の中にぬいぐるみ職人の魂が感じられるよこの黒いタコちゃん!」


「……クラゲな」


「クラゲだったかぁ~」


「ちなみに名前はキクラゲくんらしい」


「ぷっ、キノコじゃん。でも気に入ったよキクラゲくん! 夏にぴったりのぬいぐるみありがとうね」


 タコと間違えたがぬいぐるみとして、かなりいい出来らしい。

 もふもふのことで柚希が評価を間違えると思えない。

 紅葉さんのバンドはどこに力を入れているのか気になる。

 ……気になるけど、貢物も済んだし本題に入るか。


「それで柚希。柊桜空さんって知ってる?」


「お兄ちゃんの彼女さんだよね」


「名前教えてないよな」


「え……えーと風の噂で聞きまして」


 僕たちの関係は疑似恋愛だ。

 公に広めると面倒なので周りには隠している。

 喫茶ホーリーも値段的にお姉さん層が多いのでそこまで知られていない。

 ちょっと攻め方を変えるか。


「桜空さんって歌上手いよな。ゴスペルとか」


「えっ桜空さんゴスペルも歌うの? ボカロ曲しか聞いたことないかも」


「そっか桜空さんの歌うボカロ曲を聞いたことあるんだな」


「あっ……図ったな兄者!?」


「誰が兄者か」


 ――パチンッ


「イタッ」


 軽くデコピンをする。

 力が入っていないので痛いはずがないのだが、たぶん気分なのだろう。柚希が額を押さえて上目遣いで睨んできた。

 桜空さんと柚希が知り合いだった。

 そのことは別に怒っていない。


「僕が『ハル』って名義でボカロ活動していたことを、桜空さんに教えたの柚希だろ」


「……うっ」


 桜空さんが僕が『ハル』だと知ったのは高校に入学してからだ。

 僕達は互いのことを知らないまま、偶然同じ高校のクラスメートになったのは間違いない。

 桜空さんが僕のことを知ったのは、入学してからゴールデンウィークの終わりまで一ヶ月間ということになる。

 そして柚希がボイトレ教室に通いだしたのは四月に入ってから。


「……だって同い年ぐらいの綺麗な人が気になるよね」


「桜空さんは柚希の二つ上な」


「その綺麗な先輩が知られていないはずのお兄ちゃんの曲をなぜか歌っていたらナンパするよね」


「……ナンパしたのか」


「した! なんかお兄ちゃんの話に興味があったみたいで大盛りあがりだったよ。まさかのクラスメートだったし」


 桜空さんの歌声に惹かれて柚希から声をかけたみたいだ。

 一緒にいれば気づくけど、桜空さんはよく鼻歌を歌っている。

 僕には聞かせたことがないだけで『ハル』の曲も歌うこともあるだろう。

 時期は四月の中頃。第三木曜日だったらしい。

 その日に桜空さんは僕が『ハル』だと知った。


 さえないクラスメートにすぎない僕が応援していた相手だと。

 桜空さんがどのように思ったのか桜空さんにしかわからない。

 けれど全てはそこから始まったのだろう。

 そっと柚希の頭を撫でる。


「柚希ありがとうな」


「ん? どういたしまして」


 僕にとって桜空さんと柚希の出会いは思いがけない幸運だ。

 今のかけがえない時間をくれたのだから。


 ◯   ◯   ◯


 平日の放課後。

 僕はいつものように図書室でボカロのノベライズを読んでいた。

 教本となる雑誌などはすでに借りて家に持ち帰っている。

 ちゃんと学ぶならば本だけ読んでも時間の無駄になりやすい。実際にパソコンを動かしながら書いてある内容を試すのが僕の学習スタイルだ。


 だから学校にいるときは、流行りの曲のノベライズ本などを読んでイマジネーションを広げていることが多い。

 もちろん本ばかりを読んでいるわけではなく、桜空さんと話したり勉強したり、していることが多いのだが。

 今日は僕が先に図書室に来てからずっと本を読んでいた気がする。

 桜空さんは来なかったのか。

 そう思って、椅子に座りながら伸びをしていると隣の席から寝息が聞こえてきた。


「……すぅ……すぅ」


「桜空さん来てたんだ」


 メガネを外して、テーブルに突っ伏した横顔。

 手にはスマホが握られていて、メッセージを送っていた痕跡がある。

 僕もスマホの取り出すと、コミュに通知が来ていた。


『ごめん。きしのんに呼び出し受けた。今日少し遅れるかも先に図書室行っておいて』

『……ようやくついた。なんか疲れたよ』

『おーいハル君?』

『隣に座っても気づかぬとはこんにゃろう』


 僕が本に集中しすぎて、桜空さんが来たことに気づかなかったみたいだ。

 さすがに話しかけられれば気づいたと思う。

 けれど僕が本に集中しているのを見てやめたのだろう。桜空さんは積極的なところもあるがデート中などに限った話だ。

 たぶん強引なところは疑似恋愛のキャラ作りの一環なのだろう。

 普段の桜空さんは大人しい。今日みたいに自己主張が弱いことが多い。

 そういうところが僕と相性が良くて、たぶん一緒にいて居心地の良い理由だろう。

 だから愛おしくて……危険だと思う。


「……はるくん」


 名前を呼ばれて、桜空さんの顔を覗き込むが起きた様子はない。

 ただの寝言だった。

 その無防備な寝顔に見惚れて、僕の視線が桜空さんの唇に釘付けになっていることに気づき苦笑した。

 本当の恋人でもないのに。

 疑似恋愛関係なのに。

 僕は桜空さんに恋をしている。


 最近の話ではない。

 知り合ってすぐに異性として意識していた。

 疑似恋愛という関係を維持したくて、振られるのが怖くて、ずっと疑似恋愛のために理想の恋人を演じているだけだ。

 その関係がもどかしくも幸せで愛おしいから。

 そばにいられるから。


 でも、もう終わりにしなければいけない。


 喫茶ホーリーはプレオープン期間は無事成功して幕を下ろした。

 現在は従業員スペースを作るための改装工事を行うために、しばらく店を閉める。つまりバイトはない。

 そのため週末は遊園地に動物園に水族館と、ベタなデートスポットを順調に回っていた。

 天候にも恵まれて、楽しい日々が順調に過ぎている。

 おかげで当初予定していたデートプランも終わりが見えてきて、あと数回でデート資金も尽きるだろう。


 だから疑似恋愛も終わりにしてただのクラスメートに戻らないといけない。

 このまま続けると桜空さんに愛されることを求めてしまう。

 僕が『ハル』としてボカロ活動を再開する。

 それが桜空さんの望みのはずだから。

 スマホから二人だけのコミュに返信する。


『ごめんね』


 せっかくファンになってくれたのに勝手に引退して。

 応援されていたことにも気づかなくて。


『いつもありがとう』


 情けない僕を立ち直らせてくれて。

 もう一度頑張ってみるから。

 言葉にできないそんな想いをこめて。



〇-------------------------------------------------〇

 作者からの連絡。

 ダメな人はスルーしてください。読み飛ばし推奨です。


 毎日18時に投稿していましたが、明日からしばらく更新を休みます。

 単純にストックが切れたのもありますが、今話の終わり方を読んでもらえればわかりますよね。


 ここからの展開を簡単に。

 桜空さん振られる。

 桜空さん泣く。

 桜空さん海外留学?

 桜空さん学校休む。

 ハルくん腹パン。

 ハルくん騙される。

 ハルくん告白する。

 カジュ兄さんのプロポーズ。

 大円満。


 みたいな流れなので展開が少し重く、一話更新だとヘイトが溜まりそうなので。

 書き溜めて一気に投稿する予定です。

 元々十万文字強ぐらいの予定なのであまり引っ張らずに物語は完結します。

 最後まで読んでいただけると嬉しいです。


 応援や評価★お待ちしてます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

疑似恋愛に本気になったらダメですか?~諦めた夢と彼女の嘘から始まる純愛ラブコメ~ めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定 @megusuri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ