第2部

第1話 冒険者2人

 ――ダンジョン42層『未明の湿地帯』にて。


「テオ! そっち行ったぞ!」

 

 鬱々とした色の木々が生い茂る湿地帯に、鋭い声が響いた。

 銀色の犬のような三角耳ぴるぴると動かして、ヴォルフラムは獲物の位置を相棒に知らせる。なかなか素早い敵を前に、苛立たしげに鼻を鳴らした。

 

「まったく、そっちってどっちですか」

 

 ずんぐりと苔むした巨大な幹に囲まれた赤毛の女は「もう」と唇を尖らせる。

 卸し立ての白いシャツと革製の防具を付けた彼女は、まだぴかぴかの新品であるグレネードランチャーを構えてあたりを見渡した。

 

 茂みは深く、動きはない。木の葉を揺らすのは湿り気のあるそよ風だけで、生き物の気配はまったくしない。マゴケトラと対峙しているのは確かな筈なのだが。

 マゴケトラはその気になれば密林を音もなく走る事ができるそうだ。ここら一帯では天敵のいない彼は、普段は隠れる必要がないので、それはもっぱら狩りの時に発揮される。


「上!」

「!」

 

 だがそれも、ヴォルフラムのように鋭い五感を持つ者には通用しないようだ。

 相棒の声と同時に、銃口を頭上へ向けた。

 上から迫りくるのは緑色の縦縞の体毛を持つ、湿地帯の覇者――マゴケトラ。かつては2人で身を寄せ合って逃げるしかなかった相手だが、今回は逃げるつもりも、その必要もない。

 

 パスン、とテオの構えた銃は軽い発砲音を立てた。

 獣の目に向かってまっすぐ飛ぶのは、金属と火薬でできた銃弾ではない。

 弾は着弾するとべちゃりと爆ぜ、青い粘性のある液体をまき散らす。それは獣の両目にべったりと貼りついて使い物にならなくする。驚いたマゴケトラが無茶苦茶に前足をばたつかせるのを《透過》ですり抜けて後退。別の弾を装填するとすぐに引鉄を引いた。

 

 今度の弾はマゴケトラの足元に着弾した。

 弾けた弾丸からぶしゃりと吐き出された煙を吸い込んだ獣はだんだんと動きを鈍くさせる。効果範囲が狭いが、即効性のある睡眠弾だ。完全に眠らせるほどの威力はないだろうが、それで充分。動きを止めるのはほんの一瞬で良い。

 

「オラッ!」

 

 もだえる獣の頭上にヴォルフラムは飛び掛かる。全身の体重を使って双剣を獣の頭蓋に突き立てた。

 マゴケトラは図体の割にか細い断末魔を上げる。全身をびん、と引きつったように伸ばしたと思うと、ふっと何かが抜け落ちたかのように崩れ落ちた。

 

「ヴォルくん、お疲れ様でした」

 

 倒れたトラの頭から飛び降りたヴォルフラムに布を差し出す。

 

「オウ、てめ~もな」

 

 口の端を釣り上げてから、布で剣についた血と油をふき取る。そうして、テオの持つ銃をしげしげと眺めると「なかなかサマになってるんじゃね〜の」と満足げに口の端を上げた。


 

「ええ、お陰さまで」

 

 丁寧な手付きで銃身を撫でる。実際、大事なものだ。何せテオの装備品のなかで、これが最もお金のかかった物である。

 

 この銃は、小型の大砲――グレネードランチャーのように見えるが、実際は少し違う。飛ばすのは従来の弾丸等ではなく、魔法薬や化学物質、魔法陣を用いて作られた特殊な弾だ。魔弾と呼ばれるそれは種類を変えることで、いくらでも効果を変えられる。何だか自分のギフトのようで気に入っていた。

 

「でも、いいのかよ」

「何がです?」

「戦闘は俺に任せるとか言って、サポートしかしてね〜じゃねぇか」

 

 それじゃあツマランだろ、とヴォルフラムは窺うように表情の乏しい顔を覗き込む。

 

「僕があなたのような武者修行目的の戦闘大好き冒険者だったのなら、そうでしょうけどね……」


 ハァ、とため息が出た。

 テオはあまり戦闘に対して積極的ではない。お金になる魔物であるならまだしも、無益な戦闘は疲れるし弾も消費するので利点がない。

 テオの最終的な目標は200層に辿りつき、兄を探すこと。そこまで行くのにはかなりの実力者でないといけないのだろうが、どれだけ魔物を倒して鍛えても、能力変動が起きないテオにとっては、修行という行為自体が無意味だ。

 ひたすら知恵を絞って、道具と仲間の力を頼りに降りて行くしかない。

 

「――最初に言ったとおり、僕はデバフ役兼荷物持ちです」

 

 着々と経験を積んだヴォルフラムは、今や優秀な前衛アタッカーだ。

 刀身の短い双剣をたくみに操り、素早く敵を狩る。《深淵の獣》と《守護するもの》という強力な能力上昇バフが常に乗る彼の攻撃は、中堅冒険者の中でも屈指の鋭さを持つ。

 そこに敵の攻撃を誘い引き付けて避ける回避盾の役割と、回復役を兼ねている。ここに更に役割を増やすのは酷というもの。

 それに折角パーティを組んだのだから、担う役割は被らないようにしたい。


 テオの役割はヴォルフラムが敵の意識を引き付けている間に《鑑定眼》で観察、死角から特殊弾で敵の動きを鈍らせ、アタッカーに攻撃の契機を与えることだ。

 他には、《ハンマースペース》による物資の持ち運びや、狩った魔物の解体などがある。そのため、《天の調色板》によりストックするギフトは、《鑑定眼》《ハンマースペース》、そして何度も自分の命を救った《透過》で、とりあえずは固定している。


「――さて、」


 テオは物言わぬ躯となったトラに向き直った。


「柔らかいうちに解体してしまいませんと」


《ハンマースペース》で格納したエプロンとゴム手袋を取り出して、解体用の肉切り包丁を構える。マゴケトラは毛皮も骨も内臓も売れる。捨てるところのない魔物だ。


「あの~」


 そこへ控え目な声がかかった。


 振り返ると年の若い冒険者が、申し訳なさそうな顔をしていた。ひょろりとした、冒険者にしては軟弱な印象を受ける青年だ。下がり眉と丸い鼻に浮かぶそばかすが、彼をより気弱に見せているのかもしれない。


「誰だてめ~」


 即座に警戒しだしたヴォルフラムが、ぐるると喉を鳴らした。

 鋭い紫の眼光に睨みつけられた青年はおびえたようにしながらも、逃げ出したりはしない。ちらちらと後ろを気にしている。


(あれは……)

 

 彼の後ろには4~5人の一団が控えていた。


(中堅くらいのパーティですかね……たしか『銀の鷺』所属の)

 

 あの一団は『ダンデ・ライオン』にも来店した事がある。

 純粋に金を求めてダンジョンに潜る、いたって普通の冒険者たちだ。現実的で堅実、受けた仕事は手堅くこなすと聞いている。このそばかすの青年は見たことがないから、恐らくは新入りなのだろう。

 

「僕たちに何か用ですか?」

「はいっ、ええっと……」

 

 青年は怯えた様子でヴォルフラムを見た。

 テオは険しい顔をしたままのヴォルフラムを手招いて自分の横に置く。間合いが開いた事で落ち着いたのか、青年は申し訳なさそうに話し始めた。

 

「僕たちは『銀の鷺』というギルド所属の冒険者でして……。今回はこの40層を縄張りにしているマゴケトラの討伐依頼を受けて来たんです」

「はあ」

 

 この先が読めたテオは面白くなさそうに目を細める。

 

「僕らはもともと30層付近で活動していたパーティでして、今回は結構無理をして40層まで降りてきました。けど……」

「俺らが先に倒しちまってた、と」

「それで……そのぅ、あのトラの死体をいくらか譲ってはもらえないでしょうか」

「あ? 別にいいけど」

「あっ、コラ」

「いいんですか!」

 

 飛び上がって喜ぶ青年を前にテオは頭を抱えた。

 1度了承してしまったものはひっくりかえせない。怒りに任せて勝手に了承したヴォルフラムの尻尾を掴むと「ぎゃあ!」と悲鳴が上がった。

 

「討伐依頼ならギルドに提出する部位は1部でいいでしょう。なら、目玉さえあれば依頼の報酬は受け取れる筈です」

「えっと、でも……せめて尻尾とか」

「絶対ダメです。毛皮は全部そろってるのが1番高く売れるんですから」

「残忍な女だ……」

 

 尻尾を抑えてヴォルフラムはしくしくと泣いている。

 

「ヴォルくん怒りますよ。お耳も引っ張られたいんですか」

 

 これ以上の譲歩はないとばかりに睨み、トラの死骸から目玉を2つ取ってきたテオは青年にべちゃりと手渡した。


「ヒエッ」


 青年が短い悲鳴を上げるが知ったことではない。むしろ冒険者がこの程度の事で悲鳴をあげるな、とテオはそっぽを向いた。

 

 そうして淡々と解体作業に戻るテオの背中を、恐ろしいものを見るような目で見た青年は、すごすごと仲間のもとに戻って行った。




「いい稼ぎになりました」

 

 無表情ながら頬を桃色に染めて、テオはほくほくとテーブルの上の袋を撫でた。

 ぎっしりと金貨の詰まったこれには、今回狩ったマゴケトラの売り上げ金が入っている。両手一杯分の袋が2つ。

 ヴォルフラムは興味がなさそうに、テーブルの上の魚のフライをひょいとつまんで口に放り込んだ。

 

「ヴォルくん、今日みたいなのは簡単に了承しちゃ駄目ですよ」

「んぁ……ああ、なんで?」

「トラブルのもとになりかねません」

「?」

 

 わからん話だな、と首を傾げる。

 ソロでやっていた時も、ヴォルフラムは魔物の死骸を譲ってほしいと声をかけられたことがある。

 その時も自分の必要な分以外は譲ってやった。とはいえヴォルフラムの必要とする分など素材袋1つ分なので、たいした量ではない。あまりものを貰った筈の冒険者の方が稼ぎが出ていたなんて、金銭に頓着してこなかった彼は知りもしないだろう。

 

「別にトラブルなんて起きたことねえけど」

 

 むしろ喧嘩に発展するなら歓迎する。

 そう言わんばかりの相棒に「僕はお金が好きなので困ります」と言い回しを変えて言えば、少し考えた後に「悪かった」と素直な謝罪が返って来た。

 

「ヴォルくんは強くなりたくて魔物と戦っている奇特な人間なので金銭欲が薄いかもしれませんが」

「飯が食えて、屋根のあるとこで寝れりゃ、あとは要らねえだろ」

「その食べるのだって、好きじゃない料理より、その時食べたいものを選べた方が、食が進むでしょう。満足に食べたほうが力も出るし、肉体の成長にもつながります」

「そりゃそうだけどよ」

「食の満足をてっとり早く補うことが出来るのは金です」

 

 テオは袋の1つをヴォルフラムの方に押しやった。

 

「いらねえよ。てめ~がもってけ」

 

 テオの装備品は結構な維持費がかかる。

 画家をやめたわけではないようだし、何より彼女の持ち家は父親の代で支払いが終わっていなかったらしい。彼女は冒険の間を縫って未だに『ダンデ・ライオン』でバイトをしているのを、ヴォルフラムは知っているのだ。

 

「報酬は対等でないと。僕らはバディですから。もちろん、解体料や交渉の手間、ヴォルくんの所の大家さんに渡す内臓分は引いてあります。――トラは獲物を狩るのに大きな爪と牙を使いますよね。それと同じでヴォルくんの培った戦闘技術で得たものなんですから、ヴォルくんが生きるために使わないと」

「……そういうモンか」

「ええ」

 

 テオは頷いた。

 何より、ただより高いものはないというのがテオの持論だ。

 この場合はヴォルフラムに対してではなく、相手の冒険者たちに対してのものにもなるが。


「討伐依頼を受けている相手と獲物が被るのはたしかにそれ自体がトラブルのようなものですが、相手の要求を受け入れて死体を譲ると、討伐していないのに討伐したことになる……ギルド側が冒険者の実力を誤認することにつながります」

 

 ギルドから回って来る仕事は2種類ある。

 依頼者がギルド外におり自分で選ぶ事が出来るものと、ギルドから直接依頼されるものだ。前者は受けるもやめるも冒険者次第だが、後者は拒否権がない。普段ギルドに保障されている分を返すための奉仕作業のようなものだからだ。このギルド依頼の振り分けは、それまでに達成した依頼の難易度で決まる。

 

「……つまり?」

「実力以上の依頼を振られて殉職する確率が上がります」

 

 そう、死体の譲渡は冒険者同士でよくあるやり取りだが、長期的にみるとあまり自分のためにはならない行為だ。ここまで説明してようやくヴォルフラムは「なるほど」と頷いた。

 

「それから、そろそろどこかのギルドに所属することを進言します」

「げぇ」

 

 あからさまに嫌な顔をされた。

 

「さっきも言いましたが、このままではトラブルに発展します。仲良くするしないは別にして、しっかりとした後ろ盾を得ておいた方がいいと思いますよ」

 

 フリーの冒険者とギルド所属の冒険者では、圧倒的に後者に信用がある。ギルドに所属していない冒険者は、所属できないだけの後ろ暗い理由があることが多いからだ。そのために揉め事が起きた時に優遇されやすいのも後者だ。実際、フリーの冒険者とギルドの冒険者の間にはトラブルが絶えない。


 テオが懸念しているのはそれだけではない。先の事件でテオが行った”他人のカルマを書き換える”という現象。

 あれは間違いなくテオの持っていた《天の調色板》によるものであったが、他人のギフトやカルマを書き換えるような力を持っているとは、テオ自身も知らないことであった。


(あれ以来やろうと思ってもできないので、何か条件があるか、あれ一回きりの力なのかもしれないですが……)


 とにかく、自分のギフトはかなり強力で、それでいて謎が多いという事がわかった。強力すぎる力は望まぬトラブルにつながることが多い。テオがヴォルフラムのカルマを書き換えた事は、その場にいた者と、関係者であったディーデリヒ、メリエンヌらしか知らない。口止めもしたので露見することはないだろうが、それでも頼れる組織的な後ろ盾は欲しいところだ。

 

「……いやだァ」

 

 ところが、ヴォルフラムはそうではないらしい。

 今まで見せた事のないようなしかめっ面を披露した彼は、金貨の袋を手に取って席を立つ。

 

「夕飯までには帰ってきてくださいね」

 

 スラムにある元自宅に向かうのだろうと見当をつけたテオは、不機嫌そうな背中に声をかけておく。ひらりと振り返らないまま手を振られた。どうやら、テオの家に帰って来る気はあるらしかった。

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いずれ深淵に至るもの きざしよしと @ha2kizashi

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