第23話 仲直りのおまじない

「テオ、お前」

「ヴォルくん、僕は今……」


 すっかり静まり返った瓦礫まみれの地下で、茫然とお互いの名前を呼び合った。

 何が起こったのかわからない。けれど、劇的に何かが変わった。

 説明しなければ。

 そう思ったが、テオだって自分が何をしでかしてしまったのかわからなかった。彼に、何と言ったら良いのだろう。彼の、カルマを描き換えてしまった、なんて。


 ドンッ


 舌が鉛で出来ているかのように動かない。重たい沈黙の中で響いた大きな音に、そろって肩を強張らせた。

 もくもくと立ち込める煙と、焦げ臭い匂いに思わず鼻を手で覆う。


「リーヌス、まじで火事を起こしたんです?」


 横抱きにされたまま魘されているリーヌスの顔を覗き込む。青い顔でうんうんと魘されている彼女は「冤罪にゃ……」とうわごとを言った。奇しくもその通り、冤罪である。

 これはモーリッツの放った炎が執務室の書類に燃え移ったために起こった火事であった。燃えやすい素材で出来ているのだろう、炎は舐めるように絨毯や壁紙を這い、こちらへ迫って来る。その速さにヴォルフラムは苦い顔をした。


「さっさと逃げんぞ。このまま居たら全員お陀仏だ」

「酸欠も焼死も御免被りたいです」


 頷き合った2人は、それぞれ意識のない仲間を背負って、大勢の来場客たちが通り抜けた梯子のある部屋を目指した。

 部屋のドアは乱暴に外されていた。暴徒と化した客たちに打ち壊されたのだろう。中の梯子もひどいもので、降りて来た時は新品同然の梯子であったのに、随分と痛んでいるように見える。いたるところが欠け、ひび割れに服の切れ端を挟んでいた。


「ヴォルくん、先へ」

「はあ?」

「あなたにはリーヌスを地上まで連れて行って貰わなきゃいけませんからね」

「……そいつも貸せよ」


 ヴォルフラムはテオの腕からロッタを引き取ると、ジャケットを脱いで彼女を身体の前に巻き付けた。リーヌスは肩の上で横向きに担ぐ。空いた片手を梯子にかけて、そこで思い至った。


「お前、浮けなかったか?」

「《空中浮遊》は《虚構水源》と混ぜて《浮遊する水牢》にしてしまいましたから、同じ色が2度と作れないように、1度混ぜてしまうと元の能力は使えなくなってしまうんです」

 

 テオはぷかりと掌から顔の大きさくらいの水球を2つ出した。ぷかぷかと浮かんだそれらは、梯子に当たると弾けて木目を濡らしていく。

 

「ふ~ん」

「これはわかってない顔ですね」


 口をぽかんと開けたまま生返事を繰り出すヴォルフラムの仕草を見て、テオは正確に彼の理解度を把握していた。懇切丁寧に教えてやりたいところだが、今はとにかく時間がない。


「まあいいです。さっさと行きますよ」

 

 梯子はところどころ踏ざんを損なっていた。テオたちが1歩進む度に、ひび割れた支柱が大きく軋む。

 

「……自重で折れたら全員道連れですね」

「こえ~こと言うな!」


 ぼそりと言ったテオの発言に、ヴォルフラムは大きな声を出す。

 その顔に浮かんでいるのは焦りだ。梯子の下から強い熱気を感じる。下を向けば業火が部屋を覆っている。彼らは炎の胃袋の中にいるのだ。


(そういえば、何でこの梯子は燃えないんだ?)


 ヴォルフラムの疑問の答えはすぐ真下にあった。

 彼の後に続くことを選んだテオは、殆ど空に近い魔力をどうにかひねり出し、《浮遊水球》によって梯子を濡らし続けていた。焼石に水だろうが、ないよりはいいだろう。自分たちが地上に到達する僅かの間、保てばいい。


「みんな無事かい!?」

「おっせぇですよ!」


 数メートル先の出口からひょっこり顔をのぞかせたディーデリヒに、テオは思わず怒鳴ってしまう。焦っているせいで、敬語交じりの変な口調になってしまった。


「すまない。仮面のゲストたちを鎮圧するのに時間がかかってしまってね」


 そう言う彼はいつも通り服を着ていなかった。均整の取れた筋肉のラインが刻まれた上半身に、白いぴったりとしたスキニーパンツ。変態ちっくないでたちに、むしろ安心感を抱いてしまう。

 じとりとしたテオの視線も鷹揚に受け止め、ディーデリヒは下にいるヴォルフラムに向かって手を伸ばした。


「無事で何よりだ。ひと肌脱いだ甲斐があったよ」

「てめ~が脱いだのは肌じゃなくて服だろ」

「まあね」


 多分に事実を含む憎まれ口を叩きながらも、ヴォルフラムはディーデリヒの手を掴む。人間離れした膂力でするりと引き上げられたヴォルフラムは、すぐにリーヌスとロッタを彼に預ける。


「テオ!」


 そうして未だ梯子にしがみついているテオに手を差し伸べた。


「ありがとうございま……っ!?」


 メキメキ、と梯子が嫌な音を立てた。

 ぐらりと視界が揺れる。次いで襲ってきたのは憶えのある浮遊感だ。内臓がひっくり返りそうな恐怖。

 実に嫌な偶然だが、前回も、そして今回も、落ちたら死ぬような所へ落ちている。前回は未開のダンジョン。――今回は燃え盛る炎の中。


「ヴォルくん!」


 名前を呼んだ。

 手を伸ばす。彼もめいいっぱい乗り出して手を伸ばした。それでも届かない。あと少し、指先が触れ合う直前で、テオの身体は重力に負けて落ちていく。


(これ――本当にヤバいんじゃ……)

 

 背中を舐める熱気に、ぼんやりと絶望を感じた時だ。


「テオ!」


 ヴォルフラムの悲愴な叫びに呼応するかのように、差し出された彼の手の甲が光った。

 紫色に光を放つそれは、テオの右手と繋がり、ものすごい力で引き寄せる。ぐんぐんヴォルフラムの姿が近づき、彼の左手とテオの右手がつながったのと同時に、テオは地上へ放り出された。

 ヴォルフラムと手を繋いだまま、引き寄せられた勢いのまま、彼の頭上を飛び越えることになったテオは、そのまま背中で着地する。繋いだ手に引っ張られたヴォルフラムも同様に、後ろ頭を地面にぶつける形になった。


「な、なんですか、今の……」

「しらねえ……」


 あまりの出来事に目を見開いたまま深呼吸を繰り返す。

 そんな2人の手を見て、ディーデリヒは「妖精の祝福か、いいものを貰ったね」と目を見開いた。


「祝福……? そういえば、ロッタちゃんがおまじないをしたと言っていましたね」

「ピカ~ッてされたわ」

「クルクルもしたんですよね」

「おう、よくわかったな!」

 元気な返事にテオは「語彙が幼女並みとは……」と眉間を揉んだ。

 

「これは妖精族に伝わる秘伝の魔法の1つさ。祝福を授かると肌の1部に花の文様が現れるんだ。それは妖精の指定する範囲で願いごとを1つ叶えて消える」


 左の手の甲を確認すると、手の甲にあった可愛らしい花の文様は綺麗さっぱりなくなっている。新しく手袋を買う必要はなさそうだった。


「そういえば、妖精の祝福にはなんてお願いをしたんだい?」

「俺じゃね~わ! あいつが勝手に……!」

「ロッタちゃんが? なんて言ってたんですか?」

「ぅぐ……」


 ヴォルフラムは言い淀んだ。真面目な顔をしたテオと眠ったまま動かないロッタを交互に見て、やがて観念したかのようにがっくりと肩を落とした。


「……『オレとテオが仲直りできますように』だと」

「えっ」

「それはまた、」


 ディーデリヒは口を噤んだ。「可愛らしいね」などと漏らそうものなら、この狼の機嫌を盛大に損ねてしまう。


 ――そう。テオが火炎の渦へ飲まれそうになった、まさにあの時、テオとヴォルフラムがお互いに手を伸ばしたことを契機に、ロッタの祝福は発動したのだ。

 

 妖精族は繁殖をしない。

 愛しい人との愛情表現は、手をつなぐ、抱きしめる、キスをするなどがせいぜいである。その中でロッタが知っているのは『手をつなぐ』ことだけだった。

 ロッタの中では『仲がいい』とは『手をつなぐ』ことなのである。

 その思考と彼女自身の未熟さにより、祝福を受けたヴォルフラムが強く願った時、テオと強制的に手を繋がせるものとして、祝福は成った。


「叶いましたね」


 テオは繋いだ手を掲げてニコリとほほ笑む。

 ヴォルフラムの耳がピン、と立った。ふるふるとご機嫌に震える尻尾がかわゆいなと、テオは目を細める。


「……おう」


 顔を真っ赤にして嬉しそうに頷く彼の事が、テオは可愛くて仕方がなかった。


「ん?」


 ここでテオは異常に気付く。


「……離れないんですけど」

「は?」

 

 2人の掌は吸い付くように貼りつき、剝がすこともできなくなっていた。かろうじて指だけが動くのだが、掌だけはびくともしない。


「ど~すんだこれ! 利き手だぞ!」

「ディーデリヒ! なんとかならないんですか!?」

「さ、私は事後処理とかあるからこれで。妖精ちゃんとリーヌス嬢のことはこちらに任せてゆっくり休むといい。――でもあとで様子を聞かせてくれよ? 特にお風呂とトイレの話は重点的に」

「最低」

「シンプルな罵倒!」


 嬉しそうにしながらディーデリヒは去って行った。「本当に教育に悪い」とテオは苦い顔で舌打ちし、ヴォルフラムは呆れたように息を吐いた。有能の男なのだが、考えていることも、言っていることも半分ほどしか理解できないのが難点だ。


「僕らも帰りましょうか」

「そうだな」


 2人は疲れ切った体を引きずりながら家路についた。笑いながら、手を繋いで。


 結局、彼らの手が離れたのは3日後、ロッタが目覚めた後の事であった。

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