第24話 相棒
ここは5番街にあるテオの自宅。
閉ざされていた自室の隣にある兄の部屋に、テオはそろそろと足を踏み入れた。
兄がダンジョンにから帰ってこなくなって数年が経つが、部屋は掃除こそすれど、ほとんど当時のままだ。
ベッドの隣に据えられた木製のチェストの上に飾られた写真立てを手にとった。
赤毛の青年と幼い自分が仲良く顔を寄せている写真だ。お揃いのたんぽぽの花冠をした遠い日の思い出が写されたもの。兄のお気に入りのもので、恥ずかしいから替えて欲しいといくら言っても利かなかった。
懐かしがるように写真を眺めてから、ゆっくりともとの位置に戻す。
そのまましゃがみ込むと、チェストの一番上の引き出しから両手で抱えるほどに大きな白い袋を引っ張りだした。じゃらりと重たい音のするこれには、テオが今までに貯めた金貨が入っている。
バイトに勤しんでいたのも、節制に努めていたのも、何も生活のためだけではない。これはダンジョンの深層で行方不明なった兄を捜索を依頼をするために、貯めていたものだ。――これを、今から使う。
決意を胸に、袋を持って家を飛び出した。
――1番街、『ダンデ・ライオン』にて。
今日も単身でダンジョンに潜っていたヴォルフラムは、すっかり慣れ親しんだ酒場の一角で、お気に入りのトマトソースのパスタを前にご機嫌だった。顔には出さないように気を付けているようだったが、ゆらゆらと尻尾が揺れている事に気づいていない。
数日前に8番街で起きた事件は、結局のところ殆ど表沙汰になることはなく解決した。
モーリッツ・ハーバは遺体こそ見つからなかったものの、ヴォルフラム達の証言もあり、今回の人間市場の主催は彼であったと確定された。領主はモーリッツから8番街を没収することにしたらしい。8番街は領主の統治下に戻り、現在は一般市民にも開放された歓楽街となっている。街の管理はデニスという名の商家の者が担っている。
また、あの事件に関わった多くの諸外国の貴族や富裕層の人間が、表向きは療養という形で密やかに処理されたとディーデリヒから聞いた。だがまあ、ヴォルフラムにはあまり興味のない話だった。
リーヌスとロッタは3日ほどで目を覚まし、後遺症が残るでもなく病院を後にした。
リーヌスはさっそく本業に精を出し、さっそく8番街での一件を記事にしたようだった。当事者の1人であるために真に迫った内容の『トワイライト・タイムズ』号外は、それはもう飛ぶように売れたらしい。財布を抱きしめる彼女は、今までに見たことがないほど嬉しそうな顔で笑っていた。
ロッタはヴォルフラムの家で暮らすようになった。というのも、人間市場で囚われていた他の人間たちの一時的な保護をしたいと申し出たのだ。もちろん、小さなロッタに任せるわけにもいかず、とりあえずはヴォルフラムの住んでいる長屋に住まわせ、ライラが面倒を見ているような状況だ。身元もわからない彼らがこれからどうなるのか、見通しは不透明だが、3人の大人の間を飛び回るロッタは生き生きとしている。でかい弟分と妹分が出来たと思っているようだった。
テオとヴォルフラムはロッタが起きるまでの間、手を繋いで過ごすという、なんとも可笑しな状況にあったが、今は元の住処に戻って、それぞれの生活をしている。
たまに酒場で顔を合わせて世間話をしたり、夕食に招待してもらったりする。そういう普通の友達みたいな関係になった。――ヴォルフラムは、それが、ちょっとだけ物足りないと感じる。
パスタを咀嚼しながらヴォルフラムはそんな考えを振り切るように目を瞑る。
(もともとあいつはカタギの人間だったんだから、別にどこもおかしくなんてない。普通だ普通)
ああ、でも、あいつと冒険するのは楽しかったな、なんて。
「ヴォルくん」
そんな事を思っていたら、本人がやってきた。
彼女が纏っているのは、いつもの黒いバーテン服ではない。
白いシャツに革製のハーネスベルトを付けて、頑丈そうなコルセットタイプの防具を付けている。スマートだが小さな身体には大きく感じるガンホルスターが、腰と背中に1つずつついている。回転式拳銃と、小型のグレネードランチャーなんて物騒なものを装備して、一体どこに行くつもりなんだろうか。――まるで、これから、ダンジョンに行くみたいな。
「お前、何だその恰好……」
「凄いんですよこれ、これだけ重ね着しても重くないし、苦しくない。おまけに汚れにくくて頑丈です。当然着用する人間の防御力を格段に上げますし、魔防力を施す魔法もかかっているんです。僕のような紙耐久の一般人が、用心に用心を重ねたらそういう格好にもなりますとも。最近、妙に事件に巻き込まれるものですから」
テオは表情を変えぬまま、するすると滑り出すように話し始める。
ヴォルフラムは黙って聞いた。こういう風に話すとき、彼女は一番伝えたいことを、決まって最後に持って来る。
「この装備一式でいくらしたと思います? 金貨120枚ですよ! まじで馬鹿にならないです。冒険者って貴族の嗜みだったりします? ま、僕はこつこつ貯めたお金があったのでニコニコ現金一括払いしてやりましたけどね!」
無表情で得意げに笑うテオは器用だ。
「ただ、おかげで兄の捜索依頼の報酬にする筈だった資金を使いきってしまいました」
目を見開くヴォルフラムにテオは手を差し出した。
「だから、自分で探しに行こうかと思いまして」
薄くほほ笑んで「一緒に来てくれませんか?」と小さく首を傾げる。
ヴォルフラムは、歯を見せてひと笑いすると、力強くその手を握り返した。
「若いっていいわねぇ」
赤毛の従業員と銀髪の青年のやりとりをうっとりと眺めていた『ダンデ・ライオン』の店主、メリエンヌは熱い吐息と共にそう零した。
「いやいや、マスターもまだまだお若いでしょう」
などと返すのはカウンター席に座ったディーデリヒだ。メリエンヌは嬉しそうに「ま! ディーちゃんったら!」なんて笑っている。
「カルマを書き換えるギフト、か」
さらりと目にかかる金髪を耳にかけながら、ディーデリヒは薄く笑った。
「とても珍しいね。興味深い」
「そうかしら?」
メリエンヌはそう思わなかったようだ。バーカウンターから見えるように飾られた写真に向けられた目は、昔を懐かしむように優しい。若き日の自分と、仲間たちの姿を切り取った写真。その中にはテオの父であるティルマンと、銀髪の美しい少女の姿もあった。その少女はどことなくヴォルフラムに似た雰囲気の面差しをしていた。
「きっとそんな特別な話じゃないわよ」
「……そうでしょうか」
ギフトやカルマは成長しない。
ギフトは人間の個性であり、カルマはその人の魂の形であると言われている。それを意のままに変える能力が存在するのだとしたら、それは争いの火種になりかねないと、ディーデリヒは思ったのだが。
「誰かとの出会いをきっかけに人生を変えることなんて、誰にだってあるわ」
メリエンヌの声には実感がこもっていた。彼女も昔、誰かと出会って生き方を見つめなおしたことがあるのかもしれない。
「ヴォルフラムちゃんは最初、誰にも心を許さないって顔をしていたわ。テオちゃんは全部をあきらめたような顔でつまらなさそうに生きてた」
メリエンヌの目の前には、楽し気に笑いあう2人がいる。
「そんな2人が出会って、変わった」
ヴォルフラムは少しだけ付き合いやすくなった。口が悪いのも、喧嘩好きなのもそのままであったが、生来持っていた素直さを前面に出すようになった。
テオも表情が乏しいのはそのままだが、その眼はきらきらと少年のように輝くことが多くなっていた。
笑い合う2人は実年齢よりも若く見える。夢を語る少年少女のように。
「テオちゃんだって、ヴォルフラムちゃんがいなかったら、自分にそんなことができるなんて気づかなかったでしょう。生まれ持ったスキルが特別なんじゃないわ、あの子たちだけが特別なんじゃないのよ」
メリエンヌはお茶目に片目を瞑る。
「2人にとって、お互いが特別なの」
ディーデリヒはグラスの中のカクテルをゆっくり飲み干すと、横目で2人の姿を捉えながら「なるほど」と頷き、グラスを置いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます